その7 立ち上がる竜騎士《ドラゴンライダー》
ここはデンプションの港。
波止場には大小さまざまな船がひしめき合うように接岸されている。
無数の帆柱が所狭しと林立する様は、いくら眺めていても飽きさせないある種の魅力があった。
「ふう・・・」
僕は本日何度目かになるため息をこぼした。
僕の視線の先では、港の職員や船乗りたちが忙しく走り回っている。
遂に沈黙を破り、商船を襲い始めた巨大オウムガイネドマ。
被害を重く見た町の代官ルボルトさんは、緊急事態宣言を発令。
港を閉鎖して船の出入りを完全に禁止した。
現在出港中のサルート家の軍船――近隣の港に向けた連絡船――を最後に、港の沖は小舟一艘浮かべる事は出来なくなるそうだ。
「ネドマに完全にしてやられちゃったな」
最初の襲撃にこそ出遅れてしまった僕達だったが、それ以降は竜 騎 士部隊の老騎士諸君に滑走路を確保してもらい、二度と失敗しないように備えていた。
しかし、僕はイヤな予感がしてならなかった。
ひょっとしたらネドマは完全に僕から逃げる事にしたんじゃないだろうか?
そして相手が逃げに徹した場合、僕には大きな弱点がある。
ベースが陸軍機の僕は、海中の相手に対して有効な攻撃手段を持っていないのだ。
そしてこの悪い予感は的中してしまう。
二度目の襲撃と三度目の襲撃。
そのどちらも、僕とティトゥは、「今度こそ」と意気込んで飛び立った。
しかし、当のネドマは、僕が飛び立つのを見た途端、あっさりと獲物を手放して安全な海中へと逃げ込んでしまったのだ。
それは憎たらしい程見事な逃げっぷりだった。
僕達は攻撃するチャンスすら与えられず、歯噛みしながら、海上で繰り広げられる救出活動を見守る事しか出来なかった。
そうこうしているうちに、ルボルトさんによる非常事態宣言が発令された。
船は全て港に戻り、サルート家の海軍によって港は完全に封鎖された。
「こっちから相手が見えるって事は、相手も僕が飛び立つのが見えるって事になるもんな。かと言って相手から見えない場所まで下がってしまえば、その分出動が遅れて犠牲者が増えるわけだし・・・」
結局、被害を出さないためには船の出入りを禁止するしか無い、という訳か。
けど――
「けど、いつまで封鎖を続けるつもりなんだろう。まさか、飢えたネドマがどこかに行ってしまうまで、とか言わないよね?」
僕の呟きに答える者はいない。
そういえば、最近僕は独り言が増えた気がする。
我ながらなんとも冴えない癖だと思うけど、これは多分、カルーラ達小叡智の姉弟と、日本語で会話を交わすようになったのが大きいと思う。
この異世界に転生して一年。どうやら僕は自分でも気が付かないうちに日本語での会話に飢えていたようだ。
ボチボチ現地の言葉を覚えて来たといっても、まだみんなとは片言でしか会話が成立しないからね。
そんな中、日本語での会話が通じるカルーラ姉弟が現れた。
正確には彼女達は日本語を喋っている訳では無い。
翻訳の魔法で、僕の言葉を自分達にとって意味の通じる言語に置き換えているのだ。
原理はともかく、こうして僕は気兼ねなく日本語で会話が出来る相手を得た。
たまに呟く僕の言葉にカルーラ達は反応してくれる。
そんな些細な事がどうにも嬉しくて、僕はついついこうして口を滑らせるようになってしまったのだ。
・・・まあそれはともかく。
『ナニ?』
『何でもありませんわ』
僕の呼びかけにティトゥは微笑みで返した。
彼女はさっきから何をするでもなく僕の横に立っている。
そのくせ時々僕を見上げては、意味ありげな表情を浮かべるので、気になって仕方が無かったのだ。
「・・・言いたい事があるなら、ハッキリ言って欲しいんだけど?」
ティトゥは僕の言葉を無視して港の方へと視線を向けた。
いや、彼女は無視したわけじゃない。僕の日本語が通じなかったのだ。
この一年間、何度も目にしたお決まりの光景だ。
しかしこの時、僕は何とも言えない微妙な引っかかりを覚えていた。
何かを思い出せそうで思い出せないような、ティトゥの態度がいつもと同じように見えて、いつもとどこか違うような。そんな曖昧な感覚だ。
そういえば、最近彼女は、ふと気が付くとこうして黙って僕の横に立っている事が多い。
こういう時、以前の彼女なら積極的に僕に話しかけて、コミュニケーションを取ろうとしていたはずだ。
それが最近では、黙って僕の独り言を聞いている場面が増えた気がする。
・・・正直言って、不気味で仕方が無いんだけど。
とはいえ、チキンな僕は女の子に向かって、「何だか気になるからあっちに行ってくれないかな」なんて言える訳がない。
いやまあ、メイド少女カーチャ相手になら言えるのかな。
ちなみに同じメイドでも、聖国の貴族メイド、モニカさん相手には無理である。失礼とか気を使ってとかじゃなく、単純に怖くて。
僕は何とも言えないやり辛さを感じながら、ティトゥと二人で港の船を見つめていた。
『あっ、あれは』
メイド少女カーチャの声に振り向くと、彼女の視線の先、町の大通りから黒塗りの高級馬車がやって来るのが見えた。
『ルボルト様のお屋敷の馬車ですね』
水運商ギルドの眼鏡少女、ヤロヴィナがちょっとイヤそうな顔をした。
あの馬車で、町のギルド支部まで送ってもらった経験が、軽いトラウマになっているようだ。
ていうか、何だか久しぶりに君の声を聞いたよ。
この町に来たての頃までは、うるさいくらい良く喋ってた気がするのに、最近はすっかり大人しくなっちゃってたからね。
カーチャも、文句を言う相手が変にふさぎ込んでいるもんだから、どこか張り合いがなさそうにしていたよ。
『ハヤテ様?』
『ヨロシクッテヨ』
カーチャの『また変な事を考えていますね』といった視線を、僕は華麗にスルーした。
返事のタイミングといい、抑制の取れた声色といい実に完璧な対応だった。
僕の一流ディーラーばりのポーカーフェイスに、カーチャはすっかり騙されたらしい。
今も白い目でこちらを見ながら、『やっぱり変な事を考えていたんですね』などと呟いている。
あれ? これって全然騙されてなくない?
『カーチャ。遊んでいないで手伝って頂戴』
ティトゥの呆れたような声に、慌てて主人の髪を整え始めるカーチャ。
そして怯えた小動物のようにキョロキョロと逃げ道を探すヤロヴィナ。結局諦めたようで、急いで身だしなみをチェックしている。
そんな僕達のすぐ目の前で馬車は停まった。
馬車から降りたのはピンと背筋の伸びた四十歳前後の髭の紳士。
この町の代官ルボルトさんの執事、ホンザさんだ。
ホンザさんは挨拶もそこそこにティトゥに用件を告げた。
『主人が屋敷でお待ちしております。ナカジマ様を屋敷までご案内致したく参りました』
『お断わりですわ』
ティトゥに食い気味に切り捨てられ、ホンザさんの目が点になった。
ちょっとティトゥ! いくらよそ様のお屋敷を苦手としているからって、そんな断り方は失礼じゃない?
ホンザさんは気を取り直すと、もう一度ティトゥに頼み込んだ。
『主人はナカジマ様と怪物ネドマの対策を協議したいと申しております。なので先日同様もう一度当方の屋敷まで――』
『だからお断りなのですわ』
今度もキッパリと断られ、ホンザさんの笑顔が凍り付いた。
あわあわとうろたえる眼鏡少女ヤロヴィナ。
おろおろとうろたえるメイド少女カーチャ。
何だか君達お揃いだね。
こんな状況にもかかわらず、僕は思わずホッコリした。
そんな僕の視線に気付いたのだろうか? カーチャが『何とかして下さい!』と訴えるような目で僕を見上げた。
どうやらカーチャはティトゥのいつもの悪い癖が――堅苦しい場を嫌う癖が――出たと思っているようだ。
いやまあ、僕も最初はそう思ったけど、今回はそれだけじゃないみたいだよ?
どうやらティトゥには何か考えがあるようだ。
僕はこの場は黙って彼女を見守る事にした。
『確かに国外の貴族であられるナカジマ様には協力頂く理由はないかもしれません。しかし考えて頂きたい、ルボルト様はサルート家の先々代の当主であり、このデンプションの代官を務められているお方です。その方の覚えを良くしておく事はあなたにとっても決して悪い話では――』
『お化けネドマの退治なら言われなくても協力致しますわ。私が行かないと言っているのはそういう意味ではありませんの』
協力はするのに屋敷には行かないと言うティトゥ。
ホンザさんは、目の前の少女が何を言いたいのかさっぱり理解出来ない様子だ。
ティトゥは混乱するホンザさんの背後――彼の降りて来た馬車へと目を向けた。
『先日、私はあなた方の求めに応じて、そちらの馬車でお屋敷に出向かせてもらいました』
ホンザさんは『ええ、確かに』と頷いた。
『でもそれは間違いだったんですわ』
『間違い? ですか?』
『ええ、大間違いですわ!』
豊かな胸を張ってドヤ顔を決めるティトゥ。
もし漫画であれば、背景には集中線と共に「バンッ」という書き文字が極太のゴシック体で書かれていた事だろう。
『私とハヤテは二人で竜 騎 士なのですわ! 今日の失敗は、あなた方が私としか話し合わなかったために起きたのです!』
・・・・・・は?
この瞬間、周囲の空気が固まったような気がした。
いやいや、ちょっと待ってティトゥ。君、何を言ってるわけ?!
確かに僕達は二人で竜 騎 士だけど、僕はティトゥの決めて来た方針で何の不満も無かったんだけど?!
だからホンザさんも、そんな顔で僕を見上げるのはよしてくれないかな?
カーチャの『え~っ』って顔も、それはそれで不愉快だけどさ!
混乱する僕を知ってか知らずか、ホンザさんは僕とティトゥに交互に視線を彷徨わせながら尋ねた。
『おっしゃりたい事は分からないでもないですが、それでは屋敷には――』
『屋敷には行きませんわ! お化けネドマの対応を相談したいなら、そちらがハヤテと私の所に来ればいいんですわ!』
『この倉庫にですか?!』
驚いて周囲を見回すホンザさん。
屋敷の執事としては、主人に『港の倉庫まで出向いてくれ』とは告げられないのだろう。
そんな彼にティトゥの非情な言葉が宣告された。
『それが無理なら、私から行きますわ! ハヤテと一緒に!』
『ハヤテ様とご一緒にですか?!』
ギョッと目を剥くホンザさん。
ティトゥは彼の返事を待たずに、ヒラリと僕の操縦席に駆けのぼった。
『さあ、行きますわよハヤテ!』
えっ? マジで?
結論から言うと、僕はティトゥの求めに応じて、丘の上にあるルボルトさんの代官屋敷まで飛ぶ事になるのだった。
いいのかなあ、これで。
次回「ドラゴン襲来」