その3 ドラゴン・ヨナターン便
そんなわけで翌日。
屋敷の門をどことなく見覚えのある馬車が入って来た。
ヨナターン家の当主、ヨゼフスさんがやって来たようだ。
というか、まだ朝食が終わるか終わらないかの時間なんだけど。よほど待ちきれなかったんだろうか。
ナカジマ家より格上の上士位当主の到着に、使用人達が慌てて馬車に駆け寄っている。
馬車から降りて来たのは、中年貴族夫婦とまだ若い貴族カップル。
ヨナターン家の当主夫婦と、ティトゥの妹クリミラ夫婦だ。
ヨゼフスさんは気合の表れか、いつもの貴族服ではなく、多分、乗馬用の身軽な服を着込んでいる。
こちらとしては別にいつもの恰好でも構わないんだけど、クリミラは彼に教えてあげなかったのかな?
ヨゼフスさんは使用人達の案内を断ると、真っ直ぐ僕の方へと向かって来た。
なんでしょうか?
『久しぶりだね、ハヤテ。お前の翼で私を領地まで送ってくれると聞いたんだが、早速大丈夫だろうか?』
は? それは構わないけど、何をそんなに急いでいるわけ?
挨拶もそこそこに僕に飛ぶように求めて来るヨゼフスさん。
いやいや、まだティトゥも来ていないんだけど。ちょっと落ち着こうよ。
クリミラが困った顔でヨゼフスさんを止めている。
『あの、ご当主様。昨日ご説明しました通り、ハヤテならヨナターンまでひとっ飛びです。そんなに急がれなくても――』
『いや、しかしだな。いくらドラゴンが空を飛べるとはいえ、ヨナターンまでは馬車で何日もかかる距離だ。少しでも早く屋敷を出るのに越したことはないだろう』
どうやらヨゼフスさんは、一刻も早く屋敷に戻って兵士の召集をかけたいようだ。
結構な数の騎士団員を護衛のために王都に連れて来ているからね。質の悪さを数で補うつもりなのかもしれない。
『ですからハヤテの速度なら大丈夫なんです。余裕を持ってお昼までに到着出来ますから――あの、何でしょうかその目は』
クリミラは周囲から注がれる微妙な視線に、落ち着きなく辺りを見回した。
『ドラゴンはランピーニ聖国まで日帰りで飛べるというあの話の事か? ゴホン。あー、お前の言葉を疑う訳じゃないが、いくらなんでもそれはちょっと・・・』
『なっ――』
『そ、そうね。私は船旅をした事はないけど、聖国のあるクリオーネ島って船で四日もかかるって聞いたわ。空を飛ぶドラゴンが船よりも早いといっても、一日で往復するっていうのは・・・ねえ?』
『クリミラ。俺はお前を疑う訳ではないが・・・流石にこの話ばかりはな』
『奥様?! アラン様まで?! ええっ?! ひょっとしてこの中で私の話を信じている人って誰もいないの?!』
当主夫婦どころか、よもや自分の夫にまで信じて貰えていなかった件について。
どうやらクリミラの話は、周囲からは大袈裟過ぎると思われていたようだ。
いつも話を盛りがちな姉ならともかく、よもや真面目な自分がこんな目に会おうとは。
この理不尽極まりない状況に、クリミラはショックを受けて立ち尽くした。
彼女はハッと我に返ると、慌てて僕に振り返った。
『ハヤテ! あなたからもみんなに言って頂戴! 私の言っている事は本当よね?!』
『サヨウデゴザイマス』
『何その上辺だけ取り繕った返事!』
憤慨するクリミラ。そして周囲からは気の毒そうな視線が惜しみなく彼女に送られた。
いや君、僕がこっちの言葉を片言しか喋れないのは知ってるでしょ? なのに何で僕に同意を求めちゃうかな。
クリミラは孤軍奮闘。ティトゥが庭にやって来るまで一生懸命、説明を続けたのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
庭でちょっとした騒ぎが起こっていたその頃。屋敷の応接間では聖国メイドのモニカが来客を出迎えていた。
ティトゥ主催のパーティーの準備からすっかり屋敷でもおなじみになった老人――王都の大手商会、トラバルト商会の前会長ブルドである。
モニカは、今朝はいつもの人好きのする笑みを消して老人を出迎えた。
「ヨナターン家のご当主様の出迎えという仕事を、部下に任せてまでこちらに来たのです。当然それに見合った、緊急を要する用件なんでしょうね?」
彼女がこのように、自分の気分を表に出すのは珍しい。
隠す余裕がない程不愉快なのか、それとも、この老人の前では取り繕う必要性を感じていないのか。あるいはその両方の理由かもしれない。
老会長はチラリとドアに目をやった。モニカは面倒臭そうにコクンと頷いた。
聞き耳を立てている者はいない。そう態度で示したのである。
「これから話す話は、ヨナターン家のご当主様の件とも無関係ではありません」
「小ゾルタの軍に動きがあったと?」
隣国ゾルタのヘルザーム伯爵が三千の軍で国境の砦に向かっているのは、既に周知の事実である。
そもそもヨナターン家の当主は、ヘルザーム伯爵の軍を迎え撃つ軍に加わるため、一度領地に戻ろうとしているのだ。
「いえ、そちらの軍勢の話ではございません」
老会長の話は驚くべきものだった。
メルトルナ家が国王カミルバルトに反旗を翻したと言うのだ。
メルトルナ家は「西のネライ、東のメルトルナ」と呼ばれる、この国の二大貴族家のひとつである。
当主はブローリー・メルトルナ。三十歳前後のまだ若い当主だ。
屋敷で書類に向かっているよりも、馬に乗って騎士団と行動を共にするのを好む、この国には珍しい武人肌の貴族として知られている。
先日、ティトゥが主催したパーティーでも、歯に衣着せない奔放な言動で、一度ならず場の空気を固まらせていた。
「”二列侯への勅諚”という書状が存在したようです」
二列侯への勅諚は、当時宰相だったユリウスが、国王ノルベルサンドの名のもとに、上士家の上位二家、ネライ家とメルトルナ家に極秘裏に送った勅諚――命令書である。
その内容は、『簒奪者が王として即位した際には、ネライ家とメルトルナ家が先頭に立って貴族家を纏めてこれを討伐せよ』というものであった。
具体的には記されていないが、この”簒奪者”とは言うまでも無く、当時彼らが恐れていたカミルバルトの事である。
ブローリー・メルトルナは、この二列侯への勅諚を大義名分に掲げ、カミルバルトと彼を擁する王城に対して反旗を翻したと言うのだ。
「それはまた・・・何とも愚かな選択をしたものです。そのメルトルナ家の当主とやらは、余程知恵の足りない男のようですね」
「――武人肌の大変勇敢なご当主とうかがっています」
「政治のセンスの欠片も無いイノシシ武者という訳ですか。けど、部下の中にまともな判断の出来る者がいれば――いえ、そんな当主なら、知恵の回る部下はとっくに疎まれて遠ざけられているんでしょうね」
モニカに言わせれば、ブローリーの行動は愚か過ぎて呆れ返るしかない。
聞けば二列侯への勅諚は、今までその存在自体が極秘とされていたものだと言う。
そんな強力な切り札があれば、何もわざわざ軍を起こす必要など無い。
勅諚の公表をほのめかせるだけで、いくらでも王家から譲歩を引き出す事が出来るはずである。
「・・・なる程。なぜカミルバルト陛下が、半年以上も王座に就かないのか不思議に思っていましたが、そういう事ですか。陛下も勅諚の存在を知っていたのですね」
もし、カミルバルトが即座に即位を発表していれば、ネライ家とメルトルナ家は、「それ見た事か」と即座に勅諚を公開。カミルバルトの非を高らかに宣言していただろう。
カミルバルトはその名声に反して、政治的な基盤が非常に弱い。
おそらく、領主の中で無条件に彼に従うのは、義父が当主を務めるヨナターン家くらいのものだろう。
聡明なカミルバルトは、自分の置かれた状況を正しく理解していた。
彼は国王代行として善政を敷く事で、国中に彼を国王に押す気運が高まるのをジッと待ち続けていたのである。
「それにしてもメルトルナ家の当主はあまりに稚拙な。秘密の武器は秘密であることこそが最大の強みだというのに。それを自分達の挙兵の理由付けなどという、最もつまらない形で世間に公表してしまったとは。これでは効果もなにもあったものではないでしょうに」
モニカが一番呆れたのはその点である。
カミルバルトにとって、二列侯への勅諚は、最大の障害になりえるキズである。
どんな要求を呑んででも、表沙汰にならない形で闇に葬りたいと考えていたに違いない。
しかし、それがこうして世に出てしまっては話が別だ。
穏便な形で王位に就くためのチャンスを失った今。彼は反対派を全て武力で黙らせて、自分こそが国王に相応しい力を持つと、実力で証明するしかなくなってしまったのだ。
全く馬鹿げた話である。
メルトルナ家当主に、どれほどの勝算があるのかは分からない。
しかし、戦で受ける自軍の被害、内乱で荒れた国土、復興までのゴタゴタという大きな損害を考えれば、戦いという形ではなく、政治で方を付けた方がどれほど利益が大きいかは言うまでも無いだろう。
モニカがメルトルナ家当主ブローリーを、政治のセンスの欠片も無い、と酷評したのは、そういった理由によるのである。
「現在、メルトルナ家は領境に軍を集結させつつあります。その数約三千」
「三千ですか。この国の領主が集めたにしてはかなりの軍勢――ちょっと待って。メルトルナは確か・・・」
ここまで呆れながら老会長の話を聞いていたモニカだったが、何かに気が付くとハッと目を見開いた。
「マズい! このままだとヨナターンが!」
「ヨナターン?! カシーヤス様(※モニカの家名)、ヨナターンがどうしたのですか?!」
モニカは老会長の言葉に答える間もなく、慌てて部屋を飛び出した。
(ヨナターン家の当主の言動から見て、彼はまだメルトルナ家が王家に反旗を翻した事を知らないはずだわ。
メルトルナ領とヨナターン領は南北で領地が接している。
もし、ヨナターン家の当主が領地で軍を進めれば、当然メルトルナ家は警戒するだろう。
メルトルナ家としては、王家との繋がりの強いヨナターン家が後背から自領を攻めるつもりと判断するのは間違いない。
そうなればメルトルナ家は大戦を前に後顧の憂いを断つべく、先にヨナターンに攻めるしかなくなってしまう。
メルトルナ家とヨナターン家では、同じ上士位貴族でも軍事力が違い過ぎる。
ハヤテ様もナカジマ家のご当主様も、二人共に性根の優しい方々だ。自分達が手を貸したのが原因となってヨナターン領が蹂躙されたと知れば、どれだけのショックを受けるか分からない)
グオオオオオオ
ハヤテのうなり声が屋敷に響き渡った。
落ち着きのない竜 騎 士達は、早くもヨナターンへと出発しようとしているようだ。
モニカは適当な部屋に飛び込むと、中庭に面した窓から身を乗り出した。
「ハヤテ様! お待ちを! 私の話を聞いて下さい!」
モニカが目にしたのは空っぽの中庭だった。
夏の抜けるような青空に、四式戦闘機の後ろ姿が次第に小さくなっていく。
モニカの声は、僅かな差で間に合わなかったのである。
次回「ヨゼフスの帰宅」