エピローグ 王都を埋め尽くす歓声
今回で第十三章が終了します。
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その日王都は興奮に沸き返っていた。
大通りは早朝から通行禁止となり、完全武装の王都騎士団が点々と立哨している。
大人も、子供も、男も、女も、職人も、商人も、奉公人も、旅人も、主婦も、肉体労働者も、娼婦からゴロツキに至るまで。
人々の波は裏通りにまで溢れ返り、その瞬間を今か今かと待ち構えていた。
先触れの騎馬が走り去ると、期待感はピークに達した。
「来たぞ! 国王陛下と妃殿下の馬車だ!」
「うおおおおっ! 新国王陛下万歳!」
「カミルバルト国王万歳!」
うわあああああああああっ!
圧力さえ伴う声援が沸き起こった。
それは正に音の洪水だった。
驚いた犬があちこちで吠え、怯えた赤ん坊が泣き声を上げた。
興奮する群衆を警戒する王都騎士団員。
気の早い観衆は、まだ誰もいない通りにもう花束を投げ込んでいる。
「妃殿下万歳!」
「王女殿下万歳!」
「ミロスラフ王国に栄光あれ!」
やがて親衛隊の騎馬隊が通りに入って来た。
この日のために磨かれた彼らの鎧は、傷どころか曇り一つ、いや、指紋一つすら付いていない。
誇らしげに胸を張り、一糸乱れぬ行軍を続ける彼らの姿は、惚れ惚れするほど華麗できらびやかだった。
その威風堂々たる佇まいは、正に彼らこそが王とその妻子を守るナイトに相応しいと思わせるものがあった。
親衛隊の露払いを受け、次は王都騎士団の騎馬隊がやって来た。
こちらは密集隊形で、いざとなれば国王夫妻の馬車の盾になれるように配置されている。
この冬に帝国との大きな戦をくぐり抜けて来た彼らは、全員が実戦経験を積んでいる。
その鋭い眼光を受け、通りに身を乗り出そうとしていたお調子者が、顔色を真っ青にして慌てて引っ込んでいった。
「カミルバルト国王万歳!」
「妃殿下万歳!」
「王女殿下万歳!」
通りに六頭立ての大型の馬車が現れると、群衆の熱狂はピークに達した。
カミルバルト新国王とその妻子の乗る大型馬車だ。
次々と花束が投げ込まれる。
そのあまりの数に、馬車を引く馬が怯えて立ち止まりそうになり、護衛の騎士が慌てて槍で払いのけた。
散った花びらが風に巻かれて空を覆い、馬車はまるで花びらで出来た雪の中を進んで行くようにも見えた。
そんなこの世のものとも思えない幻想的な光景に、王都の民の心は益々高まった。
「あれを見ろ!」
「ドラゴンだ! 竜 騎 士のドラゴンだぞ!」
馬車の列の最後尾。そこには荷馬車に乗せられた緑色の巨大な姿があった。
大通りをいっぱいに使って運ばれるその威容。陽光を反射してきらめくボディー。
王都に名高い、いや、国外にまでその名をとどろかせる姫 竜 騎 士の乗騎、ドラゴン・ハヤテである。
「おおおおっ! 姫 竜 騎 士! 姫 竜 騎 士!」
このサプライズに王都の民は沸きに沸き返った。
彼らは喉も裂けよと絶叫した。
実際、翌日には喉が嗄れた者達がこぞってのど飴を買い求めたため、一時的に在庫不足にまでなったそうである。
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王都の外ではバナーク家の馬車が待機していた。
バナーク家はティトゥの妹、クリミラの嫁ぎ先である。
ここまでヨナターン家の馬車と一緒に旅をして来たものの、さすがに王家の馬車の列と一緒に王都に入る事は出来ない。
しばらく外で時間を潰して、落ち着いた所を見計らって王都に入る予定となっていた。
馬車の中にはクリミラと彼女の夫、バナーク家当主アランが向かい合って座っていた。
「おおおおっ! 姫 竜 騎 士! 姫 竜 騎 士!」
「ここまで聞こえて来るなんて、すごい歓声だね」
「――ええ。あれってティトゥ姉さんの事なのよね」
確かに、この旅でも行く先々で姫 竜 騎 士の名は叫ばれていた。
しかし、王都で国王の名と二分する程の大きさで叫ばれるとなれば、それは異常だ。
カミルバルトは歴代国王の中でも、おそらく群を抜いて民衆の人気が高い。
姫 竜 騎 士の人気は、そのカミルバルトに匹敵する勢いがあるというのだ。
「ナカジマ様――お前のお姉さんに、何も言わなくても良かったのか?」
夫の言葉にクリミラは小さくかぶりを振った。
クリミラは夫に、もし姉が未だに縁談に恵まれていなかったら、バナーク家の寄り親であるヨナターン家に結婚相手の斡旋をしてもらうように頼んでいた。
ヨナターン家は決して政治力のある家柄ではないが、新国王カミルバルトの妻の実家――すなわち外戚となる。
その力をもってすれば姉にも良い縁談が決まるのではないか。クリミラはそう考えていた。
マチェイ家の三女に生まれたクリミラは、本来であれば地元の名士の下に嫁に行くのが相応であった。
それがどういう巡り合わせか、こうして貴族家当主の妻となり、夫にも愛してもらえるばかりか、夫の両親にも良くしてもらえている。
そんな自分に比べ、姉のティトゥは自分よりもずっと器量も良いのに――いや、そのせいで、元王族のネライ卿に目を付けられ、結婚どころか屋敷の外に出る事すら出来なくなっていた。
クリミラは自分の幸せを、姉にも味わって欲しかった。
家族で、姉妹で同じ幸せを分かち合いたい。
姉に結婚の話をしたのも、その思いがあっての事であった。
しかし、先日、クリミラは初めて姉の住む世界を垣間見せられた。
ドラゴン・ハヤテから見下ろす町。
初めて空から見下ろした町の姿は、驚く程ちっぽけなものだった。
ハヤテはあっさりと王都を飛び越え、ナカジマ領まで彼女を連れて行った。
眼下に広がる広大な湿地帯。”大自然”という言葉がこれほど相応しい光景もそうはないだろう。
しかし、その圧倒的な大自然は、南北に走る一本の線でその姿を変えていた。
その長大な堤防より西は、かつてドラゴン・ハヤテによって完全に焼き払われ、今はナカジマ家による開拓の手が入っているのだという。
呆然とするクリミラの前に、この国の宰相、ユリウスが姿を現した。
この国を長年に渡って実質的に治めて来たあのユリウス宰相である。
彼は現在、王城を離れ、姉の下で領地運営の手伝いをしていると言う。
ちょっと何を言っているのか分からない話であった。
実家でも食べた衝撃の料理、ドラゴンメニューを堪能した後、クリミラは今度はランピーニ聖国へと連れて行かれた。
クリオーネ島にあるあのランピーニ聖国である。
そもそもにおいて外国だ。決して隣町感覚で往復して良い場所ではない。しかしハヤテは「ちょっとそこまで」感覚で出かけ、姉のティトゥも何の疑問も持たずにそれを受け入れていた。
クリミラはここに来て、「ひょっとして自分の頭の方がおかしいのでは?」と心配になってしまった。
レブロンの港町で姉は伯爵家当主と彼の妻、元ミロスラフ王国王女ラディスラヴァと、何やら相談を始めた。
クリミラは詳しい事情を聞かされていなかったし、彼女の感覚では、そもそも女は政治にかかわるべきではないと思っていたので、話されている内容を理解しようとも思わなかった。
しかし、ティトゥは何一つ臆する事無く、クリミラにとっての雲上人達を相手に、膝をつき合わせて互角に――むしろ主導権を握った状態で話し合いをしていた。
その時、クリミラは気が付いた。
伯爵家当主もその夫人ラディスラヴァも、あの場にいる全ての人間が、ティトゥの事を小国ミロスラフの小上士位の当主と侮っていない事に。
むしろ彼らはティトゥを”ティトゥ・ナカジマ”その人として、”一個の個人”として尊重していた。
クリミラにとって、自分という存在は常に家の一部だった。昔はマチェイ家当主シモンの娘、今はバナーク家当主の妻。
家があって自分がある。
自分は家によって成り立っているから、家のために結婚するし、家の血筋を残すために子を産み育てる。
パンを手でちぎって食べるように、外から帰ったら玄関で靴の泥を落とすように、そうするのが当たり前であって、今まで疑問に感じた事すらなかった。
クリミラは今まで間違いなく幸せだった。
しかし、姉の生き方を――その一部とはいえ実際に目の当たりにした事で、自分の幸せが本当に幸せなのか自信が持てなくなってしまった。
自分の人生は、夫の子を産み、育てる。自分が残すのはバナーク家の次期当主と、その子を育てたという事実。
自分の一生は、この国の片隅の小さな貴族家が存続するためのバトンを受け取り、次の走者へと渡すつなぎの役割。
今まではそこに不満も疑問も感じた事はなかった。
しかし、姉のティトゥは、同じ一生で、帝国軍からこの国の民を守り、前人未到の大湿地帯の開拓に着手し、新たな貴族家を興し、国境を飛び越え、諸外国の要人と立場を超えて語り合っている。
そんな姉の人生はあまりに濃厚で、眩しく、鮮烈だった。
クリミラは自分の幸せが、いかにもちっぽけで価値の無いものに思えて仕方が無かった。
(でも、私はティトゥ姉さんじゃないわ。あの人のような生き方は出来ない。私は私の人生を生きるしかない。でもそれと同じ理屈で、逆に私の生き方をあの人に押し付けてもいけないのね)
ハヤテと出会った事で、姉は間違いなくこの世界の誰とも違う人生を歩み始めてしまった。
家族として自分がすべきは、姉に自分達の常識を押し付けるのではなく、姉の味方になる事ではないだろうか?
それがクリミラが一晩考えて出した結論だった。
人は他人と同じにはなれない。なぜなら他人は他人、自分は自分だからだ。
自分は自分の生きる道を行くしかない。姉に姉の生きる道があるように、自分の生きる道が、子供を産み、次代に家を託す事にあるなら、自分はその生き方を全うするべきだろう。
「・・・子供が欲しいわ」
クリミラはポツリと呟いた。
妻の言葉にアランはギョッと目を剥いた。
「こ、ここでか? さすがにそれはマズいだろう」
クリミラは一瞬怪訝な表情をしたが、直ぐに夫が何を言っているのか気が付いた。
彼女は心底蔑んだ目でアランを睨んだ。
「ええっ?! 今のは俺が悪いのか?! 急に子供が欲しいとか言い出すものだから、お前が求めているのかと――」
「もういいから黙って頂戴!」
妻にピシャリと遮られ、アランは不満そうに黙り込んだ。
すっかり空気の冷めた馬車の中に、王都の民があげる「姫 竜 騎 士!」の歓声だけが虚しく響き渡るのだった。
即位式はまだ始まってもいませんが、ここで第十三章を終わりにさせて頂きます。
この章は、ハヤテ達が久しぶりに国に戻った後の話、という事で、かつてのキャラクター達が再登場する章でもありました。
色々と書きたい内容はありましたが、それだけをやっているとこの章は全部閑話で埋まってしまいそうだったので、即位式の話も少しだけ入れる事にしました。
と言ってもほとんど進んでいませんが(笑)。
次章こそは即位式の話になるはずです。きっと。
別の小説をキリの良い所まで書きあげ次第、すぐに戻って来ますので、それまでどうか気長にお待ちください。
いつも読んで頂きありがとうございます。
楽しんで頂けた方はどうか評価の方をよろしくお願いします。