その25 何となく
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ここは王城の王都騎士団詰め所。髭の立派な元騎士団員、アダム・イタガキ特務官は古巣となるこの場所で、かつての上司と今後の警備に関する打ち合わせの最中だった。
「いや、ホントに、特に親衛隊の副隊長からの嫌がらせが酷くて! 面と向かって嫌味を言われるだけならまだしも、時間に遅れるわ貸出しは渋るわで。だからと言って外して進めると、やれ『近衛のメンツがどうの』『職権乱用がどうの』とうるさいったらありゃしない。アンタ達が協力してくれないからこっちでやってるんですよ? そもそも王家の護衛はそっちの仕事じゃないですか。口先ばかりで動いてもトロクサイし、もういいからアンタ達は王城の奥で自慢の鎧を擦り切れるまで磨いていて下さい、って話ですよ」
どうやら打ち合わせではなく、愚痴をこぼしているようだ。
さっきから滔々と王家親衛隊の不満をまくしたてている。
彼から愚痴を聞かされているのは、かつての王都騎士団副長。カミル将軍が王城に入ってからは繰り上がりで昇格、現在は団長になっている。
彼は、伝統的に脳筋揃いの騎士団の中にあって、数少ない話の通じる良識派として知られている。
しかし、そのせいか割を食う事も多く、この半年の気苦労ですっかり老け込んでいた。
ちなみにアダム特務官は、何も愚痴をこぼしに、わざわざこんなところまで来た訳ではない。
現在、王都の南、ラーンスカーの町にカミルバルト新国王の妻子が到着している。
明後日、カミルバルトは王城を出て妻子と合流。そのまま一家で王城に入る事が決まっている。
アダム特務官は警備の打ち合わせのために、王都騎士団詰め所を訪れたのだ。
それが何故かこうして親衛隊の愚痴になっているのだが、実はこれには理由がある。
ぶっちゃけて言えば、妄信的に国王に忠誠を尽くす親衛隊にとって、新参者のアダム特務官は自分達の職権を侵害する邪魔者なのだ。
彼らの非協力的な態度は、あらゆる場面でアダム特務官の足を引っ張っていた。
しかし、アダム特務官としては、警備上、どうしても彼らを頼らざるを得ない。今まで派閥を作る事を避けていたカミルバルトはどうしても使える手ごまが――信用出来る部下が少ないからだ。
アダム特務官は、毎日のように親衛隊をなだめすかし、公式の場では相手を立て、裏では袖の下を渡しながら、騙し騙し彼らを使っていた。
そんな相手におもねる態度が、また親衛隊の増長を助長する。
正に負のスパイラル。
アダムが不満を溜め込むのも、もっともである。
「今朝も、”イタガキ”とはまた奇をてらった家名を付けたものだ、聞いた事もない名だがどこの僻地の蛮族の言葉かな? などと嫌味を言われまして。どれだけ”ハヤテ殿から貰った家名だ”と言ってやりたかったか」
「ああ、そういえばアダムの家名はあのドラゴンに付けて貰ったんだったか」
現在、国民の人気をカミルバルトと二分する存在。それはドラゴン・ハヤテとナカジマ家の当主でありハヤテの契約者ティトゥ、二人の”竜 騎 士”である。
アダム特務官の家名”イタガキ”は、そのハヤテに付けて貰ったものだった。
アダムはカミルバルトから直々に下士位の貴族に引き上げられ、家名が必要となった際、『どうせなら付き合いの深いハヤテに決めてもらおう』と考えた。
前々からハヤテはアダムの自慢の髭を見る度に、『歴史の教科書で見た板垣退助に似ているなあ』と思っていた事から「じゃあイタガキで」とあっさり決まった。
こうしてアダムの家名はイタガキに決まったのである。
ちなみに当主と言っても治める土地は持っていない。
日本で言えば江戸時代の蔵米知行(※家臣に対して土地を与える代わりに蔵米――給金を与える制度)、あるいは今のサラリーマンを想像してもらえばいいかもしれない。
王城で務める貴族のほとんどはアダム特務官同様、王家から給金を支払われる下士位貴族なのである。
「ドラゴンの言葉だと言ってやれば良かったんじゃないか?」
「・・・彼らはハヤテ殿の活躍を人伝にしか知りませんからね。敵愾心というかライバル意識が強いんですよ。あまりうかつに名前を出すのもどうかと思いまして」
「はあっ?! ドラゴンをライバル視?! 親衛隊は正気か?! 俺達人間が逆立ちしたってドラゴンにかなうわけがないだろうが!」
団長の言葉にアダムは「ですよね」と苦笑した。
彼らはこの冬の帝国軍との戦い、いわゆる”新年戦争”に参加している。
帝国軍五万に対して、こちらの戦力は約四千。いくら地の利がこちらにあるとはいえ、涙が出る程圧倒的な戦力差だった。
彼らは全員、死を覚悟して戦いに臨んでいた。
この絶望的な戦力差をたった一人で(一匹で?)ひっくり返したのが、ドラゴン・ハヤテだった。
開戦早々、ハヤテの強力な攻撃は、敵の主力部隊を文字通り吹き飛ばした。
五万の帝国軍はハヤテたった一人に翻弄され、算を乱して逃げ惑ったのだ。
ミロスラフ王国軍は混乱する敵に襲い掛かり、散々に打ち破り、彼らを撤退にまで追いやった。
帰還したカミルバルトを王都の民は熱狂的に褒め称えたが、あの戦場に立った者達は全て、あの勝利はドラゴン・ハヤテによってもたらされた物である事を知っている。
「私もハヤテ殿に関しては色々とナカジマ様から聞かされていました。ですが、実際にその力を目の当たりにしたのはあの日が初めてでした」
「俺は戦場の後始末の指揮を執ったが、ドラゴンの攻撃で死んだ敵兵の死体はそれは無残なものだった。バラバラの死体や体が大きく抉れた死体、一体どんな力が加われば人間の体があそこまでボロ雑巾のように破壊されるのか想像もできない。正直言って、同じ死ぬにしてもあんな惨たらしい死に方だけは御免だ」
戦の興奮が過ぎ去り、事後処理をする段になり、戦場に残された爪痕に兵士達の背筋は凍り付いた。
大きく抉られた大地。原型を留めない死体。惨たらしく破損した死体に、無造作に転がる誰の物とも分からない千切れた体の部位。
取り残された帝国兵達は、魂が抜けたように無反応で、負傷した体の痛みすらも感じていない様子だった。
ハヤテの力は破壊の象徴として、戦場にいた全員の心に深く刻まれた。
「ナカジマ領で元ゾルタ兵の捕虜が、大人しく開拓に従事している理由がようやく分かりましたよ。一度でもハヤテ殿と敵対してしまえば、もう二度と敵に回るなんて考えたくもないんでしょう」
「そうだな。俺達騎士団は、命じられればどんな相手とでも戦わなければならない。だが、どうやったって敵わない相手だけは勘弁して欲しいものだ」
親衛隊の愚痴から急展開。何故かハヤテの話に着陸したところで、二人はしんみりとため息をこぼした。
丁度会話が途切れたこのタイミングで、騎士団員が息せき切って詰め所に飛び込んで来た。
「ドラゴンです! 王都の上空をドラゴンが旋回しています!」
「「なにっ?!」」
噂をすれば影が差す。
ハヤテにはいざという時にカミルバルトの妻子を乗せて逃がすように依頼をしている。
まさか、彼らが宿泊しているラーンスカーの町で何かあったのでは?
アダム達の顔からサッと血の気が引いた。
アダムは王都の外、騎士団の壁外演習場の大天幕に駆け込んだ。
中ではいつものようにハヤテが翼を休め、そこには彼のパートナー、ティトゥ・ナカジマと、アダムの知らない貴族の女性が立っているだけだった。
カミルバルトの妻子――妻インドーラと長女ユーリエはどうしたのだろうか?
アダムはキョロキョロと忙しく辺りを見回した。
ちなみに騎士団団長は、部下を指示して騎士団員を集めている最中である。
戦力が集まり次第、この場に向かう手はずとなっている。
「アダム特務官、ごきげんよう。クリミラ、こちらは王城で特務官をしている、アダム殿ですわ」
「バナーク家の当主アランの妻、クリミラです。初めまして」
「えっ? あ、アダム・イタガキです。いや、そんなことよりナカジマ様、陛下のご夫人方はどうしたのですか?」
「「「?」」」
何故かティトゥはのんきに挨拶をして来た。
額に汗をビッシリ浮かべて、落ち着きなく周囲を見回すアダムに、ティトゥとクリミラ、そしてハヤテは頭にハテナマークを浮かべた。
『あっ! しまった、そういう事か!』
「どうしたんですの? ハヤテ」
ハヤテはアダムが慌てている理由に気が付いたようだ。困ったような雰囲気でティトゥに説明を始めた。
ハヤテの話す言葉は”聖龍真言語”という、人間には決して理解の出来ない高度な言語である――というティトゥの脳内設定の日本語である。
相変わらずアダムには、ハヤテが何を喋っているのかさっぱり分からなかった。
ハヤテの説明に、ティトゥは「ああ」と納得すると、申し訳なさそうにアダムに振り返った。
彼女の表情と声色に、アダムはその瞬間、先程までとは別の方向で嫌な予感を覚えた。
「あの。私達はそこにいるクリミラに、あ、クリミラは私の妹ですわ、クリミラに空から見た王都を見せてあげたくて飛んで来ただけなんですの」
「・・・は?」
アダムの嫌な予感、的中である。彼は頭の中が真っ白になってしまった。
この二人の表情を見て、ようやくクリミラもおおよその事情を察した。
彼女は事前に姉は(というかハヤテは)、カミルバルト新国王の妻子を護衛するために、この旅に加わったと聞いていたからである。
どうやらこの髭の男性は王都での警備責任者で、ハヤテの姿を見て、彼がカミルバルトの妻子を乗せて逃げて来たと勘違いをしたようだ。
「王都を見せに? 何で? どうしてそんな事をしようなんて思ったんですか?」
虚ろな目で前のめりになるアダム。
ティトゥは困った顔で首を傾げた。
「何でって・・・何となく?」
あまりと言うにはあまりの言葉である。
この日、ぽっかりと時間の空いたティトゥ達は、暇つぶしに久しぶりに空を飛ぶことにした。
この時、たまたま同乗したティトゥの妹クリミラが、遠くに王都の町を発見した。
話の流れで、折角だから空から王都を見てみよう、という事になり、こうして彼らは王都まで足を延ばしたのである。
そこに深い理由は無い。まさに”何となく”だったのだ。
「ハヤテなら直ぐですし。目的もない飛行だったので、それでもいいかな? と思ったのですわ」
「それでもいいかなって・・・そんな・・・」
愕然とするアダム。
この空気に流石に居心地が悪くなったのか、ティトゥは妹の背中を押してハヤテの方へと押しやった。
「き、休憩も終わったので、私達はお暇しますわ。それではごきげんよう」
「あの、ティトゥ姉さん。本当にこのまま帰っちゃってもいいの? あの人泣いているわよ?」
妹を連れ、そそくさとハヤテの操縦席に乗り込むティトゥ。
轟音を上げてハヤテが飛び立ってから三十分後。騎士団団長が部下を引き連れて壁外演習場に駆け込んだ。
そこにはすっかり不貞腐れて昼間から酒をあおるアダムの姿だけがあった。
次回「ブランチ」