その22 港町デンプション
『あの、本当に大丈夫でしょうか? それってドラゴンなんですよね? あの、私、あまり動物に好かれないタチなんですけど・・・』
『いいから乗って下さい。あなたが乗らないとティトゥ様が乗れませんから』
僕の巨体を前にしり込みする、おさげの眼鏡少女。
彼女はギルド本部の事務員ヤロヴィナ。
僕達は今から彼女の案内で港町デンプションまで飛ぶ予定になっている。
なってはいるのだが・・・僕に怯えた彼女が中々乗り込まないので、出発出来ずにいるのだ。
『高い! 高いです! 私高い所はダメなんです!』
僕の翼の上で四つん這いになって震えるヤロヴィナ。
とうとうカーチャの額に青筋が立った。
『ティトゥ様、もうこの人、置いて行きましょう! これじゃいつまでたっても出発出来ません!』
『そんな! だったらここから降ろして下さい! 足元がツルツルしていて滑りそうで怖いです!』
『いいからカーチャ、彼女をとっとと押し込んでしまいなさい』
これにはティトゥも呆れ顔だ。
ジャネタお婆ちゃんは目を合わさないように、さっきからずっとあらぬ方向を見ている。
『ボソッ(話を聞かれちまった以上、本部に置いとけないから、お二人の案内を任せたんだけどねえ。まさかこれ程ポンコツだとは思いもしなかったよ)』
ジャネタお婆ちゃん。バッチリ聞こえてますよ。
本部に置いておけないって、あなた本部で何をやらかすつもりなんですか?
また僕の悪評が立つような事なら、やめておいて欲しいんだけど。
『ハイ、これを締めて!』
『これって何なんですか? あ、待って下さい、そんなに強く締めたら痛い、痛いですから!』
ヤロヴィナを胴体内補助席に座らせて安全バンドを締めた所で、少女二人の大騒ぎもようやく終わりとなった。
ティトゥは待ちかねた様子でヒラリと操縦席に乗り込んだ。
『出発前に思わぬ時間を取られましたわ。ハヤテ、行って頂戴』
「了解」
『ええっ! 今の男の人の声は誰ですか?!』
『(怒)黙っていないと舌を噛みますよ』
カーチャは一連のやり取りですっかりご立腹のようだ。
僕の声を聞いて驚くヤロヴィナをピシャリと遮った。
『もう! 二人共いい加減にして頂戴! 前離れーですわ!』
僕のエンジン音に驚くヤロヴィナ。
ティトゥとカーチャはもう知らんぷりだ。
僕はエンジンをブースト。タイヤが地面を切ると機体はフワリと浮き上がった。
『傾いてますよ! すごく傾いてます! これって本当に大丈夫なんですか?! 後、ドラゴンさんの体の中は骨だらけで怖いです!』
閉塞感が不安を誘うのか、怯えてキョロキョロと周囲を見回すヤロヴィナ。
大丈夫かな? パニックになって暴れたりしない?
『安全バンドを締めてるから大丈夫ですわ』
『もう知りません』
カーチャはすっかりヤロヴィナに愛想が尽きたのか塩対応だ。
こうして僕は、ギルド本部にジャネタお婆ちゃんを下ろした代わりに賑やかな眼鏡少女を乗せて、ようやく今日の目的地、港町デンプションを目指すのだった。
港町デンプション。
さすがにこの国有数の港町というだけあって、この世界で僕が見た中でも最大級の港が広がっていた。
この光景に三人の少女達から驚きの声が上がった。
『さすがチェルヌィフ最大の港町。ボハーチェクとは比べ物にならない大きさですわね』
『大きな船がたくさん浮かんでいますね』
『ええっ! もうデンプションに着いたんですか?! ついさっき出たばかりじゃないですか!』
何だか一人だけ別方向で驚いている子がいるみたいだね。
ヤロヴィナは自分の目で見た光景が信じられないのか、真剣に目を凝らして眼下の光景を見詰めている。
あ、この子視力が低いんだっけ。
じゃあ普通に見ているだけかもしれないね。
『以前、デンプションに行った時には一日かかったのに・・・』
ふむ。さっきの町からここまで直線距離で約40km。
僕が飛べば10分もかからずに着く距離だが、馬車だとそんなものかもしれないね。
『どこに降りればいいでしょうか?』
『そうですわね。ヤロヴィナ。あなたジャネタさんから何か聞いていませんの?』
『あっ! すみません! えと、港町の南に騎士団の訓練所があるそうです!』
眼鏡をかけ直して手元のメモをたぐるヤロヴィナ。
ああ、あれね。
大きすぎる港町に気を取られて、言われるまで気付かなかったけど、町の南には確かに大きな広場が作られていた。
『オリル。アンゼンバンド』
『りょーかいですわ。ヤロヴィナ。安全バンドを締めて頂戴』
『わ、分かりました!』
慌てて安全バンドを手に取るヤロヴィナ。
焦りで手元が狂っているのか、やたらモタモタとこねくり回すばかりで、中々バンドを締められない。
そんなヤロヴィナにイライラとするカーチャ。
どうもこの二人の相性はあまり良くないみたいだね。
真面目で優等生なカーチャは、要領の悪いヤロヴィナに苛立ちを感じるみたいだ。
『で、出来ました!』
『ハヤテ』
「了解」
僕は翼を翻すと町の外、騎士団の訓練所へと降下するのだった。
『ど、どどど、どうするんですかコレ?! すっかり取り囲まれちゃってますよ?!』
町の外の広場に降りた僕は、早々にこの町の騎士団に取り囲まれていた。
今も血相を変えた騎士達が続々と広場に集結中だ。
まあ、こんな謎生物が町に飛来したんだから、当然の反応って言えば当然だよね。
真っ青になってうろたえるヤロヴィナ。
ショックのあまり、今にもひっくり返りそうになっている。
逆にティトゥとカーチャはどこか達観している様子だ。
いつも通りの光景といえばいつも通りの光景だからね。
とはいえ、ティトゥが落ち着いているのはそれだけが理由ではない。
それは何故かと言うと――おっと、丁度その理由がやって来たみたいだ。
町から黒塗りの立派な馬車が到着すると、騎士団員達が場所を空けた。
馬車のドアが開き、かくしゃくとした品の良い老紳士が降り立った。
ティトゥは彼の姿を確認すると、風防を開いて立ち上がった。
『これはナカジマ殿。先日以来だな。今日はジャネタは一緒じゃないのか?』
『サルート様におかれましてはご機嫌麗しゅう。本日は違う用件でやって参りましたの』
老紳士の名はルボルト・サルート。
帆装派筆頭、サルート家の先々代の当主で、今の当主のイムルフ少年のお爺さんにあたる人だ。
当主の座を退いた今は、この港町でずっと代官の仕事をしているそうだ。
実はティトゥは彼と面識があったりする。
ジャネタお婆ちゃんがリリエラの塩湖の予約販売を始めた時に、いの一番に訪れたのがこの港町デンプションだったのだ。
その時、ジャネタお婆ちゃんの相手をしたのがこのルボルトさんで、ティトゥに「貴族と商人の腹の探り合いはもう結構」とのトラウマを植え付けた張本人でもある。
という訳で、ティトゥはこの人の事を若干苦手としていた。
とはいえ、サルート家のお膝元で調査をするのに、サルート家への対応をないがしろにする訳にはいかない。
ティトゥは苦手意識を押し殺して慇懃な礼を返した。
『そうか。話は屋敷で伺おう。馬車に――』
『いえ、そんな。サルート様のお手を煩わせるような話ではございませんの。少し、港の沖の調査をさせて頂きたいだけですので』
『沖の調査を? それはまたどうして? 事情によっては許可する事は出来んが?』
屋敷は相手のテリトリーである。今日は頼れるジャネタお婆ちゃんもいないとあって、ティトゥは「絶対に行かないぞ」との決意を胸に、懸命に防衛線を張っていた。
『ネドマに関する調査ですの』
『ネドマ? 尚更聞き捨てならんな。やはり屋敷で詳しい話を聞かせて貰わないと』
『詳しい話をするためにも調査が必要なんですわ』
『だから、その調査を許可するためにも話を聞かない事には――』
頑なに僕から降りないティトゥに戸惑うルボルトさん。
カーチャは呆れ顔でティトゥの顔を見つめている。
ティトゥとの付き合いの長い彼女は、主人が堅苦しい礼儀作法を嫌がっている事など、まるっとお見通しなんだろう。
次第に険悪になる二人の空気に、ヤロヴィナは今にも死にそうな顔になっている。
『ですから! 勝手に調べると言っているんですわ!』
『なんでそんなに頑固なんだ! 屋敷に案内すると言っているだけだろうが! 家内と孫も待っているんだ! 早くそこから降りて来たまえ!』
『それがイヤなんですわ!』
『なんでだ?!』
あ~、うん。ルボルトさんには分からないと思うよ。
というか、説明しても伝わらないんじゃないかな。根が真面目そうだし。
祖父と孫娘の口論のような光景に、周囲の騎士達は戸惑った表情で顔を見合わせている。
二人の言い争いは、それからなおもしばらく続いたのだった。
次回「頑固なティトゥ」