その12 最大の危機
てなわけでやって来ました隣国ゾルタのオルサーク。
とはいえ、今更別に感想も無いかな。何度も通った場所だからね。
トマスは屋敷を見下ろしながら、顔を引きつらせている。
『まさかもう到着するなんて・・・。まだ半時(約一時間)も経っていないのに』
『もう着いちゃったんだ。もっとお空を飛んでいたかったな』
トマスの妹アネタは、ガックリと肩を落とした。
『お空の上は涼しかったのに』
残念な理由はそっち?!
いやまあ、今は夏だし、コノ村は湿地帯に近い事もあって昼間は蒸し暑いんだろうね。虫も多いし。
そういや、僕のテントに大きなカブトムシが入って来た時にはテンションが上がったなあ。
直後に風防に張り付かれて悲鳴を上げちゃったけど。
いやね、見るのは好きなんですよ、見るのは。カブトムシって甲虫の王者だし。虫キングだし。
でもね。大人になると、虫って触れなくなるもんなんだよ。いや、マジで。
あいつらシャカシャカ動くし、突然、空とか飛ぶし。キモくない? 空を飛ぶお前が言うなって? サーセン。
一般的に標高が100m上がるごとに、気温は0.6度下がると言われている。
ペツカ山脈を越えるために、僕は三千メートル程上空を飛んでいた。
そりゃあ涼しくて過ごしやすかっただろうね。むしろこの季節なら肌寒いくらいだったんじゃないかと思う。
アネタには気の毒な気もするけど、いつまでも屋敷の上空を旋回しているわけにはいかない。
僕は翼を翻すと裏庭に降り立ったのだった。
騒ぎを聞きつけて、物腰の柔らかそうな若い貴族が屋敷から出て来た。
トマスとアネタの兄で、オルサーク家現当主のマクミランさんだ。
彼はティトゥに続いて、トマス達が姿を現した途端、目を見開いてポカンと大きな口を開けた。
『えっ? なぜ? なんでトマスとアネタが、ドラゴンに乗っているんだ?』
『マクミラン兄さん。驚かせて済まない。けど、大至急話さなければならない事があったので、ナカジマ様に頼んでハヤテ様に送ってもらったんだ』
トマスはこの国のヘルザーム伯爵が、ミロスラフ王国に三千の軍を進めた事を説明した。
『ああ、その話か。最初はこのピスカロヴァー伯爵領に攻めて来るんじゃないかという話だったな』
どうやらマクミランさんは――というより、ピスカロヴァー伯爵領の人達は、ヘルザーム伯爵軍の事を知っていたようだ。
『それは勿論です。ミロスラフ王国を目指そうと思えば、どうしてもピスカロヴァー伯爵領の街道を通る必要がありますから。ヘルザーム伯爵は「街道を通るだけ」という話でしたが、それもどこまで信用して良いものかは分かりません。この数日、ピスカロヴァー伯爵の騎士団はかなりピリピリしていたようです』
なる程なる程。ピスカロヴァー伯爵は、ヘルザーム伯爵を信用しているわけではないと。
まあ、隣の領地を攻め滅ぼした野心的な人物を、手放しで信用出来るわけがないよね。
さっきの話の感じだと、むしろ信用していないまである。と。
とはいえ、今の所はまだ敵対するまでには至っていないようだ。
まあ、この辺は部外者には分からない色々なしがらみがあるんだろうね。
どうやらトマスにとっても、兄の情報は予想の範囲内だったようだ。
彼はマクミランさんに顔を寄せると、『それについて相談が』と囁いた。
『・・・分かった。後で話そう。あの、ナカジマ様。弟達を送って頂き、ありがとうございます。屋敷で――』
『私はお二人を送り届けに来ただけなので、もう帰りますわ』
ティトゥの返事に、マクミランさんは「またかよ」といった表情を浮かべた。
『しかし、二人を送ってもらって何もおもてなしをしないのでは――』
『時間がありませんの。これから行かなければならない場所があるのですわ』
頑ななティトゥに当惑するマクミランさん。
まあ、ティトゥはいつもこうなので、呆れ返るのも分かるけど、今回ばかりは本当に急いでいるんだよね。
トマスが軽くかぶりを振った。
『マクミラン兄さん。ナカジマ様は本当に今、それどころじゃないんだ。変に引き留めて邪魔をしては逆に迷惑になる』
『――そうなのか? 分かった。ナカジマ様。無理にお引止めして失礼致しました。トマスとアネタを送って頂き、感謝致します』
『気にしないで欲しいですわ。ええ、本当に』
さて。あちらの話は無事に終わったようだ。
ゴクリ・・・。
僕は覚悟を決めると、最大の難問に向き直った。
そう。ティトゥ達の話が終わるのを待っている、屋敷の女性達。トマス達のお母さんズである。
彼女達の狙いは分かっている。僕の持ってくる甘いお菓子――お土産のナカジマ銘菓だ。
くっ。ヤバイ。こうなる事は分かっていたのに。
僕は存在しないはずの心臓が、痛い程ドキドキと脈打つのを感じていた。
実は今回、お土産は無いのだ。
そう。彼女達が楽しみにしているお菓子は無いのである。
出発前にアネタがトマスに、ナカジマ銘菓の詰め合わせを渡していただろうって?
実は飛行中、アネタがお土産を開けてティトゥ達に振る舞ってしまったのだ。
アネタはベアータのお菓子を食べて以来、いつかふわふわの雲の上で、この甘いお菓子をいっぱい食べてみたい、という夢を思い描いていたそうだ。
流石に雲の上には乗れないが、ここが空の上である事に違いはない。
そんな幼い少女の純粋な夢を聞いてしまった以上、僕に彼女を止める事は出来なかった。
『ファルコ達は、ハヤテのおにぎりを食べましょうね』
「「ギャーウー(食べるー)」」
こうしてナカジマ銘菓はアネタとティトゥ、トマスによって綺麗に食べ尽くされてしまったのである。
僕に絶望だけを残して。
ジリッ・・・。
――ハッ!
話の終わりを察したのだろう。お母さんズが僕との距離を少しづつ詰めていた。
彼女達の顔は期待に輝いている。
ヤバイ。これガチでヤバイ。
もし、今回は甘いお土産が無いと分かったら、どうなるだろうか。暴動? 阿鼻叫喚? どちらにしろ、ただで済むとは思えない。
僕は密かに20mm機関砲を発砲する覚悟を決めた。
機関砲の発射音に彼女達が驚いている間に、ティトゥを乗せて素早く脱出するのだ。
チャンスは一瞬。もし、錯乱状態の彼女達に取り付かれたら、危なくてエンジンがかけられない。
トマスのお母さんが代表して僕に声をかけてきた。
『ハヤテ様。ごきげんよう。トマスとアネタを乗せて来て頂き、ありがとうございます』
まだ彼女達は油断している。
チャンスは今しかない! やってやるぞ!
しかし、ここで信じられないアクシデントが発生した。
何とアネタが僕の翼の上によじ登ったのだ!
アネタなんで?!
アネタがいては機関砲が発射出来ない。
大人ならともかく、まだ幼い彼女にとって、僕の翼の上はかなりの高さになる。もしも発砲音に驚いた彼女がこの高さから落ちたら、ケガをしてしまうだろう。
くっ・・・。お母さんズの存在に気を取られ過ぎて、周囲の警戒を怠っていた僕のミスだ。よもや、アネタがこんな行動に出るなんて――
彼女は操縦席に乗り込むと、平たい木箱を取り出した。
ん? あの箱、どこかで見たような・・・
『お母様。料理人のベアータに、ナカジマメイカの詰め合わせを作って貰ったの。はい、コレ』
そう言ってアネタは箱の蓋を開けた。中には色とりどりの銘菓がギッシリと詰まっている。
えっ? あれ? それ、さっきみんなで食べてなかったっけ? えっ、何で? ひょっとしてあれって僕の幻覚だったの?
――ここでネタばらし。分かってしまえばなんという事は無い。
アネタは僕に乗せてもらえると聞いて、自分の夢を叶えるチャンスが来た事を知り、お土産とは別にお菓子を持ち込んでいたのである。
つまり、お菓子の箱は最初から二つ存在していたのだ。
何という予想外の真実。意識の盲点を突いた大胆なトリック。
あー、そう言えば、僕に乗り込む時、アネタは嬉しそうにお菓子の箱を手に持ってたっけ。
直前にお土産の箱をトマスに渡していたはずなのにな。
そうかそうか。あれがもう一つのお菓子の箱だったのか。
てか、気付けよ僕。
お母さんズはアネタからお土産の箱を受け取ると、ニッコリと微笑んだ。
『ではお茶にしましょうか』
『わーい!』
いやいや、アネタ。
君、まさかまだ食べるつもり? さっきみんなと一緒に空の上で食べてたよね?
アネタは僕に振り返ると、『しーっ』と口に人差し指をあてた。
そして嬉しそうにお母さんズと一緒に屋敷に入っていった。
緊張感から解放された僕は、「こっちの世界でも、口に人差し指をあてるジェスチャーがあるんだ」などと良く分からない事をボンヤリと考えていた。
こうして僕はアネタの活躍で最大のピンチを乗り越えたのだった。
いや、アネタの活躍というか、最初から最後まで、こっちが勝手にアネタの行動に振り回されていただけのような気もするけど・・・って、もうどうでもいいや。
安堵感から脱力している僕を、ティトゥが不思議そうに見上げた。
『何かあったんですの? ハヤテ』
「うん。今、最大の危機を乗り切った所」
『?』
帰りの空の上で僕の説明を聞いたティトゥは、『あなた一体、何をやっているんですの』と呆れ返ったのだった。
次回「ジャンピング土下座」