その5 テスト・マーケティング
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屋敷の門をけ破るようにして、一人の騎馬武者が駆け込んで来た。
「どうした! 一体何があった?!」
馬上で叫んでいるのはまだ若い騎士。オルサーク家の次男で、オルサーク騎士団の副団長、パトリクである。
帝国軍との戦争で目覚ましい活躍を見せた事から、領内外では一騎当千の若武者、”万夫不当の勇者”とも呼ばれている。
先程、彼は馬で移動中に、領地の上空を大きな翼が横切るのを見かけた。
まるで猛禽のように大きく翼を広げて大空を舞うあの姿。
見間違えるはずはない。あれは隣国ミロスラフ王国のドラゴン・ハヤテだ。
そう思った瞬間、彼は衝動的に馬に拍車を入れていた。
彼の愛馬は主人の思いに応えて風のように駆けた。
しかし、自慢の愛馬をもってしても、ドラゴンの速さには到底かなわない。
パトリクは大きく引き離されたまま、ハヤテの舞い降りたオルサーク家の屋敷へと駆け込んだのだった。
彼は野次馬達の中に自分の妻を見付けると、慌てて馬を下りて駆け寄った。
「大丈夫なのか? これは一体何の騒ぎだ?」
「あら、あなた」
パトリクはこの春に結婚したばかりの新婚だった。パトリクの妻レオナはオルサーク家の寄り親となるピスカロヴァー伯爵家の娘である。
ちなみにレオナの母はピスカロヴァー伯爵家の者ではない。レオナは妾の子なのだ。
とはいえ、伯爵の娘である事は確かなので、屋敷では下にも置かない扱いを受けていた。
レオナは夫へと振り返りながらも、チラチラと後ろを振り返っている。心ここにあらず、といった感じである。
その視線の先にいるのは、パトリクの母をはじめとするオルサーク家の女性陣。
彼女達は全員で取り囲むようにして、何かを持ったまま粛々と移動している。
レオナは彼女達から目が離せない様子だ。今も食い入るように彼女達を――いや、彼女達が持つ何かを見詰めている。
それは「出遅れてなるものか」という獲物を狙う狩人の目だった。
彼女達が持つ物とは何か。ハヤテの渡したお土産、ナカジマ家の”銘菓”である。
トマスとアネタが屋敷に里帰りしたあの日。トマスからお土産として貰ったナカジマ家の銘菓に、オルサーク家の女性達は殺到した。後ついでにアネタも。
日頃は温和な屋敷の女性達が欲望に目の色を変える姿に、一人だけ事情の分からないレオナは大いに驚き、戸惑いを感じた。
それもそのはず。彼女はオルサーク家の女性で唯一、ナカジマ家の銘菓を食べた事が無かったのである。
しかし、それもお饅頭を一口食べるまでの間だった。
「ウソっ! 甘い! 美味しい!」
初めて食べたナカジマ家銘菓は、レオナに計り知れない衝撃を与えた。
いや、それは屋敷の女性達も変わらなかった。彼女達にとっても半年ぶりの銘菓だったのだ。
昨年来、ずっと忘れられないあの甘味。口の中が幸せいっぱいになるあの感覚。
ナカジマ家の料理人ベアータがお土産用に用意した、”ご贈答用・銘菓詰め合わせ”。箱いっぱいに詰め込まれた様々な銘菓は、まるでキラキラと光り輝いているかのように見えた。
美味しい物を前に、人に言葉はいらない。
全員が一言も発する事無く、夢中でお土産を口に運んだ。
幸せなひと時は、しかし、銘菓の箱が空になると共にあっさりと終わってしまった。
あの日から、夢にまで見た甘味がすぐそこにある。
出遅れてしまえば、自分の取り分が減るかもしれない。いや、減るに決まっている。
「それでは私は屋敷に戻りますので」
「お、おう」
邪魔をしたらあなたと言えど許さない。そんな力の籠った目で妻に微笑まれ、パトリクは背中に氷柱を差し込まれたような悪寒を感じた。
軽やかな足取りで屋敷に戻る女性陣。素早くその後を追う妻。
そして屋敷の庭には屋敷の者達が。更にその先にはミロスラフ王国のドラゴン・ハヤテがその翼を休めている。
「ていうか、本当に何の騒ぎなんだ?」
パトリクの呟きに答える者はいなかった。
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僕はオルサーク家のお屋敷の庭へと降り立った。
『ほ、本当にここは隣国ゾルタなんですか?』
胴体内補助席で驚きに目を丸くするメイド服のおばさん。ナカジマ家のメイドのベネッセさんである。
彼女はベアータを手伝って、何度もドラゴンメニューを作った事があるそうだ。
ティトゥは振り返ると、彼女の安全バンドを外してあげている。
そんなティトゥにじゃれつくファル子達。
「「ギャウギャウ!(ママ! 手伝う! 手伝う!)」」
『もう! 二人共邪魔をしないで頂戴!』
団子になる二人をかき分けながら、ティトゥはどうにかベネッセさんの安全バンドを外した。
『それでは後の事はお任せしますわ』
『わ、分かりました』
ティトゥの言葉に、ベネッセさんはこぶしを握って頷くのだった。
屋敷から一人の青年が血相を変えて駆け寄って来た。
今年から新しく当主になったマクミランさんだ。
『ナカジマ様! 急にどうされたのですか?! 何かあったんですか?!』
『?』
不思議そうな顔をするティトゥ。マクミランさんが何を焦っているのか分からない様子だ。
ベネッセさんが小声で囁いた。
『あの。もしかして先触れを出されていないのでしょうか?』
『あっ』
ああ、そういう事ね。
納得するティトゥと僕。
ゴメン。もしかしても何も、思い付きもしなかったよ。
そういやそうか。普通誰かの家を訪ねる時は、先に連絡をして相手の事情を伺うよね。
チェルヌィフでもずっとアポ無し訪問ばかりだったから忘れてた。
いかんなあ。異世界転生をして四式戦闘機の機体に生まれ変わって早一年。僕は社会人としての常識を忘れつつあるようだ。
僕が密かにショックを受けている間に、ティトゥとマクミランさんの挨拶は終わっていた。
『では特に何かがあった訳ではないんですね?』
『ええ。お騒がせしましたわ』
ホッとするマクミランさん。
その時、人の多さに気後れしてティトゥの後ろに隠れていたファル子達が嬉しそうに叫んだ。
「キューキュー! キューキュー!(アネタ! パパ、ママ! アネタがいるよ!)」
『なっ! ナカジマ様、その生き物は?!』
『ハヤテの子のファルコとハヤブサですわ』
『『『『『ドラゴンの子供?!』』』』』
ファル子達はみんなの大声にビックリして、慌てて操縦席の中に逃げ込むのだった。
そんなこんながありつつも、ティトゥはオルサーク家をお宅訪問した理由をマクミランに説明した。
『という訳でテスト・マーケティングに協力をして頂きたいのですわ』
『てすと・・・何でしょうか? ええと、言葉の意味は分かりませんが、私達に出来る事でしたら喜んで協力させて頂きます』
テスト・マーケティングが分からない? いいでしょう。僭越ながらここは僕から説明させて頂きましょう。
テスト・マーケティングとは、メーカーが新製品を売り出す前に、一部の地域で試験的に少数だけ販売する手法の事を言う。
商品というのは大量生産、大量販売するほどコストも下がって利益も大きい。しかし、いきなり大々的に売り出してしまうと、もし売れなかった場合や、売り方を間違えた場合に、大きな損失を出してしまう。
そのリスクを回避するために取られる方法がテスト・マーケティングだ。つまりは、本格的に売り出す前に、限定的な地域で少数に対して試験的に販売し、ユーザーが求める商品やニーズを事前にリサーチするのである。
『――という訳ですわ!』
『はあ、りさーち? ですか?』
ティトゥの説明に狐につままれたような顔になるマクミランさん。
『あの、良く分からないのですが、それでも大丈夫でしょうか?』
『ええ! こういう時のハヤテの説明は適当に聞き流しておけば大丈夫ですわ!』
うをい! 堂々と言い切るティトゥに僕は釈然としないものを感じた。
マクミランさんは益々不安そうな顔をしている。
『えいっ! 捕まえた!』「ギャウ(あーあ)」「ギューギュー(次はハヤブサの鬼ね)」
そして早々に飽きたファル子達は、庭でアネタに遊んでもらっている。子供は自由だな。
『それで、そちらのメイドは?』
『彼女はベネッセ。今回のテスト・マーケティングは彼女に行ってもらいますわ』
『ベ、ベネッセです』
メイドのベネッセさんが緊張しながら頭を下げた。
『分かりました。詳しい説明は屋敷の中で聞かせて下さい』
『分かりましたわ』
こうしてティトゥ達はお屋敷の中へと入って行った。
僕はしばらく庭で待機である。
すると待ちかねたように、トマス達のお母さんズがスルスルと近付いて来た。
『『『『『ハヤテ様ごきげんよう』』』』』
『ゴ、ゴキゲンヨウ』
女性達のえもゆわれぬ迫力に、僕は思わず声が裏返ってしまった。
なんだろう、このプレッシャーは。ひょっとして肉食動物に狙われた草食動物はこんな気持ちになるんじゃないだろうか?
トマス! トマス、来て! こっちに来て僕を助けて!
『なんでしょうかハヤテ様』
僕はすかさず胴体横の扉を開いた。
『オミヤゲ。トル』
『! それってひょっとしてメイカですか?! ありがとうございます。母も喜びます』
嬉しそうなトマス。いいから。そうやって頭を下げなくてもいいから。だから取って。早く。
お母さんズはトマスからお土産を手渡されると、満面の笑みを浮かべた。
『どうもありがとうございます。さあアネタ、お茶にしましょう』
『うん。ハヤテ様ありがとう!』
いつの間にかアネタも加わっていたらしい。ホントにいつの間に?
こうしてお母さんズはお土産を持ってお屋敷の中へと消えて行った。
助かった・・・のか?
僕は存在しないはずの心臓がバクバクと脈打つのを感じていた。
アネタに置いていかれたファル子達が、今度はトマスにじゃれついている。
『あの、ハヤテ様。お子様達はどうすれば? あの、ハヤテ様?』
ファル子達をどうして良いか分からずにオロオロするトマス。
僕はそんなトマスの姿に癒しを感じてホッコリするのだった。
次回「ミールキット」