その3 黄昏の老騎士
明けましておめでとうございます。今年初めての更新となります。
2021年もよろしくお願いします。
抜けるような青空、水平線まで続く青い海。
遠くにポツンと浮かぶ小さな島には、朝日を受ける白い灯台。
港を吹き抜ける早朝の潮風が僕の機体を撫でる。
ここはデンプションの港町。
このチェルヌィフ王朝で一二を争う大きな港町であった。
――などと、柄にもなく詩的な感じで始めてしまったが、現在、僕の周囲は情緒や風情といったものとはかけ離れた残念な状況にあった。
『背中を押すなよ! 痛えだろうが!』
『あれがドラゴンかい?! 本当に大きな生き物だね!』
『酒~! 酒に果実水はいらんかね~!』
『おい、誰だ! 俺の足を踏んだのは!』
野次馬に見物人、物売りまでがちゃっかり現れて、僕の周囲は押すな押すなの人だかりが出来ている。
デンプションの港の沖に突如として現れた巨大オウムガイネドマ。
巨大怪獣の出現にパニックに陥った町の人達だが、ネドマは早々に海の中にその姿を隠してしまった。
町の外に避難していた人達も、やがて落ち着きを取り戻し、町へと戻って来た。
こうしてデンプションの町はいつもの賑わいを取り戻したのだった。
といった事があってから、今日で五日目となる。
勿論、僕達もこの五日間、何もしていなかった訳じゃない。
現に今も、サルート家海軍の船が何隻も港の沖に浮かんでいる。
彼らはネドマの見張りをすると共に、港に出入りする外洋船の護衛をしているのだ。
この町を襲った未曾有の危機に、町の代官のルボルトさんはティトゥとも相談した上で、二つの討伐隊を編成した。
一つ目の部隊は、精鋭サルート家海軍部隊。
こちらは、ランピーニ聖国の造船所が建造した最新鋭の外洋船を中心とした、軍船部隊となる。
二つ目の部隊は、僕達、竜 騎 士部隊。
こちらは、僕達とそのお世話係の海軍部隊からあぶれた人達による、寄せ集め部隊となる。
・・・何なんだろうね、この明らかな落差は。
いやまあ、ルボルトさんの気持ちも分からないではないんだけど。
彼としては自分達だけでネドマを倒すつもりが、ティトゥが変に出しゃばって来たもんで、仕方なく部下を与えて別部隊の体を取っただけだろうからね。
実際、僕らに付けられた人員は、この騒ぎで原隊復帰した予備役の人や、一度退役していたベテランばかりだった。
つまりは、頭数として揃えたものの、最新式の船には乗れない、平均年齢高過ぎの人達の受け皿として作られた部隊だったのだ。
まあ僕としては、仮に軍船を与えられていたとしても、サルート家海軍に組み込まれていたとしても、困るだけだったんだけどね。
この世界では最新鋭の船かもしれないけど、僕に言わせれば大昔の帆船だから。
内燃機関どころか無線すら積んでいない船と、共同作戦を取れと言われる方がムチャだから。
あれから海軍部隊は毎日、こうして港の周囲をグルグル回って捜索しているが、ネドマは一向に姿を現さない。
僕もいつでも飛び立てるように、爆装して準備万端整えているものの、戦闘の機会は一度も無かった。
せいぜい、たまにティトゥを乗せて、パトロールという名の気分転換に飛ぶくらいだ。
町の人達も、恐れていたネドマが現れないばかりか、毎日沖を見慣れない謎生物が飛んでいるとあって、港の様子が気になって仕方が無いようだ。
こうして日に日に僕を見物しに来る人が増えていった。
最初は手持ち無沙汰でヒマそうにしていた竜 騎 士部隊の人達も、今では野次馬達の整理に大忙しとなっているのだった。
ふと気が付くと、野次馬達が慌てて道をあけていた。
人垣が二つに割れると、古いが作りは良さそうな馬車がやって来た。
ティトゥのご出勤だ。
この馬車は、ルボルトさんの執事のホンザさんが、ティトゥのために準備してくれたものだ。
ドアが開くと共に、ピンクレッドのゆるふわヘアーの少女が降り立った。
『おはよう、ハヤテ』
『オハヨウ』
僕に挨拶をするティトゥに、竜 騎 士部隊の責任者(ちなみに彼は現役の騎士団員だ)が駆け寄った。
彼は背筋を伸ばして踵を鳴らした。
『ご苦労様です! ネドマ発見の報告は届いておりません!』
『そうですの。お疲れ様』
『はっ! 本日のご予定をお聞かせ頂きたく存じます!』
彼は現役の騎士団員だ。という事は、上司となる代官のルボルトさんに、ティトゥの行動を報告する任務があるんだろうね。
ティトゥは少し考えた後で彼に告げた。
『少しハヤテと話した後、いつものように哨戒飛行に出ますわ』
『はっ! ・・・あの、ショウカイ飛行とは何でしょうか?』
『哨戒とは警戒しながら見回るという意味の言葉ですわ。そうですわね。午後にも一度哨戒飛行に飛ぼうかしら。後の時間はここで待機していますわ』
『はっ! 分かりました!』
彼は”哨戒飛行”という言葉が分からなかったようだが、ティトゥの説明を受けて納得したようだ。
踵を返すと部下の所に戻って行った。
それはそうと、ティトゥはいつの間に”哨戒”なんて言葉を覚えたんだろう?
僕は最近たまに感じる、何かを忘れているような、見えているはずの物をうっかり見過ごしているような、何とも言えないもどかしさを感じるのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
ティトゥを乗せたハヤテが飛ぶと、周囲の野次馬達は三々五々散っていった。
早朝から野次馬の整理に当たっていた竜 騎 士部隊の男達は、ここでようやく休憩を取る事が出来た。
「いやあ、この歳になって毎日こいつは大変だ。代官様直々のお声がかりだったとはいえ、招集なんて受けるもんじゃないな」
「お前はまだいいよ。俺の所は孫が生まれたばかりなんだぞ。もう毎晩夜泣きが大変で。昨日もろくに眠れなかったってのに今朝も早くからコレだろ? 今にもフラフラでブッ倒れそうだよ」
「へえ、孫が生まれたのかい。そいつはめでたいな」
老騎士達の会話に苦笑を浮かべる若い騎士団員達。
彼らは、親子以上に年が離れた同僚に、何とも言えないやり辛さを感じている様子だ。
そんな和やかな雰囲気の中で、メイド少女カーチャは、とある老騎士に気が付いた。
その老騎士は仲間の輪から離れて、一人桟橋に向かって歩いている。
招集された騎士達の中でも高齢の部類の男だ。
若い頃はさぞ恵まれた体躯をしていたのだろう。しかし、高い背も今は曲がり、髭もすっかり白くなっている。
服を洗濯してくれる者もいないのか、袖の汚れが目に付いた。
彼は桟橋の先に立つと、何をするでもなく佇んでいる。
海を眺めているようでもあり、何か目に見えないものを見ているようでもある。
カーチャはその老騎士の姿に何か寂しいものを感じた。
彼女は衝動的に近くの騎士に尋ねた。
「あの、あそこにいる人ですが・・・えと、何をしているんでしょうか?」
騎士は少女の要領を得ない問いかけに不思議そうな顔をしたが、彼女の視線の先を見て「ああ」と納得した。
「ローヴ爺さんか。あの人は昨年、孫を失くしたんだよ」
老人の名前はローヴ。
かつてはこの町の代官ルボルトも信頼を寄せる、優秀な騎士団員だったそうだ。
今は連れ合いを失くし、彼と同じく騎士となった三人の息子も帝国との戦いで戦死している。
彼は息子の忘れ形見となった孫には、自分達と同じ道を進ませたくなかったようだ。
周囲から金を借りてまで無理に商人の道へと進ませた。
「だがその孫が貿易船に乗っちまってな。爺さんは外洋は危ないから陸の商売をしろと言ったらしいんだが」
ローヴ老人の孫には確かな商才があった。
そんな彼が選んだのはランピーニ聖国の品を取り扱う貿易商人だった。
聖国の品はこの国でも人気が高く、商人として大成するには、ある意味避けて通れない商売でもあった。
ローヴ老人は孫には成功よりも堅実で安全な道を選んでほしかったが、残念ながらその思いは若い彼には通じなかった。
「その爺さんの孫の乗った船が去年、聖国の沖、カルシーク海で海賊に襲われちまった。船は沈み、孫は帰って来なかったそうだよ」
「・・・そんな!」
昨年、聖国の沖合では、例年になく海賊達が暴れ回り、商船の被害が続出した。
結局、これら海賊集団は、ハヤテとティトゥ、それとマリエッタ王女の指揮する軍によって壊滅させられたのだが、春先から夏にかけて多くの商船が海賊達に拿捕、ないしは沈められた。
どうやらローヴ老人の孫の乗った船もその被害に遭ったらしい。
水運商ギルドから訃報が届いて以来、老人はああやって桟橋に立って海を眺めるようになったのだという。
「あのままじゃ、いつか海に手を引かれて飛び込んじまいそうだってんで、周囲の人間も心配してな。あれこれ手を焼いたらしいんだが、爺さんは聞き入れやしない。今回、代官様の招集に応えたんで何か気持ちの変化でもあったのかと思ったが、あの様子じゃそういう訳でもないようだな」
そう言って男は、ローヴ老人の小さな背中を見つめた。
カーチャは老人の悲惨な身の上話に、胸が締め付けられるような痛みを覚えるのだった。
次回「ヤロヴィナの憂鬱」