その10 不穏な動き
久しぶりに僕のテントにチェルヌィフ商人のシーロが顔を出した。
彼はいつもの胡散臭い笑みを浮かべたまま、嬉しそうに僕に挨拶をした。
『ハヤテ様、お久しぶりです。春先にお目にかかって以来でしょうか?』
「ホント久しぶり。それはそうと、何でこんな時間に訪ねて来た訳? もうティトゥ達は寝ちゃってるんだけど」
今は夜の――11時くらい? 日本ならともかく、この世界ではみんな普通に寝静まっている時間だ。
シーロは、僕の日本語は分からないなりに、声のトーンで何が言いたいかを察したのだろう。
ちょっと困った顔で頭を掻いた。
『いやね、非常識な時間というのは私だって分かってるんですが、大至急お知らせに上がらないとと思いまして』
言われてみると、シーロは薄汚れたマントを羽織ったままだ。
おそらく、旅装も解く時間も惜しんで、直接僕のテントを訪れたのだろう。
彼が急いでコノ村まで来たのは間違いないようだ。
よろしい。窺いましょう。
『ヨロシクッテヨ』
『では初めに。カミルバルト様が国王に即位される事をお決めになりました。そしてその件で良からぬ噂を耳にしました』
カミルバルトことカミル将軍。――じゃない。カミル将軍ことカミルバルトは、この国の第二王子だ。
彼は幼い頃から文武共に優れた才能を発揮し、周囲からその将来を嘱望されていた。
しかし、それが面白くない人物が二人いた。
彼の兄であり、王太子でもあるノルベルサンドと、当時国の宰相だったユリウスさんである。
ノルベルサンドは自分の立場を脅かす敵として嫉妬と憎しみを、ユリウス宰相は国を割りかねない潜在的な不安要素として、それぞれの立場からカミルバルトを激しく警戒していた。
優秀なカミルバルトが、彼らの不安に気付かないはずはなかった。
彼は先手を打って早々に継承権を放棄。家柄だけで政治力の弱いヨナターン家へと臣籍降下したのだった。
これは身の危険を感じていたというのもあるが、カミルバルト本人も自分が原因で国が乱れる事を望んでいなかったためだろう。
さて、これで一件落着。――とはならない所が世の中の困った所。
カミルバルトが入った事で、今度はヨナターン家の発言力が増し、貴族間のバランスが大きく崩れてしまったのだ。
それほどカミルバルトの影響力が大きすぎたという事なのだろう。カミルバルトは貴族の当主では収まらない器だったのである。
そして王城にとっても、自分達の目の届かない場所で、カミルバルトの影響力が増すのは不安でしかなかった。
結局、カミルバルトは王都に呼び戻される事になる。
彼は王都騎士団の団長という役職を与えられ、厳重な監視のもとに飼い殺しのような生活を送る事となったのだった。政争とはいえ何とも陰湿な話だね。
こうして僕達の良く知る、カミル将軍こと将ちゃんが誕生したのである。
そして今年の初め。将ちゃんの兄である国王ノルベルサンドが病没した。
将ちゃんは王城に入り、現在は国王代行として国を纏めている。
『ところが、新国王が誕生されては困る、という勢力がこの国にもいらっしゃるようで』
そりゃまあ、いるだろうね。
変化というのは、得てして既得権益を脅かすものだ。
権力の中心が動く事で、得をする者もいれば、損をする者だっているだろう。
『この国の七貴族。具体的にはネライ家とメルトルナ家で不穏な動きがあるそうです』
マジで?
ここからの話は少し単語が増えてややこしくなる。みんな頑張って付いてきて欲しい。
この国には王家の他に七つの貴族家――上士貴族家があって、それぞれが領地を治めている。
つまりこの国は、王家も含めると大きく八つの領地に分けられるという事だ。いや、今はティトゥのナカジマ家の領地があるから九つになるのか。
七つの貴族家は建国の功のあった七列侯の子孫で、それぞれ、ネライ家、メルトルナ家、マコフスキー家、オルドラーチェク家、モノグル家、ヴラーベル家、ヨナターン家。
今、紹介した並びが大体の力関係を表していて、一番力があるのはネライ家とメルトルナ家で、力が無いのは将ちゃんの婿入り先、じゃなかった臣籍降下先のヨナターン家となる。
とはいえ、これは僕がティトゥの実家の庭で、長男のミロシュ君(当時七歳)の授業を聞きかじりして得た知識なので、現在は少しだけ事情が違っているようだ。
具体的には三番目のマコフスキー家が、例のマリエッタ王女絡みの事件で大きく力を落とし、現在はお取り潰し直前カウントダウンにまで没落しているらしい。
ちなみに、ネライ家とメルトルナ家は、それぞれ「西のネライ、東のメルトルナ」と呼ばれる名門中の名門となる。
そういや、あのいけ好かない元第四王子もネライ家に臣籍降下していたんだっけ。彼は今どうなっているのかなあ・・・
――いや、やっぱり興味ないからどうでもいいや。
『貴族の力の強い土地程、カミルバルト国王の誕生が望ましくないようです。どうにか新国王の力を削げないかと、色々と暗躍している様子ですね』
ん? どういう事?
シーロの話によると、現在、この国の国民たちの間では、将ちゃんと僕達竜 騎 士は絶大な人気を得ているそうだ。
この冬に帝国の南征軍を撃退したのが大きかったらしい。
マジか。他の領地になんて行った事が無いから知らなかったよ。
ただ。あまりに人気が過熱し過ぎて、領地を治める貴族達が困っているんだそうだ。
『彼らとしては、領民にとって国王は雲上人、実際の支配者は自分達。そうあるべきなんですが、あまりにカミルバルト様の人気が高すぎて、領民に対する支配力が弱まっているようです』
なるほど。今までは「国王は国王。でも実際に俺達を守ってくれるのはご領主様」だったのが、「俺達を守ってくれるのは国王様。ご領主様は国王様の部下」に成り下がってしまったのか。
確かにこれでは領地を統治していく上で都合が悪いかも。
とはいえ、領民達の気持ちも分からないではない。寄らば大樹の陰。どうせ税金を納めるのなら、いざという時に守ってくれる人の方に納めたいよね。
隣国ゾルタを攻め滅ぼした圧倒的な帝国南征軍に対し、日頃は威張り散らすばかりの(いや、そんな場面を見た訳じゃないけど)領主達は、なんら有効な対策が取れなかった。
思わぬ醜態をさらしてしまった領主達に対し、逆にカミル将軍は僅かな手勢を率いて自らが陣頭に立ち、圧倒的な戦力差をものともせずに、見事に帝国軍を打ち破ってみせた。
新たな英雄の誕生に、国民は歓喜に沸き返った。
僕も他人事ならきっと興奮しただろう。でもまあ、あの戦争では、僕もガッツリ当事者だったからねえ。
『この数年、半島では農作物の不作で景気が悪かったですから。その点も新国王に期待する声が大きくなった理由でしょう』
ああ、そういやそんな話も聞いた事があったような無かったような。
つまり、不作も帝国軍も悪い話は全部、前国王のせいにされちゃってる訳ね。
どう考えても前国王だって被害者なんだけど、民衆からは「国王の治世が悪いから悪い事ばかり起きた」って言われてしまうものなのかもしれない。なんたる理不尽。
でもまあ、この辺は日本でも似たようなモノだったかな。景気が悪くなったり災害が起きる度に、新聞やTVがこぞって政権叩きの道具にしてたから。
為政者には避けられない宿命なのかもね。
その話はさておき。そんなこんなで、一部の上士位貴族家では、現時点での将ちゃんの即位はあまり望ましくないらしい。
もちろん、彼らは別の国王を擁立する意思もなければ、自分達がとって変わるつもりもない。
そんな行動を起こすには、将ちゃんの人気が天井知らずに高すぎるのだ。
明確に将ちゃんと敵対してしまえば、領民達にそっぽを向かれてしまうのは間違いない。
いや、そっぽを向かれるならまだいい。もし仮に、将ちゃんと戦うような事にでもなれば、領民は完全に彼らの敵に回ってしまうだろう。
彼らの理想は現状の維持、ないしは将ちゃんの人気をほどほどにまで下げる事だ。
とはいえ、そんな都合が良い方法などないだろう。
この時の僕はそう考えていた。
ここでシーロは素早くテントの入り口から顔を出して周囲の様子を窺った。
そして声を潜めた。余程外に漏らせない情報のようだ。
『コイツはペラゲーヤ王太后陛下から聞いた話なんですがね』
王太后? これはまた、とんでもない人物が出て来たな。
ペラゲーヤ王太后は先代国王の王妃だった人だ。元々はチェルヌィフの出身らしい。
いくらシーロが王太后と同郷のチェルヌィフ人とはいえ、一介の商人に過ぎない彼が、王城に何らかの伝手を持っていたというのは驚きだ。君、一体何やってんの?
しかし、シーロの語る話は、それに輪をかけて驚くべき内容だった。
シーロの話を聞かされて。
僕は驚きのあまり声も出せずにいた。
『――ユリウス様も誰にも話されていないと思います。それくらいヤバイ話ですから。王太后陛下がハヤテ様にだけは知らせておいた方が良いと判断されて、私に教えて下さいました』
なぜ僕に? あ。手紙ではなく口頭にしたのも証拠を残す訳にはいかないからか。もし、手紙を誰かに盗み見られでもしたら大変な事になる。
だったらシーロに伝えるのはいいのか?って話になるけど、どんな方法を使ったのか分からないけど、この胡散臭い商人は余程王太后からの信頼を勝ち取っているようだ。
けど、一体何故、王太后は僕にこの情報を伝えさせたんだ?
彼女は僕に何を望んでいる?
『それで、どうします? ハヤテ様』
『ドウスル? ナニ?』
『いえね。もしハヤテ様が望むのであれば、私はご当主様や他のみなさんにも今の話をしますが?』
なっ・・・?! 一体、何を言いだすんだこの男は!
こんな話をティトゥ達に聞かせて良い訳がないだろう!
『王太后陛下は、この国の命運をあなたに託そうとしています。もしハヤテ様の望みが王家の滅亡であれば、今の話をちょいと広めればいいんです。それだけで王家の力は落ち、この国はガタガタ。全ての名声はハヤテ様とあなたの契約者であるナカジマ様が独占出来るでしょう』
僕とティトゥの名声? 何でそんな話になるんだ? 誰が僕がそんな事を望んでいるなんて王太后に吹き込んだんだ?
聞きたい事は山ほどあるのに、僕は混乱のあまり、咄嗟に言葉が出なくなっていた。
シーロは小さく肩をすくめると、いつもの胡散臭い笑みを浮かべた。
『まあ、私はハヤテ様の望みがそんな所には無いと知っていますがね。どうやら混乱されているご様子なので私見を言わせてもらいますが、多分これは王太后陛下からの要救助通知です。覚えていますか? 以前私がハヤテ様から教わった要救助通知。コイツはきっと王太后陛下からのアレですよ』
要救助通知? 救助信号の事か?
春にトマスとアネタが帝国の工作員に攫われた時、僕はシーロに「二人を無事に助け出せたのならトラトラトラ」、「何かのトラブルで上手くいかなかったらSOS」と発信するように、と、伝えていた。
シーロはこの情報は、王太后が僕に向かって発信したSOSだと言いたいらしい。
『王太后陛下はどうしてもハヤテ様に王家の味方になって貰いたい。しかし、今の王太后陛下はあなたの働きに応えられるだけの権力を持っていない。だから敢えてあなたに王家の弱みを握らせる事にしたんじゃないでしょうか』
ん? つまりこれはアレか? 「窮鳥懐に入れば猟師も殺さず(※窮地に陥った者が助けを求めて来たら、見殺しには出来ない。という意味)」というヤツか?
あるいは、相手の弱みを握っている=裏切る事は出来ないし、裏切ったらいつでもどうとでも出来る=だから敵にはならない。
という理屈なのか?
マジか。どういう発想をしたらこんな事を思い付くんだ。
『メチャクチャ』
『そうですか? 私は王太后陛下のお考えも分かる気がしますがね。もしハヤテ様を怒らせたら、どの道ミロスラフ王家なんて軽く吹っ飛ぶんだ。だったら最初からもろ手を挙げて降伏しといても同じことでしょう?』
次回「国王陛下の遺言状」