その7 初撃
まるでアリの行列のように、南の峠道を行軍する謎の軍勢。
僕はティトゥと相談した上で、彼らと戦う決意をした。
『けど、ハヤテが自分から戦いを言い出すなんて珍しいですわね』
そうかな? なんだかんだで結構戦ってるような気もするけど・・・いや、軍隊を相手にするのは冬のミュッリュニエミ帝国戦以来になるのか。
チェルヌィフでは直接戦ったのは巨大ネドマくらいで、内乱には関わらなかったもんな。
さっき僕に頼られたのが余程嬉しかったのだろうか? ティトゥはいつになくご機嫌だ。
『ハヤテ様がこの国のために戦ってくれるんですね?!』
メイド少女カーチャが胴体内補助席から身を乗り出した。
彼女はティトゥと違って、僕の話す日本語が分からない。
ティトゥの言葉と彼女の態度から、僕達の会話の内容を察したのだろう。
『当然ですわ。私とハヤテは一心同体。私がこの国のみんなを大切に思っているように、ハヤテも大切に思っているんですわ。こんな良く分からない軍勢に蹂躙されそうになっているのを、黙って見過ごす訳にはいきませんわ』
ああ、なる程。ティトゥの機嫌が良い理由はそれか。
ティトゥも眼下の軍勢に脅威を感じていたのだ。
「何とかしたい」「この国のみんなを守りたい」そう思っていた所に、丁度僕から声をかけられた。
ティトゥは僕も同じ気持ちだったと分かったから、嬉しくなってしまったんだ。
ティトゥの言葉にカーチャの表情がパッと明るくなった。
『ハヤテ様が守ってくれるなら安心です! ハヤテ様、よろしくお願いします!』
『ええ。帝国の軍だってハヤテにはかなわなかったのよ。こんな軍なんて当然、蹴散らしてしまいますわ』
カーチャも敵軍の数に不安を覚えていたのだろう。
彼女に抱きかかえられたリトルドラゴンのハヤブサが、「キキュウウ(カーチャ姉、く、苦しい)」と、か細い悲鳴を上げた。
どうやらカーチャは喜びのあまり、ハヤブサを抱いているのを忘れて力が入ってしまったようだ。
『けど、敵はあんなに大勢ですよ? ハヤテ様一人でどうにか出来るんでしょうか?』
『問題ありませんわ。ハヤテにかかれば人間の軍隊なんてどうという事はないんですわ』
いやいや、ティトゥ。そんな訳にはいかないから。数は力だから。
例えば、人間とアリくらいの力の差があったとしても、それだけで人間の勝ちとはならない。
アリの力は当然人間には敵わないが、アリは群体だ。人間が一匹一匹アリを潰して全滅させようと思ったら、いくら時間があっても足りはしない。
人間がアリに勝とうと思ったら、巣に水を流し込んで溺れさせるとか、駆除剤を買って来て撒くとか、直接の攻撃に頼らない別の方法を考える必要があるのだ。
『だったら、冬に帝国軍に使った方法は使えませんの?』
「う~ん。今回は同じやり方は無理だと思うな。あの時とはまるで状況が違うから」
ティトゥが言った”帝国軍に使った方法”とは、開戦一発目で敵の主力を叩いて、敵の兵士から戦う気力を奪う作戦の事だ。
あの時は、敵に”白銀竜兵団”という主力部隊がいたのでそれを利用したが、今回の敵にも似たような部隊がいるとは限らない。
それにあの時は季節が冬だったので、敵の物資を焼く事で、寒さと飢えで敵兵の厭戦気分を煽る事も出来た。
しかし、今は夏だし、敵軍を飢えさせようにもトルスター砦はすぐ間近だ。飢えるような時間も何も――って、待てよ。
「――別に同じでもいいんじゃないか?」
『何か良いアイデアを思い付いたんですわね?!』
いやまあ、良いアイデアかどうかは分からないけど、ちょっと思い付いた事がある。
ゴメン。もう少し敵を観察してみてもいいかな。
僕は何度か敵の上空を旋回すると、ティトゥ達と相談するために、一度トルスター砦へと引き返したのだった。
砦では、折角いなくなったと思っていた僕がすぐに戻って来たので、ちょっとした騒ぎになったようだ。
守備隊のみなさんは、「すわっ何事?!」と、大慌てで砦から飛び出して来た。
しかし、ティトゥは僕から降りるどころか、風防すら開けやしない。
守備隊のみなさんは、僕に近寄る事も出来ず、かと言って放っておく事も出来ず、困惑した顔で僕を取り囲んで立ち尽くすしかなかった。
『さあ、ハヤテの作戦を聞かせて頂戴!』
ティトゥは着陸早々、鼻息も荒く僕に詰め寄った。
ちなみに、いつも落ち着きのないリトルドラゴン達は、短い時間で飛んだり降りたりが繰り返されたせいか、すっかり飽きてしまったようだ。今ではカーチャの足元で丸くなってお昼寝中である。
「基本的には、帝国との戦いの時と同じコンセプトで行こうと思う」
帝国軍と戦った時。僕は敵と戦って直接勝つつもりはサラサラなかった。
狙いはあくまでも敵の退却。敵兵の戦意をくじき、撤退に追い込むために、手を変え品を変え何日もかけて様々な嫌がらせを続けたのだ。
最後の仕上げとして、彼らの目の前で精神的な支えとなっていた白銀竜兵団を叩きのめしてやった。こうして僕は敵兵の心を完全にへし折ったのである。
『・・・改まって説明されると、なんだかとてもズルい作戦だったんですね』
『もう! ハヤテは何でそんな風に自分を悪いように言うんですの?! あなたの戦いは立派でしたわ!』
ティトゥが僕を擁護してくれるのは嬉しいけど、あれはそういうコンセプトの作戦だったから。
ええと、それで何が言いたいかというと、今回も同じように敵の心を折って撤退に追い込む方法が取れるんじゃないか、って事なんだ。
『でも、さっきハヤテは同じやり方は無理だと言っていたじゃないですの。あの時とは状況が違うとかなんとか』
うん、まあ、流石に全く同じやり方だとダメかな。相手に嫌がらせをするっていう部分は同じでも、そのためのやり方――手段は変えないといけないよね。
具体的に言うと――
こうして僕はティトゥ達と相談を重ねた。
やがて作戦が纏まった所で、僕は翼下に250kg爆弾を懸架。
エンジンを轟かせると、エンジン音に驚いて飛びのく砦の守備隊のみなさんを尻目にテイクオフ。
再び南の空へと飛び立ったのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
細い山道を五騎の騎馬隊が登っている。
ハヤテ達に置いて行かれる形となった、ヨナターン家当主ヨゼフスと、彼の案内兼、護衛役の砦の騎士団員達である。
「ご当主様。そろそろ到着致します」
先頭を行く若い騎士団員が、後ろに振り返ってヨゼフスに告げた。
砦の副隊長である。
彼は当主に自分達の優秀さをアピールするべく、先程から熱心に弁舌を振るっていた。
最も、ヨゼフスは久しぶりの乗馬の疲労で、全くそれどころではなかったのだが。
(それに比べてハヤテの乗り心地は随分と良かったなあ。イスに座っていればいいだけだったし、揺れだって、時々ガクンと来るくらいで、全然大した事はなかった。こんなことなら無理を言ってでもハヤテに乗せて行って貰えば良かった)
ヨゼフスは、余計な事を言い出した若い副隊長の背中を、恨めしそうに睨み付けた。
やがて彼らは山の頂に到着した。
ここには峠道を見下ろす見張り所が作られていた。
見張り所と言っても、立派なものではない。木造のおんぼろ掘っ立て小屋がポツンと一つあるだけで、その小屋もあちこちが痛んで穴も開いている。
とはいえ、屋根と囲いが風雨を遮ってくれるだけでも、見張りの兵士の疲労度は随分と違う。
ヨゼフスが訪れる事は前もって知らされていたのだろう。当番の見張り兵達がしゃちほこばった表情で直立不動の姿勢で出迎えた。
「全員楽にしたまえ。敵の軍勢はどうなっている?」
「はっ! こちらから見下ろす事が出来ます! どうぞ!」
見張り兵の代表者が、素早くヨゼフスを案内した。
南の斜面のずっと下に、黒く細長い紐のような線が見える。線は南の山のふもとから続いていた。
今も行軍を続ける謎の軍勢である。
「あれが敵の軍勢か・・・。ここからの距離はどのくらいだ?」
「先頭は早ければ明日中にも到着するかと。最後尾は向こうの山にかかっている事から、さらに一日はかかると思います」
「・・・そうか」
ヨゼフスは舌打ちしたい気持ちを堪えた。
敵の全軍が到着するまで二日というのは、あまりにも時間が無さすぎる。
今からハヤテに乗って王都に戻ったとしても、援軍がヨナターンに着くまででも四日はかかるのである。
(――トルスターは見捨てるしかないか)
敵の軍勢が砦を落とし、トルスターを蹂躙している間に、ヨナターン騎士団に援軍を加えた部隊で防衛に適した地形に布陣。敵を迎え撃つ。
ヨゼフスは身を切られるような焦りと怒りを感じながらも、頭の一部では最低限の被害を許容し、対応策を検討していた。
領民を命を持つ人ではなく増減する数字に換算。手に負えない部分は、被害が他に及ぶ前に損切りする。
それは統治を行う者が当然持っていなければならないドライな感覚だった。
(もし、私がナカジマ殿のようにドラゴンを得ていれば。そして王都で観た芝居のようにドラゴンが全能の力を持っているならば、ひょっとして救える命もあるのだろうが。・・・いや、何を考えているんだ私は)
しかし、ヨゼフスは心根が善良過ぎた。彼は人の命を完全に数字として割り切れるほどの現実主義者ではなかったのである。
(ナカジマ殿には――ハヤテには、カミル陛下から頼んで貰ってでも領地防衛に参加して貰おう。しかし、いかにドラゴンとはいえ、これだけの軍勢を相手にどれほどの戦力となるか。騎士団との連携も考えなければならない・・・)
そんな事を考えていたからだろうか。
彼は見張りの兵士の言葉につい過剰に反応をしてしまった。
「あの。ご当主様は、本日ドラゴンに乗って来たと言うのは本当でしょうか?」
「なっ?! そ、それが一体どうしたというのだ?!」
「あ、い、いえ。先程から上空をそれらしい物が飛んでいたもので・・・」
説明をされれば何という事はない。
彼らはつい先ほど、上空を飛び回っていたハヤテを見つけて、アレは何だ? と不思議に思っていただけだったのだ。
「ああ、そうだ。ナカジマ殿のドラゴンでハヤテと言うそうだ」
「ハヤテですか。あっ、またやって来ました! 見て下さい! アレです!」
どこからともなくヴーンという羽音のような音がしたかと思うと、見張り兵の指差す先に大きな翼が現れた。
ドラゴン・ハヤテである。
つい先ほどまで、ヨゼフスはハヤテに乗って空を飛んでいた。その自分が今はこうして地上からハヤテを見上げている。
ヨゼフスは何とも言えない不思議な感覚に囚われていた。
「さっきもああやってこの辺をグルグル回っていたんですよ」
「そうか。ナカジマ殿が上空から何か敵軍の弱みでも見付けてくれれば良いのだが・・・」
ヨゼフスはそう言ったが、本当に期待をしていた訳ではない。
つい願望を口にしてしまった。ただそれだけの事だった。
ハヤテは何度か敵軍の上を通過すると、不意に翼を翻して急降下を開始した。
ヨゼフス達はハヤテが何をしようとしているのか分からず、その動きをただボンヤリと眺めていた。
ハヤテは機首を上げると今度は急上昇。ヨゼフスの目ではとらえきれなかったが、目の良い見張り兵の中にはハヤテの翼から小さな黒い塊が二つ、切り離されて崖に命中したのを見た者もいた。
突然、崖に大きな土煙の塊がパッと膨らんだ。
そして音は数秒遅れてやって来た。
ドドーン・・・ドドーン・・・ドドーン・・・
低い爆発音が山にこだまする。
そう。ハヤテの250kg爆弾が炸裂したのだ。
次回「遅滞戦闘」