その2 視察飛行
『やあやあ、ご当主様。良い知らせを持って来ましたよ』
そう言って現れたのは土木学者のベンジャミンだった。
いつもよりもテンション高めの彼に、ティトゥ達は怪訝な表情を浮かべた。
『良い知らせですの?』
『はい。湿地帯の調査結果を持って帰りました。非常に面白い事になっていますよ。ああでも、これは実際にご自身でご覧になった方がいいかもしれません。そうだ。ハヤテ様のお力をお借りすればすぐですね』
『ハヤテの?』
ベンジャミンは戸惑うみんなを置いてきぼりにして、勝手に話を進めて勝手に結論を出してしまった。
『今からお時間はありますか? なに、少し湿地帯の上を飛ぶだけです』
『時間ですの? 大事な話のようですし、湿地帯の上を飛ぶくらいなら――』
『それは良かった! そうそう、でしたら私もご一緒させて頂けませんか? 空の上からも確認しておきたいのです』
鼻息も荒くティトゥに詰め寄るベンジャミン。
てか、君も乗るわけ? 僕は別にいいけど、君って僕を苦手にしてなかったっけ?
ベンジャミンは初対面の時、僕のアクロバット飛行を経験している。
僕としては心からのサービスのつもりだったのだが、彼にはプチ恐怖体験だったようだ。――ウソです。あの時は調子に乗っただけです。ごめんなさい。
そんな訳であれ以来、ベンジャミンはすっかり僕を避けるようになっていた。
その彼が、自分から僕に乗って空から確認したいと言って来たのだ。
苦手意識を上回る程の衝動が、彼を突き動かしているのだろう。
空から見下ろせば湿地帯に何が見えるのだろうか?
僕と同様にティトゥの好奇心も刺激されたようだ。
『オットー、今からいいですわよね?』
『・・・どうやら見なければ話が進まないようですね。ですが今日はポルペツカからユリウス様が戻って来ます。あちらの報告もあるでしょうし、お早めにお戻り下さい』
『分かりましたわ』
こうして僕は急遽、湿地帯を視察するために飛び立つ事になったのだった。
僕はナカジマ家のお手伝いに来ていたアノ村の人達によって、テントの前に引っ張り出された。
飛行服に着替えたティトゥが僕の下へとやって来た。
「ギャウギャウ! ギャウギャウ!(パパ! ママ! 今日はお空飛ぶの?! 一緒に飛ぶの?!)」
『ええそうですわ。大人しくしておかないとパパに乗せて貰えませんわよ』
『あの、そのドラゴン達も一緒に行くんですか?』
飛行服のティトゥを見て興奮するファル子達。
まるで、散歩前の飼い犬のようにティトゥの足にじゃれついている。
そしてベンジャミンはすっかり及び腰だ。
どうやら彼は動物が苦手らしい。
『パパが飛ぶのに二人を置いていくのは可哀想ですわ。ほら、早く乗って頂戴』
『ええ・・・。 あっはい』
なおも渋るベンジャミンだったが、ティトゥに背中を押されながら僕の操縦席に乗り込んだ。
『そこじゃありませんわ。あなたは後ろの席に行って頂戴。そうそこ。安全バンドを締めて』
「ギャウギャウ」「ギャウギャウ」
『ひ、ひいいいい』
操縦席の中を走り回るファル子達に、ベンジャミンはすっかり青ざめている。
それでも降りると言い出さないのは大したもんだ。
余程、空から湿地帯を確認したいらしい。
『それでいいですわ。――では行って来ますわ! 前離れ!』
バババババ
僕はティトゥの掛け声に合わせてエンジンを始動。軽快なエンジン音に合わせてプロペラが回転を始める。密閉された操縦席にガソリンの匂いが漂って来る。
「キュウ(この匂い好きだなあ)」
「おっ、ハヤブサ分かっているじゃないか。そうそう。エンジンから漂うガソリンやオイルの匂いってワクワクするよな」
「ギャウギャウ(私も! 私も好き!)」
ハヤブサに負けじと、ファル子が”私も私も”アピールを始めた。
分かった分かった。だから大人しくしていようね。
あまりうるさく騒ぐと、怒ったママに放り出されちゃうぞ。
『ハヤテ』
「・・・試運転異常なし! 離陸準備よーし!」
ティトゥにジロリと睨まれて、僕は慌てて動力移動を始めた。
いつの間にかコノ村も建物や物が増えて、村の外に出ないと離陸のための滑走路が確保出来なくなっているのだ。
「離陸!」
「キュー!(離陸!)」
僕はブーストをかけると街道を疾走。大空へと舞い上がるのだった。
空に上がると、ファル子とハヤブサは大はしゃぎだ。
「キュー! キュー! キュー!」
「ギャウ! ギャウ! ギャウ!」
『ああもう! 大人しくしなさい! ハヤテも少しは手伝って頂戴』
いやいや、ムチャ言わないで欲しいんだが。
ファル子達は小さな翼を精一杯はためかせて、僕と一緒に空を飛んでいる気分を味わっているようだ。
腕白ツインドラゴンズにティトゥが手を焼かされている間に、ベンジャミンは安全バンドを外して外を覗き込んだ。
『ハヤテ様、もう少し体を傾けてくれませんか? そうそう・・・おおっ! やはり空から見ると一目瞭然だ!』
ベンジャミンの要望に応えて機体を傾かせてあげると、彼は興奮して大きな声を上げた。
眼下に広がるのは、焼け跡の『第一次開拓地』。それと堤防の向こうの湿地帯。
ふむ。なるほど。
さっぱり分からん。
『ただの湿地帯じゃないですの?』
ティトゥも同じ感想を持ったようだ。
ファル子を押さえながら不思議そうに下を見下ろした。
『ここだけ見ても分かり辛いかもしれませんね。ハヤテ様、湿地帯の上を西に飛んで下さい』
「了解」
「キュキュー(りょーかい)」
ハヤブサがすまし顔で僕のマネをしている。
何でもマネをしたがる年頃なのだ。あまり変な言葉は覚えさせないようにしないとな。
しばらく西に向かって飛ぶと、ベンジャミンが満足そうに『どうですか?』と言った。
『どうって、何がですの?』
『? これがお分かりになりませんか?』
これがって、何が?
僕には湿地帯しか見えないけど?
『もう一度東に戻ってください。今度はもっと全体を見る感じで』
『あっ!』
東に向かって飛び始めた途端、ティトゥは何かに気が付いたようだ。
というか、僕も気付いた。これって――
『湿地帯の色が違ってますわ』
『正確には色が違うのではなく、植生が異なっているのです』
そう。湿地帯の植物の緑色が、海岸に向かう程、黄緑色が多めになっているのだ。
『茶色の部分が減ってますわ』
『茶色の部分は沼ですね。見て下さい。川が何本も流れているでしょう。あれのおかげで西に向かう程、沼が減っているんですよ』
湿地帯は上空からだと、緑と茶色が入り混じった、迷彩柄のように見える。
茶色は所々、陽光を反射してキラキラと光っている。なる程、ベンジャミンが言うように、あそこは水があるんだろう。
しかし、西に――海岸に向かう程、茶色の占める面積は次第に減り、入れ替わるように黄緑色が増えていた。
『この高さからでは分かりませんが、あの黄緑色はこの春に芽吹いた植物です。今、第一次開拓地に近い湿地帯では植物の大繁殖が起きているのですよ』
ベンジャミンの説明によると、第一次開拓地の河川工事が湿地帯に与えた影響は、彼の予想を大きく超えたものだったそうだ。
河川工事で水の逃げ場が出来た関係で、湿地帯からどんどん水が減っているらしい。
残った水も次第に低地へと流れ込み、その水の流れが川を作り、その川の流れが更に水を下流へと押しやる。
そうやって、下流に近い湿地帯はどんどん水が減り、今では辺り一面雑草が生い茂っているそうだ。
『今は雑草ばかりですが、そのうち木が茂って来るでしょう』
湿地帯にだって木は生えている。その木から落ちた種がやがて芽を出し、いずれは湿地帯を覆い尽くすのだと言う。
『十年もすればそれなりの規模の雑木林になると思いますよ。もちろん手を入れる事でその流れを加速する事も、我々に便利なようにコントロールする事も可能です』
なる程。つまりは”里山化する”という事か。
里山とは、人間の手の入った山の事を言う。逆に手つかずの原生地域は深山と言うそうだ。
僕がこの世界で最初に降り立ったティトゥの実家、マチェイ家のお屋敷の裏の林なんかは里山に近いだろう。
『そうなんですの?』
興奮気味のベンジャミンに対して、ティトゥは今一つピンと来ていないようだ。
湿地帯が原生林になったところでそれが何? といった感じなのだろう。
しかし、ベンジャミンはティトゥの戸惑いに気が付いていないらしく、勝手に一人で盛り上がっている。
う~ん、ここは僕が説明するしかないか。
「ティトゥ、ティトゥ。ベンジャミンは第一次開拓地の近くの湿地帯が林になりかけているって言ってるんだよ。今はまだ林と言うよりも、沼地が減って草ぼうぼうになっているだけだけど」
『そのようですわね』
「それってつまり、開拓が楽になるって事にならない? 水がなければ――」
『そうですわ! 同じ開発するのなら、埋め立てが必要な湿地帯よりも、林の方が手間がかからないのですわね?!』
そういう事。
湿地帯を干拓するためには埋め立てをしなければならない。
しかし、夏には毒虫と瘴気が邪魔をし、冬には凍てつく寒さの中、水に浸かっての工事が必要となる。
ちなみに僕は、毒虫の正体は蚊やダニ、あるいはアメーバ症等の寄生虫関係が怪しいと睨んでいる。蚊やダニはどうしようもないが、ヒルやアメーバは、そして瘴気の被害も、湿地帯が乾いた土地になるだけでかなり抑えられるのではないだろうか?
そして冬に工事が進められるようになるのも大きい。
なんなら開発は冬場に限って、農閑期の雇用対策としたっていいのだ。
『確かに――そうですわね』
僕の話を理解してくれたのか、ティトゥの顔に明るい笑みが浮かんだ。
嬉しそうなティトゥに感化され、はしゃぎ始めるファル子達。
ベンジャミンは僕達の会話は無視して、熱心に湿地帯を見下ろしては何かのメモを取っている。
マイペースだな。
いや、優秀な学者というのは、こういうものなのかもしれない。
悪く言えば”空気読めない”、良く言えば”脇目もふらない”。そういう学者バカの人間こそが何かを成し遂げられるんじゃないだろうか。
『ハヤテ?』
「何でもない。それよりもベンジャミンに何か希望が無いか聞いてくれない?」
『そうですわね。ベンジャミン。他に空から見ておきたい場所は無いんですの?』
『あっ! それでしたら、ペツカ山脈の方にも飛んで下さい。竜翼川と竜尾川の水源地も見ておきたいので』
「ペツカ山脈ね。了解、了解」
「「キュキュー(りょーかい、りょーかい)」」
僕は翼を翻すとペツカ山脈へと機首を向けた。
領地開発に関する明るい情報が得られた事で、僕の心は軽かった。
そんな僕の心を反映したのだろうか? ハ45『誉』の立てるエンジン音は、いつもよりずっと弾むように軽やかだった。
次回「兄妹の里帰り」