その1 怪物騒ぎ
巨大オウムガイネドマを倒すべく、250kg爆弾を懸架して飛び立った僕達だったが、ネドマは海底に身をひそめ、その姿を現す事は無かった。
小一時間程沖の小島の周囲を飛び回った後、僕達は今日の捜索を打ち切る事にした。
『きっとハヤテの攻撃に恐れをなしたんですわ』
ティトゥは残念そうに負け惜しみをこぼした。
僕は眼下の海面を見下ろした。
案外、今の彼女の言葉は的を得ているのかも。
今でこそ何の異常も無い穏やかな海面だが、少し前までは僕の攻撃で千切れた巨大オウムガイネドマの触手の残骸が漂っていた。
20mm機関砲の攻撃は致命傷こそ負わせられなかったものの、相手に痛手を負わせる事には成功していたのかもしれない。
『もうどこかに逃げたんじゃないですか?』
眼鏡少女ヤロヴィナの声はどこか弾んでいる。
彼女としては、恐ろしい巨大ネドマと戦わずに済んで嬉しいのだろう。一刻も早く戻りたくてウズウズしている様子だ。
ティトゥのメイド少女カーチャが、そんな彼女をジト目で見た。
『何を喜んでいるんですか。ここから逃げたとしても、別の場所で船を襲うかもしれないんですよ?』
『そ、そんなの困ります!』
カーチャの指摘に慌てるヤロヴィナ。
君が困ろうがどうしようが、巨大ネドマは一向に気にしないと思うけど?
とはいえ、そうなると困るのは僕も同じだ。
いくら僕と例の赤い石が引き合うとはいえ、この広い大海原を自由に動き回るネドマを見つける事はまず不可能だからだ。
ティトゥも同じ事を考えたのだろう。
さっきまでの不満顔から一転、今は心配そうな表情に変わっている。
『どうなのかしらハヤテ』
そんな事、僕に聞かれても。
僕達としては、相手が逃げていない事を期待して、捜索を続けるしかないんじゃない?
けど、今日はもう動きは無いっぽいし、明日に期待するという事で。
『――それしかありませんわね』
ティトゥは名残惜しそうに海上を見つめていたが、陽光を反射してキラキラと輝く海は平和そのもの。
そこには巨大ネドマの影は何処にも見当たらなかった。
僕達が、町の南に作られた騎士団の演習場――という名のだだっ広い空き地に降りると、そこには僕達の到着を今か今かと待ちわびている二人の男がいた。
『え~と、どなたですの?』
客の一人は四十歳前後の髭の紳士。
落ち着いた物腰の実業家風の男で、いかにも”仕事が出来ます”的なオーラをバシバシと放っている。
上司と仰ぐにも、部下に持つにも頼もしいタイプの紳士だ。
もう一人は三十歳前後のヒョロリと背の高い男。
見るからに頼りなさそうで、いかにも”仕事が出来ません”的な小者感溢れるオーラを放っている。
一緒に仕事をするには最悪なタイプのダメ人間だ。
ティトゥの言葉に、先ずは出来る系紳士が慇懃な仕草で礼をした。
『私はルボルト様の所で執事を任されておりますホンザと申します』
ルボルトさんは六大部族サルート家の先々代の当主で、現在はこのデンプションの港町の代官を務めている。
この出来る系紳士は、ルボルトさんの所の執事らしい。
ちなみにティトゥは、ルボルトさんの名前が出た途端に、若干腰が引け気味になっている。
どれだけ彼を苦手にしているの、君。
『わ、私はこのデンプションで水運商ギルドの支部長をしているデミシャンだ。お前達があの化け物を連れて来た竜 騎 士とかいうヤツらか?』
仕事出来ない系男はこの町の水運商ギルドの支部長らしい。
てか、僕達が化け物を連れて来た? この人は一体何の話をしているんだろうね?
『私達が化け物を連れて来たって、どういう事なんですの?』
『しらばっくれるな! 化け物の姿は大勢に目撃されているんだぞ! お前達がこのデンプションに来た途端に化け物が出たんだ! お前達が連れて来たに決まっている!』
デミシャン支部長は顔を真っ赤にしてティトゥを怒鳴り付けた。
え~っ。そんな理由で僕らが原因と決めつけるのってどうなの?
そもそも僕達は、バラクからネドマの発生を告げられて調査に来たのであって、僕達が来たからネドマが発生した訳じゃないからね。
ティトゥは困った顔で背後のヤロヴィナに振り返った。
『あの人はあなたのギルドの方ですわよね。説明はお任せしますわ』
『ええっ?! 私はあの人の部下って訳じゃないんですけど?!』
他人事のように話を聞いていたヤロヴィナは、突然の無茶ぶりに愕然としている。
ティトゥとカーチャは容赦なく、抵抗するヤロヴィナを無理やり支部長の方へと追いやった。
『こんな時くらい役に立っておみせなさいな』
『こんな時くらい頑張って下さい』
『こんな時くらいって、お二人共、言い方がヒドイです! いつも私の事をどう思っているんですか?!』
いつもどう思っているって、今、君が感じているまんまじゃないかな?
あ、僕も同じ気持ちなので。頑張ってね。
ヤロヴィナは支部長に怒鳴られながらも、懸命に説明を続けている。
嗚呼、なんという理不尽な光景だろうか。
関わり合いになりたくないから、助けるつもりはないけど。
しかし、あの人がこの町の水運商ギルドの支部長なのか。
とてもじゃないけど、ジャネタお婆ちゃんの代わりが務まる器とは思えないけど。
以前、マイラスが、今のギルド長は縁故採用や派閥の部下を要職に就けている、って言ってたけど、あの様子を見ているとそれも頷ける気がするな。
僕がそんな事を考えている間に、ティトゥは執事のホンザさんの方へと向き直っていた。
『それでこんな所に何のご用ですの?』
いやいやティトゥ。人様の騎士団の演習所を、こんな所呼ばわりってどうよ。
しかし、執事のホンザさんは気を悪くした様子も無く、自分の用件を彼女へと告げた。
『私がここに来た目的も、水運商ギルドの支部長と同じ理由でございます。先程、港の沖に巨大な怪物が現れました。主はあなた方に詳しい説明を求めておられます。
本来であれば主が直接この場に出向く所ですが、現在は対応に追われ、屋敷を離れる事が出来ません。そこで私が主に代わってこうしてお迎えに来た次第でございます』
あ~と、そりゃそうか。港の沖合に巨大な怪物が現れたのだ。
被害らしい被害は怪物に転覆させられた船が一隻とはいえ、代官のルボルトさんがその対応に追われているのも当然だろう。
そして、調査のためにこの港に訪れていたティトゥから、詳しい話を聞きたいと思うのも当然の話だ。
そう。当然の話という事はティトゥにも分かっている。
しかし、それはそれとして、ティトゥはどうしても屋敷に行きたくなかった。
そこでティトゥは最後の抵抗を試みた。
『・・・あの、ここで説明だけして、あなたからサルート様にお伝えして貰うという訳には参りませんの?』
いやいや、ティトゥ。君どんだけだよ。
ティトゥのあまりの諦めの悪さに、メイド少女カーチャも呆れ顔を隠せずにいた。
しかし、無情にもホンザさんは小さくかぶりを振った。
『――申し訳ございません。”必ず”お連れするようにと、きつく申しつけられておりますので』
ティトゥの肩がガクリと落ちた。
どんよりとした顔で、それでもティトゥはすがるような目で僕を見上げた。
『ハヤテ――』
『オススメ、イタシマセンワ』
今度も僕をダシに逃れようとか考えてるみたいだけど、流石に今回は止めといた方がいいと思うよ。
『・・・裏切り者』
ポツリとこぼしたティトゥの呪詛が虚しく響いた。
ティトゥは渋々、重い足を引きずって立派な馬車へと乗り込んだ。
最後に窓から顔を出すと、今から捨てられに行く犬のようなうるんだ瞳で僕の方を見た。
ご愁傷様。
こうしてティトゥはカーチャを連れて、ルボルトさんのお屋敷までドナドナされて行った。
可哀想だって?
まあ確かに僕も、あれだけ彼女の嫌がる姿を見せられれば、気の毒だとは思うけど。
でも、ルボルトさんには巨大ネドマの対策を打ってもらうべきだし、そのためにも情報の共有は必須だと思うんだよね。
ティトゥもそれが分かっているからこそ、渋々とはいえ、ルボルトさんの屋敷に向かったのだ。
その時僕は、眼鏡の少女が僕を見上げているのに気が付いた。
『あの。ナカジマ様達はどこに行ったんですか?』
――ああ。
そういやこの娘もいたんだっけ。すっかり忘れてた。
ようやく支部長から解放された眼鏡少女ヤロヴィナは、すっかりひと気のなくなった広場をキョロキョロと見回している。
『あの、みなさん何処に行ったんですか? あれ? ひょっとして私、置いてきぼりにされてません?』
自分の言葉に自分で不安になったのだろう。ヤロヴィナは落ち着きなくそわそわとしている。
あ~と、これってどうしよう。
あの~、誰かいませんか。騎士団の方。いたら返事して下さ~い。
ちなみにヤロヴィナは一時間後、たまたま通りかかった騎士団員に発見され、無事に馬で町の宿屋まで送り届けて貰えたのであった。
良かった良かった。
次回「沈黙する怪物」