その21 ヴラーベル領
翌日からはこの町の貴族家当主――ティトゥの妹の旦那さんもこの旅に加わる事になった。
というか、元々その予定だったようだ。
即位式にはこの国の貴族家全員の参加が義務付けられている。
ティトゥの妹の嫁ぎ先は、ヨナターン家の寄子の貴族家だ。当然王都へ向かわなければならない。
今朝、僕の所を訪れたティトゥは、昨日の疲れが残っているのか少し元気が無かった。
そんな彼女に比べて、ファル子達は旅の疲れもなんのその。元気いっぱいにティトゥの手から朝食のおにぎりを貰っている。
『ねえハヤテ。今日はハヤテに乗って行きたいですわ』
う~ん、それはどうなんだろう。
中庭からは見えないけど、早くも屋敷の外がざわついている。
どうやら今日もスゴイ数の野次馬達が集まっている様子だ。
『オススメ デキマセンワ』
『どのみち町の外に出るまでは無理なんじゃないでしょうか?』
メイド少女カーチャが、ハヤブサの口の周りのお米粒を取ってあげながら指摘した。
そういやそうか。
安全のため、僕は町中では姿が見えないように、スッポリとテントを掛けられた状態で移動している。
なにせ危険なドラゴンだからね。ではなく、僕の姿をひと目見ようと集まっている人達が押し寄せてケガをしないように、と配慮しての事だ。
いやはや人気者は辛いっす。
「そうだね。町の中ではテントを掛けられているから、操縦席には乗らない方がいいんじゃないかな。もし何かあった時に君が困ると思うから」
『だったら、町の外に出た後ではどうなのかしら?』
何だか知らないけど、今日のティトゥは妙にグイグイ来るね。どうやら彼女は昨日、余程馬車の中で窮屈な思いをしていたようだ。
「どの道、僕達が決める事じゃないかな。ヨナターン家の当主と護衛の騎士団の人に聞いてみればいいんじゃない?」
『! 分かりましたわ!』
ティトゥはいつもの明るい表情を取り戻した。
今朝はずっと沈んだ表情をしていたので、僕は安心して胸をなでおろした。――四式戦闘機ボディーには胸もなでおろす手もないけどね。
この後、彼女はヨナターン家の当主に話をしたそうだ。
しかし、隣で話を聞いていた妹から、『だったら私達の馬車に乗って頂戴』と言われ、断り切れずにそちらに乗る事となった。
少し残念だったけど、僕にはいつでも乗れるからね。
久しぶりの姉妹の再会なんだから、そっちを楽しむといいよ。
そんなこんなで、特に事件もなく馬車の旅は続いた。
最初に覚悟していた反カミルバルト派の襲撃も無く、旅は平穏そのもの。むしろ退屈過ぎて「なんで僕はこんなところにいるんだろう?」と思うくらいだった。
とはいえ、僕の役目はあくまでも将ちゃんの奥さんと娘さんのための緊急脱出装置だ。
僕の出番なんて無い方がいいに決まっている。
ごくつぶし上等。安全第一。保険というのは使われないのが一番。そもそも加入者が全員支払いを求めれば保険会社だって倒産してしまうだろう。
こうして数日後。
馬車の列はヨナターン領を出て、お隣のヴラーベル領に入ったのだった。
ヴラーベル領はティトゥの実家、マチェイがある土地だ。
ティトゥとしては思わぬ形での里帰りとなった訳である。
『私がここに戻って来るのは、ほんの数か月ぶりだけど』
ティトゥの妹、クリミラはそう言って苦笑した。
今は休憩時間。
彼女はこうして休憩の度に、ティトゥと一緒に僕の所に顔を出すようになっていた。
時にはこの二人に将ちゃんの奥さんと娘さんが一緒に来る事もある。
娘さんはファル子が大のお気に入りだ。しかしファル子の方は、最初に彼女に翼を掴まれた事で、苦手意識を抱いているようである。
娘さんの声が聞こえる度に脱走を図り、ティトゥ達の手を焼かせていた。
クリミラは人当たりが良い、というか、要領の良い女性のようで、僕とも直ぐに抵抗なく話すようになった。
姉妹でもどこか不器用なティトゥとはえらい違いだ。
ティトゥはティトゥママの天然を、クリミラはティトゥパパのしっかり者で人当りの良さを、それぞれ受け継いだのかもしれない。
『いつの間に里帰りしていたんですの?』
『それが本当についこの間の事なの。雪が溶けてすぐだったから、三~四ヶ月ほど前かしら』
ふむ。丁度僕達がチェルヌィフに向けて飛び立っていた頃か。
この冬、帝国南征軍がこの半島に進軍を開始した。
僕達の活躍もあって、彼らはこの国の国境を越える事は出来なかったのだが、実家を心配したクリミラは、街道の雪が消えると共に結婚して以来初の里帰りをしたんだそうだ。
『ネライ卿の事もあって、実家とはずっと連絡を取っていなかったものね。みんな変わりなくて良かったわ』
ネライ卿? ああ、あのティトゥのストーカー卿ね。
ティトゥパパは、ティトゥに執着するストーカー卿がクリミラの嫁ぎ先にまで迷惑をかけないように、娘との連絡を絶っていたそうだ。
昨年、そのストーカー卿がめでたく失脚したので、クリミラは遠慮する事無く里帰りをしたんだそうだ。
『本当は、王都の新年式に行く途中で足を延ばしてマチェイにも立ち寄ればいいかな、と思っていたんだけど、今年は帝国軍との戦もあって、新年式自体が無かったじゃない? 次は一年後になるならその前にって。・・・でも半年もしないうちに、またヴラーベル領まで来る事になるなんて想像もしなかったわ』
それはそれはご愁傷様。
交通機関の未発達なこの世界では、旅行をするのも一苦労だ。
ティトゥは僕に乗って日帰りで王都まで往復するけど、本来であれば何日もかけて馬車に揺られなければならない。
他領への里帰りともなれば、かかる時間も費用も馬鹿にならないのだ。
『そうだ! 実家でテオドルが作ってくれたあの料理! ドラゴンメニューって言うのね! あれってハヤテが教えたって本当なの?!』
実家で出された食事を思い出したのか、途端に目を輝かせるクリミラ。
普段は似てない姉妹だが、こんな時の表情やリアクションはどこかティトゥとよく似ている。
しかしそうか。悪魔料理人テオドルの料理はティトゥの妹の胃袋も掴んでいたのか。
「悪魔料理人? ぷふっ。それってテオドルの事ですの?」
『ティトゥ姉さん?』
おっと、つい考えが口からこぼれていたようだ。
僕の言葉にティトゥが小さく吹き出した。
クリミラは急に笑い出した姉に不思議そうな顔をした。
笑顔を浮かべるティトゥに、僕は少しばかり不安を抱いていた。
ここの所ティトゥは元気がない気がする。
今も僕と喋っているのは主にクリミラで、ティトゥはぼんやりと僕を見上げているだけだったり、クリミラに頼まれて僕の日本語を現地語に翻訳するだけで、あまり会話に加わって来ない。
メイド少女カーチャも主人の様子に気が付いているのだろう。ハヤブサを抱きかかえながら心配そうにティトゥを見ていた。
『クリミラ、ナカジマ様、そろそろ出発します』
『分かったわ。行きましょうティトゥ姉さん』
『ええ。じゃあね、ハヤテ』
『・・・ゴキゲンヨウ』
しかし、僕がティトゥに尋ねる言葉を探している間に、休憩時間が終わってしまった。
クリミラの旦那さんに呼ばれて、二人は馬車に戻って行った。
『ファルコ様。足を拭きましょうね』
あちこち探索して足を泥だらけにしたファル子が、メイドさんに抱きかかえられて戻って来た。
「ギャウーギャウー(パパ! お水! お水頂戴!)」
「あーハイハイ。ちょっとカーチャ」
世話のかかるチビドラゴンを忙しく相手している間に、僕はいつしかティトゥの心配をしているどころではなくなってしまったのだった。
馬車の旅は順調に進み、今日の宿泊先となる大きな町に到着した。
町の名前は何だっけ? とにかくこの辺りでは一番大きな町となる。
それもそのはず。ここはヴラーベル領主のお膝元。領主の屋敷のある町なのだ。
いつものように町の外に貴族の馬車が出迎えに来ていた。
見るからにお金のかかった立派な馬車から、良い服を着た、ちょっと髪が薄くなりかけの小太りの男が降りて来る。
赤ら顔の小役人風だが、状況から見て彼がヴラーベル家の当主か、あるいはこの町を治める代官なのだろう。
『これはヨナターン殿、お久しぶりでございます』
『一年ぶりですねヴラーベル殿。王都であった戦勝式典以来でしょうか。互いに息災で何よりです』
ああ。やっぱりこの人がヴラーベル家の当主だったのか。
なんだか頼りなさそうな人だけど、これでもティトゥパパの寄り親だ。人は見かけによらぬもの。こう見えても仕事の出来る人なんだろう。
なんて思っていたけど、後で聞いたら、彼は全然仕事の出来ないダメ領主なんだそうだ。やっぱり人は見かけだね。ダメな人は見るからにダメそうに見えるものなんだろう。(※個人の感想です)
ちなみに、なんでそんな人が領主なのに領地経営が破綻していないのかと言えば、彼の家臣団は歴代最強と言われる程有能な人達が揃っているかららしい。
当主は仕事を全て部下に丸投げして、自分は毎日遊び暮らしているそうだ。
何それ羨ましい。と言ったら、カーチャに『ハヤテ様がそれを言うんですか・・・』と呆れられてしまった。失礼な。
『インドーラ様もご機嫌麗しゅう』
『お世話になります』
将ちゃんの奥さんと娘さんも、スカートを摘まんでちょこんと膝を折って挨拶をした。すっかりお馴染みのカーテシーというヤツだ。
ヴラーベル家当主は、ティトゥを見て小首をかしげた。
見覚えがあるけど誰だっけ? そんな顔をしている。
『ティトゥ・ナカジマですわ』
『ああ! ナカジマ家当主の! マチェイ家の娘さんでしたかな? 叙勲式以来ですな! 帝国軍との戦では大活躍だったとお聞きしておりますぞ! するとあれが噂のドラゴンですか?!』
『え、ええ。ハヤテですわ』
グイグイ来るオジサンに、ティトゥは少々腰が引け気味だ。
彼はさっきからチラチラと興味深そうにこちらを見ていたが、ドラゴンと聞いて急に目の色が変わった。
『おおっ! ドラゴンとは大きなものですなあ! 昨年の戦勝式典のパレードでは王都の空を飛んだとか! 私は馬車の中にいて見る事が出来ませんでしたが、いやあ、さすがドラゴン! 奇相と言うか異相と言うか、我々の想像を超えた生き物ですな!』
珍しモノ好きなのか、目を輝かせて僕に詰め寄るヴラーベル家当主。
ちなみに戦勝式典ではお酒を飲み過ぎて馬車の中で寝ていたらしい。
聖国の使節団、マリエッタ王女が振る舞った聖国の高級果実酒を、浴びる程飲んだんだそうだ。
どれだけ酒好きなんだよ。
赤ら顔だと思ったら酒焼けだったんだな。
「どうも。ドラゴンです」
『喋った?!』
驚いて目を丸くするテンション高めの酒好きオジサン。
この後、操縦席のファル子達を見付けて興奮しきりの彼のせいで、僕達は町を前にしてすっかり足止めを食らってしまう事になるのだった。
次回「家族の再会」