プロローグ 巨大オウムガイネドマ
お待たせしました。新章のスタートとなります。
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ナカジマ領を遠く離れ、大陸の大国、チェルヌィフ王朝にやって来たハヤテ達。
この国での彼らの冒険も佳境を迎えていた。
ハヤテ達がこの国を訪れる原因となった、叡智の苔と呼ばれる存在。
その正体は、地球から転生したスマホの音声認識アシスタント、VLACだった。
バラクによって告げられた、五百年前にこの惑星を襲った惨劇。
そしてハヤテは、自分がなぜ四式戦闘機の体に転生したのかを知る事となった。
この世界には魔法が存在している。
ハヤテは魔法を媒介する元素・マナによって生み出された、ある種の”魔法生物”だったのである。
マナはこの世界に誕生したばかりの、まだ新しい元素だ。
人類は未だに魔法を使いこなすどころか、その存在すら知らずにいる。
だが、そんな魔法にいち早く適応した生き物がいた。
魔境と呼ばれる東の海の果ての大陸に生息する生物群。
彼らはチェルヌィフ王朝では”ネドマ”と呼ばれていた。
バラクが観測した、チェルヌィフの東と西とで、同時に起きたネドマの発生。
その調査のために港町デンプションへと向かったハヤテ達。そこで彼らが見たのは、海を割って現れる、巨大なオウムガイの姿をしたネドマだった。
巨大オウムガイネドマ。その平らな頭のような”ずきん”と呼ばれる部位。
そこにはサッカーボール程の大きさの赤い石が光っていた。
その石を目にした途端、ハヤテは直感した。
この赤い石こそ、”自分の同種の存在”であると。
一年前、大気中のマナが凝縮してこの四式戦闘機のボディーを作った時、使われずに大陸に散ったという二つの欠片。
その片割れの一つに間違いない。
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デンプションの沖合に浮かぶ小島。
灯台だけがポツンと建つその小さな島のすぐそばに、オウムガイネドマが姿を現していた。
まるでクジラのような巨体だ。
オウムガイは”生きた化石”と呼ばれている。オウムガイの誕生は5億年前。現在に至るまで、その体の構造はほとんど変化していないそうだ。
ちなみに現在のオウムガイは最大でも大人の手のひらのサイズだが、化石の中には20cmを超える物もあるらしい。
太古の海には今よりも大きなオウムガイが生息していたのだ。
とはいえ、このネドマのような規格外の化け物はいなかったに違いない。
僕を取り逃がした巨大オウムガイネドマは、腹立たしげに無数の触手を海面に叩きつけた。
ティトゥ達がヒッと息をのむ声が聞こえた。
オウムガイの触手の数は約90本。
それほどの数の触手が一斉に蠢く様は、確かにちょっとグロテスクかもね。
周囲では逃げ遅れた船が、巨大オウムガイネドマの立てた波に煽られ、翻弄されている。
中には船体を大きく傾けている船もある。
このままだと復原性の限界を超えて転覆してしまうかもしれない。
どうやら巨大オウムガイネドマも船の存在に気付いたようだ。
その巨大な殻を前にして背泳ぎのように進み始めた。
オウムガイは泳ぎの下手な生き物と聞いていたが、その巨体のせいだろうか? 驚く程の速度だ。
船乗り達も慌てているようだが、巨大オウムガイネドマの立てる大きな波に翻弄され、振り落とされないようにしがみつくことしか出来ないようだ。
巨大オウムガイネドマはみるみるうちに船に接近すると――
『あっ! 船が!』
ティトゥのメイド少女カーチャが悲痛な叫び声を上げた。
船は巨大オウムガイネドマの殻に当たってあっさりと転覆していた。
積み荷や乗員が、積み木細工を崩したみたいに、海へと投げ出される。
巨大オウムガイネドマはスルスルと触手を伸ばすと、彼らを捕らえ始めた。
『! に、人間を食べようとしているんでしょうか?!』
『ハヤテ! 急いで頂戴!』
ティトゥに言われるまでもない。
僕は巨大オウムガイネドマを進路の先に捉えると急降下。低空での水平飛行へと移った。
プロペラ風が波のしぶきを巻き上げる程の超低空飛行だ。
巨大なオウムガイネドマの体が、みるみるうちに視界いっぱいに広がって来る。
なんて大きさだ!
僕は改めて見るネドマの巨大な姿に驚愕した。
この四式戦闘機の機体に転生して以来、自分がちっぽけだと感じたのは今日が初めてかもしれない。
巨大オウムガイネドマの体は、とっくに3式射撃照準器の枠から大きくはみ出している。
僕は250kg爆弾を爆装して飛ばなかった事を後悔した。
ていうか、今更だけど、これっていつ発砲を始めればいいんだ?
大きすぎて距離感が全く掴めないんだけど。
20mm機関砲の有効射程ってどれくらいだったかな・・・
いやまあ、ここまで相手が大きければ百発百中。目をつぶって撃ったって必ずどこかに当たるには違いないか。
僕がそんな事を考えていたのは一瞬だった。
視界の先で、今まさに触手に掴まれた船乗りがネドマの口に運ばれようとしていた。
恐怖に歪む船乗りの顔を見た瞬間、僕は頭の芯がカッと熱くなるのを覚えた。
『ハヤテ!』
ドドドドドドドドドッ!
『キャアアアアアアッ!』
ティトゥの叫び声は20mm機関砲の発砲音にかき消された。
突然の大音量に、水運商ギルドの眼鏡少女ヤロヴィナが悲鳴を上げる。
そういや君も乗ってたんだっけ。すっかり忘れてたよ。
曳光弾の光が糸を引くように巨大オウムガイネドマの顔面? に吸い込まれていく。
――ゴウッ!
僕は機首を引き上げると急上昇。
巨大オウムガイネドマの甲羅をかすめるようにして高度を取った。
「どうだ?! やったか?!」
この時僕は、興奮のあまり余計なフラグを立ててしまった。
攻撃にひるんだ巨大オウムガイネドマは、掴んでいた人間を手放していた。
船乗りは海に落ちると共に大急ぎで逃げている。
どうやら命に支障はないようだ。
その事に一先ず僕はホッとした。
オウムガイネドマの巨大な姿がみるみるうちに海中に沈んでいく。
『キャーッ! キャーッ! キャーッ!』
『やっつけたのかしら?』
ティトゥは後方を振り返って呟いた。
どうだろう?
海面には、さっきの攻撃で千切れたネドマの触手があちこちに浮かんでいる。
『いつまで経っても死骸が浮かんで来ませんわね』
『逃げられたんでしょうか?』
『キャーッ! キャーッ! キャーッ!』
『『うるさい!!』』
『キャ――ご、ごめんなさい!』
ティトゥとカーチャに怒られて、ビクッとするヤロヴィナ。
彼女は落ち着きなくキョロキョロと海面を見下ろすとティトゥに尋ねた。
『ええと、それでさっきのお化けネドマはどうなったんでしょうか?』
『・・・それを今、話していたんですわ』
呆れながらも、ヤロヴィナの質問に律義に答えるティトゥ。
『どうかしら、ハヤテ?』
『ダメ。ニゲタ』
『やっぱり、そうでしたか』
残念そうにするカーチャ。
20mm機関砲の攻撃は確実に相手にダメージを負わせたはずだが、いかんせん相手が大きすぎた。
やっつけるどころか、これでは重傷を負わせる事すら難しいだろう。
けど、250kg爆弾ならば。
ティトゥも同じ事を考えたのだろう。
ガッカリしたカーチャを励ますように言った。
『ハヤテの”双炎龍覇轟黒弾”なら大丈夫ですわ!』
そうそう、それそれ。その何とか弾ね。
でも、250kg爆弾は僕の最強の攻撃だ。これで倒せなければ手の打ちようが無くなってしまう。
あれだけの巨体だ。それにあの硬そうな殻に隠れられたら250kg爆弾といえども――
『ハヤテ?』
おっと、こうして考え込んでいても仕方が無い。
そもそも、人間を襲って食料とするネドマを、このまま野放しにしておくわけにはいかない。
出来る事はするべきだろう。
『キシダン。モドル』
『そうですわね。一度戻って、今度は双炎龍覇轟黒弾を積んでまた来ましょう』
『ええっ?! またあのお化けネドマと戦うんですか!』
悲鳴を上げるヤロヴィナに、カーチャが白い目を向けた。
『ティトゥ様。ヤロヴィナさんは連れて来なくてもいいんじゃないですか?』
『そうですわね。あなたは残っててもいいですわよ?』
『・・・えっ』
ヤロヴィナは青い顔をして、『あんなものを見てしまった以上、一人で待っているのもそれはそれで怖いです』とか、『恐ろしくて二度とこの町に来られなくなってしまいそうです』などと随分と長い時間ブツブツと呟いていた。
ようやく決心が付いたのだろうか。
ヤロヴィナは決意に満ちた表情で顔を上げた。
『怖いけど・・・怖いけど・・・怖いけど、やっぱり残ります! またお化けネドマに近寄る方が怖いです!』
ヤロヴィナの宣言にティトゥとカーチャは呆れ顔になった。
『もうハヤテは双炎龍覇轟黒弾を積んで飛んでますわよ?』
『今更言っても遅いです』
二人のツッコミにヤロヴィナの目は点になった。
てか、君。まだ迷ってたんだ。
僕は騎士団の訓練所に戻ると、一度エンジンを切って250kg爆弾を懸架してすぐに飛び立っていた。
どうやらヤロヴィナは自分の考えに集中するあまり、僕が着陸したのにも気が付いていなかったらしい。
『そ、そんな! どうして教えてくれなかったんですか?!』
『ずっとブツブツと呟いているから、とっくに覚悟を決めたのかと思っていたんですわ』
『もう諦めて下さい』
ヤロヴィナは未練がましく、『ヒドイです! せっかく残るって覚悟を決めたのに!』などとゴネていたが、カーチャに『そういうのは覚悟を決めたとは言いません!』とスッパリ切り捨てられていた。
それでも諦めきれないヤロヴィナは、その後もずっと泣き言を言っていたが、結局この日、巨大オウムガイネドマが再び海上に姿を現す事は無かったのだった。
次回「怪物騒ぎ」