その9 家族の食卓
ファル子とハヤブサの散歩が終わると、僕は二人とティトゥを乗せて隣国ゾルタのオルサーク家の屋敷へと飛んだ。
連日のお出かけにファル子達は(※ティトゥも)ご機嫌である。
『そういえば昨日はテスト・マーケティングの最終日でしたわね』
そういう事。
ベネッセさんにはこの一週間、毎日休みなく頑張ってもらったからね。
慣れない異国の地で、色々な苦労もあっただろう。
せめて早目に迎えに行って、その労をねぎらってあげないと。
オルサーク家に協力してもらったミールキットのテスト・マーケティングは、昨日の夕食分で全予定を終了した。
後はあちらのお屋敷から、メイドのベネッセさんを連れて帰るだけである。
コノ村に戻った後は料理人のベアータと細部を詰め、今度は各開拓村のナカジマ騎士団へとミールキットの宅配を始める事が決まっている。
ベネッセさんはその総責任者になるのだ。
おっと、そんな話をしているうちに、オルサーク家のお屋敷が見えて来た。では、いつものように庭に着陸――って、何だあれ?
「ギャウギャウ(スゴイ! 人がいっぱい!)」
『あんなにいっぱいどこから集まったのかしら』
一体何があったのか、今日に限って屋敷の庭は人また人でごった返っていた。
それはいいけど、あれじゃ僕が降りる場所が無いんだけど。
僕の姿を見付けたオルサーク家の使用人達が、場所を空けようと人混みをかき分けてくれている。
本当に何があったんだろうね?
僕はどうにかこうにかスペースを見付けると無事に着地。
みんな中々下がってくれないからハラハラしたよ。
当主のマクミランさんが僕達にペコペコと頭を下げた。
『すみませんでした。ベネッセを見送ると言って聞かないもので』
屋敷の庭に集まっていたのは、主に騎士団の人達。それと屋敷の使用人らしき人達とメイドさん。後、トマス達オルサーク家のみなさん。
お屋敷からメイドのおばさん、ベネッセさんが現れると、彼女の前の人垣が二つに割れて道が出来た。
全員、名残惜しそうにベネッセさんを見つめている。
え~と、何? この雰囲気。
『テスト・マーケティングへの協力ありがとうございましたわ。ベネッセもみなさんに挨拶をしなさい』
『はい、ご当主様。みなさん一週間お世話になりました』
『『『『『『うおおおおおおおおん!』』』』』』
悲しそうに手を振る騎士団員達。『ありがとう!』『あんたの事は忘れないよ!』『おっかさーん!』『お元気でー!』等々、口々に別れの言葉を叫んでいる。
ベネッセは困った顔をしながらも手を振り返した。
ていうか、ぶっちゃけうるさくて仕方がないんだけど。後、おっかさんって何だよおっかさんって。
「「キュウウウン! キュウウウン!(※遠吠え)」」
そして大声に興奮したのか、ファル子達が並んで遠吠えを始めた。何というカオス。
『ああもう、うるさいですわ!』
『・・・本当に申し訳ありません』
マクミランさんは、穴があったら入りたい、といった顔だ。
団長っぽい偉そうな人が『もう気が済んだだろう! 全員仕事に戻れ!』と怒鳴っているが、全く収まる気配がない。
『もう帰りますわ!』
『お構いも出来ずに申し訳ありません。でも、私もそうした方が良いと思います』
ティトゥはベネッセに手を貸して操縦席に乗せると、興奮して脱走しようとしたファル子をハッシと捕まえ、そのまま操縦席へと飛び込んだ。
なんだか忙しいね。そして手を貸せなくて申し訳ない。
『行って頂戴ハヤテ! 前離れー! ですわ!』
「了解! 危ないからみんな下がって!」
バババババ!
『ありがとー!』『お元気でー!』『おっかさーん!』
だから君ら危ないって! それとおっかさんって何?!
僕は駆け寄って来る騎士団員達にハラハラしながら疾走。タイヤが地面を切ると僕の体は大空へと舞い上がった。
『『『『『『さようなら――っ!』』』』』』
『もう! 何なんですの今のは!』
騎士団員達の姿が小さくなっていく。そして憤懣やるかたないティトゥ。
『ベネッセ、あなたあの人達に何をやったんですの?』
『私はベアータさんの指示通りにミールキットを料理しただけなんですが』
ティトゥの疑問にベネッセは困り顔で返した。
『それだけで、どうしてあんな事になるんですの?』
ベネッセは、『それは私にも』と首をかしげた。
まあいいじゃん。塩を撒かれて追い出された訳じゃなくて、惜しまれながらの別れだったんだしさ。
『塩って、なんで相手を追い出すのに塩を撒くんですの?』
あれ? なんでだっけ。たしか塩は穢れを払う事から、厄払いだかお清めだかの意味があったような・・・
そんな話をしているうちに、僕達はペツカ山脈を越えてナカジマ領へと戻っていた。
最後は変にドタバタしてしまったけど、今回のテスト・マーケティングは成功だったんじゃないかな?
こうして僕達は、無事にベネッセを連れてコノ村へと帰ったのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
オルサーク家の食卓は暗い雰囲気に包まれていた。
中でも一番元気がないのは、末の娘のアネタだったが、気分が沈み込んでいるのは周囲の大人達も変わりはなかった。
昨日まではこんな事は無かった。
美味しい夕食は否が応でも家族の気持ちを朗らかにし、みんなの顔からは知らず知らずのうちに笑みがこぼれていた。
しかし、それも昨日までの話。
ドラゴンメニューを作っていたナカジマ家のメイド、ベネッセはもういない。
今日からはまた、味が濃いだけで旨味も乏しければ食感も悪い、いつもの料理だけを食べる事になる。
一度肥えてしまった舌には、正直辛い。
食堂の景色すら、今は暗くすすけているような気がした。
この重苦しい空気に耐え兼ねたのか、オルサーク家の次男、パトリクがポツリとこぼした。
「俺は今まで、メシなんて口に入れば十分だと思っていたんだがなあ・・・」
軍隊では”早飯、早糞、芸のうち”と言うそうだ。
騎士団副団長のパトリクにとって、食事は楽しむ物ではなく、腹に物を詰め込むという意味合いの方が強かったのだろう。
「僕も似たようなものだったよ」
弟の言葉に兄のマクミランが自嘲気味の笑みを浮かべた。当主として多忙な彼にとっても、食事はゆっくりと楽しむものではなかったようだ。
二人の兄の言葉に、トマスは今も沈み込む妹へと振り返った。
「アネタ・・・」
「トマス兄様ごめんなさい」
元気がない自分をみんなが心配してくれている。そんな家族の気持ちをアネタも痛い程分かってはいたが、沈んだ心はどうしても晴れてくれなかった。
ギッ。
食堂のドアが開くと、メイドがワゴンを押して料理の乗った皿を運んで来た。
ふと顔を上げたアネタは、料理を目にした途端、驚きにポカンと口を開けてしまった。
「えっ・・・?」
通常、食事はスープからスタートする。
しかし、皿に乗っているのはスープではなかった。
いや、そこはいい。そんな所は問題ではないのだ。
皿に乗っているのは香ばしい香りを漂わせる小さな塊。これは――
「――これはカラアゲではないか」
そう。アネタの祖父、アズリルの言葉通り、それはどこからどう見てもカラアゲであった。
「どうでしょうか? ベネッセが作っていたカラアゲを見よう見まねで作った物です。我ながらまずまずの出来映えだと思っていますが」
予想外の出来事に言葉を失くす屋敷の者達に、食堂の入り口から声がかけられた。
コック服の中年男性――この屋敷の料理長だ。
彼は帽子を取るとかしこまった。
「・・・皆様には謝らなければなりません。
この屋敷に務めて三十年。私はいつの間にか料理という物に対して、何か思い違いをしていたようです。
料理は料理人のためにあるものじゃない。
食べる人のために作るものだったんです。
私はそんな当たり前の事を忘れて、ずっと作るために作り続けて来ました。
皆様の寛容さに甘えて、目的を履き違えていたのです。
ベネッセの料理は――ドラゴンメニューは、そんな私の思い上った考えを張り飛ばしてくれました。
ご当主様、先代様、そして皆様、今まで本当にすみませんでした。
お許し頂けるのであれば、これからは心を入れ替え、精進していきたいと思っております」
そう言うと料理長は深々と頭を下げた。
「料理長――」
「いや、食事をおろそかに考えていたのは俺達も同じだ」
「そうだな。親父の言う通りだ。俺も腹に溜まればいいとか言ってたからな」
「そうじゃの。そのせいでワシらは誰もアネタの気持ちに気付いてやれなんだ。すまんかったのアネタ」
「お爺様・・・」
そこには今までの重く沈んだ空気はどこにもなかった。
あるいは美味しい料理に追い出されて、部屋の外へと吹き飛ばされてしまったのかもしれない。
カラアゲの香ばしい香りには、そう思わせるだけの不思議な説得力があった。
「いつまでもお話をしていると、せっかくの料理が冷めてしまうわ。温かいうちに頂きましょう」
「ああ、違いない」
トマスの母、イヴァナ夫人の言葉に夫のオスベルトが頷いた。
みんなは一斉にカラアゲにかぶりついた。
「・・・いかがでしょう?」
料理長が見守る中、全員を代表してトマスが答えた。
「思ったよりも意外と悪くはない。だが、カラアゲは昨日も食べたばかりだぞ。二日連続は流石にどうかと思う」
トマスの最もな言葉に、一同はうんうんと頷いた。
その姿が妙に滑稽に見えたのだろうか。アネタが堪えきれずに噴き出した。
こうしてオルサーク家の食事は、今日も和気あいあいとした明るい雰囲気の中で進められたのだった。
次回「不穏な動き」