その10 カーチャを襲う災難
ティトゥの住むマチェイから王都まで、今のペースで進んで三日で着くという。
『馬だと一泊で着くけどね』
髭モジャおじさんはなぜか僕のことが気に入ったようで、休憩時間になるとこうやって話をしに来るようになった。
・・・ティトゥ目当てじゃないよね。
ちなみに髭モジャおじさんはやはりこの部隊の隊長だったらしい。他の団員から『アダム班長』と呼ばれていた。
まあ、あきらかにこの人だけ年期が入ってるからね。
どうやらこの10人ほどで、一つの「班」を作り、それらがまとまって一つの「隊」になるようだ。
細かな編成は分からない。ミロシュ君の勉強会でも、流石に軍編成なんて習わなかったからね。
取り敢えず、髭モジャおじさんはアダム班長。よし、覚えた。
『今朝、村を出る前に村長に会いましたが、昨日の夜に比べて随分と顔色が良くなっていましたよ』
『流石にあのままにしておくことは出来ませんから』
ティトゥパパが苦笑しながらアダム班長に答えた。
? どういう事?
ちなみに今は大休止と呼ばれる休憩時間だ。
休憩には短い時間の小休止と、座り込んで休むくらいの時間がある大休止とがある。
小休止にはトイレを済ませ、大休止には体を休めたり、軽く食べ物を食べたり、馬に水を飲ませたりする。
本当に急いでいる時は馬を止めず、乗ったままで飲み食いをするそうだ。
アダム班長によると、騎士団には走る馬の上でズボンのすそからナニをヨコチンして放尿するテクニックもあるそうだ。
僕の前で実演してくれたので、ズボンのすそから覗いたナニの頭をチラ見してしまって中々に不愉快だったよ。
もちろんティトゥが席を外していた時の話題ですよ。
ティトゥへのセクハラは僕が断固許さないからね。
『ヴォイタ村はマチェイも親交のある村ですから。プシビル家当主に話を通しておくと約束しておきました』
プシビル家はマチェイ家のお隣さんだ。
マチェイ家と同じ下士位の家で、マチェイ家同様、上士位であるヴラーベル家の寄り子になる。
昨日泊まった名もなき村ことヴォイタ村は、そのプシビルの端、マチェイとの境にある村になる。
ちなみにマチェイにも屋敷のある村以外に村があと3つあるそうだ。
マチェイ家はそれら4つの村をまとめているのだ。
『もし早急に困ったことがあればマチェイからも援助する、と言ってやっと安心してもらえましたよ』
『はっはっは。姫 竜 騎 士の父君の言葉ですからな。今この王国でこれ以上に心強い言葉もないでしょう』
ティトゥパパがしまった、といった顔をした。
二人の会話を興味深げに聞いていたティトゥが、自分好みの素敵ワードに食い付いた。
『姫 竜 騎 士ですって?!』
『・・・ああ・・・』
『ええ。誰が言い出したことかは知りませんが、あなたとドラゴンの雄姿を若い兵達はそう呼んでいますよ。今では王都中その話題で持ち切りですわ』
目を輝かせるティトゥと、顔を手で覆うティトゥパパ。
この感じだとティトゥパパは多分このことを知ってたんだな。
何でも、戦場でティトゥと僕を見た若い兵士達がそう呼びだし、彼らが王都に凱旋した後、王都中に一気にその呼び名が広がったんだそうだ。
『王都の者は、国内を隣国ゾルタの軍に荒らされ、いつゾルタ軍が王都まで現れるか不安にかられていましたからな。
それが戦いが始まってみれば、ほんのひと月ほどで我が軍の圧倒的な大勝利というじゃないですか。
一体何がどうなったのかと興味深々の所に、戦場に行った若い奴らがあちこちで姫 竜 騎 士の活躍を熱っぽく語っている。
そうなれば、みんな「それは一体何だ?!」と、なりますわな』
ティトゥは鼻息も荒くアダム班長の言葉にかじりついた。
ティトゥパパは今にも膝から崩れ落ちそうだ。
『絵心のある兵はこぞって姫 竜 騎 士の姿絵を描き、それがまた飛ぶように売れる。
芸術家もその逸話に刺激を受け姫 竜 騎 士の絵画や彫刻を作る。
これもまた商人や貴族達に飛ぶように売れる。
姫 竜 騎 士にあやかった商品が作られ、姫 竜 騎 士の活躍をうたった唄が作られ、王都は今ちょっとした姫 竜 騎 士ブームの真っ盛りなんですよ。』
ティトゥは両手を組んで祈りを捧げるようなポーズで天を仰いでプルプルと震えている。
そんなに嬉しいかね、ティトゥさんや。
でもね。隣にいる君のお父さんは似たようなポーズで口から魂を吐き出しているよ。
その時、少女の許しを乞う叫び声と、男の怒鳴り声が辺りに響いた。
少女の声はティトゥ付きのメイド少女カーチャ。
男の声はパンチラ元王子だ。
◇◇◇◇◇◇◇◇
カーチャは湯の入った鍋を持って走っていた。
今は大休止中で、騎士団の団員達もあちこちに座り込んで、軽い食事を摂ったり水を飲んだりしている。
騎士団の中には要領の良い者もいて、こういったちょっとした時間に手早く薪を集めて火を起こし、お茶を飲んだりする。
カーチャはその団員に頼んで、当主とティトゥのためにお茶を入れるための湯を沸かしてもらっていたのだ。
彼はカーチャの頼みに快く応じてくれた。
ティトゥ本人は知らない事だが、ティトゥは現在、騎士団の若い団員達に絶大な人気を誇っている。
今回の任務に選ばれた彼らも、並々ならぬ意気込みでこの任務に挑んでいた。
しかし、ティトゥはドラゴンの背中から決して降りようとしない。
そのこともあって、ティトゥの世話役であるカーチャは、ティトゥに憧れる彼らにとってマスコットキャラクター的人気を得ていたのだ。
カーチャは鍋の湯をこぼさないように走る。
そのため周囲に対して注意力が散漫になってしまったのだろう。ひときわ豪華な馬車のかたわらを走る際、そのドアが開いて男が出てくることに気が付かなかった。
バシャッ!
『きゃあっ!』
『うおっ!』
男にぶつかりそうになって危うく避けるカーチャ。
彼女は尻もちをつき鍋は地面に転がってしまったが、彼女の咄嗟の判断で幸い中身の湯は男にかからずにすんだ。
男が誰なのか気が付き、真っ青になるカーチャ。
男ーー元第四王子パンチラ・ネライはメイド少女の姿と、その足元に転がった鍋から立ち上る湯気で、今の状況を察した。
『お前! 俺に熱湯をかけるところだったのか!!』
『も・・・申し訳ございません!』
地面に額をこすりつけ平謝りのカーチャ。
どっちが悪いという話でいうのなら、パンチラ元王子も馬車から降りる時に注意を払っていなかったのだから両方悪いということになるだろう。
しかし、方や元王子、現・上士位名門ネライ家の分家当主ネライ卿。
方や平民のメイドである。
どちらが悪いことになるのかなど言うまでもないだろう。
『どうされましたか、ネライ卿』
慌てて騎士団班長アダムが走って来た。
『この女が、俺に危害を加えようとしたのだ!』
この少女が? アダム班長は地面に額をつけて震えるカーチャを見下ろした。
遅れてマチェイ家当主シモンとその娘ティトゥも駆け付けた。
恐ろしい光景に顔面蒼白になるティトゥ。
シモンはかたわらの娘に目をやり気遣う態度を見せたが、今は彼女のメイドのところに向かうことにしたようだ。
『何があったか話すことは出来るね』
『は・・・はい!』
シモンはカーチャのかたわらに膝を付くと、カーチャの肩に手を乗せ優しく問いかけた。
震えながら顔を上げるカーチャ。
カーチャの語るその内容に辺りに漂う緊張が次第に薄れていった。
『では、ネライ卿にはぶつかっていないし、鍋の湯もかかっていないのだね』
『はい!』
シモンはカーチャから顔を上げてネライ卿を見た。
『我が家のメイドがネライ卿にご迷惑をお掛けしたこと、当主の私から謝罪申し上げます』
頭を下げるシモンに、周囲の騎士団員もホッとした表情を浮かべた。
事故と言うほどのこともない実害のないトラブルである。メイドの雇い主である当主が自らが頭を下げたのだから、これ以上の落としどころは無いだろう。
これでこの件は片が付いたのだ。
だが、この中でそう思っていない人間がいた。
ネライ卿だ。
『ダメだ! 俺はゆるさんぞ!』
ネライ卿はこの旅の間、溜まったストレスを理不尽に他者に当たり散らすことで解消してきた。
この時も彼のストレスは限界だったのだ。
下士位とはいえ貴族が頭を下げたのに、ネライ卿はこれ以上何を望むのか?
急速に場の空気が白けていった。
『ではいかがすれば?』
シモンも困惑気味だ。
ネライ卿は周囲をざっと見渡すと、顔色が真っ青になって立ち尽くすティトゥを見つけた。
ネライ卿と目が合い、咄嗟に視線を外して身を硬くするティトゥ。
ふんっ! ネライ卿は鼻を鳴らすとカーチャを指差した。
『この女に鞭を打て!』
辺りは困惑に包まれている。
その中心にいるのは肩をはだけ、両膝をついた一人の少女。
上半身は肌着姿で、胸元には自らの脱いだメイド服を抱えている。
一人の若い騎士団員が乗馬用の鞭を手に少女の背後に立つ。
よくしなる木の枝に皮紐を巻いただけの粗末な作りの鞭だ。
手の鞭と少女の背中を見ると、救いを求めるように、ネライ卿に振り返る。
『何をしている、早くやらんか!』
ネライ卿の声に、若い騎士団員はしぶしぶ鞭を振り上げる。
ピシッ!
『っつ!』
鞭が肉を打つ音が響く。
歯を食いしばって耐える少女。
若い騎士団員は無言でゆっくりと鞭を振るう。
鞭打ちが数回を数えた時、ネライ卿が騎士団員に近づくと彼の手から鞭を奪った。
『違う! こうだ!』
ピシッ! ピシッ! ピシッ! ピシッ! ピシッ! ピシッ!
連続で打ち下ろされる鞭に少女の膝が崩れ、四つん這いに倒れ込んだ。
その背に鞭を打つネライ卿。
やがて満足したのか、ネライ卿は鞭を放り出すと自分の馬車に戻って行った。
うつ伏せに倒れる少女に近づき、かたわらに膝をつくマチェイ家当主。
『騎士団で使う傷薬があります』
『・・・お願いします』
騎士団員に支えられて使用人の馬車まで運ばれる少女。
痛ましい姿に眉間に皺を寄せる騎士団員達。
ティトゥは一人離れた場所で震えながらその光景を見つめていた。
次回「怒る疾風」