その16 パロマ王女の決断
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長い夏の日も傾き、夜空に星の光が瞬き始める時刻。
薄暗い王城の廊下を、立派な髭の騎士が急ぎ足で歩いていた。
カミルバルトの腹心の部下、アダム・イタガキ特務官である。
先日、北の砦から隣国ゾルタ進軍中の知らせが届いた。
カミルバルトは砦に援軍を送ることを決定。アダムに兵員の手配とその輸送を命じた。
しかし、アダムが兵を率いて王都を発とうとしたその時、突如、待機命令が下った。
アダムは増援の兵達共々、意味も分からず王都の外で丸一日待たされた続けた。
そして翌日。今度は王城から、アダムの下に緊急の呼び出しが届いたのである。
アダムは宰相の執務室に通された。
宰相バラートから聞かされた話は信じ難いものだった。
「メルトルナ家の軍三千に、ネライ家の軍三千?! その上、ヨナターン領の南に謎の軍勢が四千?! なぜ突然そんな事に?!」
アダムは苦々しい顔で、自慢の髭をしごいた。
(・・・なる程。だから北の砦への増援が突然中止になったのか。まさか東のメルトルナ家が領境に軍を動かしていたとは――。二列侯への勅諚か。全く、ユリウス様も厄介な物を作ってくれたものだ)
彼は何度かコノ村に訪れている関係で、元宰相のユリウスとも顔見知りになっている。
さすがに気安く言葉を交わす程の関係ではないが、こうして心の中で恨み言をこぼす程度には気安くなっていた。
現在、ユリウスは、ナカジマ家の門客として、領地運営のアドバイザーのような立場にいる。
アダムは最初こそ、「なぜ国の宰相がこんな場所に?!」と、驚いたものだが、今では「どうせナカジマ様とハヤテ殿が何かやったのだろうな」と深く考えないようにしていた。
実は、ユリウスがナカジマ家を訪れたきっかけは、チェルヌィフ商人のシーロの要請を受けた、王太后ペラゲーヤ王太后の指示によるものであった。
つまりハヤテ達にとっては、いい風評被害なのだが、アダムは今まで散々竜 騎 士に振り回され続けて来た被害者である。
そんな彼が、「ナカジマ領で理解出来ない事があったら、大体、竜 騎 士のせい」と考えてしまうのは、ある意味仕方がないともいえた。
ヨナターン方面の軍勢は、そのティトゥからの報告だと言う。
宰相バラートは当初、この情報に懐疑的だった。この国の南には国が無いのだから、彼が信じられないのも無理はない。
しかしアダムは、間違いのない情報だと確信すら持っていた。
「ナカジマ様がハヤテ様に乗って自分の目で確かめられたのでしょう? だったら絶対に間違いはありえませんよ」
「・・・お前も陛下と同じような事を言うのだな」
宰相は驚いたが、これはハヤテ達との付き合いの差だ。
竜 騎 士は普通じゃない。
あのデタラメさは実際に経験してみないと分からないのである。
現在、南の軍勢はハヤテが足止め中との事。
何をどうしてそんな話になったのか、そもそもどうやればハヤテ一人で四千の軍勢を留めておけるのかは分からない。
報告には詳しく書かれていなかったためだが、ティトゥが「やった」と言うのなら、ハヤテにとってそれは出来る事なのだろう。
竜 騎 士とはそういう存在なのだ。
宰相は、「なんでみんなこんな話を信用出来るんだ?」と、ブツブツと文句をこぼした。
「そんな事よりも、我々はどう各軍勢に対処するのでしょうか? まさか四か所同時という訳にはいかないでしょう」
「その事だが、陛下がお前を呼んでいる。早急に――」
「失礼致します!」
この時、見張りの兵が来客を告げた。
「パロマ王女殿下がおいでになられました!」
アダムは宰相に振り返った。宰相は小さくかぶりを振る。
どうやら本日の来訪の予定はなかったようだ。
パロマ王女はランピーニ聖国の第六王女である。即位式の来賓として訪れ、今も王城に留まっていた。
(どうもコイツは厄介事の匂いがしますな。巻き込まれてはかなわない。退散退散)
アダムは宰相に挨拶をすると、素早く退室しようとした。
しかし、パロマ王女はアダムの予想を超えてせっかちだったようだ。
彼女は自らの手でドアを開け、ズカズカと部屋に入って来た。
王女の面前である。
アダムは慌ててその場で直立不動の姿勢を取り、頭を下げた。
「こ、これは王女殿下。わざわざ足をお運びになられずとも、申しつけて頂ければ、こちらからすぐに伺いましたものを」
「そう言って、また部下をよこすんでしょう? 毎回言い訳ばかりで、もううんざり。一体、いつになったら式典は始まるのかしら」
どうやらパロマ王女は、いつまでたっても式典が始まらない事に業を煮やし、責任者に直接問いただしに来たようだ。
「なのでここはティトゥお姉様――竜 騎 士流でいかせてもらいます」
「竜 騎 士流? でしょうか?」
「ええ。確かに手続きは大事だわ。私も普段なら使者を出してお行儀よく進めます。けど、竜 騎 士のように、時にはそういった様式を飛び越えて、時間を節約する決断も必要なんじゃないかしら」
どうやらパロマ王女のイメージする竜 騎 士は、アポなしでトップに直接会談を申し込む、はた迷惑な存在のようである。
――あながち間違いとは言えない所が困りものである。
パロマ王女は、毅然とした態度でキッパリと告げた。
「だからここは、手短にいきましょう。
私は現在、この国で聖国の立場を代表する唯一の者です。その私の権限において要請します。
貴国が聖国と今後も変わらぬ友好を望むなら、この国で今、何が起こっているかを包み隠さず話して頂戴。
もし、あなたの言葉に嘘やごまかしを感じれば、私は即座に国に帰ります。
――その意味が分からないはずはないわよね?」
宰相の顔がこわばった。
王女は聖国に戻り、「カミルバルト新国王は信用出来ない人物だ」と報告すると言っているのだ。
「と、とんでもない! そ、そのような事をされては困ります!」
「だったら正直に話して頂戴。それとも真実を隠したまま私をいつまでもこの城に留めておくつもり? それってある意味、誘拐よね。マリエッタの時は未遂だったみたいだけど、この場合はどうなるのかしら?」
宰相の顔から血の気が引いた。
パロマ王女の言葉は難癖もいいところだが、そもそも、聖国とミロスラフ国王では圧倒的に国力が違う。
相手は好き勝手に振る舞っても許されるだけの力を持っているのだ。
アダムは、今までずっと地味で大人しいと思っていたパロマ王女の豹変ぷりに、目を白黒させている。
彼の視線に気付いたのだろう。パロマ王女はアダムに振り返った。
「私を甘く見ない事ね。これでも海賊に攫われていた事だってあるんだから。度胸だけなら聖国の王女の誰にも負けるつもりはないわ」
パロマ王女はそういうと、いたずらな表情を見せた。
アダムの背中に冷や汗が流れた。
彼は「なんで私のイヤな予感はこうも当たるんでしょうね」と、逃げそびれた己の不運を嘆くのだった。
先週から、カミルバルトは王城の奥を新たな執務室としている。
不便だが、安全を考慮すればやむを得ない。
先日、王城に忍び込んだ賊は、親衛隊の隊長が手引きしたものであった。
そのせいもあって、親衛隊が王城警備の任務を解かれた結果、一時的に警備の人員が不足しているのである。
「失礼致します! パロマ王女殿下がお見えになられました!」
「・・・そんな約束は無かったはずだが? 分かった。至急応接室に案内――」
カミルバルトの言葉は、突然開け放たれたドアの音によって遮られた。
「いいえ。ここで十分ですわ」
パロマ王女は警備の騎士を押しのけるようにしながら、部屋に入って来た。
王女の奔放な振る舞いに、カミルバルトが怪訝そうに眉間に皺を寄せる。
「陛下、あの、何と申し上げれば良いか・・・」
「・・・お、お叱りは後程」
王女の後ろに宰相とアダム特務官が申し訳なさそうな顔で続いた。
予想外のメンバーに、カミルバルトの頭は益々混乱した。
「陛下。現在、貴国が置かれている状況は、そこにいるバラート宰相殿からお聞きしました」
王女の言葉にカミルバルトは、「面倒な事になった」と舌打ちをこぼしそうになった。
この時点でカミルバルトは、こうなったおおよその事情を察していた。
大方、いつまでも式典が行われない事に業を煮やしたパロマ王女が、宰相とアダム特務官を問い詰めた結果、現在、王都の四方が敵軍に取り囲まれている事を知ったのだろう。
(――だが、説明の手間が省けたとも言えるか)
現在、カミルバルトは敵対する軍勢に周囲を囲まれ、厳しい状況に置かれている。
もちろん彼に座して死を待つつもりはない。
しかし、どういう戦いになるとしても、その前にパロマ王女だけは王都から逃がさなければならない。
もし王女の身に何かあれば、聖国から恨みを買ってしまうからである。
常識的に考えれば、四方を敵軍に囲まれた現在の状況で、王女だけを逃がすのは極めて困難である。
しかし、今回に限ってはその点は問題にならない。
王都にはドラゴン・ハヤテがいるからである。
ハヤテの能力は、軽々と海を越え、ランピーニ聖国まで日帰りが出来る程である。
幸いな事に、ハヤテはパロマ王女と面識があると聞いている。
お人好しのハヤテの事だ。王女の危機と知れば、快く協力してくれるだろう。
後は王女に事情を説明し、理解を求めるだけ。
カミルバルトはそう考えた。
「事情を聞いたなら話は早い。でしたらハヤテに送らせますので、聖国に――」
「既にティトゥ――ナカジマ様がこの国の南で敵軍と交戦に入ったとの事。ならば私も私の出来る事でナカジマ様を援護したいと思います」
「? 援護? ですか?」
パロマ王女の口から飛び出したのは、予想外の言葉だった。
「ええ。私は陛下に婚約を申し込みます!」
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翌日、王城からカミルバルトの即位式が明日行われる事が発表された。
その翌日の式典では、カミルバルト国王と聖国の王女、パロマ王女との婚約が発表される。
この発表はミロスラフ王国を揺るがせる事となる。
なぜならこれは、「聖国はカミルバルトを正当な国王と認め、その後ろ盾になる」と宣言したも同然だったからである。
今回のカミルバルト国王に対する包囲網戦において、あるいは、パロマ王女が婚約を決断したこの時こそが、潮目が変わった決定的な瞬間だったのかもしれない。
ハヤテ達が出ない話が、連続で続いてしまってすみません。
次こそは登場します。
次回「風評被害」