その23 ティトゥの悩み
今日はティトゥに元気がない。
今もヴラーベル家の庭でファル子達をあやしながら、心ここにあらずといった感じだ。
実はティトゥの元気が無いのは今日に始まった事ではない。
この旅が始まった割と序盤からだった気がする。
最初は窮屈な馬車の旅のせいかと思っていたが、違ったんだろうか?
先日、両親と再会した後は、しばらく元気を取り戻していたが、両親が王都へ旅立ってからは、再び沈みがちになっていた。
「ティトゥ。何か心配事でもあるのかい?」
『少し疲れているのかもしれませんわね。ハヤテが気にするような事じゃありませんわ』
僕が尋ねても、こんな感じで誤魔化されてしまう。
ティトゥは結構頑固なので、こうなってしまったら絶対に教えてくれない。
真剣に思い悩んでいたり、ふさぎ込んだりしている様子でもないので、そう言われてしまえば僕としてもあまり踏み込んでは聞き辛い。
どっちかと言えば”ボンヤリしている”といった感じだ。
・・・ひょっとして年頃の娘を持つ父親は、今の僕のような気持ちなんだろうか? 知らんけど。
僕達がヴラーベル家の屋敷に宿泊するのは今日で五日目となる。
当初は三日と聞いていたから、二日間も延長している事になる。
実は王都から護衛が来る予定となっているのだが、彼らの到着が遅れているんだそうだ。
――などと考えているうちに、屋敷の門の辺りが騒がしくなった。
何事かと様子を窺っていると、馬に乗った騎士団員の姿がチラホラと目に入るようになった。
噂をすれば影が差す。どうやら護衛の王都騎士団が到着したようだ。
しばらくすると、ピカピカの立派な鎧を来た騎士団員が笑顔で歩いて来た。
僕達に将ちゃんの家族の護衛を依頼して来た騎士団員だ。
名前は確か――ええと、アレだ。アダム特務官の部下というか同僚の男である。
覚えてないのかって? いや、忘れている訳じゃないんだよ。この辺まで出かかっているんだよ。ホント、ホント。
『ナカジマ様! ハヤテ様! ご苦労様でした!』
屋敷の主に到着報告をした後なのだろう。アダム特務官の同僚君は屋敷のテラスから庭に出て来た。
『ここからは我ら王都騎士団も護衛に付きます!』
『だったら私達はお役御免ですわね』
『あ、いや、そんな。出来れば一緒に来てもらえれば助かります』
ティトゥの言葉に同僚君は慌てて手を振った。
僕達としてもここまで一緒に来た以上、ここで別れるのも中途半端な気がする。
それにもしも、別れた直後に将ちゃんの家族に何かがあったら、後悔するどころの話じゃない。
どうせなら最後まで付き合おうじゃないか。
護衛の到着を受けて、さっきから屋敷が騒がしい。
どうやら出発の準備が始まったのかもしれない。
とはいえ流石に今からだと時間的に遅すぎる。出発は明日の朝になるんじゃないだろうか?
同僚君はサッと踵を鳴らして敬礼をした。
『では、私は明日からの打ち合わせがありますので。失礼します』
「ギャウーギャウー(※興奮している)」
踵を打ち鳴らす仕草が琴線に触れたのか、ハヤブサが興奮して同僚君の靴に齧りついた。
『ハヤブサ様! ウィリアムさんの靴を噛んじゃいけません!』
メイド少女カーチャが慌てて飛び出すとハヤブサを抱きかかえた。
そうそれ! 同僚君の名前はウィリアムだった! 愛称はビル。ようやく思い出せたよ。
ていうか、カーチャは良く覚えていたなあ。
『カーチャは良く覚えてましたわね』
『ティ、ティトゥ様!』
思わず感心するティトゥに慌てるカーチャ。
同僚君ことビルは苦笑いだ。
ごめんビル。僕も忘れてたよ。
翌朝。
王都騎士団を先頭に、僕達はヴラーベル家の屋敷を出発した。
足掛け六日間か。随分と長い間お世話になったもんだ。
『姫 竜 騎 士!』『姫 竜 騎 士!』
町を揺るがす姫 竜 騎 士の大コール。
相変わらずティトゥの人気はスゴイものがあるな。
今なら将ちゃんの代わりにティトゥが国王になれるんじゃない?
宰相に任命されたオットーが死にそうになる未来しか見えないけど。
ちなみに、新たに護衛に加わった王都騎士団員達は、姫 竜 騎 士の掛け声に鼻高々だったそうである。
ティトゥの騎士として行軍しているような気分で、ナカジマ騎士団に呼ばれなかった鬱憤が少しだけ晴れたんだそうだ。
君らも相変わらず拗らせているねえ。
でも君らはティトゥの護衛じゃなくて、将ちゃんの奥さんと娘さんの護衛だから。
そこの所は間違えないように。
さて。王都騎士団も加わった事で、更に備えは盤石。
翌日、翌々日と何事もなく順調に旅は続いた。
こうして三日後、僕達は遂に王都手前の町に到着した。
明日はこの旅の終わり。いよいよ王都へ到着である。
◇◇◇◇◇◇◇◇
その日の夜は真夏を夜を思わせる蒸し暑さとなった。
寝苦しさにティトゥはベッドから抜け出し、部屋の空気を入れ替えるために鎧戸を開けた。
月明かりに煌々と照らされる町並みに、ティトゥはふと既視感を覚えた。
「ああ。ここは”誓いの町”だったわね」
ティトゥが”誓いの町”と呼んだこの町は、一年前、王都の戦勝式典に参加する旅の途中で宿泊した町だった。
そう。カーチャを鞭で打ったネライ卿を、ハヤテが空中機動で撃墜したあの町である。
どうりで昼間は、他の町に比べて、やたらと姫 竜 騎 士コールに力が入っていた訳だ。
この町の人達は、一年前に自分達が見た飛行物体が、帝国軍と戦ったドラゴンだと知っていたのである。
「町長がヨナターン家の人達を出迎えながら、やけにチラチラとハヤテの方を見ていたわけですわ」
どうやら町長は、関わりの薄いヨナターン家の貴族達より、世間で噂のドラゴンの方が気になって仕方がなかったようである。
ティトゥは夜空に輝く月を見上げた。
一年前のあの夜も、ティトゥはこの町でこうして月を見上げていた。
あの時、彼女は月に誓った。
自分はハヤテの契約者としてふさわしい、強く気高い人間として生きる、と。
あれから約一年。自分があの時の誓いをどこまで守れているかは分からない。
しかし、ずっとハヤテに寄り添い、苦楽を共にして来たという自負はある。
「でも・・・私は今、迷っていますわ」
ハヤテのパートナーとしての人生を選んだことに後悔はない。
だというのにティトゥは、妹夫婦から結婚の話をされた時、どう答えれば良いか分からなかった。
貴族としての人生。それはティトゥにとって今まで考えるでもなく、当たり前のものだった。
生まれた時から貴族で、両親も姉妹も生まれた時から貴族だった。
貴族の人生とは? 貴族として生きるとは?
それは毎日パンを食べる事に何の疑問も覚えないように、幼い頃から一度として覚えた記憶の無い疑問だった。
そう。妹のクリミラから結婚の話をされるまでは。
貴族家の当主である以上、いや、貴族である以上は、結婚し、子を成し、家の血筋を残さなければならない。
ティトゥにだってその事は分かっている。当然だとも思っている。そこに疑問を挟む余地はない。
だが、具体的には何も想像出来ないのだ。
自分がどこかの貴族の伴侶となり、夫の子供を抱く。
母親がしてくれたように、自分も子供の服に刺繍を入れる。
そんな当たり前の未来が全く思い浮かばない。
彼女にとってパートナーと言えばハヤテであり、ハヤテに乗って大空を駆けまわっている自分の姿の方が、ずっと鮮やかで具体的に想像出来た。
ティトゥはそんな自分の心に戸惑い、悩んでいた。
ずっと当たり前だと思っていた事を、何故か今では当たり前だと思えない。周囲が当たり前だと思っている事を、何故か自分では当たり前だと思えない。
不幸な事にティトゥは自分の気持ちを誰にも相談出来ずにいた。
なぜならティトゥはこの国で、いや、この世界で初めてドラゴンと契約を交わした竜 騎 士となった。
そして、ティトゥの勧めでハヤテと契約を交わしたマリエッタ王女を除けば、ただ一人の竜 騎 士なのである。
「私はどうしてしまったのかしら・・・。これからどうすればいいのかしら・・・」
ティトゥの言葉に答えてくれる者はいない。
彼女は自分で答えを見付けなければならなかった。
次回「クリミラ空を飛ぶ」