その12 空中機動《エア・マニューバ》
君がッ 泣くまで 殴るのをやめないッ!
とあるイギリス紳士の有名な言葉である。
僕の身体は約一ケ月ぶりに異世界の空を舞った。
乗っているのはティトゥではなく、元第四王子のパンチラだ。
さっきまで調子に乗ってあちこち触りまくっていた。
精密機械を乱暴に弄り回されて、正直かなりイラついた。コイツは僕を苛立たせる天才だな。
『お・・・おい、どこまで上がるんだ?』
飛んだ瞬間はあの日のティトゥばりにはしゃいでいたパンチラだが、今は不安に目が泳いでいる。
当然だ。僕は全力でほぼ垂直に、ひたすら上り続けているんだから。
ん? パンチラが頭の痛みをこらえているようだ。
おそらく高山病だな。
空気の薄い高山に上ると起こる症状だ。体が酸欠状態に陥ることでおこる。
今は・・・ふむ、高度二千五百mか。
このくらいの高度に上がると人間は高山病に陥る、と。
よし、覚えておこう。
さあ、次の実験だ。
今日はティトゥを乗せていたら絶対にできないことを色々と試してやる。
光栄に思え、お前は僕の実験動物だ!
僕は垂直上昇からエンジンを徐々に絞っていった。
突然の失速に頭痛をこらえながらも不安に身をよじるパンチラ。
ついに上昇速度がゼロになると・・・カクン!
機体は重力に捉えられ、機首を天に向けたまま後ろ向きに自然落下を始めた。
空 中 機 動・テールスライドだ。
『ぎゃああああああああ!!』
絶叫マシンばりのフリーフォールにパンチラも大絶叫だ。
ははははっ。そんなに喜んでもらえるとは光栄だよ。
だがお楽しみはこれからだよ?
機首を下に向け、ギリギリまで速度を上げてから大きく宙返り。
基本の動きだけど、キレイに真っすぐ回るのは結構テクニックがいるんだぞ。
レシプロ機はプロペラの回転による横向きの反トルクもかかるしね。
それとブラックアウトには気を付けよう。
ブラックアウトとは体に対して下向きにGがかかり、脳に血液がいかなくなって視界を失う症状の事だ。
そのまま失神しちゃうと命にかかわるそうだ。
まあこの機体は僕が操縦しているからお前は自由に失神してくれ。
もちろんそうなったら叩き起こすけどね。
とか言ってる間に、よし、これはなかなか良いループ。
さあ、後何回、回れるかな?
いーち、にーい、さーん
『ぎゃあああああああ!!』
続いて一旦高度を取ってからのバレルロール。
これは飛行機のゲームで最初によくやる動きだよね。
機体をどちらかに傾けながら空中をグルグル回るあの動きだ。
上級者は空中に仮想の樽の胴を想定して、その周りをいかに外さずに回れるかを狙う。
今日の僕は綺麗な輪を描けるかな?
そーれ、それそれ。
おや、パンチラさん、首がスゴイ方向に曲がってますよ、首筋を痛めないように気を付けて下さいね。
さー、乗ってきたぞー、はいっはいっはいっ。
おっと、高度が落ちてきた、再び垂直上昇入りまーす。
かーらーのー、ハンマーヘッドターン!
今度は機首を下に向けてのダイビーング。
『ぎゃああああああ!!』
おおっ。やはりパンチラさんはフリーフォール系の絶叫マシンがお好みのようですね。
非常にリアクションが良い! グッド!
さあ、乗ってきたぞ、次は大きくループしながらのー、ひねりを入れながら上昇しーのー、よし、ここでターン。
空中に見事にSの字を描いたぞ、ここから急降下しながら逆にひねれば、空中に描かれたのは綺麗な8の字。
キューバンエイトである。
いや、垂直方向だからバーティカル・キューバンエイトだ。
航空祭でブルーインパルスが演じてた動画を思い出して、見よう見まねでやったとは思えない出来だ。
パイロットのパンチラもさぞ誇らしいことでしょう。
パンチラ何もやってないけどね。
あ、いつものことだった。ゲラゲラゲラ。
おや、パンチラさん、静かになりましたな。
あなたのリアクションが僕の気持ちを盛り上げるスパイスなんですよ。
ほらほら、もっとシャウトしようぜ。
頑張れ頑張れできるできる絶対できる頑張れもっとやれるってやれる気持ちの問題だ。
『お・・・下ろせ!』
!!
パンチラが気力を振り絞って腰の剣を抜こうとした。
しかし、座ったままでは肘が操縦席につっかえて抜けないようだ。
パンチラは中腰になって体をひねることで剣を抜いた。
この野郎!
僕の中で昨日の夜の出来事がフラッシュバックした。
昨日黙ってパンチラの剣を受けたのは、コイツに鞭を打たれたカーチャの気持ちを少しでも分かち合うためだ。
二度も黙って受けるつもりはない!
カッと頭に血が上った僕は風防を大きく開けた。
途端に操縦席に気流が流れ込んだ。
風にはためくパンチラの服。
・・・イヤな表現だな。
さらに僕は機体をひねり、背面飛行へと移る。
中腰のパンチラは逆さまになった操縦席から落ちそうになり、悲鳴を上げながら必死にイスにしがみ付いた。
パンチラの手を離れた剣が回転しながら落下。空のかなたへと飛ばされていく。
って、おい、危うく尾翼に掠るところだったぞ! いい加減にしろこの野郎。
テメエもうゆるさんぞ。
僕は機体の上下を戻して風防を閉めた。
ホッとしてイスにへたり込むパンチラ。
なに、心配することはないさ。僕は最初からお前を殺すつもりはないんだから。
僕はティトゥのドラゴンということになっているから、それをやっちゃうと僕の管理者であるティトゥに迷惑がかかる。
だから命は取らない。
ただ死ぬほど怖い目にはあってもらうけどな!
◇◇◇◇◇◇◇◇
「ハヤテ・・・どうして・・・」
爆音を上げながら急上昇する機体を見つめ、ティトゥが呟いた。
信じていた者に裏切られたことで、彼女は自分の足元が崩れ去っていくような錯覚に陥っていた。
実際に自分の血の気が引く音が聞こえたようにすら思えた。
ハヤテの機体はそのまま空のかなたの小さな点になった。
「おお~っ!」
事情を何も知らない町長はのん気に歓声を上げている。
ハヤテは上を向いたまま空中にピタリと止まると、そのままの姿勢でしばらく降下。その後くるりと頭を下に向けると急降下。十分に速度を乗せると、こちらに腹を見せるように宙返り。
翼の先端から出た二本の白い線が空に大きくループを描いた。
「「「おおおおおっ!」」」
大空に描かれた綺麗な輪に、今まで微妙な表情で成り行きを見守っていた騎士団員達からも思わず歓声が上がった。
彼らは当然知らないことだが、この白い線は我々にはお馴染みの飛行機雲だ。
高速で飛ぶ飛行機の翼端は気圧が下がる、そのため大気中の飽和水蒸気量を超えた水分が凝縮して雲になるのだ。
その原理上、高空や気温の下がる冬場に発生しやすい。
今のは、たまたま条件が整ったのだろう。
ハヤテは何度も宙返りを繰り返し、また上昇したかと思えば、今度は渦を巻くように回りながら降下し始めた。
その見事な空中演舞に、町長の庭にいる全員が我を忘れて見入っていた。
いや、ティトゥだけは違った。
ハヤテの解き放たれた犬がはしゃぎまわるような姿に愕然としていた。
「なぜ・・・」
ティトゥの大きな瞳に涙が盛り上がる。
「ええっ! 何ですか、あのムチャクチャな飛び方は?!」
ティトゥが振り返ると、そこには彼女付きのメイド少女、カーチャが驚きの表情で空を見上げていた。
カーチャは、昨日のケガの薬を町の医者に調合してもらっていたため、今、それを受け取って帰ってきたところだった。
「誰がハヤテ様を怒らせたんですか?!」
「どういうことだね?」
ティトゥの父、シモンがメイドの少女に尋ねた。
涙をこらえているティトゥは、今は声を出せなかったのだ。
不穏な気配に今まで歓声をあげて上空のショーを見学していた騎士団も振り返った。
「私は一度しかハヤテ様が飛んでいる所を見ていませんが、ハヤテ様はティトゥ様を乗せている時には絶対にあんな乱暴な飛び方はしませんでした! だからきっと今は怒っているんです!」
メイドの言葉に心当たりがあったのか、その場にいる騎士団の一人が手を打った。
彼は指を大きく水平に回した。
「そういえば戦場で初めて見たときも、こんな感じでもっとゆっくり大回りで飛んでいたな。」
「それにあんなふうに宙返りなんてしなかったよな。」
言われて思い出したのか、彼の意見に同意する団員も出て来た。
彼らの言葉にティトゥはハッとした。
確かに自分が乗っている時、ハヤテは急降下はしても一度として宙返りはしなかった。
「なあ・・・。」
一人が恐る恐る言った。
「今気が付いたが、あれって乗っている人間って、ループのてっぺんで逆さになって落っこちたりしないのかな?」
その言葉に全員が衝撃を受けた。
・・・いや、まさか。でも、ありうるのかも。
何人かが咄嗟に地面に落下物を捜す視線を向け、また、何人かがティトゥに説明を求めて振り返った。
もちろんティトゥにだって分からない。
町長も騎士団の交わす不穏な言葉に、驚愕の表情を浮かべて固まっている。
先ほどまでの空中ショーを眺める楽し気な雰囲気はもはやどこにもない。
全ての人間が最悪の予想に言葉を失う中、空中で飛行機のたてる、ヴーン、ヴーン、という音だけが流れた。
ティトゥは顔を上げると、さっきとは別の意味で、ハヤテの解き放たれた犬がはしゃぎまわっているような姿を見つめるのだった。
次回「月下の誓い」




