その17 風評被害
すみません。予告とタイトルを変更しました
朝の慌ただしい時間も過ぎ、ティトゥの屋敷の中は少しだけ落ち着きを取り戻した。
さっきまで部屋の窓を開けて回っていた使用人達の姿も見当たらない。今頃みんな朝食を食べているのだろう。
窓の話が出たついでに言っておくと、この世界では貴族のお屋敷でも窓にガラスは入っていない。完全吹き晒し状態である。
ただし、この世界にまだガラスが存在していない訳でもなければ、貴族でも買えない程ガラスが高価な訳でもない。
単純にガラスの品質が悪いせいである。
そんなガラスを窓に入れてしまったら、建物に入る光がまだら模様になる上に、屋敷の中が薄暗くなってしまうのだ。
ティトゥが僕の操縦席をお気に入りなのは、光を遮らない透明な風防が彼女の虚栄心をくすぐる、という理由もあるのかもしれない。
そんな屋敷の中が急に騒がしくなった。
使用人達が慌ただしく玄関に向かっている。
どうやら昨夜、チェルヌィフ商人のシーロから連絡のあった、僕の乗客が到着したようだ。
屋敷の中から、胡散臭い笑みを浮かべた青年――チェルヌィフ商人のシーロが現れた。
『ハヤテ様チース。本日は急なお願いをお聞き入れ頂き、ありがとうございました』
シーロは慇懃に頭を下げた。
昨夜、シーロからの使いという男がティトゥの下を訪れた。
話の内容はザックリ言うと「大至急、ネライ家の当主をコッソリ彼の領地へと送り届けて欲しい」というものだった。
ネライ領はナカジマ領のお隣さん。ナカジマ領の南に位置する、この国でも最大の貴族家である。
なんでシーロがそんなお偉いさんと知り合いなのかは謎だけど・・・って、別に謎でもないか。
シーロはこの国のチェルヌィフ商人ネットワークの下っ端として動いている。
今回の件はそちら方面からの要請かもしれない。
僕達は明日(今となっては今日ね)の朝から、この国の南、ヨナターンまで飛ばなければならない。
南の軍勢の足止めをするためだ。
とはいえ、僕の飛行速度ならネライ領までひとっ飛びである。
それにシーロは日頃から各地の情報を教えてもらっている。
TVも新聞も無いこの世界。しかも地方領地のナカジマ家にとって、彼からもたらされる最新情報は非常にありがたいものだ。
そんなシーロからのお願いという事もあって、ティトゥは二つ返事で了承した。
『・・・ええと、ハヤテ様。私のお願いのせいで機嫌を損ねたりしていませんよね?』
『?』
シーロは申し訳なさそうに、探るような目で僕を見上げた。
僕が機嫌を損ねている? なんで?
『いえね。ネライ様はお歳を召した男性なので。ほら。ハヤテ様は女性しか乗せないと言われていますから』
はあっ?! ちょっ! 誰がそんなデタラメを言いふらしているんだよ!
ていうか、僕が女性しか乗せないって何だよ! 僕は男だって乗せてるじゃん!
昨日だって将ちゃんのパパを乗せて、ヨナターンまで飛んでるし!
「・・・今の話、詳しく聞かせてもらおうじゃないか」
『あ、は? いえ、えと。あの、やっぱり、怒ってらっしゃいます?』
「いや、怒ってないって。怒ってないからホラ。誰がそんな嘘を君に聞かせたのか聞かせてくれないかな?
あっ。ひょっとしてアダム特務官だったりする? もしそうなら、トレードマークのあの髭をちょん切ってやるんだけど?」
『あ、あの、ええっ? 何を言っているんでしょうか?』
『あなた達、何を騒いでいるんですの?』
ティトゥの登場に、シーロはいつものような胡散臭い笑みではなく、心からホッとした安堵の笑みを浮かべたのだった。
僕の説明にティトゥは呆れ顔になった。
『一体、何をしているのかと思えば・・・』
「いやいや、違うから。僕は間違いを正そうとしただけだから。僕の名誉にかかわるってだけじゃないんだよ。君だって自分のパートナーが、女性しか乗せないエッチなドラゴンみたいに思われていたらイヤだろ? それにホラ。現代ではSNSによるデマの拡散が問題視されているから。それぐらい噂ってのは広がるのが早いんだよ。だから広がり過ぎてどうしようもなくなる前に、ちゃんと出所を突き止めて対処しておかないといけないんだよ。それが根も葉もないデタラメならなおさらだろ? 君は大袈裟な話と思っているかもしれないけど、これは自衛のために必要な行為なんだよ」
ていうか、今回は僕は別に間違っていないよね? 何でティトゥに言い訳しているみたいになってる訳?
シーロがおっかなびっくりティトゥに尋ねた。
『あの、ハヤテ様は怒っているんでしょうか?』
『別にあなたに怒った訳じゃありませんわ。いつもの事なので、適当に聞き流しておけばいいんですわ』
「何それ! ちゃんと聞いてよ!」
『はいはい。だからこうして聞いているじゃないですの』
・・・なんだろう。この駄々っ子をあやしているようなこの感じ。釈然としないんだけど。
微妙にモニョる僕に対して、ティトゥは爆弾を落とした。
『それにハヤテが女性しか乗せないという話なら、みんな知ってますわよ』
「は?」
え? ちょ、ティトゥさん。今、何とおっしゃいました?
みんな? みんなってどのみんな?
『みんなはみんなですわ。ドラゴンは気に入った女性しかその背に乗せないし、男性が乗ったらイヤがって振り落とそうと暴れると言う――まあそういう噂ですわ』
ああっ! そうか、分かったぞ! 噂の出どころはあの男だ!
僕達が王都にやって来た当初の話。僕はモニカさんの攻撃命令を受けて、どこかの貴族家の使いの男を”ドキドキ絶叫ツアーへようこそ【王都編】”に招待した事があった。
彼は人の話を聞かないモンスタークレーマーだったし、ファル子の翼を乱暴に掴んだりと問題のある男だったので、僕としても念入りに撃墜しておいたのだが・・・
さてはあの野郎。僕にやられた腹いせに、僕の名誉を著しく損なうデマを流しやがったな。何という陰湿な嫌がらせ。ぐぬぬっ・・・今度会ったらただではおかん。
「・・・ありがとうティトゥ。おかげで犯人が分かったよ」
『そう。それは良かったですわね』
ティトゥは塩対応中の塩対応だったが、僕は怒りをぶつけるべき相手を見つけた喜びに、全然気にならなかった。
ちなみにこの時の僕は、いつかあの男に再会した時には絶対に思い知らせてやる。と思っていたのだが、後日、男の名前を知らないどころか、顔もロクに覚えていなかった事に気が付き、愕然とするのであった。
『――ナカジマ殿。ドラゴンとの話は終わったのか?』
『ええ。お待たせしましたわ』
聞きなれない男の声に振り返ると、護衛の騎士を連れた身なりの良い老夫婦が立っていた。
どうやらティトゥに声をかけたのは、この頑固そうな顔をした白髪の老人のようだ。
どことなく見覚えがあるような・・・
『ドラゴン――ハヤテだったか。私がネライ家当主、ロマオ・ネライだ。領地までよろしく頼む』
そうだ思い出した。ティトゥのパーティーに出席していた来客だ。
彼こそがこの国最大の貴族家、ネライ家の当主、ロマオ・ネライ。シーロの話にあった、今日の僕の乗客である。
僕達は、ひとまずロマオさんをネライ領まで送り届けてから、ヨナターンに向かう事に決めた。
という訳でティトゥ。ロマオさんに説明よろしく。
『ええ。いいですわ』
ロマオさんはティトゥの説明を聞くと、険しい顔をより険しくした。
何故に?
『いや、今の話が本当なら、そういう訳にはいかないだろう』
『? なんでですの?』
『当然だ。ヨナターンだけでは四千もの軍勢を食い止める事は不可能だ。ハヤテの力が必要とされているのであれば、大至急そちらに向かった方がいい』
ああ、そういう事。
どうやらロマオさんにとって、ヨナターン方面に敵軍が現れたという話は初耳だったようだ。
自分の事はいいから、僕達はそちらに向かえと言い出した。
『いえ、ですから、それはあなたを領地に送り届けてから向かいますわ』
『無茶を言うな。こちらはこちらで別の方法を探すから、お前達は早くヨナターンに向かいたまえ』
『いえ、ハヤテならネライ領までひとっ飛びです。あなたを送り届けてからでも十分に時間がありますわ』
『そんな訳がないだろう! 自分のドラゴンに誇りを感じているのは分かるが、こんな所で意味の無い意地を張ってどうする。そもそもネライとヨナターンはここから正反対の方角になる。いくらハヤテが空を飛ぶとはいえ、とんでもない遠回りだ。ここでこうして揉めている時間ももったいない。いいから早く行きたまえ』
ロマオさんはティトゥに噛んで含めるように諭すと、見送りに来ていた奥さんの方へと振り返った。
『一度屋敷に戻ってから、別の方法を考える』
『え・・・と。あなた』
奥さんは戸惑った顔でロマオさんの背後を指差した。ロマオさんは背後を振り返ろうとして――ガシッ。ティトゥに肩を掴まれた。
ロマオさんは驚いて何かを言おうとしたが、ティトゥの能面のような笑顔を見て、思わず言葉を飲み込んだ。
『・・・そこまでおっしゃるならば、いいでしょう。ハヤテに乗って頂戴。先にヨナターンへ飛びます。その後でネライ領までちゃんと送り届けて差し上げますわ』
『何を言っているんだ? そんな時間はないと――』
『ネライ領、まで、送り届けて、差し上げますわ。ええ、ええ、キチンと。お昼はご自身のお屋敷で食べられますわよ。良かったですわね。ああ、ご希望であれば、ナカジマ領の屋敷でドラゴンメニューをご馳走してもよろしくってよ』
おおう。昨日今日と連続で僕の能力が疑われた事で、ティトゥのプライドが傷付いちゃったか。
ティトゥは元が美人なだけに、こんなふうに怒った時は凄みがハンパじゃないな。
ロマオさんは戸惑いながら、僕を見上げた。
『ハヤテ。お前はそれでいいのか? お前の主人はお前に無理をさせようとしているようだが?』
『ヨロシクッテヨ』
『そ、そうなのか? お前がいいならいいんだが・・・』
ロマオさんはティトゥに背中を押されながら、釈然としない様子で僕の操縦席に乗り込んだ。
どうやら今は何を言っても無駄だと諦めたらしい。
ティトゥは彼に続いて操縦席に乗り込もうとして、メイド少女カーチャとファル子達に声をかけた。
『ファルコ、ハヤブサ。出発しますわよ』
ファル子達はビクリと身をすくめると、慌ててカーチャのスカートの中に逃げ込んだ。
「ギャウ・・・(今日はお留守番している)」
『そう。だったら、カーチャの言う事を聞いて良い子にしていらっしゃい』
ファル子達は野生のカン(?)で、今のティトゥは危険だと感じたのだろう。
いつもなら僕が飛ぶ時には一緒に来たがるのに、今日は大人しくコクコクと頷いた。
良い子だ。そして出来れば僕もファル子達と一緒に留守番をしていたい。そんな訳にはいかないけど。
『前離れー! ですわ。ハヤテ。行って頂戴』
「り、了解」
僕は慌てて屋敷の庭を疾走すると離陸。
出発前に色々あったけど、こうして僕はこの国の南、ヨナターンを目指して飛び立ったのであった。
次回「遅滞戦闘(二日目)」