その30 聖国の王城にて
◇◇◇◇◇◇◇◇
大陸の南西に浮かぶクリオーネ島。
面積約二万平方キロメートル。
温暖な気候と美しい自然のこの島は、ほぼランピーニ聖国によって治められている。
歴史ある白亜の城の執務室では、宰相アレリャーノが報告書を手にうなり声を上げていた。
「う~ん。やはりチェルヌィフは再び内乱に入ったか・・・」
今年に入って、大陸の二大大国の政情が不安定になっている。
中央の大国、ミュッリュニエミ帝国は、皇帝ヴラスチミルが我が子である皇太子を廃嫡。
更には皇后を追い出し、その直後に若いベリオールを新皇后に迎えている。
皇帝は若い皇后のために、贅を尽くした宮殿の建設を命令。
前年の出兵に続くこの労役と重税に、帝国の民からは怨嗟の声が高まっているという話だ。
そしてもう一方の東の大国、チェルヌィフ王朝においても、六大部族のベネセ家がクーデターを敢行。
同じく武断派のバルム家と同盟を組んで、国の中心である王都を制圧した。
しかし、この暴挙を残りの四部族が黙って受け入れるはずは無かった。
クーデターで当主が犠牲となったサルート家が中心となり、彼らは連合軍を結成。
国を二つに割る内乱へと突入した。
ヴルペルブカ砦で睨み合う両軍だったが、帝国がこの混乱に乗じて国境に軍を集結していると知るや直ちに休戦。
両軍一体となって帝国の脅威に当たった。
この展開は帝国にとっては予想外だったのだろう。
結局、帝国は小競り合いをしただけで軍を退く事になるのだった。
「帝国が退いたのはある意味予想通りだったとも言えるか。元々チェルヌィフ側が内乱で動きが取れないと踏んでの進軍だった訳だし、正面から戦いを仕掛けるには準備のための時間が無さすぎた」
帝国軍の”二虎”将軍、ウルバン将軍は、つい先日、南征失敗の責任を問われて更迭されている。
もう一人の二虎、カルヴァーレ将軍は、正面切っての戦いよりも搦め手――策を弄するのを好む傾向が強い。
そんな彼が総力戦を選ぶはずはなかったのだ。
ちなみにカルヴァーレ将軍は、敵に対して苛烈な報復措置を行う事でも有名である。吝嗇(※ケチな人)との噂も相まって、あまり周囲からの評判が良くない人物でもあった。
アレリャーノ宰相がさっきから見ていたのは、この戦いの後に関しての報告書であった。
帝国軍の撤退を受け、チェルヌィフは再び六大部族間の内乱に移ったという。
ヴルペルブカ砦と王都を失ったベネセ・バルム同盟は、自領に戻り、徹底抗戦の構えを見せている。
それに対し、連合軍は先ずはバルム家から片付ける事にしたようである。
軍をバルム領のある北へと向けていた。
「チェルヌィフでは内乱の再開。そして帝国は皇帝ヴラスチミルが暴君と化し、国内で反発する機運が急速に高まりつつある、か。
西方諸国の関係も相変わらず緊迫しているようだし。大陸は今年中にもうひと荒れあるかもしれないな。
半島も、小ゾルタは帝国軍に王家が滅ぼされた後、未だ各地で続く小競り合いが収まる気配がない。ミロスラフ王国もカミルバルト国王の即位に反発する貴族家に、不穏な動きが見られるようだ。こちらも要注意だな」
コンコンコン
その時、部屋にノックの音が響いた。
「宰相閣下! ご夫人がお見えになられました!」
ドアが開けられると共に、凛とした佇まいの美女が部屋に入って来た。
アレリャーノ宰相の妻でもあり、この国の元王族でもあるカサンドラ・アレリャーノ夫人である。
彼女は夫の手元の報告書をチラリと見た。
「それはチェルヌィフからの報告書ね?」
「ああ。思った通り――いや、思ったよりも早かったかな。あちらは再び内戦状態に入ったそうだよ」
宰相は目で妻にソファーにつくように勧めたが、カサンドラは無視。彼の手元から報告書を抜き取るとザッと目を通した。
「バルム領から攻める訳ね。確かにあそこは今、領地の経済が破綻しかけているわ。先ずは弱っている方から叩く事にしたのね」
「岩塩商の失敗だね。以前に報告書は読んだが・・・正直理解出来なかったよ」
宰相は困った顔で妻を見た。
ハヤテの語った知識を元にジャネタが立ち上げた新商売、塩切手。
悪質な仕手筋、ジャネタの売り抜けで塩切手バブルは弾け、バルム領地の経済は回復不可能なダメージを負った。
この件に関しては、一応、宰相も報告書を受け取っていたが、限られた情報だけでは事態の本質までは理解出来なかったのだ。
「心配しないで。私にも良く分かっていないから。でもそれも当然ね。あの件にはハヤテが関わっていたんですもの」
「ミロスラフ王国のドラゴンが?! 一体どういう事だい?!」
ミロスラフ王国のドラゴン・ハヤテ。
数々のデタラメな力を持つ謎の超生物だが、その知識も侮れない事を彼らは知っている。
しかし、岩塩の商売に彼がどう関わっていたというのだろうか?
カサンドラは手に持っていた紙の束を突き出した。
「モニカからの報告書よ。ここに書いてあるわ」
「カシーヤス嬢からの? 分かった」
モニカ・カシーヤスは王家直属のメイド、カシーヤス家の子女だ。
この夏までメイドとして王城に勤めていたが、今は本人の希望もあって、海を隔てた半島のナカジマ家に出向いている。
彼女に与えられた任務は、ナカジマ領の情報を宰相夫妻にもたらす事だ。
とはいえ、ハヤテ達が領地を離れてからは著しくやる気を失ったのか、紙一枚の簡素な報告しか送って来なくなっていた。
今回は随分と気合が入っている様子から、どうやらハヤテ達が無事にナカジマ領に戻って来たようである。
「ドラゴンが戻って来たのかい?」
「そのようね。彼らがチェルヌィフに向かって二ヶ月半。あちらで何をやっていたかが書かれているわ」
宰相は妻から報告書を受け取ると、その場で読み始めた。
一枚目を読み終えた時点で既に彼の表情はこわばっていった。
「・・・これは本当の事なのかい?」
「あの子が間違いや誇張を書いて来た事がある?」
モニカは諜者としての特別な訓練を受けている。
持って生まれた才能があり、また、本人の性格的にも余程諜報活動に合っていたのか、その能力は非常に高度なものとなっていた。
「いや、でも、竜 騎 士が、伝説の黄金都市リリエラを発見したって書いてあるんだけど」
「気持ちは分かるわ・・・ けど、あの子がそう報告して来たんだからそうなんでしょうね」
妻の言葉に宰相は、頭痛を堪えるような仕草を見せた。
「ハヤテは、隣り町感覚でペニソラ半島からこのクリオーネ島まで飛んでくるような存在よ? 砂漠を飛び回っているうちに偶然、伝説の都市を発見したっておかしくはないわ」
「いや、おかしいだろ? チェルヌィフのザトマ砂漠だよ?」
ハヤテ達が領地を離れて二ヶ月半。たったこれだけの期間で、”陸の大海”とも呼ばれる悪名高いザトマ砂漠で、幻の都市を発見したというのだ。
これは言ってみれば、海岸のどこかに落とした宝石の粒を見つけるようなものである。
どのような偶然が働けば、そのような事が可能になるのだろうか?
宰相は報告書の続きを目で追った。
「確かにリリエラが発見されたという報告は以前読んだ。けど、そこにはドラゴンが発見したとは書いていなかったはずだよ」
「私もよ。現地の諜者もあまりに馬鹿馬鹿しい噂だと思って切り捨てたんでしょうね」
「おい! リリエラに巨大な塩湖?! 大量の東方陶器?! こんな話は聞いていないぞ!」
ギョッと目を剥くアレリャーノ宰相。
正確に言えば、”竜の背”と呼ばれる砂漠の山脈から岩塩が発見された、という情報は入っていた。
しかし彼らは、伝説の黄金都市と岩塩坑の二つを結び付けて考えていなかったのだ。
「東方陶器はマズいぞ! ウチの陶器産業と需要が被ってしまう!」
「ちゃんと読んで頂戴。数は多いけど、ほとんどが割れたものや価値の低い小物だそうよ」
宰相の驚きも無理はない。
東方陶器を独自の製法で再現した聖国陶器は、このランピーニ聖国においては重要な輸出品となっている。
もし、本物の東方陶器が大量に市場に流通すれば、模造品である聖国陶器の価値は暴落してしまうだろう。
「・・・それでも今後は色彩やデザインで価値を高めるように指示を出しておくべきだろう」
「確かにそうね。より価値を高める努力は当然すべきだわ」
聖国陶器の製法は王家によって厳重に秘匿されている。最近では独占状態に胡坐をかいて、技術の研鑽がおろそかになっていたかもしれない。
宰相夫妻は職人達の意識の引き締めを図る事に決めた。
「バルム家の岩塩商に関しては・・・これか。確かにハヤテが何かアドバイスをしたとあるな。具体的な内容はまだ分かっていないのか」
塩切手バブルに関しては、ティトゥもあまり語りたくない内容だったようである。
あるいは本人もあまり詳しい内容は理解していないのかもしれない。
この件に関しては、モニカの報告書にも簡素な事実が記載されているだけであった。
「ドラゴンと巨大な怪物との戦いについての報告? 詳しい内容は後で読むとして、全く。ドラゴンは他所の国で一体何をやっているんだ?」
宰相は頭痛を堪えながら報告書をめくった。
だが、最後のページを目にした瞬間、彼はピタリと動きを止めてしまった。
彼の目は何度も同じ文章の上を行き来した。
どうやらあまりに衝撃的な内容過ぎて、脳が理解を拒んでいるようである。
そんな夫の姿を、カサンドラは”さもありなん”といった表情で見つめている。
何を隠そう、彼女もこの部屋に来る前に通った道だからである。
やがて、ようやく内容を受け入れられたのか、アレリャーノ宰相が報告書から顔を上げた。
「ここには、ハヤテの子供が生まれた、とあるけど?」
口に出して言っても信じられない内容だった。
あのドラゴン・ハヤテに子供が出来たというのだ。
次回「エピローグ ドラゴンズ」