その26 ブランチ
僕はティトゥ達を乗せて逃げるように王都から飛び立った。
いや、だってアダム特務官、ポロポロ泣いてたし。
情緒不安定気味なんじゃない? 休暇でも取って少し仕事を忘れてゆっくりしたら?
「キュー! キュー!(パパ! ママ! お腹が空いた! ご飯!)」
「ハイハイ。ティトゥ、二人におにぎりをあげてくれない?」
『分かりましたわ』
まあそんなアダム特務官の心配も、賑やかなファル子達の世話をしているうちに忘れちゃったんだけど。
なんかゴメン。
ファル子達はティトゥの手からおにぎりを頬張り始めた。
『思ったよりも早く王都を離れることになってしまいましたわね』
「そうだね。せっかく久しぶりに飛んだんだし、どうせならもう少しどこかぶらぶらしたいかな。――そうだ!」
おにぎりを食べているファル子達を見ていて思い付いた。
せっかくだからティトゥの妹にベアータの料理をご馳走するのはどうかな?
ちょっと早目のお昼ご飯。ブランチというヤツだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇
ハヤテ達がカミルバルト新国王の妻子を護衛する任務を受け、コノ村を発ってから既に二週間。
代官のオットーはいつも通り、部下と共にハヤテのテントで仕事をしていた。
テントの入り口で立哨中の騎士団員が背筋を伸ばすと、白髪の老人が入って来た。
ナカジマ家の客分、ユリウス元宰相である。
「オットー。そろそろセイコラの商会を何とかしろ」
開口一番、厳しい表情のユリウスに、オットーの表情が曇った。
「また揉め事ですか?」
「ああ。当主殿がいる間は大人しくしていたが、案の定、姿を消した途端にすぐこれだ」
ユリウスが手に持っているのは、いわば裁判の議事録。ポルペツカの町で起きた、セイコラ商会と中小商会の揉め事を記した報告書だった。
セイコラ商会はジトニーク商会と並んで、ナカジマ領の開発に大きな影響を持つ大手商会である。
本拠地はオルドラーチェク領の港町、ボハーチェク。
比較的落ち着きのあるジトニーク商会に対して、セイコラ商会は初動の出遅れを取り戻したい焦りがあるのか、やや強引な商売が目立ち、各方面で様々な軋轢を引き起こしていた。
「建設用の建材を融通する代わりに、商業地の独占を企んでおったわ」
開発に沸くナカジマ領では、この春から、慢性的に建築用の木材や石材の不足に悩まされている。
資材の高騰が問題になって久しいが、実はコレ、単なる品不足だけが原因ではない。
セイコラ商会が意図的に資材の値段を吊り上げているのだ。
中小の商会が高騰する資材の調達に手を焼く中、ランピーニ聖国とパイプを持つセイコラ商会は、国外からの建材の流通をほぼ独占。
豊富な在庫を背景に、市場を思いのままにコントロールする事で、ナカジマ領における影響力を強めようと企んでいたのだ。
「セイコラ商会に対抗出来るのはジトニーク商会くらいですが・・・」
「――どちらの力が増してもナカジマ領にとっては好ましくはないな。王都の商人はどうなっておる」
「アダム特務官に相談はしていますが、あちらは新国王陛下の即位式で手一杯のようです。動けるのは式が終わった再来月以降じゃないでしょうか」
新国王カミルバルトの誕生が国内に与える影響は想像以上に大きかった。
この巨大な波に乗り遅れまいと、王都の商会はそれこそ目を皿のようにして商機を探し回っている。
そんな生き馬の目を抜くような状況で、王都を離れ、ナカジマ領まで足を運んでも良いと言ってくれる大手商会はいなかった。
「国内がダメなら国外、と言いたい所だが、その国外の船便をボハーチェクの商人達に押さえられているのだからどうしようもないな」
「そうですね。あまり効果があるか分かりませんが、セイコラの方には後で私から注意しておきます」
その時、テントの外で大きな歓声が上がった。そして耳慣れたヴーンといううなり声が響いた。
「あれはハヤテ様?」
「当主殿の帰還か? しかし、なにゆえに?」
二人は訝しげに顔を見合わせた後、出迎えのために急いでテントの外に出たのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
ティトゥに続いてティトゥの妹、クリミラが姿を現すと、周囲からどよめきが上がった。
『クリミラ様じゃないですか! お久しぶりです!』
『お変わりないご様子で良かったわ!』
ナカジマ家の使用人は、ティトゥの実家から彼女について来た者が多い。
彼らは当然クリミラの事も良く知っていた。
余程自分の人気が意外だったのだろうか? クリミラは驚いた顔でポカンと口を開けている。
『えっ? ティトゥ姉さんここに住んでいるの? ホントに?』
違った。どうやらティトゥ達がこんな小さな漁村に住んでいる事に驚いていたようだ。
ティトゥは言ってなかったのかな? いやまあ、カッコ悪くて言えないか。
仮にも領主様の住むような場所じゃないからね。
そんなクリミラを代官のオットーが嬉しそうに出迎えてくれた。
『クリミラ様、お変わりなく。本日は喜んで歓迎させて頂きます』
『歓迎! そうでしたわ、ベアータ!』
ティトゥの声に、家の窓からこっちを見ていた小さな料理人が、慌てて『あっハイ!』と答えた。
『少し早いですが、昼食にしますわ! クリミラのために手早く出来るドラゴンメニューを用意して頂戴!』
『承りました! ――さあ、忙しくなって来たぞ!』
元気な料理人ベアータは、腕まくりをしながら家の中に姿を消した。
早速、料理の下ごしらえを始めているのだろう。
代官のオットーは一緒に出迎えに来ていたユリウスさんに振り返った。
『すみませんユリウス様。私はクリミラ様をご案内しなければなりませんので』
『分かっておる。後はワシがやっておく』
クリミラは二人の様子を不思議そうな顔で見た後、小声でティトゥに尋ねた。
『ねえ、ティトゥ姉さん。オットーと話しているのは誰かしら? 私の知っている人だったりする?』
ティトゥは『どうかしら?』と肩をすくめた
『多分クリミラは知らない人ですわ』
『そう・・・。オットーが下にも置かない扱いをしているから、ひょっとして高名な人なのかと思ったわ』
二人の会話が聞こえていたのだろう。周囲の空気は一転、何とも言えない微妙な感じになった。
メイドの一人が、ユリウスさんに聞こえないように、こっそりクリミラに耳打ちした。
『あの、クリミラ様。あちらの方はユリウス・ノーシス様――』
『はあっ?! のの、ノーシス?! ノーシスってひょっとして、あの宰相一家で名高いノーシス家?! ええっ?! ユリウスって言えばノーシス家の――えっ?! ウソ?! まさかあの宰相のユリウス様?!』
クリミラが大声で叫んだことで、メイドの気遣いは台無しとなった。
それはそうと、クリミラはユリウスさんの事を知っていたようだ。
ギョッとこぼれんばかりに目を見開いてユリウスさんを凝視している。
ていうか、ユリウスさんの家族は宰相一家なんて呼ばれているんだ。なんだかカッコイイね。
『何だ。知っていたんじゃないですの』
『はあっ?! ユリウス宰相閣下を知らない貴族なんている訳ないじゃない! 私を馬鹿にしているの?! この国の宰相閣下よ?! 国王陛下に次いで偉いお方なのよ?! ちょっと待って! そんな方がなんでこんな漁村にいるの?!』
クリミラは一気にまくし立てた。
こんな漁村とは随分なご挨拶――いや、こんな漁村か。確かに。
いやいや、ティトゥは決して君を馬鹿にしている訳じゃないと思うよ。
そしてティトゥは、チェルヌィフ商人のシーロがユリウスさんをコノ村に連れて来た時、彼の事を全然知らなかったよ。
ていうか、ティトゥは戦勝式典の時も、叙勲式の時も、ユリウスさんと王城で直接顔を会わせているはずなんだけどねえ。
クリミラは顔を真っ赤にしながら、世間知らずの姉に噛みついている。
ユリウスさんは困った顔をしながら姉妹の間に割って入った。
『当主殿の妹よ。ワシはもう宰相ではない。今のワシはナカジマ領に骨を埋める覚悟を決めた一人の門客に過ぎん。それに使用人達の前で貴婦人がそう声を荒げるものではなかろう。はしたないぞ』
『そんな! ユリウス様! うちの姉こそ失礼を致しております! 姉の無礼をお許し下さい! ちょっとティトゥ姉さん聞いてるの?! 頭が高いわよ!』
ぺこぺこと米つきバッタのように頭を下げるクリミラ。ますます困った顔になるユリウスさん。
頭が高いって・・・ユリウスさんはどこのご老公様だよ。
そして露骨にイヤそうな顔をするティトゥ。うん。君はもう少し自重しようか。
何ともいえない空気の中、オットーが申し訳なさそうにクリミラに声を掛けた。
『あの、クリミラ様。こんな場所でいつまでも立ち話をするのもどうかと思いますので、一先ずは家にご案内してよろしいでしょうか』
『オットー! あなた――いいわ、場所を移して話をしましょう。あの、ユリウス様は・・・』
『ワシはしなければならん仕事がある』
『クリミラは大袈裟なのですわ。本人が門客扱いでいいと言っているんだから、それでいいじゃないですの』
『ちょっとティトゥ姉さんは黙ってて! いい訳ないでしょう!』
ティトゥの文句をクリミラはバッサリと切り捨てた。
ユリウスさんは、『付き合い切れん』とばかりに小さく首を振ると、テントの中に去って行った。
『あの、クリミラ様』
『・・・分かりました。ティトゥ姉さん』
『――ファルコ達を下ろしたら行きますわ』
「ギャウ?(お話、終わった?)」
ティトゥは、みんなの話が終わるのを大人しく待っていたファル子達を下ろし、二人の世話をメイドに任せるとオットー達の後に続いた。
「キュウー! キュウー!(パパ! カーチャ姉は?! カーチャ姉がどこにもいないよ?!)」
そしてハヤブサよ。メイド少女カーチャは名も無き町に置いて来たから。
いくらあちこち探し回ってもここにはいないから。
ハヤブサの中では、カーチャとコノ村はセット扱いなのかもしれない。
しかし、ちょっとした思い付きでブランチに寄ったつもりが、変な騒ぎになっちゃったなあ。
次回「困り事」