その19 胸の奥のモヤモヤ
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バナーク家の夕食は中々に手の込んだものだった。
食卓にはホストのバナーク家から、現当主夫妻――ティトゥの妹クリミラとその夫である当主のアラン。それと先代当主となるアランの父とその妻。さらにアランの弟と妹の六人が。
ゲストのヨナターン家からは現当主ヨゼフス・ヨナターンとその妻。夫妻の娘であり、カミルバルトの妻インドーラ。それとインドーラのまだ幼い娘ユーリエの四人。
そしてナカジマ家当主ティトゥもゲストとして招かれていた。
贅を凝らした料理に舌鼓をうちつつ、料理と料理の合間に失礼にならない程度に会話を嗜む。
どこか緩んだ空気からも、バナーク家とヨナターン家の仲が良好である事がうかがわれる。
それもそのはず。バナーク家先代当主とヨナターン家当主ヨゼフスとは両者がまだ若い頃から、家族ぐるみの長い付き合いなのだ。
そんなメンバーが集まれば、交わされる話題は自然とちょっとした愚痴――領地が抱える問題の話となる。
とはいえ、この場には部外者となるティトゥがいるため、それほど踏み込んだ話はされなかった。
そのティトゥはと言えば、今も借りて来た猫のように大人しく食事を口に運んでいる。
そんな彼女に妹のクリミラが声を掛けた。
「ナカジマ様のお口に合いますか?」
「あっ、あの、結構ですわ!」
クリミラは、結構って何が? とは聞き返さなかった。
ティトゥと違って礼儀作法が分かっている彼女は、公の場ではティトゥを姉ではなく、ナカジマ家当主として対応していたからである。
ちなみに、実際に料理がティトゥの口に合うかどうかで言えば、実は微妙だった。
それはいつもベアータの作る美味しいドラゴンメニューを食べているから――ではない。
寄り親となるヨナターン家当主夫妻が来るということで、屋敷の料理長はこの辺りでは珍しい海の魚を料理に出していた。
流通が未だ未発達なこの世界。海からずっと離れた高地のヨナターン領では、海の魚は滅多に手に入らない高級食材だ。
一見、客をもてなす料理に使うは、高級とはいえ明らかに鮮度が落ちる海の食材よりも、新鮮で採れたての地元の食材を使った方が、相応しいように感じる。
しかし、この辺りの者達にとっては、海の食材は特別な時に食べる特別なものなので、珍しくもなんともない地元の山の幸よりもグレードが上なのだ。
つまり料理長にとっては、賓客をもてなすために最高の食材を用意したつもりだったのである。
山の田舎あるあるである。
しかし、言うまでもないが、漁村に住むティトゥの食卓には、毎日のようにアノ村で獲れた新鮮な海産物がのぼっている。
鮮度も落ちて量も少ない海の魚を食事のメインに据えられても、ティトゥとしては評価に困ってしまうだけだった。
ティトゥにとって料理自体は微妙だったが、妹夫婦の屋敷とあって、比較的気兼ねなく食事が出来たのは幸いだった。
覚悟を決めていたティトゥは、内心でホッと安堵のため息をついていた。
食後。昼間の旅の興奮で疲れが出たのか、カミルバルトの娘、ユーリエが軽く熱を出した。
ユーリエの家族は、大事を取って彼女を早めにベッドで休ませる事にした。
母親のインドーラは挨拶もそこそこに娘の看病へと向かった。
そしてヨナターン家当主夫妻も、このタイミングに合わせて席を立った。
「では私達も今日はこれで休ませて貰うよ」
「部屋までご案内を致します」
ティトゥの妹が立ち上がろうとした所を、ヨナターン当主ヨゼフスは軽く手を上げて制した。
「それには及ばない。屋敷のメイドに送ってもらうから」
「――しかし」
「娘から聞いたよ。ナカジマ殿とは二年ぶりに再会した家族なんだって? さぞ募る話もあるだろう。どうしても案内がいると言うのならホラ、そこの二人を借りようか。どうだい? 年寄り同士、気兼ねなく昔話でもしようじゃないか」
ヨゼフスが前当主夫妻を手招きすると、二人は「ご指名とあらば」と笑いながら立ち上がった。
「ヨゼフス様は私達がお送りするから、お前はナカジマ様と話をしているといい」
「義父様・・・ありがとうございます」
こうして年長者夫婦が去り、次いで当主アランの弟達が去ると、食堂にはティトゥとティトゥの妹夫婦の三人が残った。
ティトゥとしても、妹とは約二年ぶりの再会である。話したい事はたくさんある。
しかし、その僅かな期間にお互いの立場は変わり、妹のクリミラは下士位とはいえバナーク家の当主夫人。姉であるティトゥはこの国初の小上士家の当主に就任した。
そんなわけでティトゥはどうにも会話のきっかけを掴む事が出来ず、居心地が悪そうに何度もお茶を口に運んだ。
クリミラと夫のアランはティトゥの正面に座り直すとメイドにお茶を淹れさせた。
「もう私達しかいないんだから、ナカジマ様と呼ばなくてもいいわよね? ティトゥ姉さん」
「そうね。久しぶりですわ、クリミラ」
昔の呼び方で呼ばれて、ティトゥの肩から少し力が抜けた。
一度きっかけさえあれば後は簡単だった。ティトゥは三歳年上の姉は少し苦手としていたが、妹のクリミラとは仲が良かった。
姉は堅苦しい”いかにも貴族の娘”といった性格だったのに対し、クリミラは父親のシモンに似た穏やかで世話焼きな性格だった。
姉とティトゥはお互いにややそりが合わず、妹のクリミラは両方の姉とそつなく付き合っていた。彼女達はそんな三姉妹だったのである。
二人の会話は、自然とマチェイでの思い出話が中心となった。
勿論、クリミラが結婚してマチェイを出た後の話も出たが、互いの話にあまりに接点が無さすぎて、そちらではあまり会話が盛り上がらなかったのだ。
ティトゥは妹と昔話をしながらも、今朝、彼女と話をしていた時に感じたあの感覚――覚えているのにあまり心が動かない微妙な感覚――に再び陥っていた。
(あれは私の気のせいじゃなかったんだわ。でも一体どうして?)
ティトゥは自身の心に戸惑いながら、それでも表面上はどうにか取り繕いつつ、妹との会話を続けた。
二人の話が何となく途切れたその時。
クリミラの夫、バナーク家当主のアランが口を開いた。
彼は今まで相槌を打つ程度で黙って聞き役に徹していたのだ。
「ナカジマ様はどなたかと婚約なり結婚のご予定はあるのですか?」
「私が結婚?」
ティトゥはどうして突然、彼がそんな話をするのか分からなかった。
しかし、戸惑っているのは彼女だけで、クリミラは当たり前のような顔をして夫の言葉を聞いている。
「もうティトゥ姉さんも適齢期でしょう? ネライ卿の話が無くなったのなら、急いで話を進めるべきだわ」
ティトゥは二人の話がピンと来なかった。
そしてピンと来ない自分に驚きも感じていた。
一年前。屋敷の裏の林でハヤテに出会う前まで、彼女の両親はいくつかの貴族家にティトゥの縁談話を持ちかけていた。
それらが全て破綻していたのは、相手の家がティトゥに執着するネライ卿とのトラブルを恐れたからである。
少なくとも貴族家当主でネライ卿の悪行を知らない者はおらず、彼との問題を抱えているティトゥを嫁に貰おうという家はどこにもなかったのだ。
あの頃、ティトゥは当然、縁談に反対ではなかった。
どこかが引き取り手になっていれば、余程の相手でなければ素直にその家に嫁入りしたはずである。
それが良いとも悪いとも何とも思っていなかった。そうするのが当たり前。貴族の娘とは、自分とは、そういうものだと思っていたからである。
ならばなぜ、自分は今、妹夫婦からこの話をされて戸惑っているのだろうか?
あの時、彼女の縁談が纏まらなかったのは全てネライ卿のせいだ。
ティトゥは器量も良いし、家柄だって問題ない。若干お転婆だが、性格に大きな問題があるわけではない。
ネライ卿が失脚して心配が取り除かれた今、結婚の話が出るのは何もおかしな話ではない。むしろ当然だ。
そう考えるのが、家柄を重んじる貴族というものだろう。
返事を躊躇うティトゥに何か勘違いしたのだろうか? アランが「失礼とは思いますが」と改まって話し始めた。
「そちらに失礼とは思いますが、実は私は当初、妻との結婚に乗り気ではありませんでした」
この数年、半島では不作が続いていた。
ティトゥの実家、マチェイは穀倉地帯という事もあって、さほど大きな被害は無かったが、耕地面積の狭いこのヨナターン領はもろに直撃を受けた。
それはヨナターン領にあるバナーク家も当然例外ではなく、バナーク家は他領から借金をする事でどうにか麦を確保していた。
二年前、アランが当主の座を継ぐにあたって、妻を娶ることになった。
当主になる事が決まっている嫡男の結婚相手は、当然、当主夫人になる事が決定している。
普通であれば当主の妻は、寄り親の娘か、他家からであればその家の長女が選ばれる事が多い。
それも当然だ。子供が生まれれば、その子が家を継ぐ事になるのである。
妻となる女性にも、格というものが求められるのだ。
しかし、実はアランの結婚相手の第一候補に上がっていたのはティトゥだった。
ティトゥはバナーク家と同じ、下士位のマチェイ家の、しかも長女ではなく次女となる。
寄り親も違えば、娘の格も低い。そんなティトゥがどうして第一候補に挙がっていたのだろうか? ここでさっきの不作の話に繋がるのだが、当時、バナーク家はマチェイ家から借金をしていたのである。
つまり、アランの父はティトゥの持ち込む持参金で借金をチャラにして、ついでに追加でマチェイ家からいくらかの資金を工面して貰おうと考えていたのだ。
あるいはそれだけ、当時のバナーク家が苦しい立場にあったとも言える。
しかし、アランとしては面白くなかった。
自分が金のために親に売られたように感じたからである。
この話は結局流れる事になる。
ネライ卿に目を付けられているティトゥを引き受けるのは、やはりあまりにリスクが高すぎる。アランの父にその決断は出来なかったのである。
こうしてアランは不本意な結婚をせずに済んだのだった――と思いきや、彼の父はティトゥの代わりとして、その妹、当時まだ15歳のティトゥの妹クリミラとの婚約を決定したのだった。
次女どころか三女。しかも一度娘との婚約を断っておきながら、別の娘との婚約。
あまりに恥知らずな決定に、アランのプライドは大きく傷付けられた。
彼は血相を変えて父親に詰め寄った。
「父上! 俺はこのバナーク家の次期当主だぞ! その俺を父上は笑い者にしたいのか?!」
「・・・・・・」
アランの父は苦しそうな表情を見せるだけで何も言わなかった。
それほど当時のバナーク家は厳しい状況にあったのである。
結局、この婚約は強行され、アランはクリミラと結婚した。
最初はこの結婚に不満しかなかったアランだったが、すぐにクリミラの性格にほだされる事になる。
癖の強い姉を二人も持つクリミラにとって、気が強いだけの夫に合わせるのはさほど難しい事では無かったのだ。
こうしてアランは自然と妻を愛するようになり、今では他の伴侶など考えられないようになっているのだった。
アランの話は終わった。
「男の俺は女性の気持ちは分かりませんが、もし、不安に感じているのであれば、家同士が決めた結婚でもこうして上手くいくこともあります。俺の両親もそうだったと言っていました」
「それにティトゥ姉さんも今では当主なんでしょう? 家の者達のためにも結婚はしておかないと」
二人はティトゥの事を心配して言ってくれている。
貴族の娘として、いや、ティトゥの場合は当主として、自分に付き従う者達のために結婚して子供を産んでおくのはむしろ義務でもある。
ティトゥ本人も貴族の娘として当然それは知っている。
「そう・・・なのかもしれませんわね」
妹と妹の夫の言葉は正しい。
それは十分に分かっている。
しかし、そこまで分かっていながらも、彼女の心は不思議と動かなかった。
ティトゥはチラリと窓の外に目を向けた。
日も長くなった初夏とはいえ、既に日が落ちてからかなり時間が経っている。
街灯も無いこの世界では、夜になると直ぐに辺りは真っ暗になってしまう。
当然、窓の外は暗くて何も見えない。
しかし、ティトゥは外の景色が見たかったのではない。
今も屋敷の庭で夜を明かしているハヤテに会いたかったのである。
ハヤテの大きな姿を見て、操縦席のイスに座って、軽快で優しく頼もしいあの声を聞きたかった。
ティトゥは力無くイスから立ち上がった。
「・・・考えておきますわ」
「ティトゥ姉さん」
クリミラも、今はこれ以上踏み込むべきではないと思ったのだろう。姉を呼び止める事はなかった。
ティトゥは胸の奥に生じたモヤモヤとした気持ちを抱えながら、食堂を後にするのだった。
次回「メルトルナ家の屋敷での会談」