プロローグ トルスター砦に迫る危機
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ここはヨナターン領の南。トルスター。
ミロスラフ王国にとっても最南端に位置するこの地は、そのほとんどが山という厳しい土地で、領民は僅かばかりの小さな盆地に、身を寄せ合うようにして暮らしていた。
厳密に言えばこの地に国境は存在しない。
隣国ゾルタと隣接する北方のメルトルナ家とは違い、こちらは山を越えた先には港町はあっても国は無いためである。
南に存在する大小五つの港町は、それぞれ独自の政治形態を持つ”都市国家”を形成。それら五つの都市国家が集まる事で、”都市国家連合”という連合体を形成していた。
とはいえ、国家と呼ぶにはあまりにも弱い結びつきで、利権をめぐっての小競り合いの絶えない紛争地域でもあった。
さて。トルスターに話を戻そう。
この地の南には、街道を睨む形で砦が作られているものの、地方で豪族との小競り合いが行われていた頃に設計、建築された、今となっては骨董品とも呼べるシロモノである。
最大収容数は約千人。
そこそこの兵数を収容できるとはいえ、十分に人口が増えた今となっては、時代遅れの古い小さな砦であった。
砦には常に数十人の騎士団員が駐屯し、街道の治安を守る上で大きな役割を担っていた。
そんなトルスター砦に、その日、旅の商人が血相を変えて飛び込んで来た。
「た、大変です! 街道の南に軍勢が! 道を埋め尽くす凄い数で、こちらに向かって来ています!」
知らせを持って来た商人は砦の兵士達の顔見知りだった。
と言うよりも、トルスターは小さな田舎領地だ。商売上の魅力も乏しく、出入りする商人も限られている。
余所者は余所者というだけで珍しく、大抵の人間が顔を知っているのである。
当然、砦の守備隊長も、商人の事を良く知っていた。
そんな商人が、守備隊にウソをついて騙そうとしているとは考えられなかった。
「どこの軍勢だ?! 街道を埋め尽くしていると言ったが、数はどのくらいだ?!」
「そ、それはその・・・何せ急いで知らせに戻らなければと思ったもので」
商人はいつものように街道を通って、山を越えた先にある港町ルクル・スルーツへと向かっていたそうだ。
ちなみに街道は、トルスターの――というか、ミロスラフ王国と南の都市国家連合を結ぶ唯一の陸路となる。
山の中を縫うように走る細い一本道で、馬車がすれ違うのにも難儀する狭い道である。
とは言え、普通の商人はこの街道を馬車で行こうとは考えない。
長年補修もされていない荒れ放題の道だし、厳しい峠は荷物を満載した馬車ではとても乗り越えられないためである。
この商人も、何人かの運搬人を雇って、街道を行き来していた。
その途中で、街道を埋め尽くす謎の軍隊と遭遇したと言うのだ。
「おい! そんないい加減な情報で――」
「いや、良く知らせてくれた。後はこちらで調べよう。くれぐれも町の人間に触れて回るような事のないように」
少年のような若い副隊長が商人に詰め寄ろうとしたが、隊長は彼の肩を掴んで止めた。
必要なら脅しも止むを得ないが、商人は何かを隠しているようにも思えない。ならば彼を詰問した所でこれ以上の情報は得られないだろう。
互いにとって益は無いし、ここで揉めているだけ時間の無駄である。
「副隊長。部隊を指揮して調査に向かってくれたまえ。これは君と君の部下にしか出来ない任務だ。大至急頼む」
「――ふむ。ああ、当然、現場での判断は私に一任して貰えるのでしょうな。よろしい。命令承りました」
素直に命令を受ければ良い所を、わざわざ言わずもがなな言葉を付け加える辺りに、この副隊長が上司である隊長の事を軽く見ている所が伺われる。
副隊長の年齢は17歳。まだ少年の面影を残す若者だ。四十歳前後の隊長とは親子ほど年が離れている。
この若さで副隊長、という時点で察する事が出来ると思うが、彼の実家は領主であるヨナターン家の遠縁にあたる。
彼は常日頃から自身の血筋を鼻にかけ、周囲を見下す態度を取る事が多かった。
守備隊長は、部隊内の不和を招きかねない副隊長の言動を、前々からどうにかしなければと思っていたのだが、この若い貴族が家柄で劣る自分を内心で軽んじていているのが分かるため、意見も出来ずにいたのだった。
副隊長は胸を張ると、自信満々に大言壮語を吐いてみせた。
「私の部隊にかかれば、このような偵察任務は容易な事。本来、この砦に必要なのは、兵士ではなく騎馬部隊なのです。私は前々から進言しているではないですか。今のように兵士の頭数を揃えるよりも、少数でも騎兵による部隊を充実させるべきであると。もちろん、実際にこの進言が通り、騎馬部隊が編成された暁には、僭越ながら私が初代隊長として就任するのが相応しいでしょう。何せ騎馬部隊の必要性を理解し、あなたに説いたのは私なのですから」
副隊長は実家から連れて来た自分の子飼いの部下達で、騎馬部隊を編成している。
わずか五人だけの小さな部隊だが、この砦では唯一の騎馬部隊という事もあって、副隊長の自慢の種となっていた。
「・・・そうか。考えておこう」
隊長は副隊長の言葉に力無く返事を返した。
副隊長は少し不満そうに鼻を鳴らすと、部下を連れ、偵察へと出発した。
翌日。副隊長がいなくなったことで少し静かになった砦で、隊長は忙しく歩き回っていた。
食料の保管状態のチェックに、武器の数のチェック、補修用の建材のチェックに、兵士達の健康状態のチェック。
やらなければいけない事は多い。偵察の結果によっては防衛戦も覚悟しなければならないのだ。
残された時間は少なかった。
「――しかし、騎馬部隊か。アイツはあれを本気で言っているのだから始末に負えない」
副隊長の言う通りの部隊が編成出来れば、防衛上のメリットは計り知れない。
偵察の範囲は広がるし、ヨナターン騎士団との連絡のやり取りも密になり、国境の情報が遅延なく共有される事にもつながるだろう。
しかし、農作業に使われる農耕馬や荷馬車を引く荷駄馬とは異なり、騎馬隊の軍馬は非常に高価だ。それに飼育も訓練も桁違いにコストがかかる。
要は馬は維持するだけでも予算を圧迫する金食い虫なのである。
そう考えれば、こんなのどかな小砦には、騎馬部隊は費用対効果が釣り合わないと分かるだろう。投資が過剰に過ぎるのである。
そんな無駄な出費を、貧乏なヨナターン家が受け入れるはずはなかった
隊長がそんな事を考えながら砦の城壁の上を歩いていると、偵察に出ていた騎馬隊が街道を駆け戻って来るのが見えた。
彼らの余裕のない走りに、隊長はイヤな予感を覚えながら、彼らを出迎えるべく虎口へと向かった。
副隊長達の部隊は砦の中に飛び込むと共に、転がり落ちるように馬から降りた。
余程急いで戻ったのだろう。馬は息も荒く汗をびっしょりとかいている。
若い騎士達は砦に戻った事でようやく安心したのだろうか。全員腰が抜けたように力無く地面にへたり込んだ。
砦の兵士達は戸惑いの表情を浮かべ、彼らを遠巻きに見守っていた。
「副隊長! 一体何があった!」
隊長が駆け寄ると、ひと際立派な装備に身を包んだ少年――副隊長が、力無くこちらに振り向いた。
いつもの自信に満ちた態度はどこへやら。彼は蒼白になった顔面を固くこわばらせて、小さくかぶりを振った。
「ダメだ。隊長、逃げよう。こんな砦じゃ敵わない。みんな殺されてしまう」
「?! 軍隊がいたんだな?! 本当に敵で間違いないのか?! 数は?! 一体どこの軍勢なんだ?!」
副隊長は震える声で答えた。
「どこの軍勢かは分からない。四千はいた。全員恐ろしく装備が整っている。あれはダメだ。絶対に勝てない」
「四・・・バ、バカな――あ、いや、分かった。ひとまず休んでくれ。落ち着いたら詳しい話を聞かせて欲しい」
隊長は、その場の兵士に副隊長達の世話を任せると、厳しい表情で考え込んだ。
(四千の軍だと・・・。現在、砦の兵数は約五十人。至急トルスターに連絡を入れても、追加の戦力はせいぜい百人。町の若い男達をかき集めても千人には届かない)
隊長は周囲の兵士達が不安そうな目で自分を見ているのに気が付いた。
「お前達は馬の世話にかかれ! 当番の兵は見張りを厳に! 南から来る者は敵の斥候の可能性が高い! 発見次第、俺の所に報告に来る事!」
「「「「は、はい!」」」」
まだ敵兵が見えるはずはないが、何か命じておかなければ、兵士が不安に押しつぶされかねない。
いや、不安を覚えているのは隊長も同じだ。このトルスター砦の能力を超えた敵が迫りつつあるのだ。
(四千の軍隊はこの砦だけでは防ぎきれない。ヨナターン本家にも救援要請を出すのは確定だ。代官の頭越しに連絡を入れては後で問題になるが、今は時間が足りない。だが、馬を走らせた所で間に合うかどうか・・・)
ヨナターン本家のある町まで、例え馬でも約二日はかかる。
そして、ヨナターン家が直ぐに動いてくれるかどうかはかなり怪しい。
なぜなら新国王カミルバルトの即位式に参加するため、領主は現在、家族を連れて王都にいるはずだからである。
(タイミング的に、ヨナターン家の留守を狙った軍事行動なのは間違いない。しかし、一体何処の軍勢が?)
この地で大きな戦いがあったのは、もう何代も前の話である。
南には、国とも呼べない都市国家があるだけである。
彼らは所詮は港町に過ぎない。互いに小競り合いをする程度の武力は持っていても、四千もの大規模な軍隊を保有しているとは思えなかった。
守備隊長は思い違いをしていた。
南から街道を北上してくる四千の軍隊。
彼らは都市国家連合の評議会議長、ハヴリーン老の差し向けた軍隊だった。
いや、正確に言えば彼らは都市国家連合の軍隊ではない。彼らが雇った”傭兵団”、その傭兵団の集まりだったのである。
かつてミロスラフ王国と隣国ゾルタ。二つの国家が争っていた北の国境線。
しかし、十年程前にミロスラフ王国によってその地に砦が作られてから、二か国間では大きな戦いは行われなくなってしまった。
仕事を失った傭兵団は、新たな戦場を求めて各地に散って行った。
そのうちのいくつは、都市国家連合に流れ着き、都市国家間の紛争に参加した。
やがて彼らはこの地を新たな稼ぎ場として集結。今では数千人もの傭兵が集まる傭兵天国となっていたのである。
そしてトルスター砦守備隊長の懸念は的中する。
ヨナターン家は領主が不在で、この領地存亡の未曽有の危機に、指揮を執れる者がいなかった。
領地を預かる代官は、文官としては優秀な男だが、戦においては素人同然で、うろたえるだけで有効な対策が取れなかった。
なぜなら騎士団もその大半が領主夫妻とカミルバルト夫人と娘の護衛で領地を離れており、領内には治安を守るための最低限の人数しか残されていなかったからである。
トルスター砦に、そしてヨナターン領に、最後の時が迫りつつある。
しかし彼らは知らなかった。この軍勢すらも現在、ミロスラフ王国新国王カミルバルトを狙う包囲網。その四か所の包囲網の一角でしかなかったのである。
次回「王都に立ち込める暗雲」