その20 メルトルナ家の屋敷での会談
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ここはミロスラフ王国の東、メルトルナ。
この国では”西のネライ、東のメルトルナ”と呼ばれる二大貴族ひとつ、メルトルナ家。
その屋敷は、町を見下ろす丘の上に建てられていた。
屋敷の客室では二人の男が向かい合っていた。
一人は白髪に白い口髭の五十歳前後の背の高い男。
眉間に大きな皺が寄っているが、特に不機嫌という訳ではない。いつもこういう顔なのだ。
一人は彫りの深い、色黒の三十歳前後の男。
ガッチリとした引き締まった体が目を引く。日焼けを嫌う貴族も多いなかにあって、良く日に焼けた顔からも、彼が実践主義の武辺者である事がうかがわれる。
年上の白髪の男は現ネライ家当主、ロマオ・ネライ。
若い武者男は現メルトルナ家当主、ブローリー・メルトルナ。
この国の二大貴族の両当主が、メルトルナ家の屋敷で相対していた。
ブローリーは上機嫌で酒の入ったカップを掲げた。
「この国最大の貴族、ネライ殿の方から我が屋敷に訪ねて来てくれるとは光栄だ! 歓迎するぜ! さあさあ、遠慮せずに好きにやってくれ!」
そう言うと彼は、返事も待たずにカップの中身をあおった。
逆にロマオは相変わらずの不満顔で一口だけ酒を飲むと、カップを静かにテーブルの上に置いた。
「即位式で王都へ向かう途中に足を延ばしただけだ。光栄に思ってもらう必要もなければ、歓迎の必要も無い」
ロマオの水を差すような言葉に、ブローリーの眉間に僅かに皺が寄った。
「お互い忙しい身だ。本題に入ろう。そちらからの手紙にあった話だ」
「まあ、俺も前置きが長いのは好きじゃない。いいだろう。”二列侯への勅諚”についてだ」
”二列侯への勅諚”。それは当時宰相だったユリウスが、国王ノルベルサンドの名のもとに、七列侯の子孫にあたる上士家の上位二家、ネライ家とメルトルナ家に極秘裏に送った勅諚――命令書の事を言う。
その内容とは、当時の王都騎士団団長カミルバルトが、もしその武力で王城を制圧、新王を僭称した際には、ネライ家とメルトルナ家は協力して貴族家を纏め、偽王を打ち倒せ、というものであった。
「アンタと俺のオヤジが、ユリウス宰相から直々に受け取った勅諚。まさかそんなものがあったなんてな」
ブローリーはカップに酒を注ぐと立ち上がった。
「家令のヤツは最後までオヤジに義理立てしてやがったが、もう歳だ。ちょいと痛めつけて家族纏めて身ぐるみ剥いで追い出すと脅したら、ようやくありかを白状しやがった」
ブローリーは机の引き出しから畳んだ紙を取り出した。
王家が傾き兼ねない重要な書状を、誰に見られるかも分からない場所に無造作にしまい込んでいるブローリーに対し、ロマオの眉間の皺が一層深く刻まれた。
ブローリーの父親である前当主は、粗暴な息子に家を継がせる事を望んでいなかった。
彼はまだ幼い三男が成長した際に、当主の座を譲るつもりでいた。
しかし当然、ブローリーには面白くなかった。
彼は父親が新年の行事で王都に出向いたその隙に、配下を纏めて蜂起。父親を領地から追い出してしまったのである。
領地に残した部下や部下の家族を人質に取られた父親は、慌ててミロスラフ王家に泣きついた。
この時、この事件に対応したのはユリウス宰相だった。
しかし、事件を解決するに当たって、彼のいつもの悪癖が顔を出した。
ユリウスは優秀な吏僚だが、国の乱れを忌避するあまり、問題の抜本的な解決を後回しにしがちな傾向がある。
また彼の基本方針は、常に他者を自分達のコントロール下に置く――もっと悪く言うと他人の足を引っ張って自由にさせない――というものであった。
彼は、当主を領地に戻す代わりに息子に当主を譲るよう、二人に命令した。
いかにも場当たり的な対応であり、また、あえて不和の種を残す事で、今後のメルトルナ家の足を引っ張る狙いもあった。
ブローリーは当主の座が約束されると聞いて、素直に軍を引いた。
当主はユリウスの命令に最後まで渋ったが、領地の部下やその家族の安全のために、最後は折れる事になった。
そもそもこの世界でも、通常は嫡男が家を継ぐのが普通である。三男に跡を継がせようとしていた当主も、自分がお家騒動の火種を作っている、という自覚があったのかもしれない。
当主となったブローリーは、早々に弟達を領地の外に追い出した。その上で父親と父親に従う者達を、まとめて領地の隅の僻地へと追いやった。
こうして独裁政権を築いたブローリーだったが、ここで彼と彼の領地に不幸が襲い掛かる。
半島全土を巻き込む不作である。
この不作は数年に渡って続き、領地の面積に対して農地の少ないメルトルナ家は、たちまちのうちに首が回らなくなってしまった。
ブローリーは王家に頼み込み、作物の支援を受ける事で、どうにか食つなげたのであった。
しかし当主に就任早々、王家に頭を下げるという行為は、彼のプライドを痛く傷付けた。
彼は助けてくれた王家を逆恨みするようになっていた。
ブローリーは勅諚をテーブルの上に放り投げた。
ロマオは目の前の書状を鋭い目で睨み付けた。
「こいつさえあればカミルバルトの即位を不当な物として糾弾出来る。何せ死んだ前王のお墨付きだ。誰にも文句は言わせねえ。ただし――」
「そう。ただしこれはあくまでも”二列侯への”勅諚。メルトルナ家の持つこれだけでは力を持たない」
そう。ユリウス宰相はネライ家ないしはメルトルナ家が、勅諚の文面を自分達に都合の良い形で恣意的に捉え、これを利用して王家に反旗を翻した時の事を考え、書状を二つに分けていたのだ。
二列侯への勅諚は、ネライ家とメルトルナ家が持つ物をそれぞれ合わせた時に初めて効力を発揮するのである。
「そういう事だ。どうだい? 俺と手を組んで王家をひっくり返さねえか?」
ネライ家と王家の繋がりは有名だ。先代国王とチェルヌィフ王朝の王后の仲立ちをした事からも分かる。
しかしそれはあくまでも先王の代の話。今年の初めに先代国王は没し、今まで国政に絶大な影響力を持っていたユリウス宰相も、直後に王城を去っている。
現在、この国の中枢は新興勢力となるカミルバルトの一派で占められている。
ネライ家としては面白いはずはない。
カミルバルトが正式に国王になってしまえば――今のチャンスを逃せば、王家の力は更に増し、逆にネライ家の力は下がる。
昨年、王家に取り上げられたペツカ地方は、現在開発ラッシュの真っ最中である。
ネライ家は開発に乗り遅れただけでなく、隣接するナカジマ領への領民の移動も大きな問題となっている。
実際、ロマオも寄子の貴族家から、「領民の流出をなんとかして欲しい」と、突き上げを食らっている。
ここで王家の力が増せば、今度は王家の所有する領地へ移動する領民が増えるのは間違いない。
領民の減少は経済活動の縮小に繋がり、税収の減少へと繋がる。
寄子の貴族家を守るためにも、これ以上、ネライ家の力を落とすわけにはいかない。
ロマオの眉間の皺が深まった。
不愉快そうにしかめられた顔を、何食わぬ顔で見つめ返すブローリー。
「――話してみろ」
「そう言ってくれると思っていたぜ」
ブローリーは満足そうにカップの酒をあおった。
会談を終えて部屋を出ると、ロマオは彼の腹心の部下を呼んだ。
どことなく印象の薄い地味な男だ。
ロマオは声を潜めて彼に命じた。
「メルトルナ当主の背後を洗え。あやつに二列侯への勅諚の情報を伝えた者がどこかにいるはずだ」
部下は黙って頷くと滑るような動きで姿を消した。
ロマオはその場を歩き去ろうとして、廊下に置かれた陶器の大壺にふと目を止めた。
「ほう・・・。これは立派な聖国陶器だ」
卓越した審美眼と芸術を愛する心を持つロマオは、こんな状況にもかかわらず、思わぬ美術品との出会いに密かに心を躍らせた。
彼は食い入るようにためつすがめつ陶器の大壺を眺めた。
しかし、こんな場面でも彼の不機嫌そうな顔はいつもと変わらなかった。――いや、むしろ何割か増しで不機嫌そうな表情になっていた。
顔を真っ赤にして怒りをこらえているようなロマオ(※実際は喜びで興奮していただけなのだが)の姿に、屋敷の使用人達は、「あの壺のどこがそんなに気に障ったのだろうか?」と、生きた心地がしなかったそうである。
ロマオが部屋を出るのと入れ替わりに、部屋の反対側、奥に通じるドアが開いた。
そこに立っているのは、大きく胸元の開いた煽情的なドレスを着た妖艶な美女だった。
美女はスルスルと部屋に入ると、ブローリーの手からカップを取り上げた。
不躾な女の態度に、しかし、ブローリーはやにさがった顔を見せるだけで何も言わない。
女はブローリーの最近お気に入りの情婦だった。
「今日は随分とご機嫌ね。さっきの立派な貴族様と楽しい話でもしていたのかしら?」
「まあな。アイツと――おっと、さすがのお前にもこれだけは言えねえ」
「あら連れない。私のような端女を気にする当主様ではないでしょう?」
しな垂れかかる美女からは、かぐわしい香の香りが立ち昇った。
連夜の淫靡な快楽を思い出させる匂いが、ブローリーの男の中枢を刺激した。
「まあお前になら別に喋ってもいいか。アイツと手を組むことにしたんだよ」
「手を組む? 本当に?」
美女の疑わしげな言葉は、ブローリーの神経を逆なでした。彼は女に軽い苛立ちを覚えた。
「あんなに歳のいった枯れた貴族様と、ご当主様が対等に手を組むだなんて信じられない。本当は見かけだけ相手に協力するふりをして、上手い具合に利用する気なんじゃないの?」
「! そ、その通りだ! 良く分かってるじゃねえか!」
「やったー! 当たった! 嬉しい!」
嬉しそうな美女に、顔が緩みっぱなしのブローリー。
ブローリーは自他共に認める武勇に秀でた武辺者だ。部下だろうが領民だろうが、彼を知る者であれば決してそれを否定しないだろう。
しかし、裏を返せば彼は浅慮な猪武者であり、その事実を本人も内心では気にしていた。
この情婦はそんなブローリーのコンプレックスを巧みに突くのだ。
彼女は折に触れ、何かと彼の知恵を誉めそやした。
ブローリーにとって、武力を褒められた事はあっても、知恵者として褒められた事は一度も無かった。
彼女は、自尊心をくすぐる言葉と共に女の武器を巧みに使い、心身ともにブローリーを完全に篭絡していた。
今ではブローリーは、二列侯への勅諚の情報を彼女が持って来た事に、不自然さすら感じなくなっていた。
すっかりいい気分にさせられたブローリーは、自分の行動がまんまと女に誘導されている事に全く気が付いていなかった。
次回「ヴラーベル領」