その11 初フライト
「「ギャーウー。ギャーウー(どーんぐりー。コローコロー)」」
リトルドラゴン達はご機嫌だ。僕の操縦席で飛び跳ねながら、即興の歌を歌っている。
二人はコノ村で留守番をするはずだった所を、アネタを乗せるついでに、急遽一緒に行っても良い事になったので、はしゃいでいるのだ。
『大丈夫かアネタ? 苦しくはないか?』
『ううん、ちっとも。ファルコ様達はさっきから何の歌を歌っているのかしら?』
二人の歌? 多分、ティトゥ主催のパーティーで僕が歌った、『どんぐりころころ』のつもりなんじゃないかな?
胴体内補助席にはトマスとアネタ、二人の幼い兄妹が座っている。
トマスはアネタが痛くないように、さっきから安全バンドの長さを調整中だ。
『ナカジマ様。本当にアネタも一緒に乗せて貰って良かったんでしょうか?』
『ハヤテがそれでいいって言っているのだから、仕方がありませんわ』
操縦席のティトゥがジト目で僕を睨み付けた。
『全く。ハヤテは子供達に甘すぎですわ』
まだ言ってるの? だからゴメンって。けど、アネタを乗せるのに、ファル子達を乗せないんじゃ不公平だろ?
『どうだか。どうせアネタを言い訳にして、本当はファルコ達を乗せたかっただけなんでしょう?』
うぐっ。バレバレだったか。
いや、だって、僕とティトゥが揃って出かけるのに、ファル子達に留守番をさせるのは、やっぱりどうかと思うし。
ドラゴンのファル子達が空を飛ぶのを楽しみにしているのも分かるだろ? 君だって――勿論、僕だって、空を飛ぶのが好きなんだからさ。
『それは・・・もうっ。今回は言い負かされてあげますわ』
ティトゥも渋々折れてくれたようだ。
ていうか、ファル子達を乗せた時点で今更な気もするけど。
◇◇◇◇◇◇◇◇
トマスは戸惑いを覚えていた。
彼の母国、小ゾルタでは、貴族の子供が有力な貴族家や寄り親の所に行儀見習いに出される事は珍しくない。
地方の領地にいては受ける事の出来ない高度な教育のためと、寄り親の家族との親交を深めるため――とされているが、実際には人質としての意味あいもあった。
実際、トマスも帝国軍が攻めて来るまで、領主であるピスカロヴァー伯爵領に行儀見習いに出されていた。
彼の年齢に似合わない大人びた対応は、そこで学んだものである。
ちなみに彼の兄、次男のパトリクは、幼い頃”大鷲”の異名を持つ武門のほまれ高い貴族家で修行を積んだという。
そんなトマス達、ゾルタの小貴族にとって、幼い自分達が人質になるのは割とありきたりの感覚であり、周囲が思う程重いものではなかった。
日本で言えば車を買うのにローンを組むような感じ、と言えば伝わるだろうか?
とはいえ、ローンも借金であることに違いはない。
トマスにとっても、自分やアネタを人質とするのは、決して快いものではなかった。
(本当にアネタと一緒に、オルサークに戻って良かったんだろうか?)
トマスは可能なら自分が。――しかし、それは出来ないので、仕方なくアネタを人質として、コノ村に残すつもりでいた。
今回彼は、実家の領地ピスカロヴァー伯爵領がミロスラフ王国と――いや、ナカジマ家と――いや、ドラゴン・ハヤテと、敵対しないようにするために動くつもりでいた。
トマスの異名は”オルサークの竜軍師”。彼自身は、この呼び名を大袈裟な物だと感じ、苦々しく思っていた。
自分はそんな大層な呼び名で呼ばれるような事はしていない。虚飾まみれの幻想だ。今でもそう考えている。
だが、これもオルサーク家のためと、仕方なく我慢してこの虚構に付き合って来たのだが、そのかいもあったというものだ。
オルサーク家の三男の言葉には何の価値がなくとも、オルサークの竜軍師の言葉であれば重みもあるというものだ。
(ハヤテ様は俺を信じてアネタを人質に取らなかったのだ。ハヤテ様の信頼に応えるためにも、俺は全力を尽くしてピスカロヴァー伯爵様を動かしてみせる!)
トマスは密かに決意を新たにするのだった。
本当の所は、ハヤテがファル子達を連れて行くダシにアネタを使っただけなのだが。
「前離れー! ですわ!」
「「キュウー!」」
キュキュッ! バババババ・・・
ハヤテの掛け声と共に、エンジンがかかり、プロペラが回り始めた。
「ト、トマス兄様」
「お、落ち着けアネタ。ハヤテ様が飛び立つ前にいつもやっているように、唸り声を上げているだけだ」
トマスは妹を抱きしめながら、今更のように”自分が空を飛ぶ”という事実に不安を覚えていた。
(あ、あれ? 俺はひょっとして早まってしまったのでは?)
それは未知の行為に対する漠然とした不安だった。
本当に空を飛んで大丈夫なんだろうか? そんな根拠のない迷いである。
狭い操縦席の中。体を安全バンドで固定され、身動き出来ない状態。一度心が不安に傾くと、すぐに弱い方向へと流されていった。
「あ、あの、ナカジマ様。やはりアネタだけでもここに残――」
『試運転異常なし! 離陸準備よーし!』
グオオオオオオオオ!
ハヤテが何やら叫ぶと、咆哮は耳が痛くなるほど大きくなった。急激な加速に体が背もたれに押し付けられ、機体の振動にガタガタとイスが揺れる。
トマスは「ひいっ」と息をのんだ。
『離陸!』
「離陸! ですわ!」
「「キュキュー!」」
フッ。
振動が消えると共に、足元がスッと頼りなくなった。
不思議な浮遊感の中、ハヤテの機首が天高く向けられた。
グオオオオオ
ハヤテはブーストをかけたまま、上昇を続けて行く。
やがて高度が二千メートルに達すると、ハヤテはその場で旋回を始めた。
「もう安全バンドを外しても大丈夫ですわ」
「えっ? あっ、ハイ」
ティトゥの言葉に、トマスは混乱したままアタフタと安全バンドを外した。
「ほら。あちらにポルペツカの町が見えますわよ」
「なっ・・・」
「わあっ! あの青いのって全部海?! トマス兄様! あんなに遠くまでずっと海よ!」
興奮して身を乗り出すアネタを、トマスは慌てて抱きしめた。
もちろんそんな事をする必要は無い。操縦席は風防で完全に密閉されているからである。
しかし、あまりにガラスの透明度が高過ぎたため、トマスは一瞬、その存在を忘れてしまったのである。
「コノ村! ナカジマ様、あの小さいのがコノ村ですか?!」
「ええ、そうですわ。そしてあれがドラゴン港予定地。あっちには第一次開拓地の堤防が見えますわよ」
『・・・ええ~っ。港の名前ってそれでもう決定なんだ』
「ふふっ。こういう名付けは早い者勝ちなんですわ」
「ナカジマ様。ハヤテ様は今、何て言ったの?」
彼女達の楽しそうな会話は、トマスの耳を右から左に抜けていった。
彼の受けた衝撃はそれ程大きな物だったのである。
(これがハヤテ様が見ている世界! 冬の戦の時、ナカジマ様は帝国軍の詳細を詳らかにしてみせたが、それも当然だ。上空から見下ろせば相手の情報など手に取るように分かるじゃないか)
勿論トマスも、そのぐらいの事は分かっていた。
いや。分かった気になっていただけで、本当の意味では理解していなかった。
上空から見下ろすハヤテにとって、地上はあまりにも無防備だ。
視界を遮る物も無く、行く手を邪魔する物も無く、相手の攻撃すら受けない距離を飛ぶという圧倒的なアドバンテージ。
もし、トマスが現代人の知識を持っていれば絶対にこう言っただろう。
”ドラゴンはチートだ”と。
圧倒的な索敵能力。国と国との間を一日で往復する飛行速度。大型船をも一撃で沈める強力無比な攻撃力。人間を遥かに凌駕する叡智。(※あくまでも個人の感想です)
こんな化け物を敵に回してはダメだ。
トマスは、もし、寄り親のピスカロヴァー伯爵家がヘルザーム伯爵家に同調、この国を攻めることになっていたらと考えると、背筋にイヤな汗が伝うのを感じた。
そして、自分達がナカジマ家と同盟を結んでいるという幸運に安堵した。
「それではそろそろオルサークに向かいましょう。ハヤテ」
『了解』
「りょーかーい」
「「ギャーウ」」
トマスの戦慄を知らないアネタは、この驚きの体験にすっかり夢中になっている。
「一番手前にあるのが竜尾川、そして竜翼川、竜頭川ですわ」
「あの小さな池が”ゆーすいち”なんですよね?」
「あれもハヤテの上から見下ろしているから小さく見えるだけで、本当はコノ村よりもずっと大きいんですわよ」
こうしてトマスとアネタはハヤテに乗ってオルサークに戻る事になった。
二人がこの国にやって来て、ハヤテと出会ってからもう半年以上。
この日が彼らの記念すべき初フライトになったのであった。
次回「最大の危機」