その2 クリミラのお願い
僕は屋敷の庭で屋敷の料理長達に縋り付かれていた。
『ハヤテ様、お願いします! ナカジマ家の料理長を連れて来て下さい!』
先週、この屋敷で行われたティトゥ主催のパーティー。
ナカジマ家の料理人ベアータの作ったドラゴンメニューは、来客達に大好評だった。
パーティーは大盛況のうちに幕を閉じたが、彼はあの日食べたドラゴンメニューの味がどうしても忘れられずにいるのだそうだ。
『自分でも作ってみましたが、どうしてもあの味にならないのです。ダメなら、私をナカジマ領に連れて行って貰うだけでも構いません! どうかお願いします!』
コメツキバッタのようにペコペコと頭を下げて、必死に頼み込む料理長。
一応、この屋敷のメイド長? のモニカさんにも頼んで、バッサリと断られたらしい。
う~ん。だからといって、僕を頼られても困るんだけどなあ。
ベアータはティトゥに雇われている――いわばティトゥの家の従業員であって、僕の独断で勝手に連れて来る訳にはいかないのだ。
同じように、料理長をベアータの所に連れて行く事もやっぱり出来ない。
職場放棄の手伝いをすれば、僕がモニカさんに怒られてしまうだろう。
そんなこんなで、僕がどう断れば良いか困っていると、屋敷から時間切れのお知らせがやって来た。
『料理長さん、こんな所にいたんですね。みなさん捜していましたよ』
料理長は屋敷のメイドさんに見付かって、スゴスゴと厨房に戻って行ったのだった。ご愁傷様。
「ギャウー! ギャウー!(パパ! パパ!)」
『あれ? あれって料理長さんですよね? ハヤテ様に何かご用だったんですか?』
可愛いリトルドラゴン達を連れて、ティトゥのメイド少女カーチャが庭にやって来た。
どうやら彼女達は屋敷の周囲を散歩に出かけていたようだ。
カーチャは料理長のすすけた背中を不思議そうに眺めた。
『ベアータ リョウリ「ギャウー! ギャウー!(パパお空! お空お散歩!)」
ちょっと、ファル子。話の途中で割り込まないでくれないかな。
どうやら腕白ドラゴンは、すっかり王都の屋敷の暮らしに退屈しているようだ。
ティトゥ主催のパーティーが終わって、今日で十日目。
本来ならとっくに即位式が行われていないといけないはずなのに、王城からは未だに何の連絡も届いていない。
何でも城に賊が侵入した上に、取り逃がしてしまったんだそうだ。
事件翌日から三日間、僕も空から犯人捜しに協力したけど、それらしい男達を見付ける事は出来なかった。
今頃、彼らは王都を逃げ出して、どこかに姿をくらませているのだろう。
賊を発見する気満々だったティトゥは、捜査が空振りに終わった事が余程ショックだったらしく、しばらくの間はどこか表情が冴えなかった。
パートナーの期待に応える事が出来なくて申し訳ない。
だけど、僕にだって得意な事と苦手な事があるから。四式戦闘機は本来、飛行機と戦闘するために作られた飛行機だから。
日頃は移動の足として便利に使われている場面の方が多い気もするけど。
「フガッ。フガッ」
『きゃっ! ファルコ様、周りに土をまき散らさないで下さい!』
僕に構って貰えないストレスだろうか。ファル子は地面に鼻面を突っ込みながら掘り返し始めた。
その横でハヤブサはフラフラと飛ぶミツバチに注意を引かれている。
あっ。そんな風に飛びかかると――
「ギャーン! ウギャウ!(痛ーい! パパ! コイツ僕を刺した!)」
あ~、言わんこっちゃない。
ハヤブサは悲鳴を上げて飛び上がった。ハチに返り討ちにあったようだ。
これに懲りたらハチにはイタズラしないことだね。
今回はミツバチだから良かったけど、もっと大きなハチなら、大変な事になってたからね。
「ギュウー(分かった)」
ハヤブサはすっかりテンションが下がってしまったようだ。甘えた声を出しながらカーチャの足元にすり寄った。
カーチャは苦笑しながらハヤブサを抱きあげた。
『あら、カーチャとファルコ達も庭にいたのね』
「ギャウ! ギャウ!(ママ! ママ!)」
ここで僕のパートナー、ティトゥが庭にやって来た。
彼女と一緒にいるのは、地味な印象の貴族の少女。
『久しぶりねハヤテ。王都へ来る旅で一緒をして以来かしら』
そう言って僕にほほ笑んだのは、ティトゥの妹、クリミラだった。
クリミラはティトゥの二つ年下の妹だ。
まだ若いけど、こう見えて二年も前に下士位の貴族家に嫁いでいる人妻だ。
旦那さんは将ちゃんの実家の領地の貴族で、ええと確か・・・
『バナーク家ですわ』
ティトゥがクリミナに聞こえないようにコッソリ教えてくれた。
そうそう、その何とか家。覚えてますとも。
それで今日は何? 退屈だから遊びに来たのかな? それとも王都上空の遊覧飛行でもお願いしに来たとか。
『ファル子達じゃあるまいし、そんなわけがありませんわ』
『それなんだけどハヤテ。ヨゼフス様を乗せてヨナターンまで飛んで貰えないかしら?』
ええと、それ誰だっけ。
『ヨナターン領のご当主ですわ。クリミラのバナーク家の寄り親の』
ああ、そうだったそうだった。
将ちゃんの義理のお父さんだっけ。面識もあるし、ちゃんと覚えていますとも。
だからカーチャ。『この人、本当に大丈夫なんでしょうか?』みたいな目で見るのを止めてくれないかな。
地味に傷付くから。そういう視線。
「勿論、構わないけど、事情は話してくれるんだよね?」
『当然ですわ』
ティトゥは大きく頷いた。
なる程。丁度、暇していた所だ。伺いましょう。
ティトゥ達の話は、最初からちょっと耳を疑うものだった。
隣国のゾルタが北の砦に向けて進軍を開始したというのだ。
「進軍って・・・。ゾルタって今、内戦状態になっているんじゃなかったっけ?」
『その通りですわ』
昨年末の帝国による南征で、隣国ゾルタは王都を落とされ、王家は全員首を刎ねられた。
その後、帝国南征軍は僕達に敗れてゾルタを放棄。全軍、国に引き返す事となった。
こうして残されたゾルタは、王家という押さえを失い、各領主が互いに睨み合う内戦状態へと突入したのだった。
なんでも今回の出兵は、領主の中でもミロスラフ王国嫌いで有名な伯爵家によるものなんだそうだ。
『聞いた話によると、ヘルザーム伯爵は大のミロスラフ王国嫌いなんだそうよ』
「それにしたって、自国が荒れているこの時期にやる事? 国外に攻め込むどころじゃないだろうに」
『即位式で国境の警備が手薄になっているこの機会に、とでも考えたんじゃありませんの?』
僕達が呆れようがどうしようが、その何とか伯爵が進軍を開始したのは紛れもない事実である。
その数約三千。
かつての帝国の南征軍が五万の大軍勢だったからショボく感じるけど、確か砦の最大動員数は千人少々だったはずだ。
砦の危機に、王城は追加の戦力を送る事を決めたそうだ。
『その話を聞いて、ヨゼフス様がいきり立ってしまって』
あ~、なる程。ヨゼフスさんの気持ちも分からないではないかな。
せっかく義理の息子の晴れ姿を見るために、遠路はるばる王都まで出向いたっていうのに、謎の賊の騒ぎのせいで戴冠式は延期になってしまった。
ガッカリするわ腹立たしいわで悶々としていた所に、今度は隣国の軍が攻めて来るという。
ヨゼフスさんとしては、「お前らいい加減にしろ!」と言いたい所だろうね。
『「お前らいい加減にしろ!」と怒鳴り散らしたそうよ。周囲は止めたんだけど、領地に戻って軍を率いて砦に向かうって聞かないそうなの』
ああうん。実際に怒鳴ったのね。
それはさておき。ヨゼフスさんのヨナターン領はこの国の南にある田舎の土地だ。
領地に戻るだけでも馬車で何日もかかってしまうのである。
『そうなの。本人は護衛の騎士を連れて馬で帰ると言っているそうなんだけど、なにぶんお年を召していらっしゃるでしょう? ご夫人がヨゼフス様のお体を心配なされて』
ヨゼフスさんは馬で領地まで帰るつもりらしいが、もう何年も馬での遠乗りもしていないらしい。
クリミラはヨゼフスさんの奥さんから相談されて、僕の事を思い出したんだそうだ。
『ランピーニ聖国まで日帰りで往復出来るハヤテなら、当然、ヨナターンにもすぐに行けるわよね? ヨゼフス様を乗せて飛んでくれないかしら?』
『ハヤテならヨナターンなんてひとっ飛びですわ』
なる程、事情は分かった。ティトゥも納得しているみたいだし、僕に断る理由はないかな。
こうしてクリミラは帰って行った。今からヨゼフスさんのお屋敷に行って、彼に説明をするんだそうだ。
早ければ明日にでも飛ぶ事になるんじゃないか、という話だ。
お急ぎ便ですね。かしこまりました。
次回「ドラゴン・ヨナターン便」