その6 被害報告
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デンプションの港町の北に、町を見下ろす小高い丘がある。
この丘の周囲は全て町の代官の屋敷の敷地内となっている。
何故代官が、このように不便な場所に屋敷を構えているかと言えば、ひとえに、六大部族同士が互いに争っていた時代の名残である。
良港を持つデンプションは昔から貿易で栄えていたため、貯えられた富を狙う勢力が後を絶たなかったのだ。
「今日で五日目か」
屋敷の執務室で、サルート家騎士団の団長から報告を受けているのは、気難しそうな初老の男。
六大部族サルート家の先々代の当主でもあり、今はこの町代官を務めているルボルト・サルートである。
港の沖に突然巨大なネドマが現れてから今日で五日目。
サルート家海軍の懸命な捜査にもかかわらず、あの日以来、ネドマを発見出来ずにいた。
「申し訳ございません。夜間も見張りは絶やさないようにしているのですが、一向に発見できず。海底でナカジマ殿のドラゴンが負わせた傷を癒しているのかもしれません。あるいは――」
「あるいは既に近海から去っているか――か。その場合、巨大ネドマがどこに行ったのかが問題だな」
ネドマが東の海の果て、”魔境”へと去っていたなら何の問題も無い。
しかし、もし仮にこの大陸の近海を――ましてや、外洋船の航路上を縄張りにされた場合は最悪だ。
今後、商船航路を取る船がどれだけの被害を被るか想像すら出来ない。
そうなれば貿易で栄えたデンプションにとって、生命線を断たれるに等しい状況となるのは間違いない。
その時、廊下を走るけたたましい足音が近付いて来た。
団長は警戒しつつ腰の剣に手を置いた。
やがて足音はドアの外で止まった。
「何者だ?!」
「失礼します! ネドマです! 港の沖に巨大ネドマが出ました!」
「「!!」」
足音の主はサルート家騎士団員だった。
まだ若い彼は港から懸命に馬を飛ばして来たのだろう。
額からは滝のように汗を流し、装備も乱れたままだった。
彼は乱れた息を整えるとルボルト達に報告した。
「巨大ネドマに襲われた外洋船は転覆! ネドマは逃げ遅れた乗員を襲っていましたが、現在は姿を消しております!」
「馬鹿な! なすすべなくやられたと言うのか?! 海軍の船は何をしていた! 港に出入りする船には必ず護衛に付けと命じておいたはずだ!」
団長の言葉に連絡員の男は言い辛そうに目を泳がせた。
「それが、その、こちらの軍船はネドマのたてる波に煽られて、転覆しないようにするのが精一杯だったようで・・・」
「・・・そんなはずは。聖国で建造された最新鋭の大型軍船だぞ?!」
「ガレー船は近くにいなかったのか? 取り囲んでさえしまえば、いかに巨大ネドマといえど――」
「・・・周囲の船が現場に到着した時には既にネドマは海中に逃げた後でした」
自慢の海軍が巨大ネドマ相手になすすべもなかったと知らされ、絶句するルボルトと騎士団団長。
ちなみにガレー船とは櫂を漕いで進む軍艦の事を言う。
舷側から突き出された多くのオールが特徴の戦闘用の船である。
帆で風を受けて進む帆船よりも機動力が高く、より戦闘に適しているとされている。
その反面、オールの長さの関係で喫水が浅くなり、また、動力を人力に頼るため長距離の移動も苦手とする。
波の穏やかな近海でその戦闘力を発揮する船と言えるだろう。
巨大ネドマを発見したサルート家ガレー船戦隊は、直後に現場へと向かった。
しかし、彼らがネドマの周囲を取り囲む前に、敵は海底に逃げてしまったのだった。
連絡員の男は申し訳なさそうにしながらも報告を続けた。
「現在、騎士団は総出で搭乗員の救助を行っています。転覆した外洋船は半ばまで水没。外から見える船底の破損の様子から、竜骨が折れているとの事。曳航しても修理は不可能かと思われます」
竜骨は船底の中央を縦に通る、船の背骨とも言える部分の事だ。
船を建造する際は、まず竜骨を作り、そこから左右に肋材を組んでいく。
つまり、竜骨の破損の修理は船の構造全体を見直す事に繋がり、結果的に船を再建造する事と同じ意味を持つのだ。
修理出来ない以上、船は破棄され、沈むに任せる事になるだろう。
いずれは海底で新たな漁礁になるに違いない。
連絡員からもたらされた報告はルボルト達に大きなショックを与えた。
騎士団団長は自分の目で確認すべく、急ぎ現場に戻った。
状況は彼の想像以上に悪かった。
外洋船の搭乗員は乗客も合わせて約60人。
その約半数が救出され、残りは行方不明となっていた。
勿論、溺れ死んだ者もいるだろうから、この行方不明者の全てがネドマに捕食された訳では無いだろう。
しかし、溺れようが食われようが、彼らがネドマの犠牲者である事には変わりはない。
だが、事態はこれだけに収まらなかった。
この日だけでも後二回。怪物ネドマは港を出入りする船を襲ったのだ。
事ここに至り、団長も自慢の海軍が怪物ネドマ相手には何の力も持たない事を思い知らされた。
ネドマはサルート家の軍船などいないものとして船を襲い、上空にハヤテの姿が現れると一目散に海中に身を隠した。
「怪物はサルート家の海軍より、たった一匹のドラゴンを恐れるというのか・・・」
三度目の襲撃の際には、とうとう軍船に被害が出た。
幸いハヤテが早期に駆け付けたため、乗員に被害はなかったが、軍船は横転した衝撃でマストがへし折れ、聖国の造船施設でなければ修理不可能となっていた。
青空を舞うハヤテに縋るような目を向ける騎士団員達。
団長はそんな彼らの表情にイヤと言う程見覚えがあった。
彼らの顔からは、自分達が領地を守るという気概も決意も感じられなかった。
(これは負け戦の時に見られる顔だ)
戦の負けが決まった時、兵士は往々にして皆このような顔になる。
戦う気力を失くし、仲間を見捨ててでも自分だけ助かろうとする生き汚い負け犬の顔だ。
巨大なネドマという怪物と、ドラゴンという超越者の戦い。
自分達は化け物同士の一騎打ちに、身の程知らずにも乗り出したお調子者の道化師だったのではないだろうか?
団長は今日一日だけで、サルート家騎士団が完全に怪物ネドマに心をへし折られてしまった事を悟った。
「あの・・・団長」
ふと顔を上げると、副官が心配そうにしながらこちらの指示を待っていた。
どうやら無意識のうちに俯いていたようだ。
「・・・ルボルト様の所に報告に行って来る。軍船を港に戻しておけ。港を完全閉鎖する事になるかもしれん」
「それは! ・・・はい。分かりました」
港の完全閉鎖。冬に海が凍り付く北の港ならともかく、このデンプションの港が完全に閉鎖されるなど、ネドモヴァーの節の最中でさえ無かった事である。
これはサルート家海軍にとって完全敗北の宣言に等しかった。
しかし――
(しかし、これ以上の被害は看過できん。おそらくルボルト様であればそう判断される事だろう)
商船三隻に加え、高価な軍船すら被害に遭っている。
サルート家海軍に怪物に対する対抗手段が無い以上、このまま手をこまねいて被害を増やすようなマネは出来ない。
団長の想像通り、代官のルボルトは非常事態宣言を発令、港の完全封鎖を命じた。
完全封鎖は一般の船のみならず、軍船から小舟に至るまで、一隻の例外なく港を出入りする事を禁じるものである。
ルボルトにとっても苦渋の選択であった。
団長を見送ると、ルボルトは彼の右腕とも言える執事のホンザを呼んだ。
「何でございましょうか」
「――ナカジマ殿を呼べ。怪物ネドマの対策を相談したい」
「かしこまりました」
執事のホンザは一部の隙もない完璧な会釈を返すと部屋を後にした。
ルボルトはデスクに向かったが、気持ちが塞いで全く仕事に手が付けられずにいた。
どのくらい、そうしていただろうか?
一時間? それとも二時間?
太陽が西に傾き始めると共に、屋敷の中が夜を迎える準備で騒がしくなった。
「? いや、これは夜の支度の騒ぎじゃないぞ。何だ? 何が起こっている?」
最初は使用人達が夜の支度を始めたのかと思ったが、それにしては騒々しすぎる。
ルボルトは言い知れぬ不安を感じて部屋のドアを開けた。
「誰か――おい、どうした」
使用人を呼ぼうとしたルボルトだったが、テラスから嬉しそうに空を眺める小さな影に声を詰まらせた。
それはまだ幼い彼の孫だった。
「あっ! お爺様! あれってきっとドラゴンですよね! ほら、あれ!」
「何?! ドラゴンだと?!」
ルボルトが慌てて少年の指差した先を見ると、確かに、大きな翼が西日をキラリと反射しながら屋敷の上空を旋回しているのが見えた。
良く見れば屋敷のあちこちの窓から使用人達が顔を出し、二人と同じように空を見上げている。
どうやらさっきの騒ぎの原因は、ハヤテを見つけた使用人達によるものだったようだ。
「スゴイなあ! ドラゴンって本当に空を飛ぶんだ! あっ! この屋敷に降りようとしているみたいですよ! おおーい!」
「はあっ?! 屋敷に降りるだと?! ちょっと待て! ホンザのヤツ、一体何をやっているんだ?!」
突然の事態に混乱するルボルト。
そして、噂のドラゴンを間近に見る事が出来て、嬉しそうに手を振る少年。
屋敷の全員の目が集まる中、ハヤテはいつものように豪快に庭木をなぎ倒しながら着陸を決めるのだった。
次回「立ち上がる竜騎士」