その17 マムスの決断
僕がバラクからもたらされた情報。
それはネドマの発生というものだった。
現在、卵から孵化したネドマは急激に成長を続けているという。
『それも二か所同時です』
『『?!』』
キルリアの言葉に驚くカルーラとマムス。
そう。今回、ネドマの発生源は二か所。
一つはこの国の東。大きな港町がある辺り。確かデンプションとかなんとか。
どうやらネドマはその沖合に巣くっているようだ。
『デンプション?! そいつはマズいぞ!』
難しい顔をするマムス。
港町デンプションはこの国の海運の中心地となる。
その沖合にネドマが発生しているとなれば、この国の流通と経済に与える影響は計り知れないものとなるはずである。
『もう一ヶ所はこの国の北西。ピエルカ山脈のどこかになります』
『なっ! ピエルカ山脈だと?! まさか国境を越えちゃいねえよな?!』
マムスが声を荒げたのも無理はない。
場所で言えば、実はこっちの方がずっと厄介だからだ。
ピエルカ山脈はこの国から見て北西。隣国ミュッリュニエミ帝国との国境の山となる。
ちなみに、僕達が経済を破壊したバルム領はこの山の麓にある。
国境を隔てる山、という意味では、ナカジマ領におけるペツカ山脈と同じなのだが、険しさが全然違うそうだ。
というか、あれほど領土的野心の強い帝国皇帝が、この山脈を越えて軍を進めようと考えない時点でお察しというものだろう。
『詳しい場所までは分からないそうです』
『クソッ! よりにもよってなんだってあんな場所に!』
なんでかと言えば、僕に関係があるような無いような。
いやまあ、僕がやった事じゃないんだけどさ。そう言う意味では僕のせいじゃないとも言えるんだけど。
僕がどことなく居心地が悪そうにしているのを感じたのだろう。
カルーラがもの問いたげな目でこちらを見上げた。
ここはポーカーフェイスで。
マムスもネドマの厄介さは前当主の兄から聞いていたのだろう。
真剣な表情で考え込んでいる。
『デンプションの方は帆装派に押し付けられるが、ピエルカ山脈はバルム領だ。放っておくわけにはいかねえ。今の砦からどれだけの兵が割けるか・・・』
って、オイ! 内戦を続けながら対応するつもりだったのかよ!
でも呆れているのは僕だけで、キルリアもカルーラも特に驚いた様子は見られなかった。
戦争をしている以上、そっちの方が大事という事だろうか?
帝国皇帝もそうだけど、この世界の人達の戦に対する捉え方には未だに馴染めない所だ。
「ねえカルーラ。”ネドモヴァーの節”だっけ? ネドマが出たのなら、それを宣言して一時停戦に出来ないのかな?」
「・・・それを決定するのは国王代行だから」
全てマムスの腹積もり次第というわけか。
マムスはじっと考え込んでいる。察するところ、自分達が一番利益を得られる選択を探しているのだろう。
そんな悠長な事を言ってる場合かな? と、僕なんかは思わないでもないが、当主はそういう物の考えをするものなのかもしれない。
◇◇◇◇◇◇◇◇
マムスはため息をつきたい気持ちを堪えていた。
ネドモヴァーの節を宣言する。それが現実的な選択肢だ。
その上でサルート家連合軍と一時休戦を結ぶ。
だが、その場合こちらは大幅な譲歩を覚悟しなければならないだろう。
(いつものネドマなら、むしろこっちが貸しを押し付ける事が出来る。だが今回はそうじゃねえ)
叡智の苔からの情報によると、ネドマの発生場所は二か所。
東の港町デンプションの沖合と、西の国境ピエルカ山脈。
デンプションの方は割といつも通りだ。さほど手間はかからないと思われる。
だが問題はピエルカ山脈の方だ。
(ハッキリ言ってコイツはイレギュラーだ。ネドマが陸地で繁殖するなんて聞いた事もねえ。しかも場所は険しい山脈の中だ。討伐するのにどれだけの手間と時間がかかる事か。クソッ! 全くツイてねえぜ)
かつて陸地に入り込んだネドマはいなかった。
ネドマは海洋生物。この国の者達は誰もが漠然とそう考えていたくらいだ。
その常識を覆したのは、帝国のペニソラ半島南征軍に密かに潜り込んでいた諜者からの報告だった。
報告にあった巨大な虫の姿をしたネドマは、幸いな事に、偶然その場に居合わせたミロスラフ王国のドラゴンによって、即座に始末された。
諜者の二人は、その死骸から、ネドマをネドマたらしめる器官、魔核の存在を確認していた。
そして今回の正体不明のネドマ。さらにはそれが広大な険しい山の中に潜んでいるという。
ハッキリ言って頭を抱えたくなる状況だ。
その捜索と討伐にどれだけの時間と兵士が取られる事か分からない。
しかも山の尾根を越えた先は敵国となる帝国だ。
いわばピエルカ山脈は両国にとっての緩衝地帯なのだ。
そんな場所に、調査のためとはいえ大量に兵を投入すればどうなるか?
相手がどう判断するかなど、あえて考えるまでもないだろう。
かといってネドマを放置するという選択肢はない。
ハヤテは知らない事だが、この国は一度、近海でネドマの繁殖を許して手酷い目にあった経験があるのだ。
ましてや今度の場所はバルム領にあるピエルカ山だ。
マムスも同盟者として、決して放置する訳にはいかなかった。
(いっそ、港町のネドマの方は帆装派には黙っておくか・・・ いや、ロクな時間稼ぎにもなりゃしないか)
場所が港町デンプションというのが悪かった。
おそらくそう遠くない未来に、あちらのネドマは誰かに発見されるだろう。
人も多く、船も頻繁に出入りする大きな港町だ。
むしろ今まで見つかっていないのが不思議なくらいなのだ。
逆に言えば、今ならまだ情報を高く売りつける事が出来る、とも言える。
黙っているうちに向こうで発見されたら、情報の価値がゼロになるばかりか、叡智の苔のもたらした情報を恣意的に秘匿したとして、他家からも大きな反発を買うだろう。
(連合軍に譲歩するのも止む無し・・・か)
領地にネドマが発生したと知れれば、そうでなくても厭戦気分の強いバルム領の兵は完全に浮足立ってしまうのは間違いない。
不敵なマムスも、流石にベネセ家だけで四大部族全てを敵に回して戦えると考える程は己惚れていなかった。
ましてや連合軍の軍司令官は、あのレフドだ。
彼の粘り強くいやらしい戦い方は、味方にすれば頼もしく、敵に回せば非常に厄介だ。これはマムス自身が、初戦の痛み分けで嫌と言う程思い知らされている。
(レフドに背を向けるのは業腹だがしょうがねえ)
仮に五分の条件で休戦をしたとしても、帆装派が港町のネドマを退治し終えた時点で、こっちは下手をすれば未だに発見すら出来ていない可能性すらある。
そんな状況で相手が休戦条約を破ればそれっきり。
かといって砦に十分な数の守備隊を残しておけば、今度は調査のために割ける人員が不足してしまう。
こと戦いに関しては聡明なマムスは、自分達の勝利の道が閉ざされてしまった事を察した。
この戦は負けだ。
マムスは腹をくくった。
そうと決まれば行動に移すのは早い方がいい。
負け戦にいつまでも未練を残し、味方の被害を拡大させるのは凡庸な将がやりがちなミスだ。
勝ちを諦めるつもりはないが、一つの戦場での勝敗には拘らない。
要は最終的に負けていなければ勝ちなのだ。
マムスは割り切ると、頭の中で今後の段取りを組み立てていった。
しかし、ここから事態はさらに彼の予想を超えて動く事になるのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
『ネドモヴァーの節を宣言するしかねえ。お前達も協力してくれるんだろ?』
マムスはため息をこぼすように言葉を吐き出した。
カルーラ姉弟の顔がパッと明るくなった。
『当然』
『それが私達小叡智の仕事ですから』
ちなみに小叡智の力は、弟のキルリアの方が姉のカルーラより上と聞いている。
けど、小叡智の能力が”翻訳”の魔法によるものである以上、本来であればそういった上下は無いはずだ。
おそらく、落ち着いていて理性的なキルリアの方が、落ち着きのないどこか天然のカルーラよりも、叡智の苔の通訳として優れているという事なのだろう。
『私達はこのまま聖域に残って、叡智の苔様からの言葉を待ちます』
『ナカジマ様、エドリアにはそう伝えておいて。ナカジマ様?』
今も実家で二人を心配しているだろう兄のエドリアさんに言伝を頼もうとして、カルーラはティトゥの様子がいつもと違う事に気が付いた。
ティトゥはジッと僕を見つめていたが、ハッと我に返るとカルーラに向き直った。
『わ、分かりましたわカルーラ』
『? そう? 本当に大丈夫?』
未だ心ここにあらずといった様子のティトゥに、怪訝そうな顔をするカルーラだった。
「バックオーライ。バックオーライ」
『おーらいですわ』
僕はゆっくりとバックで地上移動しながら洞窟の外に出た。
そういや飛行機ってバックで移動出来るんだっけ?
押されないとダメだったような・・・
自分が魔法生物という自覚をしたからだろうか。割と普通にバックで動く事が出来たんだけど。
そんな風に僕が、人知れず頭を捻っていると、血相を変えた城の兵士が大慌てでこちらに走って来た。
『大変です! 国境に帝国軍が集結中! 総数およそ三万!』
『なんだと?!』
マムスの額に青筋が立った。
次回「怪しいティトゥ」