その25 困惑する代官
チェルヌィフの北西にそびえる険しい山脈。
この国と帝国の、北の国境を隔てるピエルカ山脈だ。
延長約400km。幅約100km。山脈最高峰の山は標高約4000m。
様々な天然資源に恵まれ、有名な所では、僕達が引っ掻き回したバルム家の岩塩坑もここに含まれている。
『この山脈に発生したネドマの調査と言っても、どこから手を付ければ良いのかしら?』
『デンプションの港町の時のように、何か目安となるものはないんでしょうか?』
ティトゥの呟きにメイド少女カーチャが返事を返した。
デンプションの港に出現した巨大オウムガイネドマ。
叡智の苔バラクの情報によれば、このピエルカ山脈にも同様のネドマの発生があったという。
とはいえ、さっきも言ったが、山脈の延長は約400km。
そんな範囲をたった一匹のネドマを探して闇雲に調査していても、時間ばかりがかかって仕方がない。
せめてもう少し、範囲を絞り込めむためのヒントが欲しい所だ。
『適当な町に降りて、誰かに話を聞いてみますか?』
『――そうするしかありませんわね』
カーチャの提案に同意するティトゥ。
先ずは情報収集。具体的な調査計画を立てるのはそれからでもいいだろう。
「だったら、手っ取り早くあの町に降りましょうか。ハヤテ」
「・・・了解」
ティトゥは日本語が喋れる事が僕にバレて以来、こうして時々僕に対して日本語で話しかけて来るようになった。
知らない間に散々独り言を聞かれていた身としては非常にやり辛い。
全く、ティトゥも厄介な力に目覚めてくれたもんだよ。
僕は少し乱暴に翼を翻すと、眼下の小さな町へと舞い降りるのだった。
僕は町の入り口近くの街道に着陸した。
この小さな町は鉱山の町だったようだ。
周辺の村から出稼ぎに来た人や、彼らの落とす現金を目当てにした商店とで、町の規模に似合わない活気に満ち溢れていた。
突然の謎生物の襲来に、町は大騒ぎとなった。
早速駆け付けた兵士達によって、僕達は取り囲まれてしまった。
『なっ! なんだこの化け物は!』
『待て! 背中に誰か乗っているぞ!』
ここでティトゥが僕の風防を開けて立ち上がった。
山から吹き下ろした風が彼女のレッドピンクの髪をサッとなびかせる。
その凛々しい美貌に、周囲を取り囲む兵士の間からホウッというため息が漏れた。
『私達はベネセ家のご当主様から依頼を受けて調査に来た者ですわ! 責任者の方をここに呼んで頂戴!』
ベネセ家の当主というパワーワードに、兵士達の間に大きなどよめきが上がった。
『それは・・・その、失礼ですが、お言葉を証明するものはありますか?』
『ありますわ。カーチャ』
メイド少女カーチャが、ティトゥから預かっていた物を主人に手渡した。
ベネセ家の当主マムスから渡されたペーパーナイフだ。
『ご当主様からお預かりしたものですの』
『これは確かにベネセ家の紋章! わ、分かりました、少々お待ち下さい! おい! 代官屋敷に誰か走れ! 急げ!』
男の指示で、慌てて若い兵士達が走り出した。
こんな小さな町なのに代官がいるんだね。って、そこそこの鉱山っぽいし、いてもおかしくはないのかな。
やがて人混みをかき分けるようにして馬車がやって来た。
乗っていたのは、いかにも代官、といった感じの偉そうな貴族だった。
『これはこれは。ベネセ家のご当主様から直々に調査依頼でいらしたそうで』
揉み手をしながら低姿勢でティトゥにおもねる代官。
偉そうだが長い物には巻かれるタイプのようだ。なんだかなあ。
とはいえ、彼の態度も仕方がないだろう。
この国では六大部族といえば数多の貴族家の最高峰。この強大なチェルヌィフ王朝の頂点に君臨するたった六つの部族なのだ。
その当主ともなれば貴族の間でも雲上人。
その当主直々の命を受けた者に対し、一介の代官ごときが高飛車に出られるはずが無いだろう。
どうやら僕達はイムルフ少年とレフド叔父さん、それにベネセ家の新当主マムスと、六大部族の当主の半数に会っているせいで、その辺の感覚が麻痺していたようだ。
『この鉱山はオキュラス男爵様の『鉱山の話はいいですわ』――は?』
調査に来たと言うのに、ティトゥに鉱山の話はいらないと言われ、言葉を失う代官。
まあ実際、僕らは鉱山の調査に来た訳じゃないからね。代官の勇み足、というか勘違いだ。
『最近ここいらの山で化け物が出ていませんこと?』
『化け物ですか? 少々お待ちを』
代官はティトゥの言葉に戸惑いながら、かたわらに立っていた兵士に声を掛けた。
『どうだ? 聞いた事があるか?』
『いえ、そんな話は・・・』
兵士は同僚を見回したが、みんな困った顔を見合わせている。
どうやら代官の耳にも、兵士達の耳にもそれらしい噂は届いていないようだ。
『あの。どういった化け物なのかお聞かせ願いませんか?』
『知らないならいいですわ。お騒がせしましたわ』
ティトゥはあっさりバッサリ話を切り上げると操縦席に引っ込んだ。
実際、どういった化け物なのかと聞かれても、僕らも知らないし。答えようがないんだけどね。
呆気に取られて立ち尽くす代官達に、ティトゥはどいてくれるように頼んだ。
『みなさん、ハヤテの前から離れて頂戴! ハヤテが飛び立てませんわ!』
『ハヤテ? ですか?』
「どうも。ハヤテです」
『『『『『喋った?!』』』』』
そんなこんなで、みんなが離れたところで僕はエンジンをスタート。
ババババババ
『『『『『おーっ』』』』』
軽快なエンジン音を響かせながら回るプロペラに、周囲から大きなどよめきが上がった。
『前離れー! ですわ!』
「試運転異常なし! 離陸準備よーし!」
『離陸! ですわ!』
僕はブーストをかけると疾走。フワリと空へと舞い上がった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「「「「「うわああああああっ!」」」」」
ハヤテと呼ばれる巨大な何かが飛びあがると、周囲の野次馬達から大きな声が上がった。
「すげえ! 飛んでるぞ!」
「アイツ、あんなデカイ体で飛ぶのか?!」
ハヤテは脇目も振らず、あっさりと北の空へと飛び去っていった。
それでもなお、彼らは衝撃の余韻に浸り、いつまでもハヤテの消えた空を眺めていた。
代官は我に返るとポツリとこぼした。
「それで結局、あの女はこの町に何をしに来たんだ?」
代官はティトゥの正体も、彼女が何をしに来たのかも理解していなかった。
訳の分からない化け物の話を聞かれただけで、彼女は調査すらせずに帰った(※少なくとも代官の目にはそう見えた)からだ。
この日、この町を含めてハヤテ達は八つの町に舞い降りた。
そしてその先々で同じような騒ぎを起こし、同じようにあっさりと去って行った。
多くの者達は、最初の町の代官と同様に、「何をしに来たんだ?」と、困惑の表情を浮かべた。
この一見はた迷惑な調査が実を結ぶのは、彼らが八番目に訪れた町での事になるのだ。
次回「モルビデルの町の崩壊」