その7 男泣き
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男が騎士団の詰め所に戻ると、若い騎士団員が顔色を変えて団長に詰め寄っていた。
若い団員の剣幕に、男は一瞬トラブルの予感を覚えた。
彼は男の良く知る騎士団員だった。というか、彼は男と同じく、数日前に隣国ミロスラフ王国のナカジマ領からこのオルサークに戻って来た、トマス達の護衛の騎士団員であった。
「はっ?! だ、団長! 今の話は本当ですか?!」
団長は部下の勢いにやや鼻白んだ様子だったが、「ああ。パトリク様がそうおっしゃっていたぞ」と答えた。
「いやったあああああ!」
その瞬間、騎士団員は両拳を天に突き上げながら、歓喜の叫び声を上げていた。
どうやら悪い話ではなかったらしい。
男は少しホッとしながら、喜びに取り乱す同僚に声を掛けた。
「おい、一体何をそんなに喜んでいるんだ?」
「馬鹿野郎! これを喜ばずにいられるか! 今日の晩飯はご馳走なんだぜ!」
「? 団長、コイツに何を言ったんですか?」
男は興奮して話にならない同僚を見限ると、団長に尋ねた。
「いや、今夜からしばらくの間、俺達の晩飯にはナカジマ様の所の飯が出ると言っただけだが」
「はっ?! だ、団長! 今の話は本当ですか?!」
「・・・お前もそうなるのか」
今度は男に詰め寄られてゲンナリする団長。
数秒後、今度は男の上げる歓喜の叫び声が詰め所に響き渡るのだった。
騎士団員達は夕食が運ばれてくるのを今か今かと待ちわびていた。
彼らの大半は、一度はナカジマ領を訪れ、かの地の食事を口にした事のある者達である。
そしてドラゴンメニューを食べた事のない者も、散々同僚の自慢話で聞かされた料理が食べられるとあって、好奇心を抑えられない様子だった。
「・・・いいな、お前ら。食べたらすぐに任務に戻るんだぞ」
「「「「「はい!」」」」」
騎士団長は呆れながらも、今日だけは彼らの好きにさせていた。
もしも「お前の飯は後だ」などと言おうものなら、暴動が起きかねない状態だったからである。
やがて詰め所のドアが開くと、中年のメイドが鍋を持って入って来た。
ナカジマ領から今回のテスト・マーケティングのために派遣されたメイド、ベネッセだ。
「なっ! 赤いスープだって?!」
「おおっ! やったぜ! トマトのスープじゃないか!」
「そうだよな! あれ美味いよな! トマトなんてあっちで初めて食ったけど、イケるよな!」
見慣れない真っ赤なスープに、初めて目にする者からは驚きの、食べた事のある者達からは喜びの声が上がった。
「あっちは魚のフライか! くそう! この後仕事がなければ酒が欲しい所だぜ!」
「ふらいって何だ? 魚の種類か? 聞いた事がないんだが」
「あのオレンジ色の四角いのは何だ? あれも食い物なのか?」
「当たり前だろ。あれはゼリーって言うんだ。果物の果汁を固めたデザートだ。食ったらぶったまげるぜ」
その後、パンと今日のメインであるお馴染みの煮込み料理も運ばれて来たが、いつもは喜ばれるそちらの料理には悲しい程誰の反応もなかった。
男達は皿を手に、興奮に頬を赤く染めながら配膳の列に並んだ。
料理をよそってもらった者達は、テーブルに着くのももどかしく、スープを口に運んだ。
「! そう、これだ! この味だよ! ナカジマ領で食ったあの味だ!」
「これが魚だって?! いや、確かに魚なんだが、なんなんだこの味は! 溢れる汁といいホクホクとした食感といい、俺の知ってる魚料理とはまるで別物じゃないか!」
「くう~っ! やっぱ酒が欲しいぜ!」
「おい、お前達、食ったら仕事に戻るんだぞ! 分かっているな?!」
団長が慌てて念を押すほど、彼らは我を忘れて食事に没頭していた。
「これがゼリー?! プルプルしていて、ツルリと口に入って、甘酸っぱくて・・・こ、こんな料理食った事がないぞ!」
「ああ~っ、美味い。ベアータ殿の料理を思い出すぜ。またカラアゲが食いたいなあ」
「分かる分かる、あれは衝撃だったよなあ」
カラアゲの良さをしみじみ語っているのは、昨年、トマスとアネタを護衛して、ペツカ山脈を越えた男達だろう。
思えばオルサーク騎士団の中で最初にドラゴンメニューを口にしたのは彼らである。あの時に食べたカラアゲは、彼らに強烈なインパクトを与えていた。
「確かに美味いが、お前達が言う程か?」
「だったら俺によこせ。代わりにいつもの煮物をやるからさ」
「ゼリーは俺にくれ。ほら、いつもの煮物だ。持っていけ」
「よせ! こら!」
中には料理を悪く言うひねくれ者もいたが、早速仲間に強奪されてショックを受けていた。
「美味い。本当に美味い・・・」
「なんだお前、泣いているのか?」
男の目にはうれし涙が光っていた。
そして男の涙を指摘した者も、鼻をすすりながら笑みを浮かべていた。
「実は俺も泣きそうなんだ」
「ああ。もう二度と食えないと思っていたからな」
「だよな! 分かる! 分かるぞ!」
男達の会話に別の男達が加わり、いつしか彼らは肩を組み、感情の高ぶるままにナカジマ領で覚えた歌を大合唱していた。
それはハヤテが歌った事でコノ村に広まった歌だったのだが、ガチムチの男達が涙を流しながら「チューリップの歌」を合唱するのは、現代日本人の感覚からすると少し異様な絵面であった。
「お前ら! ・・・ええい、もう知らん!」
すっかり部下の暴走が手に負えなくなった団長は、頭を抱えながらデザートのゼリーを口に放り込んだ。
柑橘系のゼリーは、一度も味わった事のないツルリとした喉越しと、柑橘系の爽やかな甘酸っぱさで、団長の苛立ちをいくらか和らげてくれたのだった。
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翌日。ティトゥの仕事が一息ついた所で、僕のテントに料理人のベアータがやって来た。
樽増槽を抱えた使用人達が彼女の後に続いている。
『ハヤテ様! 今日の”みーるきっと”が出来ました!』
『サヨウデゴザイマスカ』
使用人達の手によって、僕の翼下のハードポイントに料理キットの入った樽増槽が懸架される。
それじゃあ収納しておこうかな。
音もなく樽増槽は姿を消した。
消えた樽増槽が一体何処に収納されているのか、それは僕にも分からない。
ちなみに、収納中は完全に時間の流れが無いか、あるいは非常に遅いようだ。
一度、鶏を樽増槽に入れたまま収納した事があったのだが、普通に生きていたので、完全停止ではないと思う。
生き物を実験に使うなって? いやいや、たまたまなんだよ。
アノ村から運んで来た樽増槽を開けたら、生きた鶏が出て来た時にはビックリしたね。
どうやらベアータが料理に使う鶏を入れていたのを、僕が知らずに収納してしまったらしい。
鶏が大丈夫なら人間ではどうなるのか。
いやいや、そんな恐ろしい実験なんて出来るはずないだろ。鶏はたまたま死ななかっただけかもしれないし。
仮に命の危険が無かったとしても、謎空間に放り込まれるんだよ? 恐怖やら何やらで精神障害でも起きたら大変だ。
という訳で、僕は生き物を収納しようと試した事はないのだった。
おっと、話がそれてしまった。
じゃあ今日の分の料理キットをオルサークまで宅配に行こうかな。
ここでベアータが元気よく手を上げた。
『ハヤテ様! 今日はアタシも乗せてってもらえませんか?! 直接ベネッセから使用感を聞いておきたいんで!』
料理キットという初めての試みに、ベアータも結果が気になっているのだろう。
自分自身で確認に行きたいようだ。
仕事をサボりたいだけじゃないかって? 君は何を言っているのかね。いつも仕事熱心なベアータを、サボり癖のあるどこぞの美人当主と一緒にしないでくれないかな。
『では行きますわよ!』
『・・・やっぱりご当主様も行くんですね。いや、構いません。知ってましたから』
予想通り、仕事をサボって行く気満々のどこぞの美人当主と、遠い目をする代官のオットー。
荷物を渡したらすぐに戻って来るから、気を落とさないで欲しい。
『昨日の”みーるきっと”のメニューにはトマトのスープを選んでみたので、評判が気になっているんですよね』
『トマトを料理に使うなんてドラゴンメニューならではですわね』
ベアータは、馴染みのない食材が受け入れられたかどうかが気になっている様子だ。
『この間食べた”らざにあ”は美味しかったですわ』
『トマト料理に問題が無ければ、明日はそれでもいいですね。最近、ご当主様がハヤテ様から色々な料理方法を聞いてくれたおかげで、新作メニューの開発がはかどって仕方がないですよ』
ラザニアか。そう言えばティトゥとの雑談の中でそんな話もしたっけか。
確か、トマトが旬だから、トマトを使った料理が何か無いかと聞かれたんだっけ。
料理は知ってても料理方法までは知らなかったんだけど、あれって、完成してたんだな。
流石はベアータ。食べた事のない料理を話だけで再現するって、料理人ってスゴイよね。
僕が感心していると、二人のメイドが子ドラゴン達を連れてテントに入って来た。
メイド少女カーチャとメイドのモニカさん。それとファル子とハヤブサだ。
「「ギャウギャウ(パパ! ママ!)」」
『ファルコ様とハヤブサ様の散歩から帰りました』
『お二人共、お水をどうぞ』
ファル子達は、モニカさんが用意したお皿から仲良く水を飲み始めた。
『丁度良いタイミングでしたわ。ではオルサークの屋敷に行きますわよ』
「「ギャンギャン! ギャンギャン!(やったー! お空! お空!)」」
お出かけと聞いて、はしゃぐファル子達。
こうして僕達は料理キットの宅配と、初日の使用感をリサーチするために、トマス達の実家、オルサーク男爵家のお屋敷に向けて飛び立ったのだった。
次回「無慈悲で非情な一言」