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その11 怒る疾風

 なんだろうね、この重い空気は。


 この時、僕は事態を把握できていなかった。

 いやね、仕方がないんですよ。

 マチェイ発、王都行きのこのツアーで、僕だけメンバーの外れに位置しているもんで。

 パンチラ元王子に近づきたくないティトゥを気遣って、ティトゥパパが僕をなるべく遠くに配置してくれるんだよね。


 何かをピシピシ叩く音とか、パンチラ元王子の雄叫びとかは聞こえたけど、何が起こったかはさっぱり分からない。

 ただ、随分出発が遅れたということと、酷く怯えたティトゥが駆けこむように僕の操縦席に座ったことで、何か良くないことが起こったことだけは分かった。

 ティトゥは何かに耐えるように、唇を噛みしめて青白い顔で震えている。

 時折無意味にツバを飲み込んでは、嘔吐するようにゲップを吐く。

 ああ、これ分かるわ。強い不安や危険にパニックになるとこういう風になるんだよね。

 僕も会社をクビになった後、不安で眠れない夜によくこうなったよ。

 無理に寝ようとすると心臓が痛くなって寝るのが怖くなったりもしたよ。


 緊張した時、歩き出す時に右手と右足が同時に出た経験をしたことのある人もいると思う。

 歩いたり、呼吸したり、唾液を飲んだりする行為を人間は日頃から意識せずに行っている。

 しかし、人間は強いストレス下におかれると、そういった日頃は意識せずに行っていた行動が自然に出来なくなるのだ。


 一度ティトゥパパが娘の様子を見に来たけど、ティトゥはうずくまったまま顔を上げることはなかった。

 やがて休憩が終わり、荷車が動き出した。

 ティトゥは今日の宿泊先の町に着くまで一度も顔を上げなかった。



 今日の宿泊先の名も無い町は、なかなかの大きさの町だった。

 ・・・今日は誰も僕に話しかけてこないので町の名前は分からない。だから僕にとってここは名も無い町ということで。

 名もない町は流石に広い街道が通っているため、今日は僕も町中でお泊りだ。

 町長の家には広い庭があってそこに案内された。


 ふむふむ。なかなか良い庭ですね。

 あの木なんて結構な枝ぶりで。趣があって結構ですな。

 ・・・・・。

 え~と、ティトゥ。僕から降りなくても良いのかな?

 いや、僕の方はかまわないんだけどね。


 なかなか僕から降りないティトゥを心配したのか、ティトゥパパが娘を迎えにきた。


「!! カーチャ!!」


 僕の叫び声にティトゥがはじかれたように顔を上げた。

 けどその時の僕はティトゥのことを気にしている余裕は無かった。

 ティトゥパパの後ろから、若い騎士団員に支えられたカーチャがふらつきながら歩いてきたのだ。

 カーチャの身体にはメイド服が上着のようにかけられていて、その下には肌着がのぞいている。

 けど、問題はそこじゃないんだ。


「その包帯はどうしたんだ!」


 そう、彼女の首から上半身にかけて、肌着の下には隙間なく包帯が巻かれていたのだ。




『みなさん大げさなんですよ。ちょっと痛いだけで全然大丈夫なんです』


 カーチャはティトゥに向けて明らかな強がりを言った。

 傷が熱を持っているのだろうか、顔色は悪いのに額には細かい汗がビッシリと浮かんでいる。

 カーチャに一体何があったんだろう?! 知り合いの少女の痛々しい姿に僕は激しく動揺した。

 いや、それは事情を知っているであろうティトゥも同様だった。

 今にも逃げ出しそうな顔で、カーチャの顔をまともに見れずにいる。


『とにかくハヤテから降りなさい。彼女の容態について話そう』


 ティトゥはのろのろと僕から降りた。

 ティトゥパパはうなだれる娘に近づくと、そっと肩を抱く。

 メイドの少女も、彼女の主の手を握る。

 ティトゥは二人に連れられて庭から去って行った。

 後に残ったのは相変らず荷車に括り付けられた僕と


『俺のせいなんです・・・』


 カーチャを支えてきた若い騎士団員だった。


 君、どういうことか話してもらおうか。




 僕は今、怒りに震えていた。

 若い騎士団員は懺悔をするように昼間あったことを僕に話した。

 彼がカーチャに頼まれて、お茶に使うお湯を沸かしてあげたことが全ての原因だった。


 冗談じゃない、そんなわけないだろう。


 彼の親切心が、カーチャの主人を思う心が、こんなことになる原因だなんてありえない。

 正直、僕は今の今までパンチラ元王子のことを本気では嫌っていなかった。

 もちろん腹の立つヤツだしイヤなヤツだとは思っていた。

 しかし、彼の悪行もしょせんは人から伝え聞いた話でしかなかったし、昨日の村でのことだって自分が直接被害に会ったわけじゃなかった。

 今思えばどこか他人事のように思っていたのだろう。

 映画の悪役を見て腹を立てる、そんな感覚に近かったんだと思う。


 だが、今日のティトゥを見て、痛々しいカーチャの姿を見て、心を痛めるティトゥパパを見て、僕のまわりの幸せを踏みにじったパンチラ元王子に、僕は初めて強い怒りを覚えた。


 若い騎士団員は僕に話すことで心の整理がついたのだろう。


『次に同じことがあれば、どうやってでも止めてみせます。騎士団員としては間違った考え方かもしれませんが、こんな思いは二度とゴメンですから』


 そう言うと力なく笑い、僕の前から去って行った。

 庭には怒りで油温計が振り切れそうになっている僕だけが残された。


 こんなに怒ったことはこの世界に来てから初めてだ。

 僕は静かに怒りを溜め続けた。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 この町は例の備蓄を開放してネライ卿の歓迎会を開いてくれたあの町だった。

 町の人達は三日ほど前に来た元第四王子一行のことをまだ覚えていた。

 昨日宿泊した村では微妙な空気に終わったが、この町では住人に素直に歓迎され、元第四王子ネライ卿は大いに自尊心が満たされた。

 彼は上機嫌のまま、町長の屋敷の客室へと戻って来た。

 ネライ卿がふと庭に目をやると、マチェイ家のドラゴンの姿が目に入った。


「ふん。大きなだけのでくの坊め」


 自分で言った言葉に自分で勇気付けられたのか、その時のネライ卿にはドラゴンが酷く見掛け倒しの存在に思えた。

 酒も入って上機嫌で気が大きくなっていたこともあるだろう。

 ネライ卿は自分の剣を手にすると庭に出てきた。

 庭には彼以外誰もいない。

 ネライ卿はドラゴンがしっかりとロープで縛られていることを目で確認すると足音を忍ばせ近づいた。

 彼はおもむろに手にした剣を抜くと――


 ビシッ!


 ドラゴンの翼の端に切りつけた。

 彼のなまくら剣技では、ドラゴンの翼を切り裂くには至らなかったが、パッと緑色の粉が散った。


「なんだ、切られても何の反応もしないではないか。なんとも愚鈍な生き物だな」


 ネライ卿はドラゴンをあざ笑うと屋敷へと踵を返した。

 明日はいよいよ王都に到着する。

 王都ではマチェイ嬢が姫 竜 騎 士プリンセス・ドラゴンライダーとして名声を集めていると聞く。

 ネライ卿は一度ドラゴンを振り返った。

 声も出さず大人しくうずくまっているままだ。


 ふむ。あれに跨って王都に戻るのもいいな。


 目立ちたがり屋なネライ卿にとって、その考え(アイデア)は非常に魅力的に思えた。

 ネライ卿は王都民が自分を称え、褒めそやす姿を夢想しながら与えられた部屋へと戻るのだった。




 翌日、出発を控えて、ティトゥがいつものように彼女のドラゴンのところへと向かうと、町長の屋敷の使用人達の手によって彼女のドラゴンはロープを外され、荷車から下ろされるところだった。


「お待ちなさい! これはどういうことですの!」


 ティトゥの剣幕にうろたえて顔を見合わせる使用人達。

 騒ぎを聞きつけて慌てて町長がやって来た。

 人の好さそうな恰幅の良い初老の男だ。


「マチェイ嬢は聞いていないのですか? ネライ卿がこのドラゴンに乗って王都まで飛ぶというお話でしたが」

「! なんですって!!」


 ティトゥが怒りに頬を染めた。

 何事かと騎士団員も集まり出して来た。

 そして荷車から降ろされたドラゴンを見て困惑した。


「下がりたまえマチェイ嬢」

「!」


 こういう時のために持ってきていたのだろうか? ひときわ派手な衣装に身を包んだネライ卿が颯爽と現れた。

 その瞬間怯えの色を見せるティトゥだったが、奥歯を噛みしめてその場に踏みとどまった。


「ネライ卿、どういうことですかな?」


 立派な髭が特徴的なアダム班長が騎士団員を代表してネライ卿に尋ねた。


「町長の言った通りだ。俺はこのドラゴンに乗って王都へと凱旋する」


 いつの間にかネライ卿の中ではこれは凱旋帰国になっていたようだ。

 全員が戸惑いの表情を浮かべた。


「しかしネライ卿、このドラゴンはマチェイ嬢の言うことしか聞かないことはご存知でしょう」


 マチェイ家を出発する時の騒ぎを思い出したアダム班長がネライ卿に忠告した。


「ふん。このでくの坊ならすっかりおとなしくなっているぞ。二日も縛られていたのがよほどこたえたらしいな。試しに昨夜、俺が翼に切りつけてやったがうなり声ひとつ上げなかったわ!」


 その言葉にティトゥはハヤテに振り返った。

 彼の翼に視線をさまよわせると、確かに一か所、何かで切りつけられたような跡があった。


「な・・・なんてことを!」


 ネライ卿は、いいからどけ、とばかりにティトゥを押しのけ、ドラゴンの前に立った。

 ティトゥは遅れて駆け付けた父親のシモンに受け止められた。


「何があったんだい?!」

「お父様、ハヤテが・・・。」

「聞け、ドラゴン! お前も人を乗せて飛ぶのなら、俺のような高貴な者を乗せて飛ぶがいい!」


 ネライ卿の言葉に白けた空気が漂った。

 が・・・


 ドルン! ドドドドドドド


 ドラゴンの先端に付いている羽が回りはじめ、唸り声が庭に響き渡った。


「「「おおっ!」」」


 動かないドラゴンの姿しか見た事のない町長と、その使用人達から驚きの声が上がった。

 突然唸り出したドラゴンに出発前の騒動を思い出したのか、思わずネライ卿の腰がひけた。

 するとドラゴンの背中、いつもティトゥが乗っている場所を覆う透明な部位が後ろにスライドした。


「ハヤテ! ・・・嘘・・・」


 一瞬何が起こっているのか分からず、弱腰になっていたネライ卿だが、驚愕するティトゥを見て、今ここで何が起こっているのかを察した。


「は・・・ははは・・・、分かっているじゃないかドラゴン!」


 降ってわいた幸運に喜びの絶頂となるネライ卿。

 絶望の表情で崩れ落ちる娘とそれを支える父親。

 興奮する町長とその使用人達。

 予想外の光景に唖然とする騎士団員達。


 ハヤテは何もしゃべらない。


(さあ、早く乗れ、パンチラ! お前に地獄を見せてやる!)


 ただ怒りに任せ、エンジン音を響かせ続けるのだ。

次回「空 中 機 動(エア・マニューバ)

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