その16 踊らされる者達
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ここは王都の貴族街。貴族の屋敷が立ち並ぶその中で、桁外れに広大な敷地面積を誇る屋敷がある。
上士位筆頭、ネライ家の屋敷である。
王都のネライ屋敷は、広大な敷地面積の中に四軒の大きな家が立ち並んでいる。
屋敷の者達はそれぞれの建物を、中央の物を母屋、東の物を東屋、西の物を西屋、そして来客用に建てられた北の建物を北屋と呼んでいた。
その北屋の執務室では、気難しい顔をした初老の男が報告書に目を通している。
白髪、白髭、長身。見るからに貴族然としたこの男こそ、ネライ家当主ロマオ・ネライである。
ロマオの眉間には深いしわが刻まれている。とはいっても、報告書に何か不満な点がある訳ではない。
彼は普段からこういう顔なのだ。
コンコンコン。
「入れ」
ロマオは間髪入れずに応えた。
今のノックの音だけで誰が来たのかは分かっている。幼少以来、長年の付き合いだ。
「失礼致します」
部屋の入り口で慇懃に頭を下げるのは、こちらも白髪白髭の男。
二人が並んで立てば、兄弟と見間違いそうなほどよく似た雰囲気を持っている。
ロマオの腹心の部下、王都ネライ屋敷の執事である。
「母屋の若様がご面会をご希望しておられます。王都に到着されてからもう五日。いい加減にお会いになられてはいかがでしょうか?」
現ネライ家当主のロマオが、中央の母屋ではなく、来客用の北屋に宿泊しているのには特に理由は無い。
息子のアマラオが、昔からずっと母屋に住んでいるため、自分は北屋に入っただけである。
そう。アマラオが三十代半ばにもなって当主の座についていないのは、彼が幼少の頃から王都に住んでいて、一度も領地の経営を行った事がないためである。
おそらくロマオに代わってネライ家当主の座を継ぐのはアマラオの息子、ロマオの孫のエリックになるだろう。
エリックは今年成人したばかりの十代半ば。現在は領地でロマオの下で領主の仕事と帝王学を学んでいる。
ちなみに孫は今回の旅には同行させずに領地に残している。
「――もう五日も経つか。それにしてもいい年をして、父親の顔を見たいもないものだろう」
「ご当主様。若様のお立場もお察し下さい。口さがない者達がご当主様が若様を避けているなどと、ありもしない噂を広めるやもしれませんので」
ロマオは心底うんざりした顔で、書類を机に置いた。
「相変わらず王都は小人共の巣くう魔窟らしい。お前には苦労をかけるな」
「いえ。私など、若様のご苦労に比べれば」
ロマオは長子アマラオが王都で困らないように、自分にとって最も信頼のおける部下――乳兄弟として共に育った、この男を執事として屋敷に残していた。
二人が兄弟のように似ているのも当たり前。彼らは血を分けた実の兄弟よりも同じ時間を長く過ごした、義兄弟とも呼んでいい間柄なのである。
「分かった。今夜の食事は母屋でアレの家族と共に摂ろう。それで良かろう?」
「ありがとうございます」
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家令が母屋に戻ると、屋敷の玄関ホールを一人の男が落ち着きなくウロウロと歩き回っていた。
ややふっくらとした中年男性だ。運動不足気味なのか、体の線は緩んでだらしなく、着飾った服からのぞく手や顔は生白かった。
いかにも有閑貴族らしい貴族、と言って通じるだろうか?
彼こそがこの屋敷の主人、当主ロマオの息子アマラオであった。
アマラオは家令の姿を見付けると、慌てて駆け寄って来た。
「若様。お部屋で待っておられるよう「それで、父上は何と言っていた?!」
執事の言葉はアマラオに遮られた。
余程気が急いているのだろう。アマラオは今にも掴みかかりそうな勢いで家令に詰め寄っている。
「ご当主様は、今晩の夕食は母屋で若君とご一緒されると申しておられました」
「? そ、そうか。それは良かった。――そ、それよりもナカジマ家の招宴会だ! 父上は私を連れて行ってくれるのか?! どう言っていた?!」
どうやら親子の面会の件は、執事が当主に会うために考えた口実だったようだ。
アマラオが気にしていたのは、最近王都で話題をさらっているナカジマ家の招宴会。その出席案内についてであった。
「ま、まさか、出席しないなどとは言わなかっただろうな?」
「いえ。ご当主様も奥方様を連れて出席なさるご予定だそうです。ご希望されるのであれば、若様と奥様も共にとおっしゃっておられました」
「そ、そうか! 私も出席して良いと言ったのか! そうかそうか!」
アマラオは心配そうな顔から一転、喜びに顔をほころばせると、文字通り小躍りして喜んだ。
先日、関係各所に送られたナカジマ家が主催する招宴会の出席案内。
それだけなら何も珍しいものではない。現在貴族街では毎日のようにどこかしらの屋敷で、客を招いてパーティーを開いているからである。
ナカジマ家という小上士位の領主の主催する招宴会。
それは上士位の領主の開く招宴会よりも格下で、下士位の貴族の開く招宴会よりは格が上。
あえて注目すべき点を挙げるのであれば、王都でも最大手のトラバルト商会が協力している所くらいだろうか?
本来であれば、ナカジマ家の招宴会は、その程度の注目しか集めないはずであった。
しかし、ナカジマ家から案内が出されるやいなや、一躍、この招宴会は王都中の商会と貴族の注目を集める事になったのである。
その原因は第一にティトゥの知名度が上げられる。
ナカジマ家はただの小上士位の領主ではない。
その当主は、この国で初の女性領主となったティトゥ・ナカジマ。
いや、彼女は王都ではもっぱら別の名前で呼ばれている。
――そう。”姫 竜 騎 士”と。
姫 竜 騎 士と、彼女の騎竜、ドラゴン・ハヤテの人気は凄まじく、町を歩けば必ず二人の名前を耳にせずにはいられない程である。
曰く、帝国の大軍を退けた無敵のドラゴン。
曰く、最強のドラゴンを駆り、天翔ける美貌の乙女。
そんな姫 竜 騎 士が主催する招宴会というだけで、世間の注目を集めるには十分過ぎた。
しかしここから更に、ある噂が拍車をかける事になる。
そう。それが第二の理由。
王都でも売り切れ続出のドラゴンメニュー。
人気のあまり、類似商品が出まくりのあのメニューが、実は真っ赤なニセモノだというのだ。
そして本物のドラゴンメニューは、ナカジマ家の料理人だけが作れるという。(実際はティトゥの実家マチェイ家の料理人が作り出したものなのだが)
ドラゴンメニューの試食を行った各商会の担当者は、全員声を揃えてその味を絶賛したそうだ。
そして、ナカジマ家が主催する招宴会には、その本物のドラゴンメニューが振る舞われるという。
嘘か本当か、その話が王城に伝わるや否や、新国王カミルバルト夫妻も参加を決意したという。
なんでも二人の娘ユーリエが、「ドラゴンメニューを食べたい!」と父親であるカミルバルトにねだったからだとか。
もしもこの噂が本当であれば大ニュースである。
一介の領主のパーティーに、国王夫妻が参加する事など、普通に考えればあり得ない。
だがそれも相手が竜 騎 士なら話は別だ。
昨年年末。竜 騎 士は帝国遠征軍との新年戦争で大きな活躍をしている。
そして昨年春の隣国ゾルタとの戦いでも、二人がカミルバルトの部下として参戦していたのは有名な話だ。
そんなナカジマ家の主催する招宴会なら、国王が玉体を運んでも不思議はないのではないだろうか?
事ここに至り、日頃はティトゥを成り上がりの女領主と蔑んでいた貴族達も目の色を変えた。
彼らはクルリと手のひらを反すと、ナカジマ家の屋敷にご機嫌伺いに殺到した。
新国王が参加するようなパーティーに参加出来なければ、主流から外れてしまうのだ。彼らも必死であった。
とはいえ、つい先日のパーティーでは、ティトゥを露骨に見下していた者達である。彼らの面の皮の厚さには呆れたものである。
「ナカジマ家でドラゴンメニューを食べたか食べていないかで、今後の立ち回りも変わって来る。父上はずっと領地暮らしで、王城での政争には疎いからな。小上士位からの招待というだけで断るような事がなくて良かった」
「ご当主様は長年当主として政治にも長けておいでです。その辺りの機微はよく心得ておられるでしょう」
執事の指摘にアマラオは不愉快そうに眉間に皺を寄せた。
自分の信頼する部下が、自分よりも父親を評価しているように感じて不快だったのだ。
アマラオはこの歳になっても腹芸が苦手で、こうやって気分が顔に出る事も多かった。
昔からずっと王都で政争に明け暮れている、とは言っても、所詮は大貴族のボンボンなのである。
そもそも、ネライ家という圧倒的な力を背景に持つ彼は、常に周囲から顔色をうかがわれる立場にある。
そして悪意を持って彼をおとしいれようとする者がいたとしても、父親がつけてくれた執事を始めとする優秀な家臣団がそれを許さない。
あえて厳しい言い方をするのであれば、アマラオは政争に参加している気分を味わっているだけの二流のプレイヤーであった。
本人は自分の才覚で海千山千の政敵共を相手取っているつもりでいるが、実際はネライ家というこの国最強のブランドを背景に、絶対安全圏から政争遊びをしているに過ぎないのだ。
いや。王都に留まって暗躍している貴族の多くが、彼と同じように、政争ゲームに興じているタチの悪いプレイヤーなのかもしれない。
自分達は状況を最大限に利用し、他者を出し抜き、人を駒のように動かし、この国を動かしている。
領地にいては見えないモノがあり、それは国の中心であるこの王都に住んでいなければ分からない。
領地の領主は、自分の領地と寄り親と寄り子という狭い社会に閉じ込められて、まるで外が見えていない近視眼である。
アマラオ達はそう考えていた。
彼らは自身の能力を過信するあまり、自分達こそが、王都という狭い社会に閉じ込められて、まるで外が見えていない近視眼とは気付いていないのである。
昨年、過激な思想に傾倒する王都の若手貴族の一派、”文律派”が聖国のマリエッタ王女の誘拐を企んだ。
彼らには自分達が危険な政治遊びをしているという自覚は無かった。
そして現在。この国ではカミルバルト新国王と一部の領主貴族の間の対立が表面化しつつある。
しかしその裏では、王都しか知らない王都貴族と、領地に住む領地貴族の間にも大きな歪みが発生しつつあるのだった。
次回「新国王参列」