その4 ヨゼフスの帰宅
という訳で到着しましたヨナターン領。
なんだかんだで、ここに来るのも久しぶりだなあ。
『えっ・・・なぜ? まだ半時(※約一時間)程しか経っていないんじゃ――』
『だから言ったじゃないですの。ハヤテなら余裕なのですわ』
胴体内補助席で唖然とする、ヨナターン領の領主のヨゼフスさん。
ティトゥ達の説明を聞いて、馬よりは早く到着するとは思っていたようだけど、まさかこれ程とは思わなかったようだ。
出発前には、「今日中に帰れるなら願っても無い」とか言ってたからね。
まあ、四式戦闘機の巡航速度は時速380kmですから。ざっとこんなもんですよ。
そしてティトゥのこのドヤ顔よ。
ヨゼフスさんはティトゥの話をロクに信じていなかったからね。
ティトゥとしても、「ほら見てごらんさい」と鼻を明かしてやったつもりなんだろう。
「フウウウッ」「グウウウッ」
『ファルコ様! ハヤブサ様の棒に意地悪をしないで下さい!』
狭い操縦席の中では、ファル子とハヤブサがおもちゃ代わりの木の棒で引っ張り合いをしている。
ティトゥの膝の上のメイド少女カーチャが、慌てて二人を止めている。
『ほら、あそこ。お屋敷が見えて来ましたわ』
『あれがウチの屋敷なのか? いやはや・・・まさか屋敷を空から見下ろす日が来ようとは。ああ、間違いない。あの木は子供の頃にてっぺんまで登った事のある木だ。――あの時は雲にも届きそうに感じたものだが、こうして見ると屋敷の屋根より少々高いだけだったんだな』
王都の上を旋回した時には興奮していたヨゼフスさんだったが、ひたすら続く田舎の風景に少し飽きていた所だった。
しかし、見知った地元の町や、自分の屋敷を空から見下ろすのは新鮮な体験だったらしく、まるで電車に乗った子供のように風防に額を押し付けて眼下の光景を眺めている。
『ヒト アツマッテル』
『そうですわね。町の人達がハヤテの姿を見つけて集まり始めていますわ。そろそろ屋敷に降りますわよ。安全バンドを締めて頂けません?』
『――えっ? あ、ああ、そ、そうだな。よろしく頼むよ』
ヨゼフスさんは風防から離れると慌てて安全バンドを締めた。
『ほら、カーチャもファルコ達を捕まえて』
『は、はい。ファルコ様、ハヤブサ様、ハヤテ様が着陸しますよ。大人しくしていて下さいね』
「ギュウー(もう降りるの?)」「ガウガウ(もっと飛んでいたい)」
あーハイハイ。ヨゼフスさんを下ろしたら、また王都に戻るからね。
だからしばらくは静かにしていてね。
僕はみんなの準備が終わったのを確認すると、ヨゼフスさんのお屋敷の庭へと舞い降りたのだった。
『『『『『うわあああああああっ!!』』』』』
『姫 竜 騎 士!』『姫 竜 騎 士!』
ああ、うん。外は凄い騒ぎになっちゃってるね。
『・・・そういえば、以前にここを訪れた時もこうでしたわね』
「ギュウー(うるさい)」
どうやら、屋敷の庭に降りて来た所を、町の人達にバッチリ見られてしまったようだ。
大勢の人達が屋敷の外に訪れ、まるでお祭り騒ぎのようになっている。
『相変わらず竜 騎 士の人気は、衰え知らずのようだ。とはいえ、ハヤテの素晴らしい力を体験した今では、あの熱狂でもまだまだ物足りないと思えるがね』
ヨゼフスさんは苦笑しながら安全バンドを外した。
ティトゥは翼の上に立つと、彼が操縦席から降りるのに手を貸した。
『バナークの妻(※ティトゥの妹クリミラのこと)には悪い事をしてしまったな。全く、彼女の言った通りだったよ。まさか本当に午前中に屋敷に戻る事が出来るとは思ってもいなかった。王都に戻ったら、彼女に私が謝っていたと伝えておいてくれないかね?』
『りょーかい。ですわ』
ヨゼフスさんの言葉に陸軍式の敬礼をするティトゥ。
ヨゼフスさんは一瞬、ティトゥの行動の意味が分からずにキョトンとしたが、すぐに見よう見まねの敬礼で返してくれた。
僕にとっては、ほんの一時間程度の短い付き合いだったけど、この人が話の分かる人だという事は良く分かった。
流石は将ちゃんの義父さん。領主なのに偉ぶらないいい人だったよ。
『ナカジマ殿には、せめて屋敷で休んでいって貰いたい。そちらのドラゴンメニューには劣るが、屋敷の料理人に命じて腕によりをかけ――』
『いえ、これでおいとましますわ』
ヨゼフスさんのご厚意を、食い気味にあっさりバッサリ切り捨てるティトゥ。
ティトゥ。君ねえ・・・。
ティトゥの予想外の塩対応に、ヨゼフスさんの目が点になった。
『そ、そうは言っても、ハヤテもこの速さで飛ぶのはさぞ疲れただろう。王都に戻る前に、しばらく休ませてやった方がいいんじゃないか?』
『ハヤテなら大丈夫ですわ。この程度の距離、どうという事はありませんの』
いやまあ、確かに僕にとってはこのくらいは大した距離じゃないけど、それを君が言うのは何か違うんじゃない?
微妙に釈然としないんだけど。
ヨゼフスさんは何とも言えない顔で僕を見上げた。
『ナカジマ殿はこう言っているが、ハヤテはそれでいいのか?』
「お気遣いありがとうございます。僕は庭で休ませてもらいますので、ティトゥは連れて行ってくれていいですよ」
『ハ、ハヤテ! あ、その、ハヤテもヨナターン様のお気遣いに感謝しているのですわ。オホホホ』
みんなには僕の日本語が分からないのをいいことに、自分にとって都合の良い部分だけを切り取るティトゥ。
オホホホじゃないよ全く。
ここでメイド少女カーチャがティトゥの服の袖を引っ張った。
『? 何ですのカーチャ。おトイレですの?』
『ち、違います! あの、あちらで屋敷の執事さんが何か叫んでいるみたいなんですけど』
『『えっ?』』
言い忘れていたけど、未だに屋敷の外の姫 竜 騎 士コールは続いていて、うるさい程だ。
ティトゥ達も、さっきから至近距離で顔をつき合わせてしゃべっている。
だから気が付かなかったのだが、初老の執事がこちらに向かって何か叫んでいた。
『気が付かなかったな。少々失礼するよ』
『――ボソッ(――このまま帰ってしまってはダメかしら?)』
独り言のつもりかもしれないけど、僕にはバッチリ聞こえているからね。
残念だけど僕の目が黒いうちは、自分のパートナーにそんな失礼な振る舞いはさせないから。
というか君、ヨゼフスさんの方がナカジマ家より立場が上の上士位貴族だって事を忘れているんじゃないの?
『なに?! それは本当か?!』
ん? ヨゼフスさんが顔色を変えて怒鳴っているぞ。何か悪い知らせでもあったのかな?
しまったな。こんなことならマナーなんて気にせずに、最初から聞き耳を立てておけば良かった。
それこそ失礼な振る舞いじゃないのかって? いやいや、聞こえてしまうものは仕方がないじゃない? だってホラ、耳が良いのは僕のせいじゃないんだからさ。
ヨゼフスさんは、『詳しい話は部屋で聞こう』と言うと、僕達を置いてサッサと屋敷の中に入ってしまった。
彼にしては、随分とらしくない態度だ。余程大変な事が起きているに違いない。
『――このまま帰ってしまってはダメかしら?』
『オススメ シマセンワ』
『ティトゥ様・・・』
ティトゥは僕達の冷たい視線を受けて、『ちょ、ちょっと言ってみただけですわ』とか言って慌ててごまかした。
やがて屋敷の使用人がおっかなびっくり、腰の引けた様子で僕に近付いて来ると、ヨゼフスさんから話があるのでティトゥを屋敷に案内すると告げて来た。
流石のティトゥも、自分のわがままだけで勝手に王都に帰る訳には行かない。
渋々彼の言葉を受け入れて屋敷に案内されていったのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「謎の軍勢ですの?!」
「ああ。昨日、トルスター砦――ウチの領地の南の砦から連絡が入ったらしい」
屋敷に案内されたティトゥは、顔をこわばらせたヨゼフスから相談を受けていた。
「偵察に出た者の報告によると、軍勢は四千。ほぼ全員が実戦向きの装備に身を固めていたそうだ」
「ほぼ全員が? とても信じられませんわ」
ティトゥは農村地帯生まれの貴族の令嬢だが、ハヤテと出会った去年から、春に小ゾルタ、冬にミュッリュニエミ帝国の南征軍と、二度の大きな戦いを経験している。
その彼女の印象では、軍隊というのは基本的には装備はまちまち。全身にキチンと装備を身にまとった者は全体の半分にも満たないのである。
これはこの世界の兵士のほとんどが徴兵された村人で占められているからで、彼らの装備は土地を治める貴族(※例えばティトゥの実家のマチェイ家)や村長が貸し与えたものになるためだ。
当然、裕福な村の者達は良い装備を。貧乏な村の者達は着の身着のままで槍だけを装備する事になる。
産業革命以前の生産量の低いこの世界では、全員に統一された装備を支給するなど夢のまた夢なのである。
「私も信じられずにいるが・・・。それでどうだろうか? 今から私をもう一度ハヤテに乗せて貰って、王都まで飛んで貰うわけにはいかないだろうか?」
「王都に、ですの?」
ヨゼフスは運命の導きというものを感じていた。
この領地存亡の火急の事態にあって、たまたまこのタイミングで自分がドラゴンという、規格外の速度で空を飛ぶ生き物に乗って帰って来た。こんな偶然がありえるだろうか?
「頼む。この通りだ。ヨナターンには四千の軍と戦える力は無い。王都のカミルを――カミルバルト陛下を頼る以外に我らが助かる道はないのだ」
「ですが王都の軍は、隣国ゾルタの軍を迎え撃つために、国境の砦に向かうのではなかったんですの?」
「それは・・・いや、確かにそちらも重要だが、小ゾルタの軍は三千と聞いている。それに対してこちらは四千だ。それに最近作られたゾルタ方面の砦と違って、トルスター砦は作られたのも古い小さな砦でしかない。敵を食い止めるどころか一日ももたないだろう」
確かに。脅威度で言えば南から迫って来る謎の軍の方が、数でも質でもゾルタ軍を上回っているのは間違いない。
にもかかわらず、ヨナターンには彼らを迎え撃つための満足な拠点も守備隊すらも存在しないのである。
そしてヨナターンが抜かれれば、その先にはティトゥの実家、マチェイのあるヴラーベル領が広がっている。
ティトゥにとっても他人事ではなかった。
「分かりましたわ。そういう事でしたらお引き受け致します」
「! そうか! 頼まれてくれるか! ならば急いで屋敷の者に準備をさせよう! それでハヤテが飛ぶには何が必要なんだ?!」
「? いえ、特に何もいりませんわよ。ハヤテもきっと事情を聞きたがるとは思いますが、その話が終わればすぐに飛べますわ」
ヨゼフスはパッと安堵の笑みを浮かべたが、ティトゥの説明に今度は呆気にとられた。
「えっ? ついさっき我々を乗せて王都から飛んで来たばかりではないか。水や食べ物はいいのか?」
「ハヤテは我々のような食べ物は口にしませんの。本人が言うには、”まな”とか言うものを空気から取り入れてお腹を満たしているとかなんとか。水もいらないそうですわ」
「まな?! 水もいらない?! そんなバカな生き物がいるものか! ドラゴンとは――」
ドラゴンとは一体どんな化け物なんだ!
ヨゼフスは危うい所で自分の言葉を飲み込んだ。
ティトゥは少し怪訝な表情を浮かべたが、今はそれどころではないと思ったのか、特に気にする事も無かった。
ヨゼフスはティトゥの話からドラゴンの得体の知れなさを――人知を超えた超生物の計り知れない恐怖を感じた気がした。
こうしてハヤテは、再びヨゼフスを乗せて早々に王都にとんぼ返り――する事にはならなかった。
二人の話を聞いたハヤテは、「だったら王都に戻る前に、その謎の軍勢を偵察してからにしよう」と、ヨゼフスに提案したのである。
ハヤテはヨゼフスの、『勿論、そうして貰えればこちらとしては助かるが・・・』との返事を受け、ヨナターンの南、トルスター砦へと飛び立つのであった。
次回「緊張のトルスター砦」