閑話13-1 王都のモニカ
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嬉しかったので閑話を更新したいと思います。
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ミロスラフ王国、王都ミロスラフ。
その王城を取り巻くように作られた貴族街。
しかしその区画は、即位式に沸く賑やかな周辺と比べて、どこか閑散としてうらぶれて見えた。
上士位貴族、マコフスキー卿の屋敷を中心とした一角である。
マコフスキー卿は今から丁度一年前、ランピーニ聖国の第八王女、マリエッタ王女をかどわかそうと企んだ罪で裁かれ、現在は自領で謹慎処分となっている。
その後、彼の一族はことごとく王都から追放され、マコフスキー家に連なる貴族家は寄る辺を失った。
彼らのほとんどは身内の伝手を頼って他家の寄り子となり、現在は王都を離れている。
元々、彼らが王都に住んでいたのは、他家との結びつきや、王城への売り込みといった、貴族内での地位向上のための政治活動が目的である。
大きな後ろ盾を失った彼らにとって、このまま王都での生活を続ける事は、出費だけがかさむ無駄な投資として、重い負担となっていたのだ。
こうして貴族街にいくつかの空き家が出来る事となった。
中には既に売約済みの物件もあるが、さすがにマコフスキー家の屋敷の規模ともなれば、なかなか買い手も見付からない。
かといって、このまま放置してしまえば、貴族街の一角に大きな廃屋が出来る事となり、周辺の地価まで下がってしまいかねない。
貴族達に泣きつかれた新宰相は、一先ず王城で屋敷を買い取って管理をする事にした。
とはいえ、誰も住まない屋敷をいつまでも腐らせていても仕方がない。
新宰相はそういった無駄が気になって仕方がない、良く言えば倹約家、悪く言えば細かい男だった。
彼はこの屋敷を買ってくれそうな者に話を持ち掛ける事にした。
新たに家を興したばかりで、未だこの王都に屋敷を持たない小上士家。
そう。ティトゥを当主とする、ナカジマ家である。
ランピーニ聖国からナカジマ家へとやって来た押しかけメイド、モニカは、王都の宿屋で宰相府からやって来た使者と面会していた。
流行の服で着飾った中年男で、今までモニカが飽きる程見て来た、”立派な服に中身が伴わない”典型的な小物貴族である。
「なんだ、ここにはメイドしかいないのか? メイドごときでは話にならん。ナカジマ家の家令かその代理の者はおらんのか」
使者の不機嫌な態度には理由がある。
王城からの連絡を貰った際には、使者の労をねぎらう意味合いと感謝の意味を込めて、いくらかの謝礼を渡す習慣がある。
――と言えば聞こえは良いが、要は袖の下である。
それらの謝礼はこの男にとって、大事な収入源であった。
もし、ここでメイドに手紙を渡して帰っては、大事な大事な謝礼を受け取り損なってしまう。そうなれば王城からわざわざ市内までやって来た苦労(?)も水の泡である。
モニカはいつもの柔らかな物腰で、この小者貴族に対応した。
「ここにはそのような者はおりません。ご当主様が王都での滞在期間中は、その一切をこの私めが差配する事になっております」
「メイド風情が? 当主殿は正気か? いや、ペツカ湿地の領主ならその程度というものか」
若干の侮蔑を含んだ物言いに、モニカは眉の一筋も動かす事無く、心の中で彼と彼の上司である新宰相の評価を下げた。
(ユリウス宰相は、長年、実質的にこの国の舵を取っていた人物として聖国でも評価されている。けど、息子の方はダメね。ナカジマ家相手にこんな男を使いによこした所から見ても、血縁で宰相の座を継いだだけの凡人に過ぎないか)
この辛辣な評価をユリウス元宰相が聞けば、苦虫を嚙み潰したような顔になるに違いない。
彼も宰相だった頃は、ハヤテとティトゥに対して、息子とさほど変わらない態度を取っていたからである。
しかし、この場合、ユリウス親子を責めるのはいささか酷というものだろう。
飛行機という概念のまだ存在しないこの世界で、ハヤテの力を正しく認められる者の方がどうかしているのだ。
それほどハヤテの存在は異質で、その力は常軌を逸している。
そのハヤテの恐ろしさに、誰よりも早く気付いたカミル将軍こそが例外であり、異端なのである。
新年戦争と呼ばれる、帝国軍との戦い。それに次ぐチェルヌィフ王朝での活躍から、今やハヤテの力は各国の権力者達にも知られる事となっている。
しかし、最初にハヤテの持つ力に気付き、恐れたのはカミル将軍だった。
だが、当時の彼は王都騎士団団長で、その行動は王城から厳しく監視されていた。そのため、彼は強く危惧するだけで、何かしらの行動を取る事は出来なかった。
もし、あの時にカミル将軍が今の権力を持っていれば、今頃ハヤテ達はどうなっていただろうか?
おそらく現在と違う形になっていた事だけは間違いないだろう。
「とにかく、メイドでは話にならん。誰か話の通じる者を連れて来い。宰相閣下からの手紙はその者に渡す」
使者の言葉は滅茶苦茶だった。
呼んで来いと言われても、ナカジマ領までは馬で一日。ナカジマ家の代官のいるコノ村までは、更に二日は覚悟しなければならない。
ハヤテではあるまいし、連れて来いと言われて、はいそうですか、と連れて来られる距離では無いのだ。
この男にはそれが分からないのだろうか? いや、分かる分からないではない。小者とはそういうものなのだ。
立場の弱い者には理不尽に高圧的に振る舞い、上の者には一転して卑屈にこびへつらう。
モニカはこの時点で、この男にもこの国の新宰相にも興味を失ってしまった。
「そうですか。では連絡をしておきますので、その者が到着しましたら改めて宰相府にご連絡を入れさせて頂きます」
「俺をバカにしているのか! わざわざこんな所まで足を運んでやっているのに、そのまま帰れと言うのか?!」
だったらどうしろと言うのだろうか?
理不尽な怒りを爆発させる宰相からの使者。
あるいはモニカの涼しい顔が彼の気に障ったのかもしれない。
男はイスを蹴って立ち上がるが、モニカは煩わしそうな表情を浮かべるだけである。
そんなモニカの泰然自若とした態度が、更に男の怒りに火をくべる。
男は顔を真っ赤にすると、モニカに食って掛かろうとした。
その時、部屋のドアが開かれると、恰幅の良い初老の男が部屋に踏み込んだ。
「申し訳ございません。そちらのお話が終わるまで隣の部屋で待たせて頂いておりましたが、何やら騒ぎ声が聞こえましたので。放ってはおけずにお邪魔させて頂きました」
「誰だ! ――こ、これはトラバルト商会の会長。どうしてこんな場所に?」
トラバルト商会は王都でも有数の商会である。
商品は主に不動産、それと金融関係――金貸しである。
この小者貴族もトラバルト商会にいくらかの借金を作っていた。
「カシーヤス様が王都にいらしていると聞き、ご挨拶に参りました。何でもカシーヤス様は今はナカジマ家と懇意になされておられるとの事。この度の国王陛下の即位式に際して、ナカジマ家のご当主様が王都に滞在される際、きっと私めにも何かお役に立てる事があるのではと思いまして、こうしてやってまいりました」
「カシーヤス様? えっ? 誰が?」
話に付いて行けずに目を白黒させる小者貴族。
モニカは男を放置して、初老の商会長へと向き直った。
「セイコラ商会の者から話は聞いています。商会長自らのご足労痛み入ります」
「いえいえ。会長の座はとっくにせがれに譲っております。ここにいるのは現役を退いた爺でして。ですが商会には自由は利きます。カシーヤス様にもナカジマ様にもご不便はおかけしないとお約束出来ます」
「そうですか。むしろ忙しい会長本人よりもこちらにとっては助かります。ナカジマ様もハヤテ様も、こう言っては何ですが落ち着きのない方なので」
小者貴族は混乱していた。
現役を退いたとはいえ、王都でも有数のトラバルト商会の元商会長が、たかがメイド(※小者貴族視点)相手に下にも置かない扱いをしているのである。
(ひょっとしてこの女はメイドじゃない? だとすればなぜ、メイドの服を着てメイドのような態度で俺を出迎えたんだ?)
小者貴族は知らなかった。ランピーニ聖国では王家に仕えるメイドは貴族扱いで、中でもカシーヤス家は伯爵家相当の地位を持ち、王家の乳母をも務めるという事を。
そして、”絶世”とも”美姫”とも称された元第四王女セラフィナが、モニカと姉妹同然に育った間柄である事も、当然知らなかったのだ。
(俺はとんでもない間違いをしてしまったんじゃないだろうか?)
ここに来て男はようやく自分のしでかしに気が付いたが、全ては後の祭りだった。
「丁度良かった。ナカジマ様が王都に滞在する間、使用する屋敷を探していた所でした。ハヤテ様が降りる事の出来る広い庭があるのが条件ですが、何か良い物件はありますか?」
「広い庭――程度にもよりますが、どれほどの広さが必要でしょうか?」
「どうしても無ければ、屋敷を二軒買って、片方の屋敷を潰してしまってもいいでしょう。その場合、工事にどれくらいかかりそうかしら?」
「それでしたら良い物件がございます。元マコフスキー家の寄り子の方が住んでいた屋敷ですが、丁度両隣――」
「ま、待って下さい! 少し待って!」
使者の男は慌てて口を挟んだ。
「わ、私が持って来た手紙を読んで下さい! 宰相閣下からナカジマ様に宛てた手紙です! 屋敷の事が書いてありますので!」
モニカは興味無さそうに男の差し出した手紙を見つめた。
彼女がいつまでも受け取ろうとしないため、トラバルト商会の老会長が「僭越ながら」と申し出て手紙を取った。
「失礼いたします――こ、これは?!」
老会長はザッと手紙の内容に目を走らせると、呆れ顔で男を見た。
男は先程までの不遜な態度はどこへやら。老人から目を逸らして、借りて来た猫のように大人しくなっている。
「・・・これを先に出していれば、私の出る幕はなかったでしょうに」
モニカも老人の言葉に興味を持ったのか、手紙を受け取り、目を通した。
「マコフスキー家の屋敷をナカジマ家で買わないか、ね。庭の広さはどのくらいあるのかしら?」
「申し分ないかと。昨年、屋敷でパーティーが開かれた際、庭にドラゴンが降りたと聞きました」
「ああ。そういえばそんな報告も読んだ気がしますね。さて、どうしましょうか・・・」
モニカは値踏みする目で使者の男を見つめた。
この男を使者にしている時点で、モニカにとって新宰相は取引相手としては物足りない。
貴族家同士の取引は、金銭面以上に、今後の繋がりや周囲への影響を考慮する必要がある。
新宰相はナカジマ家の相手として相応しいとは思えない。むしろその関係に足を引っ張られる恐れすらある。モニカはそう判断した。
「この話は持って帰って「カシーヤス様、お待ちを」
モニカはスッパリ断ろうとしたが、老会長に遮られた。
「この話、私に預けて頂けませんか? 決して悪いようには致しません」
モニカの眉間に一瞬、不快そうに浅く皺が寄ったが、彼女はすぐに表情をやわらげた。
老人の目にはモニカの好きな権謀術策の光が宿っていたのである。
「代理人になるという訳かしら? 随分な自信ですね」
「はっはっは。現役を退いたとはいえ、長年どっぷりとこの商売に浸かって来ました。ここは私の腕を試すと思って、ひとつお任せ頂けないでしょうか」
「ふふふっ。いいでしょう。どうぞご自由に」
ほほ笑み合う二人。
しかし、使者の小者貴族は背筋におぞけが走って仕方が無かった。
未だ動揺している男は気付いていなかった。二人の顔は笑顔の形を作っていても、その目は全く笑っていなかったのだ。
この後、激しい交渉が行われ、元マコフスキー家の屋敷は、無事にナカジマ家に”格安”で”レンタル”される事が決定した。
一応、即位式が終わった時点で、買い取りをするかどうか相談する事にはなっている。
だが、寄り子すら持たないナカジマ家が、王都に大きな屋敷を構える必要性は薄い。
ある程度の規模の屋敷が無いと客を呼ぶ事は出来ないが、貴族の社交の場を苦手とするティトゥが、わざわざ自分からパーティーを開くとも思えない。
在庫処分の当てが外れた新宰相は頭を抱える事になるのだが、いくらかは彼の自業自得というものだろう。
こうしてモニカは準備万端整えて、ハヤテ達の王都への到着を待つのだった。
いつも読んで頂き、ありがとうございます。