その4 ヤロヴィナの憂鬱
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デンプションの港町。
活気あふれる賑やかな通りを、一人暗い顔をしてトボトボと歩くおさげの少女がいた。
まだ若い娘だ。茶色い髪に小柄でそばかす。地味だが可愛らしい顔立ち。
彼女は、まだこの世界では見慣れない物――眼鏡をかけている。
この眼鏡少女の名はヤロヴィナ。
ハヤテ達竜 騎 士に連れられてこの町にやって来た、水運商ギルドの新人事務員である。
彼女は「はあ」と小さくため息をついた。さっきから何度目かのため息である。
「調子に乗って喋りすぎちゃったのかなあ。支部長に目を付けられるなんて・・・」
水運商ギルドのやり手老職員ジャネタ。
ギルド本部で彼女達のクーデター計画を聞いてしまったヤロヴィナは、ジャネタに代わってハヤテ達の案内を押し付けられた。
「ええっ?! なんで私がそんな事を?! イヤですよ! 相手はドラゴンなんですよ?! ムリムリ、大体私、動物に嫌われるタチなんですから!」
必死で抵抗するヤロヴィナに、ジャネタは搦め手を使う事にしたようだ。
彼女は探るような目で「そうだねえ」と考え込んだ。
「だったら取引といこうじゃないか。アタシの申し出を受けてくれたら、相応の代償を払うってのはどうだい? 何か希望はあるかい?」
「だから、そういうのじゃ――」
「そうだね、アンタも年頃の娘だし、アタシが水運商ギルドの若いのを紹介してやるってのはどうかね?」
ジャネタの言葉はまるで魔法のようにヤロヴィナの口を封じた。
ヤロヴィナの父は娘の婚活のために、八方手を尽くしてこのギルドの事務員にねじ込んでいた。
彼女はいつまでも父の期待に応えられない自分を心苦しく思っていたのだ。
「――あの、お相手はどういった方なんでしょうか?」
「そうだね。アタシはちょっと前までデンプションの支部長だったからね。あの町だったらギルド職員にも個人商会にも顔が利くんだよ。アタシが一声かければイヤなんて言わせるもんかね。
ああ、そうそう。竜 騎 士のお二人を案内する先は、丁度デンプションだった。どうだい? だったら先乗りして、アンタ自身の目で品定めしておくってのは」
ジャネタはそう言うと、思い付くままに何人かの独身商人の名前を上げた。
驚く事にその中には、ヤロヴィナですら聞いた事のある大手商会の名前すらあった。
「ええっ! ま、待ってください! い、今、メモを取りますので!」
ヤロヴィナは鼻息も荒くメモ帳代わりの端切れを引き寄せると、震える手で商会名と名前を書き留めていった。
いつの間にか彼女はジャネタの申し出を受けた気になっていた。
恐るべしジャネタ。
類まれなる嗅覚で、相対した相手の弱点となる部分を瞬時に見抜き、的確にそこを射貫く。
正にワンショットワンキル。彼女が長年、商売で培った経験は伊達ではないのだ。
こうしてヤロヴィナは、ジャネタに代わってハヤテ達をデンプションの港町まで案内する事になったのだった。
デンプションの沖合に突如として現れた巨大な怪物、オウムガイネドマ。
町では謎の怪物の話題で持ち切りだった。
そんな中、ヤロヴィナは報告に来たギルド支部で、何気なくポツリと漏らしてしまった。
「謎ですか? あれってオウムガイっていう生き物だそうですよ」
「「「「オウムガイ?!」」」」
聞き覚えの無い名前に顔を見合わせるギルド職員達。
デンプションの近海にはオウムガイは生息していないようだ。
ところが、たまたまギルド職員で海洋生物に詳しい者がいたらしい。彼は眉をひそめるとヤロヴィナに詰め寄った。
「おい、こんな状況でデタラメを言うな! 一体誰からその話を聞いたんだ?! 例えネドマといえども、あんなバカげた大きさのオウムガイなんているはずはない! みんなを惑わすようなデマを流すのは止めろ!」
突然頭ごなしに否定され、ヤロヴィナはムッと腹を立てた。
「そんな事はありません! 確かにハヤテ様がそう言ってました! それにハヤテ様は手が届きそうな距離まで近付いて攻撃してました! だから見間違いなんて事は絶対にあり得ません!」
「攻撃したって?! まさか?!」
彼女の言葉に絶句する職員。
どうやら彼は、ヤロヴィナがハヤテに乗ってこの町に来た事を知らなかったようだ。
しかし、大半の職員はハヤテの事を知っていたため、今の言葉に思い当たる節があったのである。
「そういや、逃げ延びた船乗りがそんな事を言っていたぞ。怪物に食われそうになった所を飛んで来た何かに助けられたとか」
「マジか?! おい、詳しい話を聞かせてくれ!」
哀れ、ヤロヴィナに詰め寄った職員は、興奮した同僚に押しのけられ、今は部屋の隅で気まずそうに立ち尽くしている。
最初は周囲の反応に戸惑っていたヤロヴィナだったが、自分の話にみんなが聞き入る様子に、次第に気分が高揚していった。
彼女は、実際に現場で一部始終を見ていたのだ。
その言葉にはウソ偽りのない真実味と確かな説得力があった。
調子に乗ったヤロヴィナは、ギルド支部で、宿屋で、食堂で、周囲に求められるまま熱弁を振るった。
こうしてヤロヴィナは一躍時の人となった。
そして彼女の話はギルド支部長の耳に入る事となった。
翌日、彼女は支部長の部屋に呼び出された。
「お前がドラゴンと一緒に来たという本部の職員か。ふん。女か」
支部長デミシャンの女性を見下した態度に、ヤロヴィナは不快感を覚えた。
そしてそんな自分の感情に戸惑いも覚えた。
今までの彼女であれば、支部長という上位の存在を相手に、委縮する事はあっても、こんな風に不満を覚える事などなかったからである。
女だてらにギルド本部にたてつこうとする老婆、ジャネタ。
そして、女でありながら竜 騎 士として、ドラゴン・ハヤテと共に巨大な怪物に立ち向かうティトゥ。
僅かな期間に連続して出会ったこの二人の存在が、彼女の持つ価値観を大きく揺るがせていたのである。
しかしこの時、ヤロヴィナは自分の心の変化を、まだ自覚していなかった。
「まあいい。仕事を命じる。心配するな、お前のような女でも出来る仕事だ」
「あの、私は本部の人間なので、このギルドの――」
バンッ!
支部長は大きな音を立てて机を叩いた。
驚きと――そして暴力の空気に怯えるヤロヴィナ。
顔色を変える彼女に、支部長は満足そうに「ふん」と鼻を鳴らした。
「お前の仕事は、あの田舎女貴族とドラゴンとやらの情報を俺に伝える事だ」
「情報ですか?」
「ああ、お前が考える必要はない。考えるのは俺の方でやる。お前はヤツらのあらゆる事を何でも(ここで支部長は彼女の抱えたメモ帳に目をやった)、そうだな、そいつに書き留めて俺に見せろ。それがお前に与える仕事だ」
支部長は彼女が断るとは微塵も考えていないようである。
親の威光で大手ギルド内の地位を獲得し、現ギルド長の派閥に属した事で今の支部長の座に就いた彼は、挫折という言葉を知らなかった。
自分は優秀で選ばれた人間。
物事は自分の思うようにいくのが当たり前。
上手くいかなかった時は全て他人のせい。
そんな思い上がりが、彼の態度や言葉の端々から感じられた。
もちろん全てが幻想である。
いずれジャネタがギルド本部を掌握した際には、彼は真っ先に追放される職員の一人となるのだがそれは先の話。
そういう意味では、今は彼の人生のピークにあった。
支部長はヤロヴィナを上から下までじっくりと眺めた。
まるで品定めをするような視線に、ヤロヴィナは逃げ出したい思いをこらえた。
支部長はつまらなさそうに吐き捨てた。
「相手が男なら色仕掛けもあるが、相手が女だからな。まあ仕方が無いか」
どうやら支部長は、もしティトゥが男ならヤロヴィナに色仕掛けを命じるつもりだったようだ。
この世界は、未だ男尊女卑がまかり通る男社会だが、それでも彼の態度は度が過ぎている。
ヤロヴィナは今やこの男に嫌悪感しか感じなかった。
「報告は毎日欠かすな。いいな。どんな些細なことでも報告するんだ。お前の判断は求めていない。お前はそこに書き留めるだけでいいんだ」
「・・・はい」
ヤロヴィナは素直に返事を返した。
何一つ納得した訳ではない。ただ一秒でも早くこの不快な場所から立ち去りたかったのだ。
支部長の部屋を出て、ギルド支部の建物から出た所で、ようやく彼女は大きく息を吐いた。
「・・・こんな事になるなら、ジャネタさんの頼みを引き受けるんじゃなかったなあ」
彼女の呟きは、町の喧噪にかき消されるのだった。
次回「イヤな予感」