その26 水面から伸びる柱
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それは濁った思考で先程の事を思い返していた。
冷たい海の底。岩礁に囲まれた海底で、それは神経質に無数の触手を蠢かせた。
さっきのあれは一体何だったんだろう?
海の外、空の上に突然あれはやって来た。
それは自分でも不思議な衝動に突き動かされるまま、あれに対して探査の手を伸ばしていた。
それにとっても初めて経験する衝動だった。
いや違う。あれはそれの欲求ではない。石が求めたのだ。
石はあれの正体を知っている。だからあれに手を伸ばしたのだ。
石はあれを求めている。
幼子が母の乳を求めるように、あらゆる生き物が連れ合いを求めるように、石はあれの下に行きたいと願っているのだ。
石の欲求は強力で抗い難かった。
しかしそれは湧き上がる衝動を無理やりねじ伏せた。
この感情は不快だった。
それはあれに激しい憤りを覚えた。
あれは自分の石を狙う敵だ。敵は排除しなければならない。
その時、再び先程のように石がうずいた。
あれが来る。
それは被っていた砂を押しのけると、海面へと浮上した。
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僕達は再びデンプションの沖合を目指していた。
眼下には大小さまざまな船が浮かんでいる。
『そういえばネドマとは、どういった見た目の生き物なんですの?』
ふとティトゥが背後に振り返ってヤロヴィナに尋ねた。
『ふわっ! あ、いえ、私も自分で見た訳じゃないんですが――』
ヤロヴィナは眼鏡をかけ直すと、分厚いメモを手繰った。
彼女の集めた情報によると、今まで確認されたネドマは数種類。
その全てはマグロやイルカのような回遊魚を、それぞれ一回り大きくしたような姿だったらしい。
色は黒く肉食――というか、回遊魚は大体そうだよね。
試しに聞いてみた所、特に魔法を使ったという話は無いそうだ。
『ネドマって魔法が使えるんですか?!』
逆に驚かれてしまった。
バラクの話だとそうらしいね。
ネドマは体内に”魔核”と呼ばれる特別な器官を持っていて、その魔核によって大気中のマナを操り、魔法力を行使する。
つまりは、”魔法を使う事が出来る”はずなのだ。
『へえ・・・知りませんでした』
『ひょっとしてハヤテ様も魔法が使えるんですか?』
僕? そうだね。無意識に使っているらしいよ。
魔法でティトゥ達の言葉を翻訳していたり、大気中のマナからガソリンを生み出したりしているんだってさ。
ネドマもそんな感じで、生活のために魔法を使っているんだろうね。きっと。
しかし、ネドマはマグロやイルカの姿をしているのか。
それなら誰にも気付かれていないのも仕方ない――のか?
いや、どうなんだろう。行動範囲が広いというのは、逆に人目に付きやすい、という事じゃないだろうか?
みんなとそんな会話をしていると、ふと違和感を覚えた。
さっき感じた”どこからか見られている感”だ。
『! また変な音が鳴り始めました!』
通信機から流れるザーッというノイズ。
来たか。
『ハヤテ!』
ティトゥが心配そうに僕の名前を叫んだ。
大丈夫。今度は我を忘れたりはしない。
さっきは突然だったけど、最初から来ると分かっていれば、うろたえる事もないから。
僕はその場で二~三度大きく旋回した。
『アッチ』
『分かりましたわ』
違和感は真っ直ぐ沖の小島の方から来ている。
例の灯台のある小島だ。
僕は翼を翻すと機首を小島へと向けた。
小島は直径数百メートルの、本当に小さな島だった。
石造りの灯台の他は、みすぼらしい小さな小屋が一つ、ポツンと建っている。
あれは多分、殺された灯台守が使っていた小屋だろう。
それ以外は本当に何も無い島だった。
『流石にあそこはハヤテでも降りられそうにありませんわね』
ティトゥが残念そうに言った。
島は岩だらけで整地された場所はほとんどない。
あんな場所に無理やり着陸したら、機体を破損して二度と飛び立てなくなるだろう。
『あれが灯台ですか』
メイド少女カーチャが感嘆の声をあげた。
『キレイな塔ですわ』
ティトゥもホウとため息を漏らしている。
灯台は沖から見ても目立つようにだろう。白い石で建てられている。
青い海をバックにスラリと伸びる白い塔は、独特の美しさを感じさせるものがあった。
僕は二人に灯台が良く見えるように、旋回しながら高度を下げていった。
『! 音が急に大きくなりました!』
『ハヤテ!』
『えっ? えっ? 何が――キャアアアッ!』
僕は速度を上げると急上昇。
急に傾いた機体に、ヤロヴィナがバランスを崩して尻餅をついたみたいだが、今はそれどころじゃない。
なんだ?! あれは!
海面が大きく膨らんだかと思えば、僕を追いかけるように何本もの柱が水面から伸びていた。
いや、違う! あれは柱じゃない!
ザパーン!
僕を捕えきれなかった柱が水面を叩いて大きな水しぶきを上げた。
そう。あれは柱なんかじゃない。
僕を捕えるために伸びた触手だ!
突如現れた触手と大きな水しぶきに、周囲の船の船乗り達が大騒ぎをしているのが見える。
幸い被害にあった船はいないみたいだ。
みんな慌てて回頭して現場から離れようとしている。
『あれを見て下さい!』
『何か出てきますわ!』
『えっ? えっ? 何が起こっているんですか?!』
驚くティトゥ達。
視力の悪いヤロヴィナだけが蚊帳の外だ。
水しぶきが収まると、海面を割るようにして巨大な頭が顔をのぞかせた。
頭、と呼んでもいいんだろうか?
平らな頭はまるで海坊主のようなつるりとした禿げ頭。その下には巨大な丸い目が並んでいる。
そして目と目の間にはさっきの触手がゆらゆらと揺らめいていた。
『なんですの?! あの化け物は! あれがネドマなんですの?!』
『こっちを見てますよ!』
『ば、化け物?! 化け物って何ですか?! 誰か教えて下さい!』
背後からティトゥにしがみついてガクガクと震えるヤロヴィナ。
ティトゥとカーチャは、巨大海坊主のおぞましい姿に鳥肌を立てて固まっている。
巨大海坊主? 違う。あれは――
「あれはオウムガイだ! ネドマの正体はクジラのように大きな、超巨大オウムガイだったんだ!」
そう。それはまるでクジラのような巨大なオウムガイだったのだ。
「オウムガイ?! オウムガイとは何なんですの、ハヤテ!」
ティトゥが何か叫んでいるが、今の僕には彼女の言葉は届いていなかった。
巨大なオウムガイ。その平らな頭のような”ずきん”と呼ばれる部位。
その中心に小さな小さな赤い石が埋め込まれていた。
サッカーボール程のサイズだろうか?
本来ならこの高度から見分ける事など出来ない大きさだ。
そもそも巨大なオウムガイネドマの体から見ればごく小さな点、ホクロのようなものでしかない。
しかし、僕は吸い寄せられたようにその石から目が離せなくなっていた。
間違いない。あれがさっきから僕を呼んでいた存在だ。
僕を呼んでいたのはこの巨大オウムガイネドマじゃない。あの赤い石だったんだ。
あれこそが魔法生物の種。
僕から分かれたという二つの欠片の片割れに違いない。
次回「エピローグ ギャリック男爵領の崩壊」