その23 ピスカロヴァー伯爵の屋敷で
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ミロスラフ王国でカミルバルトが即位したその翌日。
隣国のゾルタでも、人知れず大きな変化が訪れようとしていた。
ここはピスカロヴァー伯爵家の屋敷。
その執務室で伯爵は珍しい客人を迎えていた。
ちなみにこの部屋にいるのは、ピスカロヴァー伯爵家当主アスモレイ。そして今年二十歳となる嫡男のダンナ。更に長男のグスタフとなる。
グスタフはダンナより七歳年上だが、側室の子――庶子となるため、伯爵家の相続権はない。
対する来客は、ピスカロヴァー伯爵家の寄り子となるオルサーク男爵。その当主となるマクミラン。
そしてアスモレイの義理の息子でもある次男のパトリク。更にはまだ成人前の三男トマスである。
片や伯爵家、片や男爵家という立場の差はあるものの、奇しくも彼らは三対三で向き合っていた。
型通りの挨拶を終えると、伯爵は上機嫌で来客に尋ねた。
「それで今日は一体何の用かな? オルサークの英雄達が全員揃って我が屋敷に訪れたもので、使用人達が興奮して仕事にならんと、家令のヤツが愚痴をこぼしておったぞ」
オルサークの英雄達。
長男であり、当主のマクミランは、優秀な弟達を率いる”英雄の生まれ変わり”。
次男パトリクは、一騎当千の若武者であり”万夫不当の勇者”。
そして先の帝国戦での最大の立役者。三男トマスは、”オルサークの竜軍師”。
後にカミルバルトが”英雄王”と呼ばれる事から、こちらは”オルサークの三英傑”と呼ばれる事になる、オルサーク男爵家の三兄弟達である。
三人の若き英雄たちは、伯爵家当主の前で緊張している様子だった。
やがて長男マクミランが覚悟を決めると、用件を切り出した。
「ピスカロヴァー領の将来について、我々の意見をお聞き届け頂きたく、参上いたしました」
そう。三兄弟は緊張していたのではない。真剣だったのだ。
この予想外の返事に、伯爵家の三人は面食らった様子で互いに顔を見合わせるのだった。
事前に三兄弟で良く話し合っていたのだろう。マクミランは淀みなく説明を始めた。
「ご当主様はヘルザーム伯爵と不戦協定を結んでおられるとの事。しかしあの欲深なヘルザーム伯爵が、その協定を守るでしょうか?」
伯爵は眉間に皺を寄せた。
ヘルザーム伯爵が、代々友好関係にあったカメニツキー伯爵領にだまし討ち同然に攻め込み、領地を奪い取ったのはつい先日の事である。
ここピスカロヴァー伯爵家でも、「次はウチが攻め込まれるのでは?」と、危機感が高まっていた。
結局、ヘルザーム伯爵軍は南の隣国、ミロスラフ王国へと軍を進めたのだが、ピスカロヴァー騎士団の中には、いつヘルザーム伯爵が裏切ってもおかしくないと、警戒する者も多かった。
「――だが、現在の所、ヘルザームの軍は我らとの約束を守って、ミロスラフ王国を攻撃しているが」
「現在の所は――です。しかし、ミロスラフ王国に敗れてしまった後はどうでしょうか?」
「ヘルザームが負けると?」
そう問い返しはしたものの、実はピスカロヴァー伯爵もそう読んでいた。
ヘルザーム伯爵軍に勝機があるとするならば、それは短期決戦しかない。
有無を言わせぬ勢いで砦を攻略し、その勝利を足掛かりにミロスラフ王国へと攻め込むのである。
実はヘルザーム伯爵軍三千のうち約千人は、先日、伯爵が攻め滅ぼしたカメニツキー伯爵家の騎士団員達である。
ヘルザーム軍は彼らをすりつぶすような戦い方で優位に立っているものの、そんな戦い方はいつまでも続けられる訳はなかった。
「今は善戦しているようです。しかし、敵の援軍が来れば攻撃は鈍り、撤退せざるを得なくなるでしょう。そうなれば、次のヘルザーム伯爵の野心はこのピスカロヴァー伯爵領に向くのは間違いありません」
そもそも、なぜこの時期にヘルザーム伯爵が隣国を攻めたのかが分かっていない。
普通に考えれば、隣の領地を攻略した際に負った被害を回復させるか、勝利の勢いを生かして、このピスカロヴァー伯爵領に攻め込んでいたに決まっているのだ。
彼らは、この一件を裏で糸を引いている者の存在を知らない。
全てはカミルバルト国王の新体制の誕生を阻もうとする、都市国家連合の評議会議長、ハヴリーン老の仕組んだ陰謀なのだ。
ここで伯爵家の嫡男、ダンナが口を挟んだ。
「確かに、ウチの騎士団にも、ヘルザームを信用してはいけないと諫める者も多い。だが、今やヘルザームはカメニツキー領を得て力を増している。ピスカロヴァーだけで対抗するには戦力が足りないのではないか? それとも、お前達英雄が勝利に導いてくれるのか?」
「ダンナ!」
伯爵は差し出口を挟んだ息子を窘めた。
ダンナはマクミランとほぼ同年代である。同世代、かつ相手は現役領主で、更には英雄とまで呼ばれるマクミランに、彼は憧れのような、先を行かれているような、複雑な感情を抱いていた。
「英雄ですか。残念ながら我々にはそんな大それた力はありません。しかし、ご当主様が私達の提案をお聞き届け頂けるのであれば、私達三人を足したよりも遥かに大きな力をご紹介出来ると考えています」
「なっ?!」
「お前! 自分で何を言っているのか分かっているのか?!」
伯爵とダンナが驚くのも当然である。
マクミランは、自分の指揮能力を上回り、パトリクの武力を上回り、トマスの知恵を上回る存在を知っていると言うのだ。
ここまで黙って話を聞いていた、伯爵家長男グスタフが、ここで初めて口を開いた。
「・・・君。まさかとは思うけど、ミロスラフのドラゴンを紹介してくれるとか言い出さないよね?」
「「えっ?」」
三人の英雄の資質をたった一人で兼ね備えた、英雄を超えた英雄とも呼ぶべき人物。
そんな人間がそうそうこの世にいるとは思えない。
そう。確かにいない。人間には。
「グスタフ様のご賢察、恐れ入ります。私はご当主様にナカジマ家のドラゴン・ハヤテを紹介したいと思っております」
マクミランの提案は驚くべきものだった。
ピスカロヴァー伯爵と嫡男ダンナは、ポカンと口を開けている。
「ミロスラフの・・・ドラゴン」
「我らオルサーク男爵家はナカジマ家と同盟を結んでおります。その関係で、ハヤテ様にも懇意にして頂いておりますので」
突然ブラリとやって来ては、やれミールキットだ何だと持ち掛けるのが、懇意にしている事になるのどうかは分からないが、交友関係を築いているのは間違いない。
ましてや――
「ましてや、ミロスラフ王国にとっても利のある話であれば、ハヤテ様もむげには断らないと思います」
「何だと?! ミロスラフにとっての利益とは何の事だ?!」
「――まあ待てよ、ダンナ」
ダンナはマクミランの話に付いて行けず、思わず声を荒げた。
しかし、彼の言葉は兄のグスタフによって遮られた。
グスタフはさっきからずっと、自分の正面に座った少年を見つめていた。
「ここは今回の話を考え出した本人の口から、直接聞かせて貰おうじゃないか。いかがかな? ”オルサークの竜軍師”殿」
「・・・ご希望とあれば」
「――自分の考えである事を否定しないと。竜軍師の呼び名は伊達じゃないといったところか」
「まさか、こんな子供が?」
ダンナも、トマスがオルサークの竜軍師と呼ばれている事は知っている。しかし、目の前の少年はまだ成人前の子供で、声変わりすらしていない。
彼は無意識のうちに見た目で少年を軽んじていたのである。
トマスは全員の視線を集めながら口を開いた。
「私はミロスラフ王国に恭順するのが、ピスカロヴァー領にとっての最善手だと考えています」
「なにっ?!」
トマスの発言はとんでもないものだった。
伯爵とダンナが血相を変えて立ち上がった。
彼らの怒りも当然だ。トマスは祖国であるゾルタを裏切り、敵国であるミロスラフ王国に降伏しろと言っているのである。
伯爵の剣幕に、トマスの兄、マクミランとパトリクは、思わず身の危険を感じた。
しかしグスタフは顔色一つ変えずにトマスに尋ねた。
「・・・その理由は?」
「逆にお尋ねしますが、それ以外の手段があるのでしょうか?」
「ふざけるな! お前は我々にゾルタを裏切れと言うのか!」
「裏切るも何も、ゾルタ王家は帝国によって滅ぼされています。王都バチークジンカは今では野盗の住み着く、荒れ果てた廃墟でしかありません」
トマスにバッサリと切られて、ダンナは「ぐっ」っと鼻白んだ。
ピスカロヴァー伯爵は内心で、「流石は五万もの帝国軍に戦いを挑んだオルサーク男爵家の者。まだ幼い子供とはいえダンナとは肝の据わり方が違う」と感心していた。
「ゾルタ王家無き今、もうこの地はゾルタではありません。いくつもの伯爵領が乱立して争い合う紛争地帯です。仮に伯爵家の中から勝者が生まれたとしても、王家に代わってこの地を治めていくのは難しいでしょう。すぐに不満に感じる者が現れ、反旗を翻すと思われます」
「それは・・・。だ、だからと言って、このピスカロヴァーを、みすみす敵国であるミロスラフ王国に奪われる訳には・・・」
ダンナは、トマスの言葉にも一理あるとは認めつつも、心情としてはトマスの言葉を受け入れられないようだ。
眉間に皺を寄せ、奥歯を噛みしめている。
しかしトマスは、ダンナが心の整理をする時間を与えてはくれなかった。
「いえ。ミロスラフ王国には、ピスカロヴァーは残して貰うように働きかけます」
「どういう事だ?」
「ミロスラフ王国の一部になるのではなく、従属国として独立を認めさせるのです。ミロスラフ王国のピスカロヴァー地方になるのではなく、ピスカロヴァー王国として認めさせるのです」
次回「オルサークの竜軍師」