その31 月下の逢瀬
僕達はどうにか夕食前に名も無き町へと到着していた。
ちなみに名も無き町はラーンスカーの町というらしい。そういやそんな名前だったっけ。
着陸した僕をメイド少女カーチャが出迎えた。
そういえば時間が無かったのでコノ村には寄れなかったけど、後日、突然チェルヌィフの船が現れたらみんな驚かないだろうか?
タイミング的にまだ僕達は、王都の即位式から戻れていないんじゃないかと思うけど。
・・・きっと大丈夫。代官のオットーが上手い具合にやってくれるに違いない。
元宰相のユリウスさんだっているんだし、多分問題無いよね。
久しぶりの遠出を終えて、ティトゥは随分とご機嫌だった。
この数日のふさぎ込みようがウソみたいに晴れやかな顔をしている。
お転婆なティトゥ(失礼)は、一日中周囲の視線を浴びながら、貴婦人然とした振る舞いをしなければならない生活がよっぽど窮屈だったんだろう。
分かるよ。君って普段、だらしない生活をしているからね。
『――ハヤテ。何か言いたい事でもあるんですの?』
「いや。別に。あ、ホラ、ファル子が逃げ出そうとしているよ」
ティトゥにジロリと睨まれて、僕は慌てて誤魔化した。
ちなみに脱走しようとしていたファル子は、カーチャによって無事に確保されていた。
『・・・何だか誤魔化された気がするけど、まあいいですわ』
終始上機嫌なティトゥは、僕を追及する事は無かった。
カーチャの隣ではティトゥの妹夫婦が手を取り合っている。
『クリミラ。中々戻らないから心配したぞ』
『ごめんなさい。少し遠出を――あれを少しって言ってもいいのかしら? ええと、後で詳しく話すわ。多分、一度話したくらいでは信じてもらえないと思うけど』
『? ああ、分かった』
元気いっぱいのティトゥに対し、妹のクリミラはすっかり疲れ果てている様子だ。
ランピーニ聖国までの長いフライトが堪えたのかもしれない。
やっぱりコノ村で待っていてもらえば良かったかな。
ティトゥ達はメイドの案内で屋敷に入って行った。直ぐに食事の支度が出来るそうである。
こうしてこの日は終了した。随分と寄り道をしてしまったけど、結果としてティトゥも元気を取り戻したし、ナカジマ領の問題も解決の糸口が掴めたという事で、無駄足じゃなかったんじゃないかな。
日が落ちて屋敷の庭に夜の帳が降りた。
屋敷の池でカエルの合唱が始まった。そういえば転生してからセミの鳴き声を聞いた事がないんだけど、この国にはセミがいないんだろうか?
確かセミは元々熱帯の生き物だから、ヨーロッパでも、緯度の高いフランスやイギリスにはいないんじゃなかったっけ。
ちなみに僕が子供の頃、セミは成虫になったら一週間で死ぬ、とか言われていた。だけど、研究が進んだ今では、一ヶ月程度は生きると考えられているそうだ。
それでも長生きって訳じゃないけど、思っていたよりは儚い生き物じゃないらしい。
そんな事を考えながらいつものように暇を持て余していると、屋敷の窓が開いてピンク髪のゆるふわヘアーの少女が現れた。
『ハヤテ。少しお話をしてもいいかしら?』
ティトゥはそう言うと、夜空の月を見上げた。
屋敷に戻ったティトゥ達は、王都騎士団のビルだったかボブだったかから、随分と泣きつかれたそうだ。
『ドラゴンに乗って屋敷を離れるなら、今後は事前に我々に相談してからにして下さい!』
警備担当の彼らにとってみれば、突然僕達がいなくなるのは困るのだろう。
これに関しては完全に僕達が悪い。ティトゥもここは大人しく頷いたそうだ。
『今度どこかに行く時には、あなたに言ってから行きますわ』
『――出来ればどこにも行かないで下さい』
僕は王都騎士団所属でもないし、ティトゥは小上士とはいえ領地持ちの貴族のご当主様だ。
ビルだかボブだかも、これ以上ティトゥに強くは言えなかったらしい。
『その分、長々と訴えられてしまいましたわ』
話題にしたことで思い出してしまったのだろう。ティトゥはうんざりした顔になった。
まあ、今回は僕達の方が悪いし、素直に彼の愚痴を聞いてあげなよ。君の愚痴は僕が聞いてあげるからさ。
ティトゥはふっと口元に笑みを浮かべた。
『そうやって、いつもハヤテは自分だけが傷付くんですわね』
僕だけが傷付く? 別にそんな事は無いと思うけど? 人の愚痴を聞くだけだし。
他人に愚痴を吐き出せば、少しはスッキリするよね。ただそれだけの事だけど?
『ハヤテは誰にも負けない力をもっていますわ。
私やカーチャを乗せたまま、鳥よりも早く高く空を飛べるし、大きな船や巨大な怪物を一撃でやっつける物凄い攻撃だって持っている。
いつだってそう。ハヤテは自分の持つ大きな力が人を傷付けないように、自分を抑えている。
時々空を飛ぶ時以外は、いつもテントの中で身動きもせずにじっと大人しくしている。
私は時々もどかしく思うのですわ。ハヤテはもっと自分が思うままに生きられるし、そう出来るだけの力をもっている。大空を自由に駆け巡り、どこへでも、どこまでだって飛んで行けるのに。
けれどハヤテは不自由な思いをしてまで、こうして私のパートナーでいてくれる。
ねえ、なぜ? なぜハヤテはそこまで私に優しくしてくれるんですの?』
ティトゥの言葉に僕はショックを受けていた。
彼女が僕の事をそんな風に見ていたとは知らなかった――あ、いや、大体知ってはいたけど、面と向かって言われたのは今日が初めてだったからだ。
ティトゥはじっと僕の返事を待っている。
適当な言葉で誤魔化せそうな雰囲気ではないし、そうするべきではないだろう。
僕はどう答えるのが正解なんだろうか?
僕のこの体は四式戦闘機という飛行機で、今の僕は、機械の体に人間の記憶が宿った存在だ。
そしてティトゥが言うように、僕は人間を傷付けたくない。だけどそれは僕が――僕の心が人間だからだ。
戦闘機は人を殺すために作られた兵器だ。兵器である僕が本来の性能を発揮できる場所は戦場だ。そして僕とこの世界の人達とでは戦いにすらならない。ただ一方的な虐殺になってしまう。それが怖い。
ティトゥが僕を優しいと言ってくれた事は素直に嬉しいと思う。
けど僕は君が思っているほど優しいわけじゃない。
僕の心は人間だから。人間だから人間を殺すのがイヤなだけなのだ。
これはずっと以前から――そう、帝国軍との戦いの時より前から、何度も何度も繰り返し考えて来た事だ。
そう。兵器に生まれ変わった自分が、この異世界でその力を使う事の是非。
そして僕は結論を出していた。
人を殺すのはイヤだ。だけど、ティトゥが望むならこの力を使おう、と。
これは責任をティトゥに押し付ける狡い考えだろうか?
けど、この惑星リサールでは、僕はあくまでも部外者――異邦人だ。
確かに僕のこの力があれば、日本人の価値観を、現代人の倫理観を、この世界の人に押し付ける事だって不可能ではないかもしれない。
しかしそれは僕の独善であり傲慢だ。偽善ですらある。
郷に入っては郷に従え。
この世界では戦争捕虜は全員首を刎ねられるというなら、それはそれで仕方がない事だろう。戦争で負けた国は国民全員が奴隷になるというなら、それはそれで仕方がない事だ。
どちらも心は痛むけど我慢して受け入れよう。
しかし、ティトゥがそれを許せないなら、間違っていると思うなら、僕は彼女の考えを実現するために協力したいと思う。
僕は望まずして手に入れてしまった大きな力を、ただ持て余しているだけなのかもしれない。
責任の半分をティトゥに押し付けているだけなのかもしれない。
しかし、彼女が僕をパートナーと呼んでくれるなら。僕の背負いきれない重りを半分持ってもらってもいいんじゃないだろうか?
依存? 情けない? いやいや、狡い言い方をするようだが、それがパートナーというものだろう。
「ねえ、ティトゥ。君は確かに僕のような力を持っていない。ちょっとお転婆で可愛い普通の女の子だ。
君は”普通”という点で僕に対して何か引け目を感じているみたいだけど、僕は君が思っているよりもずっとずっと君を頼りにしているからね。
それこそ、君が本当に理解したら”狡い”と腹を立てるくらいにね。
君が言い始めたパートナーという言葉だけど、僕は最大限に自分に良いように解釈しているから。
終生のパートナー? 望む所だよ。むしろ、言質を取ったぞ、って感じ? もう絶対に逃がさないから」
僕の言葉は上手くティトゥに伝わっただろうか?
彼女は驚いたように目を見開くと、言葉も無く立ち尽くしていた。
・・・あれ? もしもし?
あの、ティトゥさん。何か返事をしてくれません?
ひょっとしてドン引きしてる?
いやまあ、確かに”絶対に逃がさない”なんて言われたら、気持ち悪いかもしれないけど。
えっ? でも君だって日頃”終生のパートナー”とか言ってるよね。
これってあれか? 自分が言うのは良くて、人に言われるのは気持ち悪いとか? 確かにそういう事ってあるかもしれないけど。
あれ? そう考えると、自分でもちょっとストーカーっぽいと思えて来たぞ。
これってマズいんじゃない?
ティトゥは何か言おうとして、言葉を探したが、上手く言葉が出て来なかったようだ。
彼女は顔を真っ赤にしながら僕に近付くと、主脚に火照ったおでこを押し当てた。
長いゆるふわヘアーがティトゥの顔にかかり、僕からは彼女がどんな表情をしているか見えなくなった。
あの? ティトゥさん?
ぺしっ。
不意にティトゥが小さく平手で僕を叩いた。
ぺしっ。 ぺしっ。 ぺしっ。 ぺしっ。
そのまま繰り返し何度も僕を叩く。
「あの、ティトゥ? ひょっとして照れてる?」
『・・・!』
べしっ! ・・・ぺしっ。 ぺしっ。 ぺしっ。
ティトゥは一度だけ強く叩いた後、再び僕を叩く作業へと戻った。
いやまあ、別に痛くもなんともないのでこのままでいいんだけどさ。
僕は彼女のパートナーだから、このくらいは受け入れるさ。何だか微妙にリズムに乗って来た所だし。
月明かりの下、僕はティトゥの行動に戸惑いながら、彼女が満足するまでぺしぺしとリズムを刻まれ続けるのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
ティトゥは自分が聞きたかった言葉を全てハヤテから聞かされて、爆発しそうな感情を抑えるだけで精一杯になっていた。
胸を満たす大きな安堵、そしてむずがゆい喜び。
私はハヤテに求められていた!
その事実は彼女の矜持を満たし、大きな満足感と幸せを与えた。
長い間ずっと彼女が抱えていた不安は、もうどこにもなかった。
この月下の逢瀬はティトゥの心に深く刻み込まれ、彼女の宝物となっていくのだった。
次回「エピローグ 王都を埋め尽くす歓声」