その19 騎士の誇り
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総合評価が4000ptに到達したのを記念して、昨日と今日は二話、朝と夕方に更新しています。
前日の更新分の読み飛ばしにご注意下さい。
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死んだと思われた巨大オウムガイネドマだったが、実は瀕死の重傷を負って気を失っていただけだった。
意識を取り戻したネドマは海へと逃亡を図った。
ネドマに取り付いていた騎士団は全員振り落とされて海に落ちた――かと思われたが、一人だけ落ちずに済んだ老騎士がいた。
彼の名はローヴ。
戦争で家族を失い、たった一人残った孫も昨年海賊に殺された老人が、未だにネドマにしがみついていたのだ。
陸地がどんどんと離れていく。今、海に飛び込めば騎士団のボートまで泳ぎ着けるだろう。
老騎士ローヴは背後を振り返った。
怪物の巨大な殻の先。外海から一隻の大型船が湾内に侵入しようとしているのが見える。
おそらく、あちらも怪物の姿を発見したのだろう。
なんとか進路を変えようとしているようだ。
しかし、その動きは明らかに鈍い。
このままでは間に合わない。
ローヴは覚悟を決めた。
現在、彼の位置は、オウムガイでいう”ずきん”と呼ばれる箇所。
ローヴは四つん這いになったままジリジリと前に進んだ。
足元は海水に濡れて大変滑りやすく、また、怪物の動きに合わせて大きく揺れるため、ローヴは振り落とされないように慎重に進まざるを得なかった。
ローヴが目指しているのは”ずきん”の中央部分。
彼はそこに埋まった”赤い石”を取り出すために、巨大オウムガイネドマに取り付いていたのだ。
孫という最後の身よりを失くしたローヴが、今回の代官の招聘に応じた理由。
それは他人が噂しているような、”死に場所を求めて”といったものでは無かった。
彼は巨大オウムガイネドマが許せなかったのだ。
デンプションの町は、彼が自分の人生の全てをかけ、そして息子達は命を落としてまで守って来たものだ。
この町はローヴにとって、故郷であり、たった一つ残された自分の全て、自分の生きた証でもあった。
その町が今、巨大な人食いの怪物に蹂躙されようとしている。
決して許せるはずは無かった。
死ぬためではない。全ては町を守るため。己の生きた証を守るため。
ローヴは招聘に応じ、怪物と戦う決意をしたのだ。
怪物への攻撃は、町を訪れていたドラゴンが受け持つ事になった。
ローヴ達はドラゴンのサポートの仕事を割り振られ、怪物と直接戦うチャンスは与えられなかった。
しかし、ローヴは気を落としてはいなかった。
長年騎士団に所属していたローヴは、組織での戦いというものを良く理解していた。
騎士団という組織は、それ全体が一個の生き物であり、勝敗は個人に帰するものではなく、騎士団の全団員に帰するものなのだ。
戦いの場においては無駄な役割など一つもなく、全員が自分に課せられた仕事を果たした組織の方が勝者となり、果たせなかった組織の方が敗者となる。
そうやって得られる勝利。それこそが”騎士の誇り”なのだ。
怪物と大型船の距離はみるみる近付いている。
今では船乗りたちの慌てふためく姿まで良く見える。
ローヴの心が痛んだ。
――許せ。
俺にはこの怪物を止める事も出来なければ、お前達を救う事も出来ない。
だが、俺達の仇はきっとドラゴンが取ってくれるはずだ。
ローヴは片膝立になった。
足元にはキラキラと光る赤い石が埋まっている。
石はまるで宝石のように輝き、この醜悪な怪物の一部とは思えない程の美しさだった。
こんな状況でありながら、いや、むしろこんな状況だからかもしれない。石の持つ妖しい美しさにローヴは心を惹かれた。
だが、怪物から”赤い石”を奪えとの命令を受けて、こうしてここにいる以上、彼のすべきことは一つ。
命令を守って”赤い石”を奪うのだ。
石の周囲は岩のように硬い怪物の殻でガッチリと固められていたが、ハヤテの攻撃を受けて、その一部には亀裂が何本も走っていた。
ローヴは腰の小剣を抜くと、一番大きな亀裂に突き立てた。
ガキン!
グオオオオオッ!
剣の先が何かを断ち切る手応えと共に、怪物の体が大きく跳ねた。
ローヴは振り落とされないように剣に縋り付きながら、刀身を根元まで押し込んだ。
そのまま体重をかけて強引に左右に抉る。
亀裂の奥で、石にまとわりついた何かがブチブチと音を立てて断たれていく。
グオオオオオッ!
この痛みに初めて怪物はローヴの存在に気が付いたようだ。
巨大な触手がローヴをからめ取ろうと伸ばされた。
バキッ!
数打ちの剣が負荷に耐えられずに折れた。しかし、同時に亀裂も大きく広がり、石の周囲に大きな隙間が出来た。
ローヴは触手に胴体を掴まれながらも、その隙間に両手を突っ込み、石を掴んだ。
「おおおおおおおおっ!」
ギャアアアアアッ!
ローヴの渾身の力で赤い石は外された。
彼は怪物の触手に掴まれたまま海へと落下した。
海に沈む彼が最後に見たのは、ドラゴンが大きなうなり声を上げながら怪物に襲い掛かっている光景だった。
あの大型船がどうなったのかは分からない。
ドラゴンの攻撃が間に合ったのか、間に合わずに怪物に転覆させられたのか。
俺はここで死ぬのか。
最後にローヴの目に浮かんだのは、聖国の海で散った孫の顔だった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「爺ちゃん! 爺ちゃん! しっかりしろって! 爺ちゃん!」
目覚めたローヴの目に入ったのは、聖国の海で散ったはずの孫の顔だった。
「ゲホッ! ゲホッ! お、お前、こんな所で何をしてる?」
「いや、それは俺の言葉だよ。なんで騎士団の服を着て溺れているんだよ。もうずっと前に辞めたはずだろ。今更そんな恰好をして何をやってんだよ」
祖父の意識が戻った事にホッとする孫。
大柄な青年だ。体つきといい真面目そうな顔といい、ローヴが若い頃はきっとこんな青年だったに違いない。
青年は懐からいくらかのお金を取り出すと近くの船員に渡した。
どうやら彼がローヴを発見して、船に拾い上げてくれたようだ。
そう。ここは巨大ネドマが向かっていた大型船の甲板だったのだ。
「お前、死んだんじゃなかったのか?!」
「溺れて死にかけていたのは爺ちゃんの方だろう? 何? ひょっとしてギルドの方から連絡はいってなかったのか?」
昨年の夏。青年の乗った商船は聖国の沖合で海賊に襲われ、沈められた。
囚われの身となった青年は海賊のアジトに連れて行かれた。
彼はそこで奴隷のように働かされたが、祖父譲りの恵まれた体格と、商人としての目利きの確かさで、海賊達からも随分と重宝されていたらしい。
そうこうしているうちに、吊るし首の姫マリエッタ王女による海賊狩りが始まった。
彼が囚われていた海賊のアジトも、騎士団の強襲を受け、海賊達は一人残らず首をはねられた。
こうして青年は晴れて自由の身に――なるかといえばそうはならなかった。
彼があまりに海賊達に重宝されていたため、「よもや海賊の一味では無いか」との疑いが持たれたのだ。
この時、青年同様、海賊のアジトに捕らえられていた人達が大勢助けられた。
中にはそんな人質の中にコッソリと紛れ込み、逃亡を図った海賊もいたらしい。
そのため、取り調べは念入りに行われ、最も疑いが濃かった青年が解放された時には、既に年が変わり、春になっていたのだった。
自由になった青年は水運商ギルドの支部に駆け込み、自分の生存を報告した。その上で青年は、故郷の祖父にも無事を連絡するように頼んだ。
その後、彼は知り合いの伝手を辿り、この大型船に乗り込む事に成功したのだった。
「連絡? 俺はそんなのは受けていないぞ」
「――なんだよ。ギルドは日頃、散々俺達から高い会費を取っているくせに、いい加減な仕事をするんだな」
祖父の返事に、青年は不満顔を見せた。
ちなみに青年からの連絡はちゃんとギルド本部に届いていた。
届いてはいたが、例のバルム家の岩塩の取引停止を巡るトラブルで、ここ二ヶ月ほど、ギルド本部はほぼ機能不全に陥っていた。
青年からの報告は膨大な未処理の書類の山に埋もれ、今もギルド本部のどこかで埃をかぶっている事だろう。
「ようやくデンプションの港が見えて来たと思ったら、何だか良く分からないデカイのがこっちに迫って来るじゃないか。
危ない! と、回避しようとしていたら、今度は空を飛ぶ何かがそいつに襲い掛かるんだからな。船の上はさっきまで大騒ぎだったんだぜ」
「! そうだ! 怪物は! 怪物はどうなった?!」
ローヴは慌てて跳ね起きると周囲を見回した。
船員達が船の片側に集まっている。
彼らの視線の先には、巨大な丸い殻が浮かんでいるのが見えた。
巨大オウムガイネドマの死体である。
ピクリとも動いていない。今度こそ完全に止めを刺されていた。
そして青空にはドラゴン・ハヤテの姿も見えた。
先程から妙な耳鳴りがすると思っていたが、どうやらこの「ヴーン、ヴーン」という音は、ハヤテの上げるうなり声だったようだ。
「あっちの大きいのは飛んでるヤツの攻撃にやられたみたいだな。悲鳴を上げて動かなくなったよ」
「そうか・・・ やってくれたのか」
青年は手に持った何かをローヴに押し付けた。
「そうそう、これ。爺ちゃんが気を失いながらも抱きしめてた物だけど、これって宝石? じゃないよね」
ローヴの手の中にあるのはサッカーボール大の赤い石。
石は陽光を反射してキラリと光った。
石の重みが、目の前の孫の姿が、今更のようにローヴに生の実感を取り戻させた。
俺達は勝った! 俺は町のみんなの命を、孫の命を守ったんだ!
老人は久しく忘れていた大きな満足感を胸に、軽やかに大空を舞うドラゴンを見上げるのだった。
今日は夕方にも更新します。
次回「完全勝利」