閑話13-2 社長のデート
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大陸最大の国家チェルヌィフ王朝。
現在この国は、六大部族を真っ二つに割る内乱のただ中にあった。
――とはいうものの、一般市民の生活は穏やかな物である。
それもそのはず。戦車派のベネセ、バルム両家のうち、バルム家は経済的な理由によって早々に降伏。
現在はベネセ家だけが単独で四部族連合軍に抗っている状況となっていた。
いかにベネセ家が武勇に秀でているとはいえ、こうなってしまえば、もはや国を割った”内乱”とは言えない。
感覚としては、地方領地の”反乱”が近いのかもしれない。
広大な国土に住むチェルヌィフの国民にとって、今回の内乱も遠い外国の出来事のように感られているのかもしれない。
それはここ、チェルヌィフの最東端、この国でも最大級の港町、デンプションでも変わりは無かった。
大通りからやや外れた、落ち着いた小道に、その軽食店は建っていた。
あかぬけた内装の、若者に人気があるおしゃれな店である。
店内は今日も若いカップル達で賑わっていた。
「いやいや、なんてことはないケガなんだっての。みんな大袈裟なんだよ」
日に焼けた若者が恋人に向かって、軽く右手を振った。
その手は布でぐるぐる巻きにされている。どうやら若者は仕事中にケガをしたらしい。
「でも手のひらを何針も縫ったんでしょう? 本当に大丈夫なんですか?」
心配そうに若者を労わる少女は、この世界では珍しいメガネを顔にかけている。
若いカップルは、船の修理工場の若社長バルトと、水運商ギルドの事務員ヤロヴィナであった。
ハヤテの関わった例の巨大オウムガイネドマ退治の時以来、二人は時々こうしてデートを重ねる間柄になっていた。
とはいえ、ヤロヴィナは水運商ギルドの本部のあるバンディータの町で働いている。
デンプションまで馬車で一日かからない距離とはいえ、恋人と会えるのは久しぶりになる。
気合を入れて挑んだヤロヴィナだったが、久しぶりに会った彼は手にケガをしていた。
バルトは修理工場の社長だが、つい先日父親から引き継いだばかりで、未だに現場の職人の気質が抜けない。
ヤロヴィナは、彼が仕事中に何かムチャをしてケガをしたのではないか、と心配していた。
「いや、コイツは完全に不注意だったんだ。俺としたことが全く情けねえ」
バルトは困った顔でケガをした右手を見つめた。
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二日ほど前の事になる。
バルトの船渠に飛び込みで船のメンテナンスの依頼が舞い込んだ。
船底に溜まった不要な液体の事をビルジと言う。
最近この船は、いくらビルジを汲み取っても、またいつの間にか溜まっているのだそうだ。
船のオーナーは船底の板が緩んで浸水しているのではないかと疑っていた。
いつものようにバルトは、巻き取り機で船を船渠に引き上げた。
船底の状態をひと目見た彼らは、眉間に皺を寄せた。
「こりゃあまた派手に汚れてやがるな」
「長く置きっぱなしだったんでしょうな。舷側までスライムで色が変わってますぜ。コイツを掃除するのは一仕事ですな」
”スライム”というのは、ゲームでお馴染みのあのモンスターの事ではない。
船底に付着した微生物の事を”スライム”。そのスライムがドロドロの膜状になったものを、”スライム層”と言う。
しばらく船底掃除を怠っていたのだろう。船底にはスライム層以外にも、貝や苔等が隙間なくビッシリとこびりついていた。
「ここでグチグチ言ってても始まらねえ。先ずは全員参加で船底の掃除だ」
「ですな。おおい、テメエら! バケツとヘラを持って集合だ!」
「「「「へい!」」」」
こういった付着物を放置しておくと、船底が痛んで船の寿命が短くなってしまう。
それに水の抵抗が増して船の速度も伸びなくなる。
現代日本ではフジツボなどを取り除いた後、スライム層や苔の汚れは高圧洗浄機を使って高圧洗浄するが、こちらの世界では全ての作業が人力である。
作業員総出の人海戦術でかかる必要があった。
「そういや”ピッチ”は足りますかね? 以前に使った時に大分減ってましたからね」
「ん――ああ。それならヤロヴィナに頼んであるから大丈夫だ」
「ほほぉん。なるほどねえ」
「・・・んだよコラ。何か文句でもあるのかよ」
周囲から注がれる生暖かい視線に、バルトは居心地が悪そうに鼻を鳴らした。
ちなみに”ピッチ”というのは、黒色で粘弾性のある樹脂性の炭化水素化合物の事を言う。
男が言ったピッチは、おそらく歴青――天然アスファルト、ないしはそれを加工した樹脂――だと思われる。
この国の砂漠には原油が湧き出る場所がある。
砂の上に湧き出た原油は、原油の軽い成分が砂に染み込み、重い成分だけが残って、粘度の高い黒い池――天然アスファルトの池となっていた。
いわゆるサンドアスファルトと呼ばれる物である。
歴青は地球でも昔から船の防水用に使われていた。
江戸時代の鎖国を打ち破った”黒船”も、船体にピッチが塗られていたために黒かったのだ。
ちなみに現在の船の船底が赤いのは、フジツボが付かないように亜酸化銅を含んだ塗料で塗られているためである。
「いえいえ、船にしか興味のないバルト坊ちゃんに、ようやく春がやって来たんですね」
「ホント、ホント。俺達みんな心配していたんだぜ。ひょっとして女に興味がないんじゃねえかってさ」
「そうそう。娼館に誘っても全然乗って来ないし」
「なっ! もし俺が行ったらテメエら絶対に代金を俺に回しただろうが!」
違いない、と、ドッと笑う作業員達。
からかいのネタになったバルトは、不機嫌そうに口をへの字に曲げた。
「いつまでもダベってないで、とっとと手を動かさねえか!」
「「「「へいへい」」」」
男達は笑いながら三々五々、船の周りに散って作業に取り掛かったのだった。
(全く。コイツらと来たら・・・)
バルトは最初こそ不満顔で手を動かしていたが、すぐに作業に没頭していった。
そうしてどのくらいの時間が経ったのだろうか。
バルトは見慣れない貝を見付けて、ふと作業の手を止めた。
「何だこの貝は?」
それは表面がツルリとしてキラキラと光る紫色の貝だった。縁は不規則にギザギザに尖っている。
どこかの海で付いた貝だろうか?
バルトは子供の頃から父親の手伝いで長くこの仕事を続けて来たが、こんな奇妙な形の貝にはついぞお目にかかった事はなかった。
彼はもっと良く見ようと、ヘラでその貝をこそぎ落とそうとしたが――
ガツン
貝は余程頑固に船底にこびりついているのか、ビクともしなかった。
「おい、どうなって――痛っ!」
何気なく貝を掴んだバルトは、手のひらに走る熱い痛みに思わず手を押さえた。
「どうしたんです? バルトさん。って、ケガをしているじゃないですか!」
「なんて事ねえよ! おい、みんなその紫の貝には触るなよ! 恐ろしく尖っていやがる」
バルトの手のひらは、刃物で切られたようにスッパリと切れ、流れた血が指先から地面にしたたり落ちていた。
「分かりましたから、バルトさんはケガの治療をして下さい。おおい! だれか女将さんを呼んで来てくれ!」
「くそっ。俺としたことが、なんてドジだ」
バルトは痛みをこらえながら、忌々しそうに紫の貝を睨み付けたのだった。
母親の手で治療を受けたバルトは、作業員達が持って来た紫の貝の検分をしていた。
大きいものは手のひらのサイズ。小さい物はコイン程度の、大小様々な大きさと形をしていた。
「全部で五つか」
「しかしバルトさん。コイツは貝じゃありませんぜ」
「そうだな。金属だ」
バルトは紫の破片を慎重に指でつまみ上げると、床の破片に軽く打ち付けた。
そう。それは貝ではない。”金属の破片”だったのだ。
まるで貝のようにキレイな色をしてしていたので勘違いしたが、こうして剝がしてみれば金属の破片以外の何物でもない事が分かる。
バルトはそんなものを迂闊に掴んだため、鋭利な断面で手のひらを切ってしまったのだ。
「けど、なんだってこんなもんが船に刺さっていたんだ?」
「さあ?」
バルト達は不思議そうに首を傾げた。
結局、いくら頭を捻っても、謎の金属の正体は謎のまま。このまま迷宮入りしてしまうのであった。
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「とまあ、そのはた迷惑な破片のせいで、俺は一昨日からこうして不自由な思いをしているってわけだ」
バルトは苦笑しながら布に包まれた右手の甲を掻いた。
汗で蒸れてかゆいのだろう。
その時、店の従業員が二人のテーブルに料理を運んで来た。
ヤロヴィナの前には魚のスープ。バルトの前には肉の乗った皿が置かれた。
「あっと・・・。コイツはしくじったな」
バルトは肉をナイフで切ろうとして、自分の利き腕が不自由だった事を思い出した。
(かと言って、女の子の前で手掴みで食うわけにもいかねえか。こりゃあまいったなあ・・・)
ヤロヴィナはスープを口に運ぼうとして、バルトが困った顔で動いていないのに気が付いた。
彼女の視線はケガをした彼の右手に注がれた。
「あっ、あの。良ければ私が切り分けましょうか?」
「そっ、そうか? すまない。頼めるかな」
ヤロヴィナは、妙に恐縮するバルトの姿に微笑ましいものを感じながら、皿引き寄せると肉を切り始めた。
バルトは手持ち無沙汰にしながらも、「こういうのも悪くねえな」等とぼんやりと考えていた。
(何て言うか、気の置けない関係、って感じでいいんじゃねえか? 自然な雰囲気でヤロヴィナとの距離が近付いた気がするぜ)
子供の頃から粗野な作業員達に囲まれて育った彼は、上手くヤロヴィナとの距離を詰められずに困っていた。
そしてヤロヴィナも、昔から自分の目付きの悪さにコンプレックスがあり、この年齢まで男性と親しく接した経験が無かった。
こうしてデートを重ねていても、不器用な二人は、どこか他人行儀な関係を崩せずにいたのだった。
「ちょっと大きかったでしょうか? もう少し小さく切り分けましょうか?」
「あっ! い、いや、全然問題無い! このくらいの方が食べ応えがあって丁度いいぜ!」
バルトは、えいや、と覚悟を決めると、この機会に、以前からずっと気になっていた事を言ってしまう事にした。
「なあ、ヤロヴィナ。良ければ俺相手にかしこまった喋りをするのを止めにしてくれないか? 知り合いや家族に話すように自然に話して欲しいんだが」
「えっ?! あ、そ、そう――かな。あの、ええと、はい」
ヤロヴィナは少しためらいながら「だったら、これからは気を付けるね」と言った。
バルトは頬を掻いて照れ臭さを誤魔化しながら「そうしてくれると嬉しい」と答えた。
「じゃ、じゃあ食事にすっか」
「そうですね――じゃなくて、そうしましょうか」
二人は今度は料理の味を話題に、今までよりもほんの少しだけ打ち解けたデートを楽しむのであった。
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結果的に、バルトとヤロヴィナの距離が縮まるきっかけを作ったあの金属。
その正体はハヤテの落とした250kg爆弾の破片であった。
ハヤテが巨大オウムガイネドマを攻撃した際、破裂した爆弾の破片のうちいくつかが、たまたま近くに停泊していた船の舷側に突き刺さっていたのだ。
そのほとんどは波に洗われて剥がれ落ちたが、深く食い込んだものが今も残っていたのである。
キレイな紫色をしていたのは、爆発の高熱で金属が変色したものと思われる。
これからもこの作品をよろしくお願いします。