その6 ティトゥの誤算
僕達が王都に到着してもう五日。
屋敷の生活にもすっかり慣れたものである。
と言っても、僕は一日中庭でボンヤリしているだけなんだけどね。
「ギャウー! ギャウー!(パパ! パパ! 遊んで!)」
最初はお屋敷を探検していたファル子達だが、この五日間で隅々まで探り終えたらしく、退屈して僕の所へとやって来た。
う~ん。遊んでと言われてもなあ。今はティトゥもいないし、勝手に飛ぶわけにもいかないよなあ。
現在ティトゥは屋敷にいない。
何とか家のパーティーにお呼ばれしたとか。
トラバルト商会で仕立てて貰ったドレスを着て、つい先程馬車で出かけた所だ。
ちなみにメイド少女カーチャはお留守番である。カーチャまでいなくなったらファル子達が寂しがるだろうしね。
ハヤブサが僕の主脚にすがりついて小さな翼をパタパタとたはめかせた。
「ギャウー! ギャウー!(お空! お空飛びたい!)」
「あーはいはい。ママが帰って来たらね」
貴族の集まりを苦手としているティトゥの事だ。帰って来たら、きっとストレス発散のために、僕に乗って飛びたいと言うだろう。
アダム特務官には、むやみに王都の上を飛ばないでくれと言われたけど、曲芸飛行とかしなければ大丈夫だと思う。多分。
「フウーッ! フウーッ!」
「ファルコ様! ハヤテ様に噛みついてはいけませんよ!」
僕がハヤブサに構っていると、苛立ったファル子が主脚のタイヤに噛みついて来た。
慌てて止めるメイド少女カーチャ。
こらっ、ファル子! よしなさい!
「キュゥ~(変な味)」
ほら、言わんこっちゃない。
余程ゴムの味がイヤだったのか、ファル子はしゅんとしょげ返ると情けない声を出したのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
ここは貴族街のとある区画。
ネライ家の屋敷を中心に、ネライ派閥の貴族家の屋敷が立ち並んでいる。
その中でもひと際大きな屋敷で、今日のパーティーは開かれていた。
来客を乗せた馬車が次々と屋敷の門をくぐって行く。
かなりの数の参加者だ。
それもそのはず。この屋敷の主人はネライ家の傍系――親戚筋にあたる有力な貴族である。
彼の家とよしみを結びたいと願う者は数多く、彼らはこぞって今日のパーティーに参加していた。
その時、屋敷の入り口で大きなどよめきが上がった。
「お、おい、あの立派な馬車はどこの家のものだ?」
「ひょっとして国王陛下がお見えになったんじゃないのか?」
「バカを言え。そんな事があるはずないだろう。それにあれは王家の馬車じゃない。見た事も無い紋章だ」
「王家の馬車でないなら一体誰の?」
彼らが驚くのも無理はない。
屋敷の門から現れたのは、見る者が思わずため息をこぼす程の、贅を凝らした高級馬車だったのである。
あるいは王家の者の乗る馬車ですら、この馬車と並べれば見劣りしてしまうかもしれない。
来客達のざわめきが広がる中、馬車は滑るように屋敷の前に止まった。
そんな様子をぼんやりと見ていた屋敷の使用人が、ハッと我に返ると慌てて馬車に駆け寄った。
開かれたドアから降り立ったのは、聖国風の流行のドレスで着飾った、レッドピンクの髪の若い娘だった。
人目を惹き付ける凛としたその美貌に、周囲からは「ほう・・・」とため息が漏れた。
娘は不機嫌そうな表情で軽く周囲を見回すと、来客の受付をしていた家令を見付けて声を掛けた。
「ナカジマ家当主、ティトゥ・ナカジマですわ。本日はお招きいただき感謝致しますわ」
ティトゥの言葉に、家令は少し焦りながらも恭しく頭を下げた。
「こ、これはナカジマ様。本日は当屋敷の招宴に足をお運び頂き、誠にありがとうございます」
「(はあ・・・もう帰りたいですわ)」
「? ナカジマ様?」
「何でもありませんわ。パーティーの前に少し休ませて頂いても構いませんこと?」
「はっ。おい、ナカジマ様を控えの間にご案内しなさい」
ティトゥがメイドのモニカを連れて屋敷の中に消えると、周囲からは「あれが竜 騎 士?!」「姫 竜 騎 士とはあんな若い娘だったのか?!」と驚きの声が上がった。
先程も説明したが、このパーティーの主催者は、上士位貴族家ネライ家の傍系にあたる下士位貴族である。
下士位とはいえネライ領を代表する貴族家ともなれば、例えば同じ下士位のティトゥの実家、マチェイ家などとは比べものにならない程の力を持っている。
そんな貴族家からの招待であってはティトゥも受けざるを得なかった。
というよりも、モニカから「受けるべきです」と諭されたのである。
「・・・あの、それってどうしても受けなければならないんですの?」
「はい。隣接する領地の有力貴族ですから。今後の事を考えれば、仲良くとまではいかなくとも、話し合いの余地くらいは残しておくべきでしょう」
領地が隣り合う貴族同士は、仲が悪くて当たり前。
土地に水利に領民の取り合い。それらの利害が相反する関係なのだから、仲が良くなる道理が無いのである。
とはいえ、完全に敵対するつもりもないのであれば、最低限の話し合いのパイプは確保しておくべきである。
現在開発ラッシュに沸くナカジマ領には、お隣のネライ領からも仕事を求める者達の流入が後を絶たない。
領民を奪われつつあるネライ領の貴族達からは、相当に恨まれているのは間違いない。
そもそも、近年の不作で景気の落ち込んだこの国にあって、開発景気に沸くナカジマ領はそれだけで周辺貴族からは妬みの対象になる。
無理に愛想を振りまく必要までは無いが、パーティーを断わって角を立てる必要はないだろう。
そのようにモニカに諭され、ティトゥも渋々とはいえ納得した。
そうして今日のパーティーに参加したのだったが・・・
「はあ・・・もう帰りたいですわ」
「ご当主様。お声に出ていますよ」
ティトゥのこぼしたため息に、メイドのモニカがいつもの笑みを浮かべながらダメ出しをした。
パーティーは良くある立食形式のものだった。
開始してそろそろ半時(※約一時間)。ティトゥは早くも今日、ここに来た事を後悔していた。
とはいえ、これは何もティトゥだけが悪いのではない。
このパーティーの席で、ティトゥは参加者の誰よりも大きな注目を集めていた。
一番多いのは、話題の竜 騎 士に対する物珍しがるような好奇の目。これはまだいい。
問題なのは、ネガティブな感情のこもった視線だ。
成り上がり者に対して蔑む目。
女当主に対する蔑視の目。
領民を奪われた貴族の恨みの目。
景気の良い領地に対する妬みの目。
それらべったりと心に張り付くような陰湿な負の情念。
この場で呼吸をしているだけでも、肺の中に悪意が溜まり、体の中からどす黒く染められてしまいそうである。
ティトゥは立ち込める怨嗟の念にあてられて、すっかり気分が重く沈んでしまった。
「せっかくのパーティーです。もっと楽しまれてはいかがですか?」
「これを楽しむって・・・。あなた、相当にタチが悪いですわね」
ティトゥとは真逆に、メイドのモニカは水を得た魚のように生き生きとしている。
聖国の王城で権謀術数に首までどっぷり浸かっていた彼女にとって、こんな会場など初心者向けの遊び場の感覚なのかもしれない。
「ほら。あちらにも楽しんでいる方がいらっしゃいますよ」
モニカの視線の先では、小太りの中年貴族が酒と料理に舌鼓を打っていた。
ティトゥの父の寄り親、ヴラーベル家の当主である。
彼は無能なダメ当主だが、そんな当主でもヴラーベル領の経営が破綻していないのは、歴代最高と呼ばれるほどの優秀な家臣団を抱え込んでいるためである。
本人も自分に領地を治める能力が無いと知っているので、領地経営は完全に部下に丸投げし、自分はこうして酒と美食、美女と道楽に遊び惚けているそうである。
ヴラーベル家の当主は赤ら顔を酒で真っ赤に染めて、今も心からパーティーを楽しんでいるように見える。
そんな悩みの無い顔に、ティトゥは呆れる他なかった。
「あれを見習うのは無理ですわ」
どうやら例えとして紹介するにしても極端過ぎたようである。
ティトゥにとって苦痛なだけのパーティーは、大体二刻(※約四時間)程で終わった。
多くの人間から挨拶を受け、形だけのやり取りと愛想笑いを繰り返し、誰と何を話したかなど全く覚えていない。
そんなひたすらに空虚な時間からようやく解放され、ティトゥはただただ疲労感に打ちのめされていた。
自分の馬車に乗り込み、ようやく周囲の視線から解放されると、ティトゥは大きなため息をついた。
「今日はもう何もしたくありませんわ」
モニカは「そうですね」と頷いた。
「明日はヴラーベル家当主の主催するパーティーに出席する予定になっています。明日に疲れを残さないように、今晩はゆっくり休まれた方がいいでしょう」
「・・・忘れていましたわ」
パーティーは今日だけでは終わらない。
明日も、明後日も続く。
ティトゥは目の前が暗くなる思いがした。
「もう何もかも投げ出してコノ村に帰りたいですわ」
「そうは言っても、今日はパーティーに参加しただけですからね。後日、ご自身で主催されるパーティーはもっと大変ですよ」
「――主催?」
不穏な単語に、ティトゥは凍り付いたように動きを止めた。
イヤな予感に動悸が乱れる。
ティトゥはギギギと、油の切れたロボットのような動きでモニカへと振り返った。
「勿論ナカジマ家の主催するパーティーです。下士位の貴族ですらこうしてお客を呼んでパーティーを開催するのです。小上士位のナカジマ家がやらないわけにはいきませんよね」
モニカは「代官のオットー様からもそのための許可を頂いております」とも言っていたが、ティトゥはモニカの言葉を最後まで聞いてはいなかった。
パーティーを主催する? 自分が? 貴族の客を呼んで? えっ? えっ? 本当に?
「ナカジマ家のパーティーは即位式に近い日の方が良いでしょう。その頃になれば上士位の当主も全員王都に到着しているでしょうから」
実際、今日のように早めにパーティーを開くのは、下士位の貴族が多い。
上士位の貴族は、他の上士位の当主が王都に集まってから開くのだ。
ナカジマ家は小上士位とはいえ、領地を持つ領主である事を考えると、上士位の当主を集めてパーティーを開くのが順当だろう。
「広い屋敷が借りられて幸いでしたね」
モニカの説明は筋が通ったものだった。
ただし、聞かされた本人が彼女の説明を素直に受け入れられるかどうかは別の問題だった。
(無理! パーティを開くだけでも無理なのに、それも上士位の当主を集めて?! いやいや、無理! 無理無理無理無理無理! ありえないから! そんなの絶対に無理ですわーっ!!)
心の中で絶叫するティトゥを乗せ、馬車は貴族街を進むのだった。
次回「パーティーを開こう」