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その20 ギルド事務員ヤロヴィナの受難

◇◇◇◇◇◇◇◇


 水運商ギルドの本部。

 おさげの女性事務員がトボトボと廊下を歩いていた。

 まだ若い娘だ。名前はヤロヴィナ。

 彼女は今年になってギルドに雇われた新人事務員である。

 茶色い髪に小柄でそばかす。全体的には可愛らしいといった印象の少女だが、ただ一点だけ、彼女には非常に残念なところがあった。


 その時、彼女のすぐ横のドアが開いた。

 中から出て来た中年職員は、藪から棒にヤロヴィナに睨み付けられ、不快な表情を浮かべながら立ち去って行った。


 中年職員の背中を見送りながら、ヤロヴィナはため息をこぼした。

 別に彼女は男を睨んだつもりは無い。


 彼女は重度の近眼なのだ。


「この目付きのせいで結婚相手も見付からないし。もう最悪です」


 大店の娘だったヤロヴィナには、年頃になった所でいくつも見合い話が舞い込んだ。

 しかし、そのどれもが上手く纏まらなかった。

 全ては彼女の目付きの悪さが原因である。


「そりゃあまあ、私だって相手の立場になれば分かります。家に帰ったら毎日奥さんに睨み付けられる生活なんてイヤだと思うもの。でも、私は別に睨んでる訳じゃないのよ。こうしないと相手の顔が見えないんだから仕方がないじゃない」


 娘の嫁ぎ先に困った彼女の父親は、どうにかコネを駆使して娘を水運商ギルドの事務員にねじ込んだ。

 水運商ギルドの女性事務員職は、商人なら誰もが憧れる花形職だ。

 ここならひょっとして彼女を見初める男性が現れるのではないか? と、僅かな期待を寄せたのだ。

 もっとも、現時点では全然上手くいっている様子は無いが。


 というよりも――


「――というよりも、今、大変な事になっているけど、水運商ギルドって大丈夫なのかしら。入って早々に傾いて欲しくないんだけど」


 そう。新人のヤロヴィナに心配されるほど、今の水運商ギルドは良くなかった。

 業務はほぼ停止状態で滞り、職員達の間の空気はギスギスとして最悪に近かった。


 先頭に立って問題を解決すべきギルド長は、体調を崩したとやらでもう一月以上も出社していない。

 職員の間では、このまま引退するのではないか、と囁かれていた。



 原因は二ヶ月前に遡る。

 王城から送り付けられた通告。その内容はギルド長を震撼させた。


「サルート家新当主、イムルフ・サルートの決起軍へ協力を行う相手とは、バルム家は今後一切の(・・・・・)岩塩の(・・・)取引を行わない(・・・・・・・)――これを王城が認めただと。そんな馬鹿な・・・」


 バルム領の岩塩はこの国のほとんど全ての流通を賄っている。

 つまり水運商ギルドは――帆装(はんそう)派は、喉元に匕首を付きつけられたも同然となったのだ。


 ギルド長は決断を迫られた。

 このまま帆装(はんそう)派に与して制裁を受けるか、帆装(はんそう)派を裏切って、現在の商業ルートを失うか。


 そして彼には決断出来なかった。

 さらに最悪な事に、彼は誰にも言わずに一人で問題を抱え込んだまま心労で倒れてしまった。

 残された者達が事態を知ったのは手遅れになった後。実際に制裁が布告された後の事だったのだ。


 突然の通達に水運商ギルドは上を下への大騒ぎとなった。

 大手のギルドらしからぬ無様な姿という他無かった。

 だがそれも当然だ。今のギルドは縁故採用や派閥による人事が幅を利かせている。

 ギルドの要職に就いているのは、今のギルド長の一族や取り巻き達で、彼らにはこの事態を収めるような器量も能力も無かった。

 

 こうして水運商ギルドは何ら具体的な対策も立てられないまま、ただいたずらに時間だけを消費して行き、今では業務すらほぼストップするまでに至ったのだった。


「私、最悪のタイミングでこのギルドに入っちゃったみたい」


 ヤロヴィナは今日何度目かになるため息をついた。

 その時、彼女はふと耳慣れない音を耳にした。

 虫の羽音のようなヴーン、ヴーンという低い音。


 彼女はなんとなく建物の窓から空を見上げ――


「あれは何? 鳥かしら?」


 青い空に翼を光らせる謎の物体を見つけるのだった。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 という訳でやって来ました、バンディータの町。

 ここはイムルフ少年の実家、サルート家のお膝元の町となる。


 何で僕らがこの町に来たかと言うと、ジャネタお婆ちゃんが調査の前に本部に寄って行きたいと言ったからだ。

 そう。ここは水運商ギルドの本部がある町なのだ。


 流石、六大部族の帆装(はんそう)派筆頭サルート家の治める町。

 この国の王都にも引けを取らない大きさだ。


 水運商ギルドの本部がある事からも分かる通り、この町はこの国の商業の中心地として栄えているそうだ。

 町を縦横に走る運河には多くの小舟が浮かび、忙しく荷物を運んでいる。

 通りには人々が溢れ、この高度まで町の活気が伝わってくるようだ。


 そんな町のほぼ中心に、大きな区画が区切られている。

 あそこが領主であるサルート家の屋敷――ではなく、水運商ギルドの本部だそうだ。

 だったら領主の屋敷は何処にあるのかと言えば、町から少し離れた丘の上にあるのがそうらしい。

 何とも不便な場所に作ったもんだ。と思ったけど、六大部族が互いに争っていた時代の名残なんだって。

 つまりは防衛のためにあんな場所に建てたというわけだ。

 この国にもそんな物騒な時代があったんだね。


 それはさておき、何処に着陸しようかな?


『ギルドの本部の裏に降りちまっていいよ』

『そうですわね』


 バッサリ言い切るジャネタお婆ちゃんとティトゥ。

 昨日は王城にも乗り付けちゃったし、それに比べればギルドの本部に降りるくらいどうってことない。のかな?

 いやいや、その理屈ってどうなんだろうね。


『なんだかハヤテ様がまともに思えてきました』


 メイド少女カーチャが、二人の言葉に呆れている。

 ちょっとカーチャ、その感想って酷くない?

 とはいうものの、今までも散々貴族の屋敷に直接乗り入れている以上、今更か。


『ホラ、ハヤテも私達と同じ考えですわ』

『ハヤテ様・・・』


 ジト目で僕を見るカーチャ。

 違うから。ちょっと思っただけだから。僕は至って常識的な小市民だから。


『・・・オリル』

『りょーかい、ですわ』

『ジャネタ様、安全バンドを締めて下さい』

『ああ、分かっているよ』


 僕は翼を翻すと眼下の屋敷に降り立つのだった。




 流石は水運商ギルドの本部。

 広い中庭は僕が降りても余裕でした。


 ――まあ、色々と酷い有様になっているけど、それはいつもの事なんで。

 庭師のみなさん。毎度毎度本当にごめんなさい。


 本部の人達が怯えて僕を遠巻きにする中、ジャネタお婆ちゃんが立ち上がると大きな声で辺りに怒鳴り散らした。


『そんな遠くにいないで誰かこっちに来な! 年寄りの喉をからすつもりかい?!』


 何とも理不尽な要求だが、ジャネタお婆ちゃんは操縦席から降りるつもりは無いようだ。

 僕とティトゥの調査について来るつもりみたいだからね。

 降りるのも面倒だと思ったんだろう。


 しかしギルドの人達は青ざめた顔を見合わせるだけで誰も動こうとしない。

 いい加減ジャネタお婆ちゃんがキレて、身を乗り出したその時だった。

 一人の女の子が誰かに押されて前に出て来た。事務員の子だろうか。


 ジャネタお婆ちゃんの眉がピクリと跳ねた。


『誰だいアンタは』

『わ! わたひゅわ・・・! あ、あの、私はどうすればいいんでしょうか?!』


 いや、知らないし。




 女の子の名前はヤロヴィナ。

 今年ギルドに就職したばかりの事務員だそうだ。


『なにっ?! ドッズのヤツはまだ体調を崩したままなのかい?!』

『す、すみません、すみません! ギルド長が迷惑をおかけしまして!』


 ちなみにドッズとは今のギルド長の事だ。

 ジャネタお婆ちゃんはギルドから冷遇されていた事もあって、彼に対しては中々に辛辣な言葉を吐く。


 そんなジャネタお婆ちゃんの剣幕に、半べそをかきながらペコペコと頭を下げ続けるヤロヴィナ。

 その様子は完全に悪質な苦情者(モンスタークレーマー)に対応する新人店員のそれだ。

 ていうか、この子は自分の前に居るのが同じギルドの人間だって知らないのかな?

 周りで見ている人達も助けてあげればいいのに。

 それともみんなジャネタお婆ちゃんの事を知らないのかな?


『ジャネタ様じゃないですか! 一体本部に何の用なんですか?!』


 その時、線の細い温和な雰囲気のオジサンがやって来た。

 ていうか、見た事ある人だね。確かチェクレチュニカの町で、ジャネタお婆ちゃんの部下だった人じゃないかな?


『そういやアンタは、少し前に本部への連絡を持たせて送り出したんだったか』

『ええ。昨日この町に着いたところです。それよりも、ご自分でいらっしゃるなら、何でわざわざ私を本部によこしたんですか?』


 オジサンに不思議そうな顔をされて、ちょっとバツが悪そうにするジャネタお婆ちゃん。

 どうやら僕達と本部に来ると決める前に、既にこの人をココに送り出していたようだ。


『こっちにも事情があったんだよ。それよりも話を聞かせてくれるかい? ギルド本部は今どうなっているんだい?』


 オジサンはチラリと僕らの方を見ると、『ここではちょっと』と言葉を濁した。

 どうやら水運商ギルドは一言では言えない面倒な事になっているらしい。

 ジャネタお婆ちゃんは少しためらった後、ティトゥに振り返った。


『ナカジマ様、少し席を離しますがよろしいでしょうか? ギルドの者に案内させますので奥で休んで――』

『案内はいりませんわ。私だったらここでハヤテと待っています。いつも貴族の屋敷に行った時はそうしてますもの』


 ティトゥの言葉に、オジサンはジャネタお婆ちゃんに、「いつもって、あんたいつも貴族の令嬢を外に待たせているんですか?」と問いたげな目を向けた。

 ジャネタお婆ちゃんはオジサンの視線をガン無視。

 手慣れた動きで僕の上から降りた。


『では少々失礼します』

『ナカジマ様、本当によろしいので?』


 ティトゥが頷き返すと、オジサンは「いいのかなあ」という顔をしながらそれ以上は何も言わなかった。


 そしてギルド事務員のヤロヴィナはホッとしたのか、陰でコッソリと冷や汗を拭っている。

 そんな彼女をジャネタお婆ちゃんが見とがめた。


『何をボサッとしているんだい。アンタが案内するんだよ!』

『うえっ?! 私が?!』

『そりゃそうだろう。アンタは本部(ココ)の人間なんだからね』


 あらら。ご愁傷様。

 どうやらヤロヴィナの受難はまだしばらく続くらしい。

次回「兵は拙速を尊ぶ」

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― 新着の感想 ―
[良い点]  なにやらカーチャ係数の高そうな新キャラが……ヤロヴィナちゃんですか、影と幸が薄そうでお下げ髪とくれば当然メガネ……あれっ?  ああっ……この異世界にはメガネが無いんですね!   そこま…
[気になる点] この娘イタガキ、オットーに並ぶ苦労人になりそうな予感がする...w
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