プロローグ 聖国の王女
お待たせしました。
第十四章を始めます。
◇◇◇◇◇◇◇◇
ここはハヤテ達のミロスラフ王国から海を渡った先にある島国、ランピーニ聖国。
聖王都の町並みを見下ろす白亜の城。
その一室では、宰相夫人が難題に頭を悩ませていた。
「それで今後ミロスラフ王国にどう対応するか決めたかい?」
「全く。厄介なタイミングで厄介な人間が即位してくれたものよね・・・」
宰相の言葉に美しい眉をひそめるのは、彼の妻であり元第一王女のカサンドラ。
彼女を悩ませているのは、ペニソラ半島の小国ミロスラフ王国、そこに誕生する新国王カミルバルトについてである。
「相手は半島の小国家だ。今までであれば、特に干渉せずに無難に付き合うのが最良の選択だったんだけどねえ」
「ダメよ。今、あの国にはハヤテがいるわ」
カサンドラはバッサリと切り捨てた。
そう。悩みの原因はミロスラフのドラゴン・ハヤテ。
昨年、突然として半島に現れたこのドラゴンは、たった一年で数々の戦果と偉業を成し遂げている。
春には国内に進軍して来た隣国の軍を退け。
夏には聖国海軍ですら手を焼いていた海賊集団を退治し。
秋には大湿地帯を焼き払い、長年国の負債となっていたペツカ地方の開発に手を付け。
冬には覇権主義大国・ミュッリュニエミ帝国の南征軍を撃破した。
さらには事実確認中ではあるが、現在進行中のチェルヌィフ王朝の内乱にも、裏で大きく関わっていたという情報もある。
こうして並べてみると冗談のような話だが、まごう事無くこれら全てがハヤテの行った事柄である。
まるで舞台劇や物語に登場する伝説のドラゴンそのままの、八面六臂の大活躍である。
このたった一匹で国家間のバランスを崩しかねない謎の超生物を、宰相夫妻は激しく警戒していた。
「ミロスラフ王国の前国王が暗愚だったからこそ、ハヤテがあの国にいても安心出来たのよ」
この冬に崩御したミロスラフ王国の前国王は、政治に興味の無い愚王として国内外に知られていた。
例えドラゴン・ハヤテがいくら人知を超越した力を持っていたとしても、その価値を理解しない、いや、理解する能力の無い為政者の下ではその真価を発揮する事は出来ない。
今まではハヤテとミロスラフ王家に距離がある状況だったからこそ、カサンドラは落ち着いて様子を見守る事が出来たのだ。
「報告では新国王カミルバルトは、どうやらハヤテの理解者のようだからね」
「――そうね。レブロン伯爵夫人も以前、”兄は何一つ見所のない軟弱者だったが、弟の方は出来が良くて骨があった”と言っていたわ。有能な為政者であり、ハヤテの力も認めている。全く、厄介な新国王が誕生してくれたものね」
ラダ・レブロン伯爵夫人は元はミロスラフ王国の王族である。
生まれの事情によって王城で過ごした期間こそ短いが、前国王の父がまだ存命だった頃の――まだ二人が王子であった時期を良く知っている。
「新国王はハヤテを利用するかな?」
「あのハヤテが易々と王家に利用されるとは思えないけど――」
「君なら?」
「どんな手を使ってでも間違いなく使うわ。・・・チッ。優秀な国王って本当にイヤよね。どの国も国王なんてボンクラを祭り上げておけばいいのよ」
舌打ちを一つ打つと、苦々しい表情で暴言を吐くカサンドラ。
宰相は苦笑すると、妻を和ませるために冗談を言った。
「だからといって、全ての国の国王が皇帝ヴラスチミルみたいだったら困るけどね」
「何それ、冗談のつもり? 全然面白くないわよ」
妻からの冷めた視線を受けて、宰相はそれ以上何も言えなくなってしまった。
皇帝ヴラスチミルはミュッリュニエミ帝国の現皇帝で、昨年の半島遠征の失敗以降も、愚かな政策を繰り返して国内を混乱させていた。
現在も帝国が破綻せずに済んでいるのは、かつて歴代随一との呼び声が高かった前宰相と、彼を重用した亡き皇帝の残した貯えがあってのものある。
しかしその遺産も、今の皇帝の愚かな行いによって、この短期間に尽き果てようとしていた。
「内に火種を抱えた帝国。もっか内乱中のチェルヌィフ。大陸の二大国家が揺れている今、小国なれどミロスラフ王国には強い国王が誕生しようとしている」
宰相は皮肉を込めてそう言ったが、ミロスラフ王国の内情を詳しく知る者がいれば全面的な同意は出来なかっただろう。
一見強固に見えるカミルバルト国王の新体制。
しかし、貴族の支持基盤を持たないカミルバルトは、既得権益層との軋轢を内に抱えているのである。
とはいえ、仮に宰相夫妻がそれを知った所で、「その程度の権力争いはどこにだってあるだろう」と思っただけかもしれないが。
カサンドラはしばらくの間黙考していたが、はたと机を手で打つと顔を上げた。
「ミロスラフ王国との関係を深めましょう」
「我々が新国王の後ろ盾になるという事だね?」
宰相に驚きは無かった。最初からそうするしかないと思っていたからだ。
ミロスラフ王国と、いや、ドラゴン・ハヤテと敵対するのは当然論外。
なにせこちらにハヤテの攻撃を防ぐ手段は無い。
何度も王城の中庭に勝手に着陸されてしまえば、王家を守る近衛兵の心も折れるというものだ。
かと言って、今後は今までのような距離を置いた付き合いも望ましくない。
新国王体制において、ハヤテを所有するミロスラフ王国がどう動くか判断が出来ないためである。
協力するにしろ反対するにしろ、相手が行動に移る前に意見が言える立場にないと、いざという時に後手を踏む事になるだろう。
半島の小国ミロスラフは、ハヤテとカミルバルト新国王の登場によって、今後の大陸を左右しかねない重要なキーパーソンとなったのだ。
この結論に優秀なカサンドラが中々到達出来なかった理由は、感情が理性の邪魔をしていたためだろう。
末の妹マリエッタ王女を溺愛するカサンドラは、王女が慕うミロスラフの竜 騎 士、ティトゥを心理的に受け入れられずにいるのである。
「そうなって来るとマコフスキー家の失墜が痛いね。あそこは代々聖国の窓口だったから」
「あんなヤツは切って当然だわ」
カサンドラは中々に辛らつだ。
マコフスキー家は長年ミロスラフ王国にあって、聖国の窓口となっていた上士位の貴族家である。
昨年、長子がマリエッタ王女をかどわかす計画に加担したとして、現在は領地で謹慎処分を受けている。
「モニカが使えればいいんだけど」
「カシーヤス嬢かい? さすがにカシーヤス家の者をあちらの王城が受け入れてはくれないだろう」
「――でしょうね。あの子もイヤがりそうだし」
モニカ・カシーヤスは、代々聖国の王城に勤めるカシーヤス家の子女である。
諜者の訓練も積んだ大変に優秀なメイドなのだが、いかんせん本人の性格がやや歪で、トラブルを好む傾向にある。
そんな独特の価値観を持つモニカにとって、何かと騒動に巻き込まれながらも(ないしは自分達で騒動を巻き起こしながらも)飄々と乗り切る竜 騎 士は、まるで憧れのスターのように思えるらしい。
現在、彼女はナカジマ領に赴いて、ティトゥにメイドとして仕えていた。
宰相は手元の資料に目を通した。
「カミルバルト新国王は今の妻を側室とすると発表した、とあるね。いずれ落ち着いたら聖国かチェルヌィフ、あるいは帝国から正妃を迎え入れるつもりだろうね」
「帝国は無いわね。あえて今、帝国と手を組むような理由は無いし、感情的にも受け入れられないでしょうから」
帝国は昨年、半島を武力制圧するために五万の軍隊を送り込んでいた。
その際にミロスラフ王国の隣国、ゾルタは滅ぼされ、王家も根絶している。
帝国軍が去って半年、ゾルタは未だ混乱の最中にある。
こんな状況でミロスラフ王国が、帝国人の王妃を受け入れるはずはなかった。
「前国王の王妃はチェルヌィフの帆装派から嫁いだんだったか。普通に考えればまたチェルヌィフから王妃を迎え入れる事になるんだろうけど――」
「その地位を、どうにかしてこちらが手に入れたいわね」
聖国から正妃を送り込む事が出来れば、これ以上無い大きな繋がりとなる。
前国王の時にも宰相夫妻は手を打ったが、あの時はチェルヌィフを強く推すネライ家によって押し切られてしまった。
上士位貴族家筆頭のネライ家と、聖国の窓口となっていたマコフスキー家とでは格が違い過ぎた。
「しかし、今の我々はそのマコフスキー家にすら頼れないんだよ」
「――少し考えさせて頂戴」
翌日。一番上の姉に呼ばれた第六王女パロマは王城の廊下を歩いていた。
以前は彼女がこうして王城を歩いていると、心ない者達が”海賊にかどわかされた王女”などと悪意のある陰口を叩いたものである。
しかし、あの出来事をきっかけにしてパロマ王女は心の成長を果たしていた。
王女は毅然とした態度で周囲の悪評を跳ね除けた。
そうしているうちに陰口は次第に鳴りを潜め、今ではむしろ彼女に好意的な態度を取る者の方が多くなっていた。
宰相の執務室に到着すると、立哨の兵が王女の到着を室内に告げた。
「入って来なさい」
「失礼します。――カサンドラ姉さん。私に大事な話って何かしら?」
姉のカサンドラは、滅多に見せない冷たい表情でパロマ王女に告げた。
「パロマ。あなたにはミロスラフ王国の国王と結婚してもらうわ」
明日からは朝七時の更新予定です。
次回「旧マコフスキー邸」