その18 招宴会の朝
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その日は早朝から貴族街中がソワソワとして落ち着かない空気に包まれていた。
町は不自然に静まり返り、通りを行く馬車の音がやけにうるさく響き渡った。
その時、ヴーンといううなり声が響くと共に、王都の空を大きな翼が飛び去った。
四式戦闘機『疾風』。
この世界ではドラゴン・ハヤテと呼ばれる存在である。
ハヤテはプロペラ音に負けじと声を出した。
『さあ! いよいよティトゥ主催のパーティーの当日だ! 今日は忙しくなるぞ!』
ハヤテの向かう先は王都の北西。ナカジマ領。
今日の彼はピストン輸送でコノ村と王都の屋敷の間を往復することになっている。
その第一陣が今、飛び立ったのである。
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というわけで、今日はティトゥ主催のパーティーの当日。
色々あったが、とうとうこの日を迎える事になった。
パーティーの開始は夕方から。夕方の四時からスタートして、終わるのは夜の八時となる。
約四時間のパーティーという訳だ。
僕の感覚では四時間は長すぎる気がするけど、大体半分の時間が過ぎた時点で帰る人は帰るらしい。
日本で言えば、一次会と二次会を同じ会場でやっている感覚なのだろう。
全員が馬車でやって来て馬車で帰るから、そうやって帰り客をバラけさせないと大渋滞を起こすのかもしれない。
開始は夕方とはいえ、早い客はお昼を過ぎたあたりには、屋敷に来るという。
だからホストにはあまり悠長に構えている時間は無い。
今朝はみんな大忙しだ。
ちなみにティトゥは僕に乗っていない。今頃は屋敷でドレスアップと今日の段取りの打ち合わせをしている最中である。
そしてカーチャもファル子達も乗っていない。全くの無人、僕だけである。
なんだかこうして一人で飛ぶのも随分久しぶりな気がするなあ。
・・・・・・。
いや、別に寂しくなんてないからね。
確かに、最近飛ぶ時には必ず乗せていたファル子達が乗っていないから、静か過ぎて違和感があるけど。
二人のお世話係のカーチャが、パーティーの準備の方で忙しくて手が離せなかったため、手のかかる二人を乗せられなかったのだ。
・・・・・・。
今日は誰にも聞かれないし、歌でも歌いながら飛ぼうかなあ。
一人で間がもたないだけだから。寂しくなんてないから。
こうして僕は一人寂しく歌を歌いながらコノ村への飛行を続けたのだった。
あっ。寂しくって言っちゃった。
という訳でコノ村に到着。
村の外では、準備万端整えた料理人のベアータが僕の到着を待っていた。
『ゴキゲンヨウ』
『おはようございますハヤテ様! 今日はよろしくお願いしますね!』
うん、相変わらずベアータは元気いっぱいだな。
ナカジマ家の使用人達が、樽増槽に次々とミールキットを詰め込んでいく。
ベアータは後ろを振り返った。
『じゃあベネッセ。アタシはハムサスと一緒に王都のお屋敷に行くから』
『はい。仕込み作業の続きはやっておきます』
あの後、しばらく試した結果、ミールキットだけでは全ての料理をさばききれない、という事が判明した。
そこで急遽、当日はベアータにも手伝って貰うことになったのである。
どう考えても、招待状を配り過ぎたのが原因だ。
こちらのキャパシティーは分かっているんだから、メイドのモニカさんも、無理のない範囲で招待客の数を絞ってくれれば良かったのに。
などと文句を言ったら、逆にモニカさんに言い返されてしまった。
『いえ。王都騎士団の方から、もっと招待状の数を増やせないかと頼まれたので』
どういう事?
どうやらパーティーの招待状がプラチナチケット化して、争奪戦が勃発。あちこちで犯罪の原因になっていたらしい。
これ以上の混乱を防ぐためにも招待客の数を増やしてもらえないだろうか? と、王都騎士団の団長が直々にティトゥの所まで直訴しに来たそうである。
・・・マジか。そんな事になっていたなんて。
関係各所の皆様には大変ご迷惑をおかけしました。誠に申し訳ございません。
二人の後ろでは、ベアータの新弟子、草食系男子ハムサスが、おっかなびっくりといった様子で僕を見上げている。
『あの、本当に私がハヤテ様に乗っても大丈夫なんでしょうか?』
『大丈夫大丈夫! アタシも何度も乗っているから! 何も心配ないよ!』
『でもご当主様は、ハヤテ様は契約者以外はその背中に乗せないと言っておられましたよ』
・・・ああ。ティトゥの脳内設定ね。その設定まだ生きてたんだ。
どうやらハムサスはティトゥの話を真に受けて、僕に拒否られないか心配しているようだ。
僕はちゃんとお願いされれば別に誰だって乗せるから。フレンドリーな戦闘機だから。
『ホラ、いいから乗った乗った! 後がつかえているんだからさ!』
ベアータはしり込みするハムサスの背中をグイグイと押し上げた。
ハムサスはキョロキョロと僕の操縦席を見まわすと、操縦席のイスに座った。
『違う違う! 後ろのイスだよ! アンタがそこに座ったらアタシが乗れないじゃないか!』
『あっ! すみません!』
ベアータに怒られて、ハムサスは慌てて胴体内補助席に移った。
一瞬、ティトゥがカーチャにしているように、ベアータを膝の上に乗せればいいじゃないかと思ったのは秘密だ。
『ハヤテ様?』
『アンゼンバンド』
『あっ、ハイ。ハムサス、イスに付いているバンドを締めて』
『え? あの。こ、こうですか?』
今日は何度も王都とコノ村を往復する予定になっている。ここで時間を取る訳にはいかない。
僕はハムサスに安全バンドを締めて貰うとエンジンを始動。夏の大空へと舞い上がったのだった。
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ハムサスは緊張に体を固くしていた。
コノ村でベアータの弟子になってから、毎日が驚きの連続だったが、今日の経験は極め付きだ。
(ま、まさか、自分があのドラゴンに乗る事になるなんて)
つい先日まで王都で働いていた彼は、当然ドラゴン・ハヤテの噂を聞いていた。
王都のドラゴンメニュー(偽)だって食べたし、休日には先輩のお供で芝居小屋に姫 竜 騎 士の芝居を見に行った事もあった。
しかし、彼にとってのドラゴン・ハヤテはあくまでも雲の上の存在であり、確かに存在はしているものの、自分とは何の接点も持たない、自分の人生とは無関係な存在のはずであった。
それが、まさかこうして自分が姫 竜 騎 士の屋敷で働く事になり、それどころか彼女の乗騎であるドラゴンに乗る事になろうとは。
ハムサスは夢にも想像していなかった。
誰しもが一度は憧れた事のある大空への飛翔。
まさかそれがこんな形で実現するなんて。
ハムサスは未だに信じられずに夢心地でいた。
グオオオオオオオオ
ドラゴン・ハヤテがひと際大きなうなり声を上げると上げると共に、ガタガタと大きな振動が伝わって来る。
いよいよ飛ぶのか?!
と、思った途端、グイッと体が仰向けに傾くと共に、イスから伝わる振動がスッと遠のいて行った。
ハヤテのうなり声も、体を圧迫する加速感もまだ続いている。
だが、分かった。直感で理解した。自分は今、空を飛んでいる!
驚きと興奮、そして、こんなにあっさり飛んでしまっていいものか、という謎の不安感。
すぐに体が左に傾いた。ハヤテが旋回に入ったのだ。
編隊飛行を行わない(というよりも行う列機のいない)ハヤテは、旋回をしながら高度を上げる必要は全くない。しかし彼は「戦闘機はこうだろう」という妙な思い込みで、毎回こうして律義に旋回をしていた。
少しの間こうして飛んでいただろうか。
やがて体の傾きが戻ると共に、ハヤテが二人に声を掛けた。
『アンゼンバンド ハズシテ イイヨ』
『分かりました。ほら、ハムサスも。あそこにコノ村が見えるよ』
ハムサスは震える手で苦労して安全バンドを外すと、風防に顔を押し付けるようにして、ベアータの指差す先を見た。
抜けるような青空に白く浮かんだ入道雲は、地上から見上げる空とさほど大きな変わりは無かった。
ちなみに入道雲――積乱雲の雲底の高度は二千メートル。
ハヤテの現在の高度、千五百メートルよりは若干上になる。
『あれがコノ村?』
ポツンと見える小さな村。もちろんコノ村が小さな漁村であるのは間違いない。
しかし、空の上から見た村は、まるで子供の並べた積み木細工のように見えた。
『あっちに見えるのはポルペツカの町だね。ハムサスはコノ村に来る前はポルペツカにいたんだっけ?』
ハムサスがポルペツカにいたのはほんのニ三日。今ではコノ村で過ごした時間の方がずっと長くなっている。
そんな馴染みのないポルペツカを、自分は今、空の上から見下ろしている。
この不思議な感覚にハムサスは思考力を奪われ、呆けたようにぼんやりと眼下の光景を見下ろしていた。
『オウト ムカウ』
『あっはい! お願いしますねハヤテ様!』
やがてハヤテは機首を王都の方角に向けると直線飛行に移った。
『さあ、今日は忙しくなるよ! ハムサスにも頑張って貰うからね!』
『は、はい!』
ベアータの声にハムサスはハッと意識を切り替えた。
そうだ。今日はご当主様の大事な招宴会の料理を作らなければならないのだ。
彼が担当しているのは”ドラゴン・カクテル”。
ハヤテがどこからともなく手に入れて来た”火酒”を使った新しいメニューだ。
ベアータは厨房の責任者として料理を作る予定だが、カクテルの責任者はハムサスに決まっている。
いつまでも浮かれていてはベアータ料理長に怒鳴られてしまう。
ハムサスは気を引き締めるのだった。
しかし、それも王都に到着するまで。
空の上から見下ろす王都の景色に彼の心は奪われ、結局ベアータに怒鳴られてしまうのだった。
次回「来客者達」