その21 新国王誕生
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その日は残念ながら朝から曇り空だった。
せっかくの記念すべき新国王の戴冠式の日に――と思ったのは一部の者達だけで、むしろ大半の者は日差しが弱く、過ごしやすい一日になりそうだと喜んでいた。
本日は新国王カミルバルトの戴冠式の日。
急遽、決行が決まった式典とあって、儀式の段取りは大幅に切り詰められた。
貴族家当主達も中庭に集められ、一度の挨拶で全てを終わらせる事になっている。
炎天下の中での式典とあって、空が曇ってくれたのは貴族達にとっても救いとなったのである。
ドン ドン ドン
朝から楽隊の太鼓の音が響いている。
この頃になると、まだ何も知らされていない王都の民も、王城で何か大きな行事が行われているのを察していた。
彼らはあちこちで集まると、情報を――そして不安を共有した。
「北の砦に向かう騎士団の出陣式にしては大袈裟だな」
「知らないのか? 東のメルトルナ領で国王陛下に対する反乱が起きたせいで、出兵は中止になっているという話だぞ」
「商人から聞いたが、ネライ領に向かう西の街道も封鎖されたという話だ」
「マジか。隣国ゾルタの軍勢に次いで、東西の大貴族までかよ。この国は一体どうなってしまうんだ?」
TVもネットもなければ、新聞も無いこの世界では、人の噂だけが最新情報を知る方法である。
人々は先の見えない不安に押しつぶされそうになっていた。
「一つくらいは明るい話題も聞きたいよ。あ~あ。早くカミルバルト様に国王になって頂けないものかなあ」
誰かの漏らしたこの呟きは、実は一日も経たずに叶えられるものだったのだが、それを知る者はこの場には誰もいなかった。
男の呟きは曇天の空へ虚しく吸い込まれていった。
そんな空に、一つの影が舞い上がった。
四式戦闘機・疾風である。
操縦席に座っているのはメイド少女カーチャ。そして落ち着きなく動き回る二匹のミニドラゴン、ファル子とハヤブサ。
いつもと違い、ハヤテの比翼連理のパートナー、ティトゥの姿はない。
彼女は今頃、式典に参加するため、馬車で王城へと向かっているはずである。
ハヤテの目的は、この国の南、ヨナターン領に迫る都市国家連合の傭兵団に対する阻止攻撃。
傭兵団にとっては、新国王誕生のおめでたい日であろうがなかろうが関係ない。
ハヤテは敵の行軍を邪魔すべく、一直線に南東に――ヨナターン領を目指すのだった。
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王城にて式典はつつがなく執り行われていた。
戴冠式は大きく四つの区分に分けられている。
祭祀官によるお清めと戴冠宣言。
王太后ペラゲーヤによる王冠と王笏の返還。
カミルバルトの戴冠と宣誓。
居並ぶ貴族家当主達の忠誠の誓い。
急遽、決行された式典とあって、八年前の前国王の戴冠式に比べると、その構成はかなり端折った簡易な物となっていた。
式典は厳かに粛々と進行していた。
「カミルバルト陛下。祭壇の上に」
「――ああ」
いよいよ戴冠の儀。
カミルバルトは祭壇へと上がると、並べられた先祖の旗へと頭を下げた。
彼の視線は各国王の旗を巡ると、一番端の旗――彼の兄、前国王ノルベルサンドの旗――で止まった。
(兄上。半年以上も待たせてしまって済まなかった。あの時、兄上に託されたこの国を、ようやく受け入れる準備が出来たようだ)
この冬。ミュッリュニエミ帝国の南征軍五万が半島へと侵攻して来た。この未曾有の国難に、前王ノルベルサンドは病と心労で倒れてしまった。
彼は余命いくばくもない病床の中。長年疎遠にして来た弟、カミルバルトを呼んで、この国の未来を託したのである。
(あの時、俺は王家に戻る決意をした。それは兄上の言葉もあるが、この国が帝国軍の脅威にさらされていたのを放っておけなかったからだ。そして今。王都の周囲は敵勢力に囲まれ、やはり危機的状況にある。どうやら俺の治世は兄上の時代とは違い、波乱に満ちたものになりそうだ)
あるいはそんな時代だからこそ、俺は生まれたのかもしれない。
カミルバルトは小さく口角を上げた。
益体もない感傷だと苦笑したのである。
彼は祭壇に跪くと、王冠を両手でいただき、自らの頭に乗せた。そして王笏を手に立ち上がった。
バサッ
マントを翻して振り返ると、参列した貴族達を睥睨する。
その立ち姿には王者の風格が備わっていた。
貴族達の中から感極まって嗚咽を漏らす者が出た。
ネライ家、メルトルナ家と、カミルバルトに反旗を翻した貴族もいるが、やはりこの国に住む大多数の者達にとって、聡明で勇敢なカミルバルトが王位に就き、自分達を導く姿は、長年憧れ続けた夢だったのである。
この時だけは、この場にいる多くの者達が、国の四方から迫り来る敵の脅威を忘れて、新しい国王の誕生の喜びに浸った。
カミルバルトという類を見ない英雄が国の頂点に立つ姿は、それほど彼らの心を掴み、激しく魅了したのである。
誰かが叫んだ。
「カミルバルト国王万歳! ミロスラフ王国に栄光あれ!」
ワアアアアアアア!
堰を切ったように、歓声が溢れ、割れんばかりの拍手と共に、王城を揺るがした。
「「「「「カミルバルト国王万歳! カミルバルト国王万歳! ミロスラフ王国に栄光あれ!」」」」」
天をも震わす歓声は、いつまでも止むことはなかった。
こうしてこの日、ミロスラフ王国に後の英雄王――七代目国王、カミルバルト・ミロスラフが誕生したのであった。
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午後から始まった戴冠式は約三時間ほどで終わった。
この後は、本来であれば祝宴が行われるのが通例である。
新国王の誕生を祝う宴は二日二晩続けられ、三日目には王城を出て、広く王都の民に新たな国王の誕生を知らしめる。
先代国王の時もこうして戴冠式は幕を閉じたのである。
しかし、カミルバルトは現在の情勢を鑑みて、祝宴を行わない事を決定した。
この後は予定を前倒しして、王都のパレードに出発する予定である。
その着替えのためだろう。カミルバルトは一度席を外した。
彼の姿が王城の奥に消えると共に、未だ式典の興奮冷めやらぬ貴族達が、あちこちで噂話に花を咲かせた。
「しかし、折角の陛下の戴冠式だというのに、何ともせわしないですな。我々臣下にとっても念願の陛下の晴れ姿。庶民の前にお出になる前に、もう少し余韻を楽しみたかった所です」
「違いない。だが、この情勢で何日も祝宴で浮かれ続ける訳にもいかんだろう。王都がお祭り騒ぎの間に、隣国ゾルタやメルトルナの軍に攻め込まれでもしたら目も当てられんぞ」
「――私の町はメルトルナのすぐ隣なんです。こうして式典が無事に終わった以上、至急屋敷に戻りたい所です」
そう言う男の目の下にはクマが出来、顔も生気を失っていた。
恐らくこの数日、心労でろくに食事も喉を通らなかったのだろう。
さっきまで浮かれていた貴族達は、バツが悪そうに男から目を逸らした。
「ゴ、ゴホン。陛下が延期されていた戴冠式を、こうして急遽行ったのは、メルトルナ家の動きがあったからかもしれませんな」
「と言うと?」
「北の隣国ゾルタの軍に、陛下に反旗を翻したメルトルナ家。更にはネライ家にも不穏な動きがあるとの事。陛下はご自身が正当な国王である公表し、ご自身の威光をお示しになる事で、我々貴族諸家の中にいるであろう不穏な動きに踊らされ、軽挙妄動する者達を牽制し、結束を固めるお考えなのではないですかな」
「おお、なる程。確かに陛下のあのお姿を見れば、そのような流されやすい者達こそ、心服したであろうからな」
彼はカミルバルトが、現在の国難を鑑みて、あえて貴族諸家を集めて戴冠式を行う事で、配下の引き締めを図ったのではないか、と考えたのである。
つまりは、式典を「決起会」として利用したのではないか。と言ったのだ。
「だとすれば、祝宴が無いのも納得だ。折角引き締めた所を、浮ついた宴の席で台無しにはしたくないだろうからな」
「確かに。とはいえ、全く祝宴を行わないというのも驚きでした。一生でただ一度の戴冠式だというのに、陛下も随分と思い切ったものですな」
男達の話し合いの輪の外で、夫人達は残念そうにしている。
社交場は女の晴れ舞台。
祝宴がキャンセルされた事で、折角気合を入れて準備したドレスも、袖を通さないまま領地に持ち帰らなければならなくなったのである。
それに彼女達の中には、あわよくば祝宴の料理にドラゴンメニューが振る舞われるのでは? との願望もあった。
王家の主催する祝宴で、ナカジマ家の料理が出る訳はないのだが、一度あの味を知り、あの美食の虜になった夫人達は、「ひょっとして」という期待を捨てきれなかったのである。
そういった訳で、おそらくこの場で祝宴が流れてホッとしている女性は、当のナカジマ家の当主、ティトゥただ一人ではないかと思われた。
「陛下がいらしたぞ。――えっ?」
男の言葉は驚きに途切れた。
カミルバルトは彼の夫人と娘を連れていた。
そんな夫人と娘を差し置いて、新国王の隣を歩いているのは、金髪の若い娘であった。
「パロマ王女殿下?」
娘はランピーニ聖国の第六王女パロマだった。
パロマ王女は全員の視線を一身に受けながら、悠々と歩いている。
それはまるで、自分がここに立つのが当然、とでも言いたげな姿だった。
カミルバルトは祭壇に上ると、パロマ王女の手を取り、祭壇に上げた。
ここで宰相バラートが宣言した。
「本日! 国王カミルバルト陛下は、聖国とえにしを結び、かの国の王女、パロマ・ランピーニ王女殿下を娶り、王妃とする事をここに正式に発表する!」
それは突然の婚約発表であった。
参列した貴族達は衝撃を受けていた。
これはただの婚約発表ではない。政治的に大きな意味を持つ発表だからだ。
大国である聖国が、事実上、カミルバルトを正統な国王と認め、その後ろ盾となる事を公言したのである。
この日以降、カミルバルトの即位に反対して蜂起したメルトルナ家は、周辺の貴族家に対しての影響力を大きく低下させる。
カミルバルトは聖国という外戚の力と、本人のカリスマ性で、前王の残した負の遺産とも言うべき”二列侯への勅諚”を完全に押さえ込んだのであった。
次回「婚約発表」