その19 当主の帰宅
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ネライ領最大の都市グランヴァー。
ネライ領主のお膝元となるこの都市は、この国の王都、そして港町ボハーチェクに次ぐ、三番目となる大規模都市である。
大きな街道が四方から集まる、交通の要所にしてネライ領の経済の中心地。
そのグランヴァーの南の丘。まるで要塞のような大きな屋敷が、町を見下ろすように建てられていた。
この堅牢な石造りの屋敷こそ、ネライ領を治める領主、ロマオ・ネライの住まう屋敷である。
屋敷の中はまるで戦場のような喧騒に包まれていた。
それもそのはず。ネライ領を代表する三つの都市、ルーベント・ベチェルカ・オシドルが、王家に対して反旗を翻したのである。
現在、領主のロマオは戴冠式に出席するために王都に出向いている。
三都市の蜂起は、領主不在の隙を突いたものだった。
留守を任されたロマオの孫、エリックは、今年成人したばかりの15歳。
将来的な能力はともかく、現時点ではこの火急の事態を収めるにはあまりにも未熟過ぎた。
彼は情報に振り回され、右往左往するしかなかった。
そんなネライ本家が、まがりなりにも事態の収拾に乗り出せたのは、とある人物の協力があったためである。
ここは屋敷の奥。
ロマオの執務室で少年が老人に頭を下げていた。
「すみません、ユリウス様。全ては私の不徳の致すところ。宰相閣下の手を煩わせてしまい、誠に申し訳ございませんでした」
「気になさるなエリック殿。次期ネライ当主がそのように軽軽しく頭を下げてはいけませんぞ。それにワシは宰相を退き、今はナカジマ家に身を寄せている者。こちらに問題があっては、隣のナカジマ領も落ち着いてはいられませんからな」
少年は当主ロマオの孫、エリック。老人は元宰相のユリウスである。
ユリウスは現在、ティトゥのナカジマ家のご意見番となっているはずだが、その彼がなぜネライ本家の屋敷にいるのだろうか?
実はユリウスは独自のルートで、ネライ領に不穏な動きがある事を掴んでいた。
そこで彼は宰相時代の伝手を辿って、ナカジマ領に一番近い町、ルーベントを訪れていたのである。
彼がルーベントのネライ分家の屋敷に世話になっていたその時、三都市の一斉蜂起が起った。
ユリウスは危うい所で屋敷を脱出出来たものの、ナカジマ領に向かう街道は既に封鎖されている。
彼は脱出を手引きしてくれたネライ本家の者達と共に、このグランヴァーへと避難。
屋敷に入ったユリウスは、浮足立っていたエリック少年を叱り付け、事態の収拾へと乗り出したのだった。
「私は自分の不徳から、お爺様から託された領地をこのように騒がしてしまいました。しかも、ユリウス様が来られるまで、見苦しくうろたえるだけで何一つまともな指示が出せませんでした。今回ほど自分の力不足を感じた事はありません。こんな私が将来、お爺様の後を継いでネライの領主としてやって行く事が出来るのでしょうか?」
力無く俯くエリック少年。
どうやら彼は、自信を失っているようである。
ユリウスは小さくかぶりを振った。
「エリック殿。あなたはまだ若い。ワシなどから見ればまだ幼いと言ってもいい。ロマオの不在のために領主の代理となっているが、あくまでも”代理”であって領主ではない。反省する気持ちはもちろん大事だが、これも経験と思い、今は必要以上に思い悩む必要はないと思いますぞ」
ユリウスの慰めは、残念ながらエリック少年の心には届かなかったようだ。
彼は顔を上げると、「しかし――」と不満をこぼした。
「しかし、ナカジマ家の当主、ナカジマ様は私よりたった四歳しか年上ではないと聞いています。しかも女性の身。それなのに昨年は二度も大きな戦に参加し、多大な功績を残しています。更には領地の運営でも、ネライ家が長年持て余していた大湿地帯の開拓に着手し、一部とはいえ開発に成功しているとか。その立派な実績を思えば私など――」
「いかん! いかんぞエリック殿! というか、あれを目指してはいかん! あれは規格外。比較どころか参考にする事すら我々にとっては害なのだ!」
ユリウスは慌てて少年を諫めた。
あんな領主が二人に増えればこの国にとって悪夢でしかない。ユリウスは本気で少年を心配していた。
――実際はハヤテ抜きでティトゥのマネをするのは、どう考えても不可能なのだが、そんな当たり前の事にも思い至らないほど、この時のユリウスは焦りに我を忘れていた。
「ご、ゴホン。王家に対し、反旗を翻した三都市だが、それぞれの内情は判明したのですかな?」
「あ、はい。ユリウス様に言われて調べた所、おっしゃっていた通り、三都市共に半島の南の港町から資金の借り入れを行っていた事が分かりました」
「南の港町――都市国家連合か。やはりな」
ユリウスの情報源は、この国のチェルヌィフ商人のネットワークである。
最近、チェルヌィフ商人ネットワークは、商人の伝手で都市国家連合からネライ領に大量の資金が流入したという情報を掴んだ。
ユリウスは、経済状況が悪化したネライ家が、ナカジマ家に対して何か仕掛けて来る前兆では? と考え、警戒もしていたのだが、よもや暴走した三都市が王家に対して軍事行動に出る事になるとは。
さしものユリウスも完全に想像の埒外であった。
「それでこちらの軍は?」
「それに関してはご心配なく。ユリウス様の指示で当家の騎士団が動いております。明日には二千の軍の準備が整うとの事です」
反乱軍三千の内訳は、各都市ごとにそれぞれ千人ずつ。
まだ都市の外に駐留中で、一ヶ所に集結しているわけではない。
「実際に出陣する必要は無い。こちらが数を集めているというだけで相手は動く事が出来んからな」
「心得ております」
三都市の仲が良くないのは周知の事実である。治めているのはほぼ同格のネライ家の分家。そしてネライ領内で常日頃から利権を争っているのだ。それも当然と言えた。
本家の兵数は二千。各都市の兵数はそれぞれ千づつで合計三千。
数の上では二対三で三都市側が優位である。
ただし、それも三都市が纏まって動いた場合の話。
もし、どこかの都市が裏切って戦場に現れなければ、戦力比は二対二で同数となる。
こうなればどちらが勝っても、残ったのは弱り切った軍勢だ。裏切った都市は漁夫の利を得る事が出来るだろう。
「互いが裏切る恐れがある以上、三都市側は牽制し合ってすぐには動けない。その間に我々は裏から手を回して個別に切り崩しを行う。流石はユリウス様。見事な策です」
屋敷に到着して僅か数日。少ない情報から的確に相手の弱点を見抜き、これらの策を講じ、実行に移すとは。
流石は長年に渡ってこの国を実質的に治めて来た宰相ユリウスである。
エリック少年は感心すると共に、我が身の至らなさに再び気持ちが落ち込むのを感じていた。
ユリウスはそんな少年を見ながら考え込んでいた。
(さて、ここまではいいが、問題はこれからだ。三都市を切り崩すのはいいが、二千の兵力だけでは押しが足りん。ネライ分家は王家を裏切り、武装蜂起までしている。こうなってしまえばエリックの――子供の言葉には耳を貸さんだろう。現役を引退したワシの説得がどれほど通じるか分からんし、出来れば当主のロマオに戻って欲しい所だが・・・)
仮に王都にいるロマオに領地に戻るように伝えたとしても、反乱を起こした領地の領主を王家が自由にするとは思えない。
それに王都からグランヴァーに至る街道の途中には、反乱に加わった三都市の一つベチェルカの町が。北からナカジマ領回りで戻ろうにも、こちらも三都市のルーベントの町が街道を塞いでいる。
王都に連れて行った僅かな護衛だけで、敵の軍を抜いて、このグランヴァーの町まで戻って来るのは不可能だろう。
(それこそハヤテでもなければ無理な相談だ。しかし連絡の方法が――ん? 何だ?)
その時、屋敷の中が騒がしくなった。いや、騒がしいだけならさっきからずっと騒がしかったのだが、そういった騒ぎではなく、何か驚きと戸惑いを感じる空気に変わったのである。
エリック少年が不思議そうな顔で立ち上がった。
「何でしょうか? 庭の方が騒がしいようです。ちょっと見て来ます」
エリック少年はテラスに出ると、庭にいた使用人に声をかけた。
「おい、何の騒ぎだ?」
「これは若様! 先程から屋敷の上を大きな何かが飛び回っているのです。――あっ! 丁度あそこに! あれです!」
使用人が慌てて指差す方向を見れば、夏の青空を背景に、確かに何かが空を飛んでいる。
「一見鳥のようにも見えますが、全然形が違いますよね? 一体何でしょうか?」
「私に聞かれても・・・」
「ハヤテだ」
いつの間にかエリック少年の背後に立ったユリウスが、空を見上げて言った。
「ハヤテ? ですか?」
「ナカジマ家のご当主のドラゴン。ハヤテだ。しかし一体なぜここに?」
「ド、ドラゴン?!」
ユリウスの言葉に、使用人はギョッと目を見開いた。
ハヤテは悠々と屋敷の上空を旋回していたが、やがて翼を翻すと一直線にこちらに向かって来た。
「いかん! 庭に出ている者達は屋敷に戻れ! ハヤテが――ドラゴンが着陸しようとしているぞ! 急げ!」
ユリウスの声に、庭に出て空を見上げていた者達は悲鳴を上げながら屋敷に逃げ込むのだった。
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ティトゥは露骨にイヤそうな顔になった。
『なんであなたがここにいるんですの?』
『奇遇ですな。私もご当主様に同じ質問をしようと思っておりました』
ネライ家の屋敷の庭に着陸早々、僕達を出迎えてくれたのは、コノ村にいるはずのナカジマ家のご意見番、ユリウスさんだった。
ティトゥは友達とみんなで遊びに行った先で、バッタリ父親に出会った娘のような、何とも言えない微妙なテンションになりながら操縦席から降りた。
『これは・・・酷い有様だな』
『『『『ご、ご当主様?!』』』』
ティトゥに次いで立ち上がったロマオさんは、自分の屋敷の庭の惨状を見回して眉間に深い皺を寄せた。
ネライ家当主の姿に、屋敷の使用人達から驚きの声が上がった。
高校生くらいの色白の少年が、慌てて僕に駆け寄った。
『お爺様?! 王都にいらっしゃるはずのお爺様がなぜここに?!』
『・・・見ての通り、ハヤテに――ドラゴンに送ってもらったのだ。色々と話す事はあるが、ひとまず挨拶をしなければならん』
ロマオさんはそう言うと、ユリウスさんに振り返った。
『高い場所から失礼。久しぶりですな宰相閣下。いや、今はノーシス殿と呼ぶべきか』
『ユリウスで構わん。久しいなロマオよ。いや、ネライ家の当主殿。それはそうと今回の一件、孫に任せるには少々荷が重いのではないか?』
ユリウスさんの言葉に、ロマオさんは苦虫を嚙み潰したような顔になった。
二人は顔見知り――というよりも、互いに遠慮のない間柄のようだ。
ロマオさんはティトゥの手を借りながら僕の翼の上から降りた。
『そのために私が戻ったのだ。なぜユリウス殿が私の屋敷にいるのかも含め、事情を聞かせて頂こうか』
ここでロマオさんはティトゥへと振り返った。
『ナカジマ殿、本日は助かりました。無知から出た言葉とはいえ、出発前には色々と失礼な事を言って済まなかった』
『気にしていませんわ』
次いでロマオさんは僕を見上げた。
『ハヤテもご苦労だった』
『サヨウデゴザイマスカ』
『『『『『しゃ、喋った?!』』』』』
ギョッと目を剥く屋敷の人達とロマオさんのお孫さん。
こうして僕達は無事、ネライ家の当主を屋敷に送り届けるという仕事を終えたのだった。
次回「共感するシニア世代」