その23 大食堂にて
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ここは屋敷の大食堂。
この場に集まっているのは、貴族の中でも上士位と呼ばれる大貴族。領主とその家族である。
パーティーで出されたドラゴンメニューは、彼らの予想を大きく裏切った。
実の所、彼らのほとんどは、ドラゴンメニューの噂は眉唾物だと思っていた。
商人が注目を集めるために大袈裟に話を盛るのは良くある事だからだ。
それに一流貴族の彼らは、聖国の洗練された料理も食べているし、チェルヌィフの珍しいスパイスを効かせた料理も食べている。
王都のドラゴンメニュー(偽)も知っている彼らにとっては、ナカジマ家で出される料理も「所詮、下士位あがりの娘が喜ぶような料理であろう」といった侮りがあった。
しかし彼らの予想はあっさりと覆された。
ドラゴンメニューは噂通り――いや、噂を超えた味だったのである。
「先程のムニエルというのは美味しかったですわ。バターを料理に使うなんて最初は驚きましたが、まさか魚料理に合うなんて」
「ああ。海の魚なら俺達の所でも珍しくはねえ。コイツはボハーチェクの屋敷に戻ったら、早速ウチの料理人に作らせねえとな」
海賊船の船長のような強面を満足げにほころばせているのは、オルドラーチェク領の領主ヴィクトル。
ボハーチェクの港町はこの国最大の港で、そこの商会にはティトゥ達、ナカジマ家も随分と世話になっている。
「バターはうちの領地の特産品です。取引量を増やして貰えるなら願ってもない事です」
「バターに食材としての使い道が出来たと知れば、うちの代官もきっと喜ぶわね」
彼らの会話を聞き付け、すかさず特産品の売り込みをかけているのは、ヨナターン領の領主夫妻。
海抜の高いヨナターン領は、農地に適した平地が少ないこともあって酪農が盛んに行われている。
今まで、生乳(牛乳やヤギの乳)は日持ちがしないため、基本的には領内で消費されていた。
一部はチーズに加工されて領外にも売りに出されていたが、バターは化粧用に使われるくらいにしか需要が無かった。
そんなバターが料理用として売れるのであれば、酪農以外にロクな産業を持たないヨナターン領にとっては大きなチャンスとなる。
二人が期待してしまうのも当然であった。
そんなヨナターン領主夫妻の会話に、「ふむ」と考え込む者もいる。
こちらは冴えない印象の中年男。モノグル領の領主である。
「バターか。モノグル領も酪農に手を出すか」
「残念ながら父上。私が以前、代官に話を聞いた所によると、うちの領地では牛が病気にかかりやすく酪農には向いていないとの事です」
「なにっ?!」
中年男――モノグル領の領主は、息子の言葉にギョッと目を剥いた。
「何でも、うちは険しい山が多いため寒暖の差が大きく、牛の体に負担をかけてしまうとのこと。それと、降水量も少ないために牧草の育ちも良くなく、牛も肥え辛いそうです」
モノグル家当主はガックリと肩を落とした。
「ま、まあ、うちは鉱山がありますから、酪農にこだわる必要もないでしょう」
「・・・そうだな」
息子は慌てて父親を慰めたが、父親は落胆したままだった。
現在でこそモノグル領はいくつもの鉱山を抱える領地として成り立っている。
しかし、鉱山とは地下資源。採掘していけばいつかは枯渇してしまうものである。
(父上は領地の将来を考えて、余裕のある今のうちから将来の産業を育てておこうとお考えなのだな)
有能な彼は父親の思惑をそう推測した。
しかし彼は、自分の物差しで父親の考えを推し量ってしまった。
彼の父親は彼ほど優れていない。むしろ凡庸な人間である。だから彼の父親はそういう理由で酪農を言い出した訳ではなかった。
単純に領地に戻った後も美味しいムニエルが食べたかったのだ。
ムニエルを作るためにはバターが必要だ。しかし、他所の土地から買っていたのでは高価になって、気軽には食べられない。
そこで領内で酪農を盛んにし、自前でまかなえないものかと考えたのだ。
息子は自身が優秀なあまり、領主である父親なら自分と同じように考えるだろうと思い込んでしまった。領地の将来を憂いて酪農を取り入れようと言い出したと思ったのである。
さて。ムニエルに手が届かなくなったと知って、ガッカリしたモノグル家当主だったが、彼の失望は長くは続かなかった。
彼が心奪われたムニエルをも上回る料理、”唐揚げ”が登場し、彼に更なる衝撃を与えたからである。
白身魚の料理であるムニエルに対し、唐揚げは鶏肉の料理。
港を持たないモノグル領では、海の魚は手に入り辛い。僅かばかりの海岸線のほとんどは切り立った崖で、漁村も作れないのだ。
しかし、鳥なら山でも容易に手に入る。
そして唐揚げに使われる油は植物油である。
酪農は無理でも、油の採れる植物ならモノグル領でも育つかもしれない。
こうして彼の機嫌はあっさりと持ち直すのだった。
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ここからは完全な余談。
後に領地に戻った当主は、植物油の原料となる植物を探させた。
こうして見つかったのが”オリーブ”である。
実はモノグル領の特徴――寒暖の気温差が大きく、雨の少ない土地――はオリーブの植生に適していたのだ。
早速、当主はオリーブ畑を作るように指示を出し、モノグル領の海岸沿い、西の斜面には一面にオリーブ畑が作られた。
長い日照時間と海からの照り返しを受けて、オリーブの木は豊かな実りを付けた。
こうしたオリーブの実から作られたオリーブオイルは、鉱山以外にロクな産業のなかったモノグル領の新しい収入源となり、当主は名君として後々まで領民から慕われ続ける存在になるのであった。
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この中で一番、心からドラゴンメニューを堪能していたのは、間違いなくヴラーベル領の領主だろう。
ティトゥの父、マチェイ家の寄り親でもあるヴラーベル家の当主は、食べた事も無い料理と飲んだ事の無いお酒にすっかりご満悦だった。
「次はどんな料理が出て来るのかな? いやあ楽しみで仕方がないぞ」
「あなた・・・」
「父上・・・」
家族の呆れ顔もどこ吹く風。
ヴラーベル家当主は次の料理が運ばれて来るのを、首を長くして待っていた。
ヴラーベル家の現家臣団は、歴代最強と言われる程有能な人材が揃っているという。
現当主は先代当主である父親から、「お前は部下に任せて何も仕事をするな。その方が領地のためだ」と言われ、「それもそうだ」と納得したという過去を持っている。
領主になった後も、彼は基本的に仕事は全て部下に丸投げ。本人は完全なお飾り当主となって毎日遊び暮らしているそうだ。
それでも領地経営が上手く回っているのだから、彼の父親は先見の明があったのだろう。
ヴラーベル家当主程では無いが、ご機嫌な様子で酒のカップを傾けている、体格の良い若い貴族もいる。
メルトルナ領の領主、ブローリーだ。
彼はパーティー開始の当初こそ、ホストであるティトゥに段取りの悪さにケチを付け、不満げな表情を隠そうともしなかった。
しかし、ドラゴンメニューの若者向けのガッツリ系な部分が、若く食欲旺盛な彼の好みに見事に合致したようだ。
最初の険悪な雰囲気はどこへやら。今は甘いカクテルに口を濡らしながら、次の料理の登場を今か今かと心待ちにしていた。
ドラゴンメニューは好評――いや、大好評をもって参加者に迎えられていた。
しかしそんな中、ホストであるティトゥの顔色は冴えなかった。
彼女が不安になっている理由。
ティトゥは顔を上げると、その理由をチラリと盗み見た。
彼女の視線の先でイスに座っているのは白髪の白髭、初老ながら背筋のピンと伸びた、厳しい顔つきの男である。
彼こそはこの国最大の貴族家、ネライ領の領主、ロマオ・ネライである。
彼は最初のドラゴンメニューが運ばれて以来、ずっと難しい顔を崩さずに黙り込んでいた。
料理が進むにつれ、益々彼の眉間には深く皺が刻まれ、時には我慢ならない怒りを堪えているのか、低い唸り声すら上げていた。
ティトゥは彼が何を気に入らないのか分からなかった。
料理が気に入らないとは考え辛かった。
ネライ家当主は、出された料理は全て綺麗に平らげていたからである。
(! そういえばベアータが、オルサーク家でテストマーケティングを試した時、お年寄りにはドラゴンメニューが不評だったと言っていましたわ)
つい先月。隣国ゾルタのトマスとアネタの実家、オルサーク家でミールキットのテストを行った時の事。
最初の頃は屋敷の年長者にはドラゴンメニューは不評だった。
食に対して保守的な嗜好を持つ年長者は、ドラゴンメニューならではの馴染みのない調理方法が受け入れ辛かったのだ。
ティトゥは初老のネライ家当主も、オルサーク家年長者と同様の不満を抱えているのではないか、と考えたのである。
(けど、ご夫人の方は満足されている様子なのよね)
男女の嗜好の差だろうか。ネライ夫人は夫と違い、ずっと楽しそうに食事をとっていた。
今もティトゥは、いつネライ家当主の怒りが爆発しないかと、気が気ではなかった。
そんなティトゥの気持ちなどつゆ知らず、夫人は別の感想を持っていた。
(この人が料理にこれ程興奮しているのは珍しいわ)
そう。ネライ家当主ロマオは、ティトゥが警戒しているように機嫌を損ねている訳ではなかった。
夫人が察しているように、むしろ上機嫌だったのだ。
ネライ家当主ロマオは、自分が何の面白みのない男である事を知っている。
人を楽しませる洒落た会話も出来なければ、これといった趣味も特技も持っていない。
そして生まれついての厳しい顔付に相応しく、常に周囲にも自身にも厳しい男だった。
しかし、そんな彼にも心を許せる唯一の例外があった。
それが芸術である。
芸術に心を打たれている時間だけは、当主としての地位も、ネライ本家の立場も忘れていられる。
彼は芸術を生み出す才能は無かったが、芸術を理解する才能を持っていたのである。
ロマオは今、優れた芸術に触れた時のような感動を覚えていた。
そしてその事実に驚き、戸惑いも感じていた。
彼が料理というものに芸術性を感じたのは今日が初めてだったからである。
(最初は錯覚だと思った。思い違いだと。しかし、ここまで食べて来て分かった。俺は確かにドラゴンメニューに芸術を感じている)
ロマオは常々、芸術には、既存の常識に囚われない発想が必要であると考えていた。
過去の物を無批判に受け入れ、形だけ真似ているだけでは決して得られない感性。その”創造性”こそが大切だと考えていたのである。
しかし、芸術として成立させるためには、独創的なだけではまだ足りない。受け手が作品からメッセージを受け取るためには、心を動かすだけの高い完成度が必要となる。
芸術の神髄は、作り手の創造性とそれを表現するための高い技術。そしてそれらを余すところなく伝える作品の完成度。
この”創造性=心”、”技術=技”、”作品=体”が一体となった完成品こそが、真の芸術であり、人の心を打つとロマオは考えていた。
(フッ。まさかこの年齢になって、新たな芸術の可能性を教えられるとは)
(あらあら。この人、本当にドラゴンメニューが気に入っちゃったのね。驚いたわ)
(な、何なんですの?! 急に歯を食いしばって! もう! 何か好き嫌いがあるなら、黙ってないで口に出して言って欲しいですわ!)
益々嬉しそうな顔をするロマオに驚く夫人。そして、益々凄みを増した顔をするロマオに慌てるティトゥ。
そんなティトゥの緊張感が伝わったのだろうか。メルトルナ家当主ブローリーはふと振り向くと、ティトゥとロマオの二人を見た。
「何でお前らそんなに不景気なツラをしているんだ? せっかくの美味い料理じゃねえか。もっと楽しんで食えよ」
この不躾な言葉に、先程まで和気あいあいとしていた場の空気がたちまち凍りついた。
誰かの喉が緊張でゴクリと鳴った。
彼らは、年若い領主の無礼な言葉に、ネライ家当主の怒りが爆発すると信じて疑わなかったのである。
ロマオはブローリーに振り返ると、心底意外そうに答えた。
「何を言っている。俺は十分に楽しんでいるが?」
「ウソだろ?! そのツラでか?!」
今の言葉も大概に無礼だったが、今度ばかりは夫人を除いた誰もが心の中で大きく頷いていた。
次回「生殺し」