その10 確かな手応え
コノ村に帰って来た僕は、ミールキットの責任者、メイドのベネッセおばさんから話を聞いていた。
『”料理てきすと”の原本は大体出来ています。後は細かい修正をしてから書き写す作業になります』
『ハヤテ様に教えてもらった”まんが”のおかげだね』
料理人のベアータとベネッセさんの二人が、協力して作ったこの世界初の”料理テキスト”。
とはいえ、この世界ではまだまだ平民の識字率が低い。
折角の料理テキストも、料理人が文字を読めなければ、伝わるものも伝わらない。
そこで僕は、”漫画”を使ってみたらどうだろう、と二人に勧めてみたのだ。
ちなみに”漫画”といっても、漫画雑誌に載っているようなストーリー仕立てのものではない。
いわゆる”漫画絵”。デフォルメされたイラストの事である。
僕は使用人の中でも絵心のある者に、漫画絵の概念といくつかの記号とルール(物が動いた事を表す矢印。実線と点線の使い分け。時間経過を表す時計の針、正しい事にマル、間違いにバッテン等)を教え、二人に協力してくれるようにお願いした。
彼は僕の説明に理解を示すと同時に、『なんでこんな簡単な事に、今まで誰も気が付かなかったんだ!』と衝撃を受けていた。
『ア ソウ』
『あ、そうって?! これってスゴイ事じゃないですか! こんなに簡単な絵だけで、誰が見ても分かるように説明されているんですよ! しかも誰が見ても間違い様のない形で、です! これは全く新しい画期的な説明方法ですよ!』
興奮する彼の言葉はいささか大袈裟だが、言わんとする事は、まあ分からないではない。
つまり彼は”百聞は一見に如かず”と言いたい訳だ。
どうやらこの世界では教会の宗教画のような写実的な絵はあっても、デフォルメされたイラストは存在していなかったらしい。
あるいは、あったとしても、まだ地球のように洗練されてはいなかったのか。
何はともあれ。彼が理解してくれたおかげで料理テキストの作成がはかどったのは間違いないだろう。
『いやいや、そんなに簡単に片づけていい問題じゃないですから! この”まんが”はこの世界の絵画を、いや、歴史を変える程凄い物ですから! ハヤテ様! もっと私に”まんが”の事を教えて下さい! ”まんが”の神髄を私に!』
・・・うん。しばらくの間僕は、すっかり頭に血が上った彼に付きまとわれて困ったけどね。
彼は最後はティトゥに怒られて、肩を落としながら自分の仕事に戻って行った。
けど、あの熱意があれば、いずれこの世界で”漫画の神様”と呼ばれるようになるかもしれない。
その時には僕からとっておきの名字、”手塚”を送るとしよう。
さて、すっかり話が逸れてしまった。
そうそう、ミールキットの話をしていたんだっけ。
『それでハヤテ様は、何人前の料理をご希望なんでしょうか?』
元々、ミールキットは、ナカジマ領に全部で八か所ある各村に、騎士団員の人数分のドラゴンメニューを届ける予定で考えていた。
とはいえ、毎日ベアータ達だけでそれだけの数の料理を作るのは大変だ。
そこで今では、順番に日替わりで各村に送り届ける計画になっている。つまりは八日で八か所全てが一周するという訳だ。
う~ん。そうだねえ。
パーティーは領主の貴族達が屋敷の食堂のテーブルで。下士位の貴族達が大広間で立食形式で。下士位の貴族の中でも下の方の人達と王都の商会長達が庭でこれまた立食で、という形になるようだ。
ひとまず必要なのは領主とその家族の分かな。
多分、当主と彼の奥さん。後、ひょっとしたら彼らの子供が二~三人。あっ。それとティトゥの分だね。
大広間の分は適当でいいかな。全部ドラゴンメニューにしていたらベアータも大変だし、目玉の何品か以外は向こうの料理人にお任せで作ってもらおう。
庭の分はおまけ程度に考えてもらえばいいかな。
要はお客さんに、「これがナカジマ領のドラゴンメニューです」と紹介したいだけだから。
横で僕達の話を聞いていた、代官のオットーが頷いた。
あ。いたんだオットー。
『・・・いましたが何か? ゴホン。でしたらそれほどの品数は必要なさそうですね。そもそもパーティーでは、来客のみなさんはあまり料理を食べないんです』
えっ?
ちょっと待って。それってどういう事?
オットーが言うには、パーティーのドレスや礼服は、体型にピッタリ合わせたオーダーメイドということもあって、体を強く圧迫するんだそうだ。
物を飲み食いするどころか、人によっては締め付けで呼吸にも不自由するらしい。
そんな状態では食事が喉を通るはずもなく、パーティーの料理というのは美味しいからと言ってドカ食いするような類のものではないんだそうだ。
そ、そうなんだ。全然知らなかった。
あ~、だったらドラゴンメニューを用意してもあまり意味が無いのか。これは失敗だったなあ。
どうやら僕の計画は根本から見直さなければいけないらしい。
う~む。一体どうしたものか・・・。
『あ、いえ。そういった方が多いというだけで、普通に料理やお酒を楽しまれる方もいらっしゃいますよ。あの、ハヤテ様、聞いてますか?』
何? オットー。料理やお酒が何だって?
って、そうだ! お酒!
お酒の事をすっかり忘れてた! ハンサム! じゃなかったハムサス! ハムサスはいずこ?!
『あっはい。なんでしょうか、ハヤテ様』
僕の呼びかけにベアータの新弟子、ハムサスが慌てて返事をした。
どうやらハムサスは、言葉を喋る謎生物にどう接すれば良いか分からないようだ。
おっかなびっくり、やや腰の引けた感じで僕の前にやって来た。
『オサケ オシエテ』
『お酒ですか? それは貴族様のパーティーで飲まれるお酒の銘柄でしょうか? あの、私が働いていたのは普通の料理屋だったので、そういったモノは・・・』
違う違う。僕が聞きたいのはこの世界の一般的なお酒事情だ。
この世界のお酒の常識、と言い換えてもいい。
僕はハムサスに、店に出していたお酒、庶民が家で飲むお酒、その種類と飲み方を尋ねた。
ハムサスは最初は戸惑った様子だったが、元々、頭の回転の良い方なのだろう。
すぐに僕の聞きたい事を理解すると、お酒に関する知識を色々と披露してくれた。
『こちらは冬は温めて飲む事が多いですが、夏だからと言って冷やす事はないですね。あっ。貴族様のお屋敷では地下室にお酒を保存してあって、そこから出したお酒は夏でも冷えていると聞いた事があります』
――ふむふむ、なるほど。これは思っていたよりも有効な情報が集まったぞ。
ドラゴンメニューの方は空振りっぽいけど、お酒の方はいけそうだ。
よし。ならばこちらをメインにする形で頭を切り替えていこうか。
『あの、ハヤテ様。料理を楽しまれる方もいると――あの、ハヤテ様』
うるさいなオットー。今、考えている所なんだから、邪魔しないでくれるかな。
『ハムサス オサケ アジ』
『お酒の味? 私にお酒の味の良し悪しの見分けがつくか? という意味でしょうか?』
『ソウ』
『ええと、どうでしょう。一応、そっちの仕入れもやっていたので、売れ筋の味くらいは分かるつもりでいますが』
マジで?! 人気のあるお酒の味が分かるって?!
おいおい! なんだよハムサス!
これ以上無い程、今の僕にうってつけの人材じゃないか!
いいだろう! 気に入った! ウチの娘をお前の嫁にやろう!
さて、そうと決まれば善は急げ。次の目的地に急がないとね。
『カーチャ! カーチャ!』
『あ、はい! どうしたんですかハヤテ様!』
「「ギャウー! ギャウー!(パパ! パパ!)」」
どうやらファル子達はまた海辺で遊んでいたようだ。
さっきメイドさん達に拭いてもらったばかりなのに、お腹が砂で白く汚れている。
『ノル トブ』
『ええっ?! もう帰るんですか?! ちょ、ちょっと待って下さい!』
カーチャは布を用意すると慌ててファル子達を拭き始めた。
「ギャウー! ギャウー!(パパ! お空飛ぶ! お空!)」
『ファルコ様! 落ち着いて下さい! まだ砂で汚れてますから!』
「キュウキュウー(カーチャ姉、お腹空いた)」
カーチャは足元にすり寄って来るハヤブサに歩き辛そうにしながら、はしゃぎ回るファル子を懸命に捕まえようとしている。
いつもうちの子が迷惑をかけてゴメンね。
『・・・あの、料理長。さっきから気になっていたんですがあの生き物って』
『あれ? ハムサスは知らなかったっけ? ハヤテ様の子供のファルコ様とハヤブサ様だよ』
『えっ?! だって全然似てな・・・ゴ、ゴホン。そ、そうなんですか』
そしてハムサスはファル子達が僕の子供だと知って驚いているようだ。
まあ、全然姿が違うからね。気持ちは分かるよ。
『大人になって”進化”したら、ハヤテ様と同じ姿になるんだって』
『そうなんですか。ドラゴンとは不思議な生き物ですね』
「ティイイイイトゥウウウウウ!!」
ちょっとティトゥ! 僕、あの時言ったよね! 進化はドラゴンの秘密だから誰にも言わないでね、って!!
なのになぜ、僕が気の迷いで生み出した中二設定をベアータが知っているわけ?!
僕の黒歴史を、勝手に知り合いに拡散しないで欲しいんだけどーっ!!
最後に予想外の角度から精神的ダメージを負ってしまったものの、僕は確かな手ごたえを感じつつ、次なる目的地を目指すのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
夏の青空に、ハヤテの姿が次第に小さくなっていく。
代官のオットーはベアータに振り返った。
『それでベアータ。さっきのハヤテ様の話、ミールキットの件だが――』
『あっはい。この間のテスト・マーケティングの時と同じくらいでいいでしょうか?』
『いや。お前の可能な限り、最大の量で準備して欲しい』
『えっ? でも、それだとハヤテ様の話と違ってしまうんじゃ・・・』
オットーは頭痛を堪えるように目頭を揉んだ。
『どうにもイヤな予感がして仕方がない。ハヤテ様はいつも俺達の想像の斜め上を行く。十分に備えるに越したことはないだろう』
『はあ、そうなんですか?』
ベアータは少し戸惑った様子だったが、それ以上深く考える事も無く『分かりました』と答えた。
二人の会話を聞いていたハムサスは、『(それでいいのか?)』と驚いたが、彼からは特に何も言う事は無かった。
後にこの時のオットーの予感は見事に的中する事になるのだが、当の本人は『的中しても何も嬉しくない』と憮然とするのであった。
次回「何も聞かずにお願い」