その9 ベアータの弟子
僕はメイド少女カーチャを連れてコノ村へと舞い戻った。
ちなみにその理由は、今カーチャが説明してくれている通りだ。
『ご当主様のパーティーに、アタシのドラゴンメニューを出すんですか?!』
ナカジマ家の小さな料理人、ベアータが驚きの声を上げた。
そういう事。それでどうかな? 頼まれてくれないかな?
『それは・・・。名誉な事ですが、アタシだけではちょっと』
パーティーには上士位の当主と、下士位の貴族家当主、それに王都の大手商会の商会長も招待される。
それだけの人数に出す料理ともなれば、ベアータだけでは手が足りないのだろう。
『ハヤテ様がアタシの腕前を認めてくれているのは、正直言って嬉しいんですが、料理人として自分の手に余る仕事を請け負う事は出来ません』
ベアータは、申し訳なさそうに僕の話を断った。
彼女は一見、小学生か中学生のような見た目だが、お婆ちゃん仕込みの料理の腕一本であちこちの店を渡り歩いた事もある、生粋の仕事人だ。
いたずらな功名心や甘い見通しで、自分の能力を超えた仕事を引き受ければ、結果として周囲に迷惑をかけてしまうと知っているのだろう。
彼女の心配も良く分かる。
けど、今回に限っては裏技というか、抜け道があるんだよね。
『ミールキット』
『あっ! そうか! ドラゴンミールキットなら!』
そう。先日、トマスとアネタの兄妹の実家、隣国ゾルタのオルサーク男爵家でテスト・マーケティングを終えた、ミールキット。
元々、騎士団の料理を想定していた料理キットなら、パーティーの大人数にも対応出来るんじゃないだろうか。
『・・・それは確かに。ちょっと待ってください。ハムサス! ベネッセを呼んで来て! 裏の畑にいると思うから!』
『はっ、はい!』
ベアータの新弟子、ハンサム青年ハムサスは、大慌てで家の裏まで走って行った。
ちなみにベネッセはオルサーク家で行ったテスト・マーケティングでも活躍した、メイドのおばさんである。
今はミールキットの責任者として、ベアータに協力して貰っている。
それはさておき。
『ハムサス ドウ?』
『ハムサスですか? 料理人としての腕ですか? 結構筋は良いですよ。素直なのがいいですね。ホラ、アタシは見た目がこんなじゃないですか。だからどこに行っても、大抵男にナメられがちなんですよ。けど、ハムサスはそういうのがないですから。あの子はきっと伸びますよ』
むむっ。惚気か? あ、いや。ハムサスがハンサム青年だからどうしても色眼鏡で見てしまうな。
ベアータは彼の人柄と腕前をかなり評価しているようだ。偏見なく彼女を料理長として敬う姿勢が良いらしい。
なる程。それは確かに、将来有望そうだ。
それはそうと、どう見ても彼の方が年上なのに、「あの子」と呼ぶのはどうなんだろうね。
ハムサスは元々は王都の大きな料理店で働いていたそうだ。
その店は料理人の数が多かった事もあって、厨房は年功序列の完全縦社会だった。
一番若い彼はずっと下っ端扱いで、つまらない仕事や雑用ばかりしか任せてもらえず、その上お給料も雀の涙だったそうである。
そんな彼を心配した二つ年上の姉から連絡があった。
姉は商人に嫁いでいたが、夫婦は昨年からナカジマ領唯一の町、ポルペツカに移り住んでいたのだ。
姉は弟に、あなたもこの町で働いたらどうか? と提案した。
「無理だよ姉さん。今の仕事では生活していくのもカツカツなんだ。引っ越し資金なんてどこにあるんだよ」
「だからよ。いつまでもそんな生活を続けている訳にはいかないでしょう? あなただって、そろそろ奥さんを見つけないといけないんだから。大丈夫。こっちでいい働き口が見付かるように私が夫に頼んであげるから」
姉の言う事にも一理ある。このままでは、いつまでも下っ端として安い給料でこき使われるだけである。
それに近頃、ポルペツカの町は王都からも多くの人が流れ込み、手に職があれば仕事に困る事は無いらしい。
ハムサスは一念発起、今の店を辞めて、姉の言葉を頼りにポルペツカへ移り住む事を決意した。
さて、その道中。とある食べ物との出会いが、彼の運命を変えるきっかけとなる。
それは現在、コノ村を中心としてポルペツカ近辺まで、あちこちの畑で作られている赤い野菜。
そう。トマトである。
ハムサスは料理人として、この見慣れない赤い実に興味を引かれた。
ちなみにこの国では、今までトマトは主に貴族の庭で観賞用として育てられていただけで、その実を食べる習慣は無かったそうだ。
彼はトマトを栽培している農家の人に尋ねた。
「こんなに沢山育てていますが、この実ってそんなに美味しいんですか?」
農家の男は苦笑した。
「いいや、美味しくはないね。とは言っても、この辺の土地は痩せているからロクに作物が実らないんだよ。けど、コイツなら植えっぱなしでも育つからね。それにこの実はご領主様の所で買い取ってくれるんだよ。おかげで俺達もどうにか食べていけるって訳さ。本当にありがたい話だよ」
男は「領主様がネライ様からナカジマ様に変わって、俺達の生活も随分と楽になったよ」と言って笑ったそうだ。
ちなみに地球でのトマトの原産地は南米アンデス山脈。元々、トマトは水はけのよい痩せた土地に生えていた植物だったそうである。
ナカジマ領はその領地のほとんどが湿地帯で占められている。とはいえ、湿地帯を外れれば、そのほとんどは痩せて乾いた土地である。
ある意味、トマトくらいしかまともに育たないのだ。
収穫されたトマトはナカジマ家が積極的に買い取るとあって、現在、コノ村の近辺ではちょっとしたトマト栽培ブームが起きていた。
以前、ベアータが僕にトマト料理を聞きに来たのは、大量生産されたトマトの使い道に困っているという側面もあったのだ。
「そうなんですか? 美味しくないのに、なぜ領主様は沢山買い取っているんでしょうか」
「さて? 俺達は領主様の所のドラゴンの好物なんじゃないかと噂しているが・・・領主様ご自身も料理されたものを召し上がっているという話だな」
品種改良のされていないこの国のトマトは、そのまま食べても美味しくない。――らしい。僕が食べた訳じゃないから良く分からないけど。
しかし、料理の食材として使うなら別だ。
トマトにはグルタミン酸等のうま味成分が豊富に含まれている。
ほぼトマトで作られたトマトケチャップが優秀な調味料である事からも、いかにトマトのうま味が強いかが分かってもらえると思う。
ハムサスは領主がこの実をどう食べているのか、純粋に料理人として興味が湧いた。
彼は農家の人に頼んでトマトをいくつか譲ってもらった。
ハムサスはポルペツカの町で安い宿を借りると、早速、厨房でトマトを料理してみた。
「別に不味い訳じゃない・・・。けど、貴族の食卓に出される料理とも思えないな」
しかし、出来上がった料理は微妙なものだったらしい。
ハムサスはガッカリすると共に、領主の料理人がこのトマトをどう料理しているのか気になって仕方が無かった。
「・・・いや。相手は貴族の料理を作る料理人だ。きっと僕達平民には想像も付かないような、代々伝わる秘伝のレシピがあるんだろう」
ハムサスはそう考えて、その時は仕方なく諦めた。
翌日、彼は姉と姉の夫となる商人の下を尋ねた。
まずはこの町での働き口を探さなければならない。
しかし、そこで彼は信じられない話を聞かされたのだ。
「いや。ご領主様の所の料理人は、平民の女の子と聞いているぞ。なんでもご領主様の料理人になるまでは、あちこちの町で料理の修行に明け暮れていたとか」
「平民?! 私と同じ平民から領主様のお屋敷に雇われたって言うんですか?!」
商人はハムサスの言葉に、「お屋敷? おお、うむ」と微妙な表情を浮かべたが、ハムサスはこの時は彼の態度に気が付かなかった。
後に彼がコノ村を訪れた時、ティトゥの屋敷――という名の漁村の家を見て、この時の商人の反応を思い出して納得する事になる。
「そうだ。そんなに気になるなら、一度ご領主様の所へ行ってみるかい? 丁度、使用人を募集しているそうだから」
「! 是非!」
ハムサスは商人からポルペツカの普請役、スターレクを紹介された。
スターレクは、ティトゥが領主としてポルペツカに来た時、最初に揉めた商工ギルドで一番の若手の役員だった男である。
今はポルペツカで、開拓用の工事作業員の手配を一手に引き受けてもらっている。
後日、ハムサスはコノ村を訪れ、ベアータと面会した。
そこで彼はベアータがドラゴンメニューの第一人者である事を知ると共に、王都で絶賛流行のドラゴンメニュー(偽)がまるでデタラメである事を知った。
「あの、ご当主様はトマト料理を召し上がるそうですが・・・」
「う~ん。どの料理の話をしているのかな? トマトを使う料理はドラゴンメニューにいくつもあるからね」
ベアータの料理の話に大きな衝撃を受けた彼は、じっとしていられなくなった。
彼はここで働かせて貰えるように、ベアータに強く頼み込んだ。
丁度、人手が欲しかったベアータは彼の熱意にほだされて承諾。
こうしてハムサスはベアータの弟子になったのだった。
ふむふむ、なるほど。ベアータも女の子。きっとイケメンに頼まれて袖には出来なかったんだな。
『ハヤテ様? アタシがどうかしましたか?』
『ナンデモ アリマセンワ』
『? そうですか? ハムサスはお酒にも詳しいですからね。前の店で仕入れをやらされていた関係らしいですが。アタシはお酒は飲まないんで早速助かっています』
ん? お酒?
ちょ、ちょっと待った! お酒だって?!
待って、ベアータ! 今の話をもう少し詳しく!
これぞ正しく棚から牡丹餅!
まさか僕が考えていた人材がこんな形で見つかるなんて!
『は? あの・・・どうしたんですかハヤテ様、そんなに慌てて。あっ! ハムサスが戻って来ました! 気になる事があるなら本人から直接聞けばいいんじゃないですか?』
『えっ、はい? あの、私が何か?』
突然、師匠から話を振られて驚くハムサス。
彼の後ろにはベネッセさんが、軽く息を切らせながらこっちを見ている。
呼ばれたから急いでやって来たのに、全然違う話になっているので戸惑っているようだ。
「ギャウー! ギャウー!(カーチャ姉! お水! お水頂戴!)」
『ファルコ様! ハヤブサ様! お二人共砂だらけじゃないですか!』
そしてさっきから全然ファル子達の姿を見ないと思ったら、どうやら海で泳いでいたらしい。
二人は全身砂だらけの真っ白になった体で、カーチャのスカートに飛びついている。
『あの、僕が何か?』
『私に話があると聞いて来たんですが、ひょっとしてミールキットの話でしょうか?』
『そうそうベネッセ。あなたに任せていた料理テキストだけど』
「「ギャウー! ギャウー!(お水! お水!)」」
『誰かファルコ様達を拭いてあげて下さい! 私が捕まえていますから!』
ああもう、何これ。
全員が一度に喋るから収拾が付かないんだけど。
いいからみんな一度落ち着こう。
順番に。順番にね。
次回「確かな手応え」